FC2ブログ

日本人の縄文思想と稲作のルーツ

最近のDNA報告や遺跡等の物的情報から日本古代の虚構と真相に迫ります。
2020 02123456789101112131415161718192021222324252627282930312020 04

天皇家ルーツの解明と古代史俗説の再検討

5世紀頃の日本 継体王現れる


天皇家ルーツの解明と古代史俗説の再検討(古代史の問題)

前回、日本建国のリーダー(天皇家)がアイヌ系の継体王であったことを紹介しましたが、このことは古代史の闇に光をあてました。

関連し、今回は、下記3点の俗説の問題を指摘します。

1. 稲作民族の弥生人が弥生時代の主人公となり、その後、日本の支配者になった。

これは間違いです。

事実は、縄文由来のアイヌ系を中心とする日本人が、北九州で始まった水田稲作を受け入れ、弥生時代を発展させ、古代国家を作ったことになります。

なお、稲作を導入した民族はマレー系ですが、彼らは、朝鮮半島のマレー系と同じマレー系Bで、割合は日本人の10%と推察されます。詳しくは前々回の報告を参照願います。

その水田稲作ですが、3000年前頃に北九州だけに広がり、日本全体には700年遅れの2300年前頃普及しました。詳しくは「水田稲作開始は鉄器導入と一致する」を参照願います。
  
2. 稲作民族が弥生時代に渡来してきた結果、先住民族のアイヌ系は北方と南方に追いやられた。

これも間違いです。

事実は、アイヌ系の人びとは、南方由来マレー系や北方由来ツングース系と縄文時代に混合混血し、日本人となり、古代国家の中心民族となり、日本語のルーツもアイヌ語になったと結論されます。詳しくは、前回報告を参照願います。

3. 騎馬民族が来て日本の支配者になった。

これも間違いになります。

騎馬民族と思われるツングース系の人びとは、朝鮮半島から移住してきましたが、アイヌ系民族と混合混血し、日本人になりました。リーダーになった人々は居たと思われますが、日本の支配者とはなっていません。

なお、彼らは、朝鮮半島から鉄器と畑作を導入しました。彼らツングース系の割合は25%になりますが、縄文時代から来ており、実際に弥生時代や古墳時代に来た割合は10%程度と思われます。詳しくは「朝鮮半島由来の日本人は25%と思われる」 を参照願います。

関連し、アイヌ系の大王「継体王」がリーダーになった状況を上トップ図に示しました。



日本史ランキング
スポンサーサイト



[ 2020/03/14 12:39 ] 古代史の問題 | TB(-) | CM(0)

天皇家のルーツはアイヌ系の継体王

継体王の男系子孫のY染色体ハプログループ


天皇家のルーツはアイヌ系の継体王(日本人のルーツ)

これまで日本人のルーツについて検討してきました。

そして、最近のDNA情報(Y染色体ハプログループ分類)によれば、天皇家のルーツはアイヌ系という結果が出ております。

関連し、今回は、その結果について愚行します。

まず、「有名人のハプログループ」の「Y染色体D1a2a1b系統」によれば、現天皇の祖先「継体王」(在位:507-531年)の男性子孫のY染色体ハプログループはD1a2a1であり、アイヌ系(D1a2)です。

調べられた有名人は、聖徳太子、桓武天皇(在位:737-806年)、東山天皇(在位:1675-1710年)、後村上天皇(在位:1328-1368年)、近衞文麿(1891-1945)等の男性子孫です。これら子孫のY染色体ハプログループは、すべてがD1a2a1bであることが判明しました(上図参照)。

以上の結果から想像しますと、継体王(天皇)のY染色体ハプログループはD1a2a1b(アイヌ系)で、ほぼ間違いないと思われます。

一方、継体王より前の天皇、すなわち記紀にある神武天皇由来の天皇の子孫ですが、情報が少なく、不明です。Y染色体ハプログループ分類のための子孫がまったく見つかっていないのです。

継体王より前の天皇の子孫がまったく見つかっていないということは、拙ブログで指摘してきたとおり、やはり実在していなかった可能性が大になります。

次に、なぜアイヌ系の継体王がリーダーになったのかですが、前回の報告を参考にしますと、次のように推察されます。

継体王の時代、言語として3グループあったと思われます。縄文時代からのアイヌ系言語グループがほぼ全国に、稲作民族のマレー系のグループが北九州に、北方畑作民族のツングース系グループが出雲や北陸など日本海側に居ました。そして、アイヌ系言語グループは縄文時代から居た人びとで、明らかに多数派だったと思われます。

因みに、マレー系は全体として30%居ますが、前々回検討しましたように、縄文時代に来ていた海洋系のグループ20%(マレー系A)と後の弥生時代に来た水田稲作系のグループ10%(マレー系B)に分けられます。おそらく、海洋系マレー系A20%は縄文時代から居た関係から縄文人になっていましたので、言語として縄文系のアイヌ系言語グループに属していたと思われます。

また、パプア系5%ですが、彼らも古くから居る民族で縄文系と思われますので、同じくアイヌ系言語グループだったと思われます。

一方、朝鮮半島由来の畑作民族ツングース系25%ですが、縄文時代から少しずつ来ていた関係から、彼らの大半(15%)は同じくアイヌ系言語グループだったと思われます。

すなわち、当時の多数派は、言語として縄文由来のアイヌ系言語グループ(実は日本語)で、その内容はアイヌ系35%、縄文系のマレー系20%、縄文系のパプア系5%、縄文系のツングース系15%で、合計75%になります。

そこで、そうした背景で、縄文系の継体王が押され、まとめ役になったと推察されます。その結果、同様な背景をもっていた吉備国、出雲国も取り込まれていったと思われます。

一方、北九州の倭国ですが、彼らは水田稲作系のマレー系です。彼らは言葉も違います。何よりも、朝鮮半島の百済など同じマレー系と結びつきが強く、アイヌ系言語グループとは違っていて、一緒になることはありませんでした。詳しくは「なぜ倭国は日本統一の事業をしなかったのか」 を参照願います。

そして、継体王100年後の子孫に聖徳大使が現れ、仏教や儒教の教えを入れた「17か条の憲法」を残しましたが、その17か条トップの言葉には、仏教や儒教でなく「和」の重要性が記されております。

この「和」の精神、それは縄文思想をベースにしたものと思われますが、継体王には縄文時代人の思想があり、それが聖徳大使にも引き継がれていたのではないかと思われます。詳しくは「聖徳太子の17条の憲法と縄文思想」を参照願います。

また、その後の日本社会を観ますと、強大な宗教、すなわち仏教、儒教、キリスト教が日本に持ち込まれました。しかし、それらは主流とはならず、縄文時代からの自然崇拝宗教が今でも優勢です。

こうして観ると、継体王は、縄文時代からの仲間をまとめ、日本統一の先駆けとなった偉大な王に見えてきます。


DNA研究、Y染色体ハプログループ分類とは?


参考までに、Y染色体ハプログループ分類について、初めての人のために紹介しますと、次のような感じです。

男性か女性を決める染色体にXとYがあります。XYが男性、XXが女性になるわけですが、Y染色体は男性にだけあり、父親から男の子供に引き継がれることになりますので、そのY染色体をたどると父親のルーツが分かることになります。

このY染色体は、巨大なDNA配列の塊からできておりますのでそのDNAの配列から種類を細かく分類でき、人類祖先のDNAを分類するのに最適と言われております。

たとえば、Y染色体ハプログループがD1a型ですと、それはアイヌに多い型ですので、その人の男親のルーツはアイヌ系となります。そして、このD1a型という分類は、10万年経過しても、マイナー変化はありますが、D1a型のままで変わることはありません。

関連し、最初のDNAハプログループはアフリカで発生したことについては「アイヌ系民族のルーツはアフリカ」 を参照願います。



日本史ランキング
[ 2020/03/09 13:25 ] 日本人のルーツ | TB(-) | CM(0)

各民族はいつ頃日本に来たのか

日本人のルーツ


各民族はいつ頃日本に来たのか(記事まとめ)

最近のDNA情報を基に日本人のルーツについて3回に渡って検討してきました。

今回は、まとめとして、それぞれの民族がいつ頃来たのか愚行します。

まず、人類の起源はアフリカですが、Y染色体ハプログループ調査の結果、CグループとDグループは、最初にアフリカを出たグループと言われています。

日本には10万年以上前から人類の足跡が知られておりますので、C1a1(パプア系)とD1a(アイヌ系)は、その頃から居たと想像されます。どちらが先に日本に来たかは不明です。彼らは旧石器時代と新石器時代(縄文時代)の中心民族と思われます。詳しくは「旧石器時代の日本人は何処から来たのか」を参照願います。

現在のY染色体ハプログループ分類で、パプア系は5%、アイヌ系は35%ですので、現在の日本人の40%は、その頃から居たことになります。

次いで、日本に来たのは、O1b2a1a1(マレー系A)と思われます。1.4万年前の稲遺跡が鹿児島で見つかっており、その頃から彼らは居たと思われます。詳しくは「稲作民族が江南地方から大挙移住してきたのか」を参照願います。

マレー系民族は小柄な特徴があります。彼らも縄文人になりましたが、縄文時代人の人骨に小柄な人が多いというのは、その影響があったと思われます。

また、マレー系民族は、インドネシアから遠くアフリカのマダガスカルまで移住したことが知られていますが、彼らは海洋系民族であり、5000年前の三内丸山時代の海洋交易の中心民族であったと思われます。詳しくは「マレー系民族の優れた航海術」を参照願います。

マレー系Aの割合は20%です。パプア系5%とアイヌ系35%と合わせると60%になります。彼らが縄文時代人とすると、アイヌ系が圧倒的に多数であり、日本語のルーツもアイヌ語というのは自然の流れと思われます。詳しくは「日本語のルーツはアイヌ語とマレー語」を参照願います。

次いで来たのはツングース系民族と思われます。彼らのルーツは満州で、モンゴル人と中国人の混合混血民族です。ツングース系民族は、モンゴル人に似て高身長の特徴があり、その特徴をもった縄文人が6000年前から居たことが分かっています。詳しくは「縄文時代から高身長の人は居た」を参照願います。

なお、ツングース系が最も多く来たのは4000年前~3000年前の寒冷化時代と思われます。このときは、匈奴等の北方系民族が南下したことが知られておりますので、同じく北方系のツングース系も例外ではなかったと思われます。

こうしたツングース系民族の移住は、その後も続き、彼らは日本海側の出雲、北陸、東北を中心に畑作など北方系文化を広げた中心民族だったと思われます。彼らの割合は全体として25%になりました。

最後に来たのは、水田稲作を日本に導入したマレー系Bと思われます。彼らは、当初、江南地方で水田稲作を始めたことで有名ですが、人口が増大すると北上し、朝鮮半島南西部と北九州に3000年前頃から移住し、同じく水田稲作を行い、弥生時代の先駆けとなりました。詳しくは前回の記事を参照願います。

まとめとして、彼らの移住の経路を上トップ図に、これらの関係を下表に示しました。


各民族の日本移住時期


日本史ランキング
[ 2020/03/04 16:31 ] ブログの概要(記事まとめ) | TB(-) | CM(2)

朝鮮半島由来の日本人は25%と思われる


朝鮮半島由来の日本人は25%と思われる(日本人のルーツ)

最近のDNA情報で、日本人のモンゴル系の割合は10%でなく5%程度であることを前々回紹介しました。

一方、朝鮮半島の民族はツングース系であることが知られております。ツングース系のルーツは満州(中国東北部)で、モンゴル系と中国系の混合混血から生まれた民族ですが、日本へは、これら朝鮮半島のツングース系が移住してきたことになります。詳しくは「北方系民族故郷の満州とツングース」を参照願います。

また、拙ブログでは、「ツングース系の人達は日本人の30%になった」と紹介したことがありますが、これは前々回報告で25%に変更しました。

また、朝鮮半島には、日本人と同じくマレー系の人々が30%ほどいます。彼らは水田稲作を導入したマレー系の人々でツングース系ではありませんが、現在は朝鮮語を話し、朝鮮半島の人々の一部となっています。

今回は、新情報を基に、日本に来た朝鮮半島の人々の割合について愚行します。

まず、最近の朝鮮半島民族のY染色体ハプログループの割合(%)は下表のとおりです。なお、Wikipedia情報にはデータ数(サンプル数)が少ない問題がありますので、前回紹介の「Y染色体で探る日本人の起源」のデータも入れました。

日本と朝鮮半島のY染色体ハプログループ割合(%)

そして、この表をもとに、日本と朝鮮半島におけるツングース系の「モンゴル系:中国系」の割合を計算しますと下表の通りです。

朝鮮半島と日本のモンゴル系と中国系の割合

サンプル数の大きいデータ(Y染色体で探る日本人の起源)で見ますと、「モンゴル系:中国系」は、日本で1:3.5、朝鮮半島で1:3.6です。すなわち、日本と朝鮮半島の値がほぼ同じで、サンプル数の少ない他のデータも、これに準じた結果となっております。

ツングース系民族はモンゴル人と中国人の混合混血民族ですが、以上の結果は、その割合が同じことから観て、日本に来たツングース系民族は朝鮮半島の人々とほぼ同じであったと思われます。

一方、朝鮮半島にはマレー系民族もいて、これらの人々がツングース系と同じように日本に来た可能性があります。このことについて検討しますと、次のように考えられます。

前回、朝鮮半島と日本に、マレー系は、稲作系のマレー系Bと海洋系のマレー系Aが居たことを紹介しました。マレー系Bは、韓国に20%、日本に10%ほど居ますが、水田稲作を持ち込んだグループと思われます。

この理由として、日本と朝鮮半島の稲作開始時期が3000年前であり、ほぼ同時に始まったことが考えられます。そして、水田稲作農民は一度定着すると基本的に定住する傾向があることから、朝鮮半島のマレー系Bは日本へは移住して来なかった可能性が高いと思われます。

一方、マレー系Aは、韓国で10%、日本に20%ですが、前回紹介のように縄文時代から日本に居たことから、朝鮮半島から移住してきたというより、日本で増殖し、海洋交易の関係で、一部が朝鮮半島に移住した可能性があり、どちらとも言えません。

また、古代国家「百済」が水田稲作地帯にあったことから、マレー系は後の「百済国」の主要民族であったと思われます。そして、マレー系民族の国「百済」が660年に滅びたとき、多数の難民が日本に移住してきたという説がありますが、日本に亡命してきたのは記録によれば2千余人とあり、数万人というような多数でなかったようです。詳しくは「百済亡命移民は何故東国に移されたのか」 を参照願います。

まとめますと、朝鮮半島から日本へ来た人々にマレー系は少なく、ツングース系が主役で、その割合25%だった思われます。

ツングース系25%を大きいと見るか小さいと見るか微妙な数字ですが、先に指摘しましたように、彼らは7000年前の縄文時代から来ています。しかし、少しずつ来たため、日本語への影響は小さかったと思われます。一方、その生業であります畑作は、日本に無かったものであり、影響が大きかったと思われます。

なお、ツングース系の日本移住については「縄文時代から高身長の人は居た」および「弥生時代における畑作のルーツ愚考」も参照願います。



日本史ランキング
[ 2020/02/29 22:48 ] 日本人のルーツ | TB(-) | CM(0)

海洋系と稲作系のマレー系が別々に渡来してきた

マレー系の日本移住


海洋系と稲作系のマレー系が別々に渡来してきた(日本人のルーツ)

前回、最近のY染色体ハプログループ情報について紹介しました。そして、日本に渡来してきたマレー系には、マレー系A(日本に多)とマレー系B(朝鮮半島に多)の2種あることを紹介しました。

また、拙ブログでは、マレー系は海洋系かつ稲作民族であることを紹介してきました。詳しくは「マレー系民族の日本文化への大いなる影響」を参照願います。

関連し、今回は、「海洋系と稲作系のマレー系が別々に渡来してきた」について愚行します。

なお、マレー系Aですが、正式にはO1b2a1a1(別名O1b2-47Z)で、日本にだけ多いマレー系の系統です。

一方、マレー系Bですが、正式には、マレー系Aを除くO1b2グループになります。このグループは朝鮮半島に多い結果になっています。(前回資料参照)

これらのハプログループと関連し、「Y染色体で探る日本人の起源 3.日本人の構成」は、データが大きく大変参考になります。そのデータの一部を下表に示しました。

マレー系の地域別割合

以上の情報を整理しますと、拙ブログのこれまでの検討から、マレー系2種は、縄文時代に来た海洋系(実はマレー系A)と、弥生時代に来た稲作系(実はマレー系B)であったことが予想されます。そして、マレー系の日本移住については次のようなストーリイが考えられます。

まず、マレー系の祖先のO1bグループですが、スンダランド(現インドネシア)で発生したと思われます。詳しくは「マレー系民族の日本への道」を参照願います。

そして、O1b1グループは東南アジア方面に広がりました。

一方、O1b2グループは中国の海岸を北上し江南地方で稲作を始めました。そして、その中の1系統(マレー系A)だけが先に日本に向かい広がったと思われます。

その理由は簡単です。O1b2グループにいくつかの系統ありますが、マレー系Aはその中の1系統だけですので、先に来た可能性は大です。

日本に来た時期は、1.4万年前の鹿児島の稲プラントオパール遺跡から観て1.4万年前以上と思われます。この稲は陸稲ですので、水田をベースにした稲作系とは違います。このため、彼らは、日本先住民族のアイヌ系と混血し、縄文人となりました。詳しくは「稲作民族が江南地方から大挙移住してきたのか」lを参照願います。

また、彼らの主食のタロイモ(サトイモ)ですが、ブログ仲間の最新記事「日本神話の源流(10)~タロイモは語る」によりますと、5000年前頃には伝わっていたようです。タロイモは東南アジアがルーツでマレー系民族の主食であること、そして導入された時期から想像しますと、これもマレー系Aによって日本へ持ち込まれた可能性があります。

マレー系民族は海洋系民族であることから想像しますと、おそらく、その航海能力を生かし、5000年前の三内丸山遺跡時代の海洋交易は彼らが担った可能性が高く、そして、後の海人の祖先となった可能性も高いと思われます。詳しくは「マレー系民族の優れた航海術」および「鳥浜貝塚のヒョウタンと船愚考」を参照願います。

関連し、上の表で、マレー系Aは、縄文時代に栄えた関東と東北で多い傾向があります。

次いで、朝鮮半島南部と北九州に水田稲作民族のマレー系Bが3000年前に到着しました。それ以前、彼らは、江南地方で水田稲作を行い発展し、後に中国南部に越国を建設しました。彼らは、さらに一部は北上し、朝鮮半島南部と北九州に水田稲作技術を普及させたと思われます。

しかし、北九州に来た彼らは日本人の10%で、人数も少なく、また水田稲作をするための鉄器も少なく普及は北九州だけに留まりした。この結果、日本全体への水田稲作普及は700年遅れたのが真相と思われます。詳しくは「水田稲作は鉄器導入が早かった北九州だけが先行した」を参照願います。

以上の結果、水田稲作民族のマレー系Bは、朝鮮半島で多い結果となりましたが、日本では、先に来ていた海洋系民族のマレー系Aが20%と多く居た関係から、後に来た水田稲作系マレー系Bは10%で相対的に少なくなったものと思われます。

関連し、マレー系の日本への移住について上トップ図に示しました。



日本史ランキング
[ 2020/02/24 19:36 ] 日本人のルーツ | TB(-) | CM(2)
検索フォーム
日本人の縄文思想と稲作のルーツ
日本人のDNAと縄文思想と稲作のルーツについて海外経験と最新情報を元にユーモアをまじえて迫ります

レインボー

Author:レインボー

私は稲仕事の関係からいくつかのアフリカとアジアの国々で暮らし、日本人のルーツはアフリカまで辿れること、その思想は自然との共生思想(縄文思想)であること、稲はマレー系の人々が持ち込んだことを実感しました。その経験をベースに、日本人のDNAと稲作のルーツに迫ります。なお、ペンネームは、「虹を見る歴史思考」という拙ブログの手法と関連し「レインボー」とします。どうぞよろしく。
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR