マレー系の人達は1万年前から日本へ(南方系と日本人)

マレー系の日本移住1万年前

前回、マレー系の人達が朝鮮半島や北九州に新天地を求めたことを紹介しました。今回は、いつ頃来たのかについて愚考します。

古代遺跡研究によりますと、まず、5900年前の「埼玉県浦和市の縄文遺跡から発掘された人骨のミトコンドリアDNA」は現在のマレー系の人と同じDNAということです。ということは約6000年前にはマレー系の人々が関東地方に住んでいたことになります。

一方、島根県飯石郡飯南町志津見の板屋Ⅲ遺跡の1万年前の地層からイネのプラント・オパールの発見があったことが報告(詳しくは下記資料参照)されています。

拙ブログでは、稲作はマレー系の人達によって導入されたと推察しておりますが、1万年前から稲が作られていたということは、マレー系の人達が、その頃住んで居たことになります。

さらに研究が進みますと、年代がさらに古くなる可能性がありますが、とりあえず、以上の資料からマレー系が日本に来たのは氷河期が終わった1万年前頃からとしておきます。また、マレー系と稲作の関係については後ほど愚考していきます。

なお、関連し、上に、遺跡の場所を示しました。板屋III遺跡が日本海側にあることは、マレー系の人達が、先に、朝鮮半島、そして、その近くの北九州や日本海側に移住してきたことを示唆します。

(資料)
板屋III遺跡に1万年前のイネのプラントオパール

「板屋III遺跡の調査報告書」のpdf第3ファイルに、「第2節 板屋Ⅲ遺跡におけるプラントオパール 分析による栽培植物の検出結果とその考察」(高橋護報告)があり、およそ1万年前の14C年代の地層(第4黒色土層)からイネのプラントオパールが検出されたことが報告されていました。

その部分を引用しますと次のとおりです。

写真図版Ⅵの1~24は イネの機動細胞プラントオパールであ り、25,26は モミガラの表皮細胞で ある。この時代にイネが日本に存在していたとは想定していなかったが、第4黒色土層の下層の黒 色土層の部分から検出された。上層の栗色層からはまだ発見されていない。第3黒色土層の下層か らはイネが検出されていないので、さらに火山灰層を隔てた第4黒色土層下層から検出されるイネ が、上部からの落ち込みと考えることはできない。
これ らのイネが栽培種のO.sativaで あることは、伴出したモミガラの組織が、結節状の高まりの 上に二つの乳頭状突起を持つこと、現代の栽培されたアジアイネの組織と一致することなどから明 らかである。25は 乳頭状突起の基部が大きく発達する形態で、縄文時代以来広く各時代のイネに見 られる形態であり、現在の日本のイネの中でカラスモチなど長い亡を持つイネの幾つかでは基本的 な組織の形態として現れるものである。26の 組織は、現在一般に栽培されている日本のイネには現 れないものであるが、アジアイネの中にはしばしば出現する形態であり、縄文時代から弥生時代、 平安時代などの資料の中には似た形態のモミガラが広く出現する。(引用終了)


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マレー系民族の日本への道(南方系と日本人)

マレー系ハプログループの東アジア分布

Y染色体ハプログループ解析(Hamer 2005)では、日本人のマレー系(O1b)の割合は32%、アイヌ系35%に次ぐ第二グループです。今回は、そのマレー系が日本に来た経過について愚考します。

まず、現在のマレー系(O1b)の民族・地域別の割合は上の表のとおりです。これらのデーターから推察しますと、次のことが推察されます。

まず、マレー系の人々は、スンダランド(バリ島などインドネシア)で人口が増えました。一方、1.2万年前頃になると、氷河期が終わり、スンダランドの居住地は小さくなってきました。これらの結果、食料問題が発生し、新たな居住地が必要になってきたと思われます。
この中で、当然ですが、初めは、居住地からマレー半島、ベトナム、ベトナムから中国南部へと隣接する大陸東側周辺部に居住地を拡大したと思われます。

しかし、前回紹介しましたように、その北の台湾にはフイリピン系が居住していました。さらには、東南アジア大陸部や中国本土には中国系がすでに居住しておりました。また、日本の太平洋側にはアイヌ系が居住しておりました。これらのため、これ以上の隣接地域への移動拡大は制約がありました。

しかし、こうした状況のなか、朝鮮半島だけは人口の少ない地域でした。このことは、人類遺跡の少ないことからも裏付けられます。ちなみに、日本では後期旧石器時代と言われる3万年前~1.2万年前の遺跡は4万カ所を越えています。しかし、この時代の遺跡は朝鮮半島では僅かです。

そこで、マレー系が大陸東海岸を北上し、新天地を広げることができる地域として朝鮮半島が第一候補であったと推察されます。さらに、その過程で、彼らは航海術を開発し、移住を成し遂げと、推察されます。この結果と思われますが、朝鮮半島には、マレー系ハプログループ(O1b)が多数存在します。

さらに、日本への影響ですが、そのマレー系の人たちは、日本海側の北九州や山陰地方にも移住したと思われます。これが、日本におけるマレー系の移住の始まりと思われます。

関連し、現在のマレー系の割合を下の地図で示しました。また、日本への移住時期については次回愚考します。

)マレー系の東アジア分布(地図


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フイリピン系、マレー系、中国系の発生(日本人のルーツ)

Y染色体ハプログループNとOの系譜

アイヌ系がスンダランド西端を出て中国南部を経由し、日本を目指したことを前回紹介しました。

一方、ハプログループO(オウ)型の祖先型から、日本人のルーツと関係するフイリピン系(O1a)、マレー系(O1b)、中国系(O2)が発生したと言われます。これらの関係を上の図に示しました。

O型とN型が同じ祖先から生まれたことから推察しますと、N型はチベット以北に多く認められますので、チベット近くのアッサム(インド東部)からミャンマー辺りがOグループ発生場所かと推察されます。

O型の共通点は、OグループというDNAハプログループに分類されるほかに、言葉(文法)に共通性があります。モンゴル系とアイヌ系の文法は、日本語と同じで、主語+目的語+動詞、です。一方、Oグループは、英語と同じ、主語+動詞+目的語、です。

そして、現在のハプログループの情報から、次のようなことが推察されます。

まず、O1aのフイリピン系ですが、スンダランドを経由し、フイリピンに移住し、フイリピンの主要民族となりました。そして、フイリピンから台湾にも移住し、台湾の先住民族となりました。

さらに、彼らは台湾から沖縄を目指しました。沖縄でフイリピン系が認められるのはこのためです。そして、さらには、フイリピン系は、東側のパプアニューギニアやミクロネシア、そしてハワイまで移住したことが知られています。

次にO1bのマレー系ですが、スンダランド(インドネシア)を中心に増えました。そして、マレー半島を経由し、ベトナム、中国南部へ移住し、その後、大陸東岸部を北上し、朝鮮半島や日本に居住地を拡大したと、現在のO1bの分布から推察されます。

最後にO2の中国系ですが、まず、故郷の東南アジア大陸部に居住し東南アジア大陸部の主要民族となりました。そして北に移動し、中国民族となりました。

これらの関係を下の地図に示しました。なお、マレー系の移住については、次に、さらに検討します。

Y染色体ハプログループOの移動


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アイヌは何故、日本を目指したのか(アイヌ系と日本人)

アイヌ系のスンダランドから日本への道

アイヌ系民族がアフリカを出たあと、南国のスンダランドに着いたことを前回紹介しました。しかし、そのスンダランド留まらず、なぜ日本をめざしたのかについて今回は愚考します。

このスンダランドの末裔と思われる現在のインドネシア等周辺の人達のY染色体ハプログループはマレー系(O1b)が主で、アイヌ系(D)はほとんどいません。

一方、スマトラにD型が少し認められることから判断しますと、アイヌ系は、アフリカを出た後(13万年前頃)、スンダランドというよりも、スマトラなどスンダランド西端に到着し居住したと思われます。

そして、ベトナムにもD型が少し認められることから判断しますと、スマトラからベトナムに居住地を拡大したと推察されます。

そこで、私の愚推ですが、その後、日本という緑豊かで食糧豊富な場所があるという情報を知り、日本に向かったと思われます。

1000年単位で考えますと、ベトナムと日本の間は遠くありません。例えば、ベトナム、中国南部(海南島)、台湾、日本(石垣島)のコースを考えますと、石垣島辺りは、台湾のすぐ傍です(上の図参照)。

まして、当時は氷河時代で海面が低かったことから推察しますと、陸の面積は多く、島と島の間は今より狭く、島から島への移動はより簡単であったと推察されます。

アイヌ系は、アフリカを出るとき、アフリカとアラビア半島の間にある紅海を最初に渡った民族と言われます。このことからも、海の航海のできる民族であったと推察されます。

アイヌ系Dグループ人達が今も沖縄に認められますが、その人達は、最初に日本に来た人達の末裔と思われます。そして、その人達の仲間は、新たな情報をもとにさらに北を目指し、黒潮に乗り太平洋側を移動し日本中に広がったものと思われます。

それらの関係文献と図を下に表示しました。

アイヌ系の割合の表(東アジア)
アイヌ系の割合(東アジア)


関連し、下のマンガ絵でくつろいでいただければ(笑)。


スンダランド、マンガ絵


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アイヌ系民族のルーツはアフリカ(アイヌ系と日本人)

ハプログループ簡略系譜(日本人関係)

Y染色体ハプログループ解析(Hamer 2005)から、日本人はアイヌ系が35%と最多であることを紹介しました。関連し、今回は、アイヌ系のルーツはアフリカであることについて愚考します。

現在の人類は、20万年前に、アフリカのケニアのツルカーナ湖の大地溝帯と呼ばれるところで原人から進化したと推定されています。

そして、その「Y染色体ハプログループの系譜」ですが、そのウエブ情報によれば、最初に発生したハプログループはA型です。

そして、次いでA型の祖先型(Adamo Y染色体)からB型、C型(モンゴル系)、D型(アイヌ系)がアフリカで生まれたようです。その他の型は、アフリカ以外の地域で、A型の祖先型がさらに変化し生まれたようです。これらの関係を上の図に示しました。

そして、A型とB型はアフリカに残り、C型とD型は、最初にアフリカを出たグループと言われています。この時期は10万年前頃と推察されていますが、日本に12万年前の人類遺跡があることから推察しますと、アフリカを出た時期は、もっと早い15万年前頃になることも考えられます。

そして、C型のモンゴル系は、ツルカーナ湖を出たあと北上し、中央アジアに到着し、その後、東側のモンゴル平原方面に向かいモンゴル民族のルーツになったと予想されます。

一方、D型のアイヌ系は、ツルカーナ湖を出たあと、東に向かい、アラビア半島南端を通り、東南アジアのスンダランドに着いたと推定されています。

スンダランドというのは、海面の低かった氷河時代にスマトラ~ボルネオ辺りに出現した大陸です。当時は氷河期ですが、スンダランドは、温かく、適度な雨があり、植物が茂り、人類が住むには最適の場所の一つだったようです。

なお、関連し、下の地図は、アイヌ系民族が日本にきた経路です。

アイヌ系民族の日本への道


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日本人の縄文思想と稲作のルーツ

日本人のDNAと縄文思想と稲作のルーツについて海外経験と最新情報を元にユーモアをまじえて迫ります

レインボー

Author:レインボー

私は稲仕事の関係からいくつかのアフリカとアジアの国々で暮らし、日本人のルーツはアフリカまで辿れること、その思想は自然との共生思想(縄文思想)であること、稲はマレー系の人々が持ち込んだことを実感しました。その経験をベースに、日本人のDNAと稲作のルーツに迫ります。なお、ペンネームは、「虹を見る歴史思考」という拙ブログの手法と関連し「レインボー」とします。どうぞよろしく。

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