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まとめ1、日本人のルーツは、アイヌ、マレー、ツングースの混血(日本人のルーツ)

韓国人、関西人、関東人のY染色体ハプログループ分類


まとめ1、日本人のルーツは、アイヌ、マレー、ツングースの混血(日本人のルーツ)

前回紹介しましたように、今回は、まとめ1.日本人は、アイヌ、マレー、ツングースの混血、について紹介します。

最近のDNA研究(Y染色体ハプログループ分類)は日本人のルーツを明らかにしました。父(男子)から息子(男子)に伝えられるY染色体がありますが、この染色体の分類により、父のルーツが分かることになりました。例えば、Y染色体ハプログループがDですと、父親のルーツはアイヌ系となります。

その分類の結果、日本人はアイヌ系が35%、マレー系が30%、中国系が20%、モンゴル系が10%、その他が5%であることが分かりました。

また、関東と西日本で内容が異なり、アイヌ系は関東で48%、西日本で27%で、東日本にアイヌ系が多いことが分かりました。アイヌ系が縄文文化の栄えた東日本で多いことは、アイヌ系は先住民族で、かつ縄文文化の担い手だったことと一致します。これらのDNA情報の文献を上の表で示しました。

一方、中国系とモンゴル系ですが、朝鮮半島では、中国系が40%、モンゴル系が20%と日本の2倍いることから、彼らは、日本に来て半分に薄まったと観ることができます。すなわち、日本人の半分は韓国系と思われます。また、彼らは、ツングース系民族と分類されますが、ツングースは、Y染色体ハプログループ分類から、モンゴル系と中国系の混合混血民族で、モンゴル語に近い言語を持ち、畑作系民族と分類されています。

マレー系は、インドネシアにルーツがあり、航海術に優れ海洋系民族、かつ稲作民族と評価されていますが、彼らは、朝鮮半島に30%、中国南部やベトナムにも多いことから、稲作を広げながら大陸東岸を北上し、日本、特に北九州に多く移り住んだと思われます。また、彼らは、稲作だけでなく、海洋民族として、照葉樹林文化の伝播などにも関与したと観られます。

これら民族の割合を、上の表を用い、円グラフで示しますと、下の図のとおりです。

まとめますと、日本人のルーツは、アイヌ、マレー、ツングース(中国系とモンゴルの混合混血民族)の混血集団です。この集団から、どのように日本語や日本人が形成されてきたのかについては、次回からの報告で紹介します。

なお、このようなDNA情報について関心のある方は、拙ブログ左側にある検索欄に「Y染色体ハプログループ」と入れ、クリックしますと関連の記事を見ることができます。

因みに、上の表と下の図は、過去記事「関西人のDNAとルーツ」を利用したものです。

韓国、関西、関東の民族


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[ 2018/06/15 07:33 ] 日本人のルーツ | TB(-) | CM(4)

記事のまとめについて(ごあいさつ)

自然との共生菜園のグミの実


記事のまとめについて(ごあいさつ)

早いもので、6月となり、今年も1年の半分が終わろうとしています。そして拙ブログですが、開始は昨年(2017)4月でしたので、1年2か月が過ぎました。記事アップは170回を越え、紹介したい記事は、ほぼ出尽くした感じがします。そのためか、似た記事が多くなってきた、あるいは記事のマンネリ化が起きていると思われます。

そこで、こうしたマンネリ化を打ち破るため、カテゴリーことに今までの記事をまとめ、新たな出発の基礎資料としたいと思います。

それらの内容(カテゴリー)は次のとおりです。

1.日本人は、アイヌ、マレー、ツングースの混血(日本人のルーツ)(次回)
2.稲作のルーツは氷河期のスンダランド(稲作と日本人)
3.邪馬台国の場所と卑弥呼の墓は北九州(邪馬台国と日本人)
4.奈良の纏向遺跡は神武天皇の王宮跡(邪馬台国と日本人)
5.倭国の滅亡と日本統一のさきがけ継体王(邪馬台国と日本人)
6.日本語のルーツはアイヌ語とマレー語(日本語のルーツ)
7.日本人の宗教は自然崇拝がベース(縄文思想と日本人)

そして、まとめを終わった7月からの課題ですが、それぞれのカテゴリーの内容をより充実させる予定です。具体的なデータをベースに、拙ブログの課題である「日本人のDNAと縄文思想と稲作のルーツ」について迫ります。

例えば「秋田美人のルーツ」ですが、拙ブログでは「ツングース由来の色白高身長」と指摘してきました。そこで、本当に高身長なのか、現在のデータから検討します。ご期待ください。

なお、上と下の写真は、「自然との共生」を目標にしている我が菜園の5月下旬のグミの様子です。グミの実には、ガン抑制効果のあるビタミンEがたっぷりのほか、免疫力を高めるβカロテン、そして赤い色にはトマトと同じリコピンが含まれ、高齢者には重宝な老化防止食材です。このため、私ことですが、毎日食べました(笑)。

自然との共生菜園グミの木


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[ 2018/06/11 07:59 ] ごあいさつ | TB(-) | CM(4)

百済民族の怨念と光州事件(北方系と日本人)

古代百済王国の場所と現在


百済民族の怨念と光州事件(北方系と日本人)

韓国映画「タクシー運転手」が大変な人気で、ブログ仲間の紹介もありました。それは、韓国近代史の大事件である光州事件を背景にした映画ですが、その光州は、拙ブログで紹介している百済王国のあったところです。関連し、今回は、光州事件の背景と思われる百済民族の怨念について愚考します。

まず、光州事件ですが、Wikipedia によれば次のとおりです。

光州事件(こうしゅうじけん)は、1980年5月18日から27日にかけて大韓民国(韓国)の全羅南道の道庁所在地であった光州市(現:光州広域市)を中心として起きた民衆の蜂起。5月17日の全斗煥らのクーデターと金大中らの逮捕を契機に、5月18日にクーデタに抗議する学生デモが起きたが、戒厳軍の暴行が激しかったことに怒った市民も参加した。デモ参加者は約20万人にまで増え、木浦をはじめ全羅南道一帯に拡がり、市民軍は武器庫を襲うと銃撃戦の末に全羅南道道庁を占領したが、5月27日に大韓民国政府によって鎮圧された。(引用終了)

政府の発表では、この事件で、死亡者数は170人(民間人144人・軍人22人・警察官4人)、負傷者数は380名であった(1980年5月31日・戒厳司令部発表)と、あります。民間人の志望者の多くは軍隊によって銃殺されたと言われます。

これには、軍部の全斗煥らのクーデターと民主的政治家の金大中氏逮捕への怒りに直接の原因がありますが、北朝鮮関係者も逮捕され、北朝鮮が関与したと言われています。

しかし、このような暴力事件が、なぜ光州という田舎町で起きたのか、民衆の怒り、北朝鮮の工作だけでは納得できないものがあります。

そこで、この事件場所になった光州について考えますと、次のような歴史の怨念があったのではないかと思われます。

場所は湖南地方と呼ばれ、平野部が広がり韓国で最も稲作の盛んな地方で、もと百済王国のあったところです。この地方に住む人達は、湖南人と呼ばれ、韓国では差別されていると言われております。

例えば、慣習的観念”先天的性格の違い” によれば、「全羅道の人(湖南人)は生活力が強く、営利して社交的や、利己的で信頼性がない」、と観られているという報告があります。すなわち「信頼できない」という差別意識です。この意識は高麗時代からあると言われますので、新羅時代まで辿れるかもしれません。この関係を同ウェブサイトにあった図で示すと上の図のとおりです。

新羅は、小国ながら、百済を武力で制圧し、朝鮮半島を統一した最初の王朝です。拙ブログでは、百済は稲作マレー民族系の国家、新羅は畑作ツングース民族系(モンゴル人と中国人の混合混血民族)の国家として解説してきましたが、この意味で、新羅と百済の戦いは民族対立でした。

百済は、白村江の戦い(663年)の後に滅びますが、その結果、敗れた百済マレー系住民の文化と言葉は消えました。その民族が潰されたという恨みと怨念が、知らずして権力者対民衆の対立となり、今回の光州事件が起きたのではないかと思われます。

まとめますと、光州事件の背景に、百済滅亡の後、表に出てこなかった百済民族の歴史的恨みと怨念があったと思われます。関連し、百済民族のベースとなったマレー系民族の割合を下に示しました。

韓国人のDNA


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[ 2018/06/07 07:56 ] 北方系と日本人 | TB(-) | CM(4)

マハテールの民族和解政治と日本(縄文思想と日本人)

マレーシアの海岸風景


マハテールの民族和解政治と日本(縄文思想と日本人)

先月の海外ニュースですが、1957年の独立以来、与党連合の支配が続いたマレーシアで初の政権交代が実現しました。これを成し遂げたのが高齢92歳のマハテールでした。与党連合の時代が続いた結果、腐敗がはこびり、これを変えたのが今度の選挙と言われます。マハテールの偉大さを感じたしだいです。

私ことですが、3年間(1983~1986年)、マレーシアで働きました。このときはマハテール全盛時代でした。関連し、今回は、マハテールの政治について愚考します。

ご存知のようにマハテールはルックイースト政策で成功しました。それは従来の西洋をモデルにしたルックウェスト政策から日本をモデルにしたルックイースト政策に変えたものです。当時は、ジャパン イズ ナンバーワンなどという本が出たときで、日本の発展が世界から注目を浴びていたときでした。先の世界大戦で侵略を受けたマレーシアですが、日本をモデルにするというのは画期でした。

この政策で、日本の多くの企業がマレーシアに進出し、マレーシアも日本企業も潤いました。そのとき、私は、ソフトボールクラブに入り、日立など日本の一流企業の方たちと交際しました。そして、野外でビールを飲み、21世紀は日本の時代などと語りあい、盛り上がったものでした(笑)。

マハテールは、またブミプトラ政策という在来人(マレー人)優遇政策も進めました。公務員はマレー人優遇というものですが、40%居た中国人(華僑)や10%居たインド人の不満を残しました。しかし、日本企業は、優秀な中国人を多数雇い、そうした不満を解消しました。

このルックイースト政策とブミプトラ政策の偉大さは、従来からあったマレー人と中国人の民族対立を解消したことでした。例えば、有名な事件にマレー暴動(5月13日事件)があります。

Wikipedia によれば、「5月13日事件(マレー暴動)とは、1969年5月10日に実施された総選挙を直接の原因とする、同年5月13日に発生したマレーシア史上最悪の民族衝突事件である。この暴動はほぼ1日で終息したが、銃撃や放火などによって暴動発生後の数日間で死者196人、負傷者439人の犠牲者を出す大惨事となった。」とあります。

これは、マレー人が、俺たちが貧しいのはお前たちのせいだと怒って中国人500人を殴り殺した事件とも言われていますが、貧しいマレー人と豊かな中国人の対立、それが民族対立となって表れたものと思われます。

そこでマハテールですが、マレー暴動の後に現れ、上記政策を成功させ、マレー人も中国人も豊かになりました。その結果、民族対立はほぼ解消しましたので、国民生活は安定し、誰もが平和のうちに過ごすことができるようになりましたので、マハテールは偉大な政治を行ったことになります。

しかし、権力は腐敗するというか、マハテール引退の後、汚職腐敗がはこびり、今回の政権交代が起きたことになります。ここでは、マハテールが野党連合の旗となり、政権交代の主役になりました。マハテールのカリスマ性が今もあったということでしょうか。

そして、マハテールのような民族融和を進めた人物を日本に当てはめると、勝手な思いですが、聖徳太子がそれに相応しいのではないかと思います。

当時、日本は飛鳥時代、中央の大和政権に対し、東の関東には蝦夷と呼ばれるアイヌ系の人々が居て、一方、西の北九州にはマレー系主体の倭国があり、それぞれ言葉が違っていたと思われます。聖徳太子は、17条憲法で、和を中心とする共生政策を掲げました。そして、その後、その政策のためと思われますが、大きな争いもなく、蝦夷の国も倭国も大和政権に取り込まれ、日本統一が成し遂げられた感じがします。

なお、上と下の写真は、私がマレーシアに滞在していたときの風景写真で、平和な様子です。30年前の写真で、ぼやけています(笑)。

マレーシア中国系仏教寺院


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[ 2018/06/03 07:14 ] 縄文思想と日本人 | TB(-) | CM(2)

「垂柳遺跡」の早生稲はどこから来たか(稲作と日本人)

古代早生稲の普及


「垂柳遺跡」の早生稲はどこから来たか(稲作と日本人)

前回、東北の水田稲作が青森県津軽平野の「垂柳遺跡」から始まったことを紹介しました。一方、佐々木広堂氏が「朝鮮半島東北部・ロシア沿海から伝わった封印された早生品種と和田家文書の真実」と題し、東北の早生品種は朝鮮半島東北部から伝わったと熱い議論を展開しております。

確かに、東北で水田稲作が定着するには早生品種なしには考えられません。また、「垂柳遺跡」の前に「砂沢遺跡」がありましたが、「砂沢遺跡」では稲作が失敗例した印象があり、これは適した早生品種が無かったためとも考えられます。

関連し、今回は、小生の専門でもあります稲品種改良について、東北に適した早生品種がどのように作られたのかについて愚考します。

早生品種は、播種から出穂までの日数が短い品種のことですが、結論から先に言いますと、自然突然変異で簡単に出てきます。因みに、有名な良食味品種に「コシヒカリ」がありますが、この品種の自然変異から早生の「五百川」という品種が福島県の農家によって作られています。

拙ブログでは、日本の稲品種のルーツは、氷河期にインドネシア当たりにあったスンダランドと推定しておりますが、その稲が、中国の江南地方で作られ、その中から早生品種が選ばれ、北部の山東半島まで栽培されるようになったと推察しております。

その稲から、さらに早生が選ばれ、遼東半島まで作られるようになった可能性があります。その意味で、朝鮮半島東北部から伝わったという佐々木広堂氏の記事の可能性は否定できません。また、その記事では自然交雑でも早生品種が生まれることを紹介しておりますが、その可能性も否定できません。

また、陸稲栽培は、6000年前からあったことが知られておりますが、陸稲は一般に早生ですので、6000年前から早生稲はあった可能性もあります。日本に昔からあった在来品種収集結果によりますと、九州には極早生から極晩生の在来種が多数あったことが確認されております。ということは、九州にあった早生種が東北に持ち込まれて作られるようになった可能性も否定できません。

また、当時は、朝鮮半島南部も稲作地帯でしたので、そこで選抜された早生品種が持ち込まれた可能性も否定できません。

まとめますと、早生品種は比較的簡単に自然突然変異で発生しますので、稲作が北上するときの阻害要因であった可能性は大きくない感じがします。

なお、上の地図は、早生稲がマレー系民族によって青森県垂柳遺跡に持ち込まれていった様子です。


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[ 2018/05/30 07:58 ] 稲作と日本人 | TB(-) | CM(0)
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日本人の縄文思想と稲作のルーツ
日本人のDNAと縄文思想と稲作のルーツについて海外経験と最新情報を元にユーモアをまじえて迫ります

レインボー

Author:レインボー

私は稲仕事の関係からいくつかのアフリカとアジアの国々で暮らし、日本人のルーツはアフリカまで辿れること、その思想は自然との共生思想(縄文思想)であること、稲はマレー系の人々が持ち込んだことを実感しました。その経験をベースに、日本人のDNAと稲作のルーツに迫ります。なお、ペンネームは、「虹を見る歴史思考」という拙ブログの手法と関連し「レインボー」とします。どうぞよろしく。
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