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レットイットビーと縄文思想(縄文思想と日本人)

菜園のコスモス10月1


レットイットビーと縄文思想(縄文思想と日本人)

明日は衆議院投票日です。より良い政治を期待し、自然との共生に共感できる当選可能な候補者に投票予定です。

さて、前回(2日前)「ジョン・レノンの縄文思想」について、「イマジン」の詩を例に紹介しました。

続いて今回は、ジョン・レノン作詞の大ヒット曲の「Let it be!」の縄文思想について愚考します。

「Let it be!」を直訳しますと、「自然にまかせろ」、「自然のままが良い」、という感じでしょうか。この詩も拙ブログのテーマでもあります「自然との共生思想」(縄文思想)を感じさせます。

イギリス人なのに、何故、ジョン・レノンは、そのような考えを持っているのでしょうか、調べたところ、次のような感じでした。

 1940年 イギリスのリバプールで生まれる。
 1962年 ビートルズ結成
 1966年 キリスト教批判(キリストに問題がないが・・・)
 1966年 日本文化に興味、日本画家のオノヨーコに会う(1969年結婚)
 1969年 「イマジン」発表(正式発表は1971年、反戦歌と評価される) 
 1970年 「Let it be!」発表
 1971年 2回目の日本訪問
 1980年 ニューヨークのアパート前で暗殺される

この年表から愚推しますと、「キリストに問題はないが現在のキリスト教には問題がある。一方、戦争を求めない縄文思想には共感できる。」、という感じでしょうか。

まとめますと、ジョン・レノンが、「イマジン」や「Let it be!」を作詞作曲した背景には、日本人の縄文思想に共感していたことが感じられます。

そして、前回の繰り返しになりますが、キリスト教批判と反戦思想(縄文思想)のため、ジョン・レノンは暗殺されたと思われます。

なお、上と下の写真は、記事と関係ありませんが、現在の我が自然との共生をめざしている菜園の様子で、コスモスの花咲く秋の様子です。秋も深まってきました。

菜園のコスモス2


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[ 2017/10/21 08:07 ] 縄文思想と日本人 | TB(-) | CM(3)

ジョン・レノンの「イマジン」と縄文思想(縄文思想と日本人)

キウイ10月無農薬


ジョン・レノンの「イマジン」と縄文思想(縄文思想と日本人)

青春時代に流行ったビートルズの曲に「イマジン」という曲がありますが、イギリス人の作品なのに縄文思想が入っているのでないかと思います。関連し、今回は、そのジョン・レノンの「イマジン」と縄文思想について愚考します。

まず、その詩を引用しますと次のとおりです。

Imagine there is no heaven
It’s easy if you try
No hell below us
Above us only sky
Imagine all the people living for today aha-ha

Imagine there’s no countries
It isn’t hard to do
Nothing to kill or die for
And no religion too
Imagine all the people living life in peace yu-huh

そこで、詩の内容ですが、次のような感じでしょうか。

想像すると、この世には地獄も天国もない、上に空があるだけだ。そして、国がなければ人々は殺し合いもせず平和で幸せに暮らすことができるのだが・・・。

まとめますと、これは、まさに、私たち日本人の祖先が自然と共生していた縄文時代そのものの平和な時代の姿ではないかと思います。

一方、阿修羅掲示板に、「ジョン・レノンは世界を支配している人たちが誰なのかを知っていました」 という記事があり、その記事では、ジョン・レノンは暗殺されたということが紹介されていました。

そこで暗殺された理由について推察しますと、ジョン・レノンの「イマジン」の詩の意味すること、すなわち既存の宗教(キリスト教)や体制(国)の否定にあったのではないでしょうか。

それは日本では何でもない思想です。しかし、一般民衆の音楽の頂点に立っている者がそのような思想を歌い、そのような思想が自然と民衆に広まってしまうことは、欧米の支配者から見ると許されないことだったと思われます。地動説のガリレオの例を出すまでもなく、中世ヨーロッパでしたら魔女狩り裁判にかけられたところです。

一方、ジョン・レノンの自然と共生し平和を愛する思想のルーツですが、結婚した日本人女性画家(オノヨウコ)の影響があったと思われます。

なお、上と下の写真は、記事と関係ありませんが、自然との共生を目標にしている我が菜園の様子で、キウイとカキの収穫直前の様子です。無農薬ながら、美味しい果実が採れております(笑)。

カキ10月無農薬


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[ 2017/10/19 08:43 ] 縄文思想と日本人 | TB(-) | CM(4)

日本の綺麗な街並みのルーツ愚考(縄文思想と日本人)

マリ国洗濯場風景1


日本の綺麗な街並みのルーツ愚考(縄文思想と日本人)

日本はなぜあんなにきれいか ゴミを厳格に分別し収集」という中国の人民網日本語版の記事が阿修羅掲示板に紹介されていました。その記事の一部を紹介しますと次のとおりです。 

人民網日本語版 2017年08月16日08:34

日本を初めて訪れた外国人観光客はみな、空が青い、水が澄んでいる、街がきれい、道路にはゴミも紙くずも全然落ちていないと感じるに違いない。「きれい」がおそらく日本に対する第一印象になる。だが40年前の日本は深刻な環境汚染や都市ゴミの問題に悩まされていた。日本政府が数十年にわたり努力し続けたことや、国民の高い関心もあって、日本の環境は大幅に改善され、きれいな環境が日本の代名詞にさえなった。「光明日報」が伝えた。(引用終了)

関連し、今回は、日本の綺麗な街並みのルーツについて愚考します。

私は、1984年のことですが、マレーシア北部のブキメタジャンという中国人の町で半年ほど暮らしたことがあります。町のサイズが500mX500m程度の小さな町ですが、飲食店や映画館が複数あり、その中に中国人がひしめいて暮らしている感じでした。

町中の道路は舗装されていましたが、道路両脇の排水路はゴミで詰まり、汚れていて、とても綺麗な町とは言えません。その町では清掃する人たちが居て、掃き掃除などが朝早く行われ一度綺麗になります。しかし、平気でゴミをポイ捨てする人達が居て、夕方を過ぎ夜になるとごみだらけという感じでした。

多少のゴミは気にならない、ポイ捨ても気にならない、という感じでしょうか。ときどき、信号待ちで車が止まっているとき、着飾った美人が車から平気で道路にバナナの皮などを捨てていたのも見ました。中国人の頭のなかは、商売、金で忙しいのが本音でしょうか。そしてゴミは掃除する人が居るので問題ないという感じでしょうか。

中国本土に行ったときも似たような光景がありましたが、中国人が日本の町を見て綺麗だと感動するのは本当だと思いました。

では、なぜ、日本の町はきれいなのか。それは拙ブログのテーマでもあります縄文思想、自然との共生思想と深く関わっていると思われます。日本人は、そこに神様の存在を感じるのでしょうか、山を汚し、川を汚すことを嫌います。道路を汚さない、町を汚さない、同じ思想が働いているのだと思います。

確かに、経済活動、工業優先の結果、川にはヘドロが溜まり、日本は一時期汚くなりました。しかし、それを克服し、今では鮭が上る川が増えてきました。それは、日本人に環境に優しい縄文思想があったため、回復も可能だったのだと思います。

なお、上と下の写真は、記事と関係ありませんが、アフリカのマリ国ニジェール川沿いの田舎の洗濯場風景です。出張の時に撮りました。この地域はバンバラ地方で、ここの人達はバンバラ人と言われ、高身長の人達が多く、前回(2日前)紹介のベナン国の民族とは明らかに異なります。

マリ国洗濯場風景2

関連し、マリ国の場所と前回紹介のベナン国の場所を下の地図に示しました。

アフリカのマリ国とベナン国(地図)


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[ 2017/10/17 07:23 ] 縄文思想と日本人 | TB(-) | CM(0)

Free Hugsと日本人とアフリカ(縄文思想と日本人)

ベナン国の女性1


Free Hugsと日本人とアフリカ(縄文思想と日本人)

先日、ブログ仲間が、Free Hugs!! (街頭で見知らぬ人々と抱擁 をして素晴らしい何かを生み出す活動)について紹介していました。この記事に刺激され、今回は、アフリカの抱擁挨拶と日本人について愚考します。

私がアフリカのベナン(もと奴隷海岸)という国に着任したとき、2009年のことですが、アフリカ風の挨拶、すなわち抱擁し右と左の頬を交互に接触させるという挨拶がありました。男女の相手かまわずしておりました。男女の場合、イスラム教徒はしないだろうと思っていましたが、中部アフリカのイスラム教徒はしていました(笑)。その挨拶は、日本人の私にはできないという思いが強かったのか、軽いカルチャーショックを受けたことを覚えています。

また、マレー系民族の国のマダガスカルに着任したとき、2015年のことですが、彼らはアジア系の稲作民族なので、その挨拶はないだろうと思っていましたら、していましました(笑)。特に、マダガスカルは美人の多いところですので、男性の方は、この抱擁挨拶が好きな感じをうけました(笑)。

私の経験ですが、事務室の掃除をしてくれる小太りのおばさんに、好かれたのか無理やり抱擁挨拶を受けてしまいました(笑)。

この抱擁挨拶というのは、ヨーロッパの大統領が外国人と挨拶するときテレビニュースで見かけることがありますので、世界的には普通の挨拶の仕方なのかと思われます。異民族どうしの戦いが多かった外国の場合、相手に友人であることを示す方法として抱擁挨拶が定着しているのかもしれません。アフリカの場合は、さらに頬まで寄せ合う挨拶で、部族どうしの争いが絶えなかったアフリカの事情が反映しているのかもしれません。

そして、この抱擁挨拶が日本で使えるのか、ですが、外国の様な民族対立の歴史は少なく、難しいのかなと思っています。まして、しっかり抱き合うFree Hugsは!

見知らぬ人に愛を与える方法として、日本には、見知らぬ人でも神の存在を感じて優しくなることができるという縄文思想があり、誰にでも親切に対応できる易しい心があります。しかし、経済優先の日本の現代社会では、それが弱くなってきている問題があり、Free Hugsが必要になってきていると思う人が増えているのかもしれません。

なお、上記紹介のブログ仲間の記事の一部を引用しますと、次のとおりです。

Free Hugs!!   (http://osakapref.blog.fc2.com/blog-entry-86.html)

皆さんはFree Hugs (フリーハグズ)を知っていますか??フリー・ハグズとは街頭で見知らぬ人々とハグ((抱擁) をして、素晴らしい何か(愛・平和・温もりなど)を生み出す活動だそうです。アメリカのジェイソン・ハンター氏が2001年頃に始めた活動で、その後インターネットを通じて世界に広まった活動です。首からFREE HUGSの看板をぶら下げて街並みに立つだけというシンプルさです。・・・
昨今、心が病んでしまう人が多い中、私も考えていたが凄くいい活動なのではと思います
(引用終了)

なお、上と下の写真は、記事と関係ありませんが、ベナン国の農業で働く女性たちです。なにか日本人に近い顔立ちの人が居ました(笑)。

ベナン国の女性2


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[ 2017/10/15 08:21 ] 未分類 | TB(-) | CM(4)

稲荷山古墳出土鉄剣の万葉仮名愚考(邪馬台国と日本人)

稲荷山古墳の場所と古代の周辺


稲荷山古墳出土鉄剣の万葉仮名愚考(邪馬台国と日本人)

前回(10月1日)、万葉仮名のルーツがマレー系の言語の発音にあることを紹介しました。関連し、今回は、我が国で最初に万葉仮名が使われたと言われる埼玉県稲荷山古墳出土鉄剣の碑文について愚考します。

まず、その碑文の意味ですが、「獲加多支鹵の訓は "ワカタケル" で正しいか -銘文を中古音で訓む-」http://www.lun.ac/history/wa/wuekkatachilo.phpによれば、次のとおりです。

鉄剣に銘文を記銘させた者が 乎獲居臣 で あり、・・・獲加多支鹵大王寺(大王)に代り左治天下(王に代る宰相)と言う輝かしい名誉が あって、これを端緒として この事蹟を家系と併せて記念として残したいと言う 乎獲居臣 の意思が働いて、この鉄剣を鍛造鍛冶させたので あろう。・・・しかも銘文は、金錯銘と言う豪奢で非常に手の込んだ特殊な手法を用いて記録として残して おり、しかも類を見ない程 の長文で ある。この被葬者は余程左治天下の事蹟が嬉しかったので あろう。(引用終了)

鉄剣作成時期は辛亥年(西暦471年か531年)のようです。

そして、ここでも諸説があり論争が続いている感じがします。論点は、鉄剣持ち主(乎獲居臣)が宰相として仕えた獲加多支鹵大王寺という大王が誰なのか、に集約されます。

上記の専門家によれば、「獲加多支鹵」の「獲と鹵」は万葉仮名になくワカタケルと読めない、とあります。無理に読めば「エツカタシロ」となるようです。

そして、通説の「ワカタケル」と読めれば大和朝廷の雄略天皇を指していることになり、一方、「エツカタシロ」となれば、関東地方の大王となります。

拙ブログでは、6世紀当時、関東地方は毛の国と呼ばれ、大和朝廷の支配下に無かったことを紹介してきました。また、大王(天皇)に代り宰相ともなった乎獲居臣については古事記や日本書紀に記述がありません。

それらから考えると「エツカタシロ大王」は、稲荷山古墳辺り、すなわち現在の群馬、栃木、埼玉を支配していた蝦夷の大王と思われます。その鉄剣の発見された古墳の場所は、関東平野の真ん中です(上の地図参照)。5世紀以降となると、この広大な大地に蝦夷の大王が居てもおかしくはありません。

そして、大王名が「「エツカタシロ」」とすると、何か蝦夷(アイヌ系)の名前の感じがします。最近のDNA研究(Y染色体ハプログループ分類)、Nonakaら(2007)の報告によれば、今でもアイヌ系の割合は関東では半分(48%)近くあります。また、近くの群馬は毛野国と呼ばれていました。当時はもっとアイヌ系の割合が高かったと思われます。

これらの状況から想像しますと、5~6世紀に関東地方に蝦夷のエツカタシロ大王が居て、その宰相を務めた男が碑文入り鉄剣を作ったような感じがします。そして、その人名は万葉仮名にない発音の蝦夷の名前であり、新漢字を使わざるを得ない状況であったと推察されます。

そして、その碑文入り鉄剣を誰が作ったかですが、作った時期が531年の場合、当時、北九州で栄えていた倭国が磐井の乱で528年に滅んでいる関係から、そこに居た技術者が関東地方にも流れてきて、関東でも高度な碑文入り鉄剣の作成が可能になった、と考えることができます。



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[ 2017/10/13 08:22 ] 邪馬台国と日本人 | TB(-) | CM(4)
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日本人の縄文思想と稲作のルーツ
日本人のDNAと縄文思想と稲作のルーツについて海外経験と最新情報を元にユーモアをまじえて迫ります

レインボー

Author:レインボー

私は稲仕事の関係からいくつかのアフリカとアジアの国々で暮らし、日本人のルーツはアフリカまで辿れること、その思想は自然との共生思想(縄文思想)であること、稲はマレー系の人々が持ち込んだことを実感しました。その経験をベースに、日本人のDNAと稲作のルーツに迫ります。なお、ペンネームは、「虹を見る歴史思考」という拙ブログの手法と関連し「レインボー」とします。どうぞよろしく。
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