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日本人の縄文思想と稲作のルーツ

日本人はアイヌ系35%、稲作民族マレー系30%、朝鮮半島由来ツングース系25%、その他10%であることがDNA調査で明らかになっています。現天皇家はアイヌ系です。奈良・大阪に巨大古墳を残したツングース系王家は6世紀初に滅ぼされたと思われます。関連し、日本書紀の歴史改竄に迫ります。
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田植えの始まりは弥生時代ではない


「大迫力!写真と絵でわかる日本史」弥生時代の田植え


田植えの始まりは弥生時代ではない(古代史の虚像と書籍)

「大迫力!写真と絵でわかる日本史」(2013年 橋場日月)という一般向け書籍が出ています。前回は日本稲品種ルーツの問題点を検討しました。

今回は稲移植(田植え)の始まりについて検討します。

まず、本書では上図のように、弥生時代から移植栽培稲作が始まったとしています。

しかし、拙ブログで何度も検討してきたことですが、このことも事実と異なっています。

まず、移植には、その前に耕起し、水を入れ、水と土をこね合わせる(代掻き)という重労働が必要になります。しかし、そのような作業は弥生時代には無かったことが分かっています。

まず、日本の古代水田の特徴の解明については、那須浩郎(2014)の調査が優れています。彼は、畔あのある水田跡の雑草生態を調べ、その場所には水田雑草が無く畑雑草ばかりであったこと、すなわち、畑地状態であったことを明らかにしています。これは、水を入れて貯めた後、漏水のため水持ちが悪く、水田は畑地のような状況であったことを示します。

このことは、田植えのための代掻きが無かったことを示します。もし、代掻きがあったとすれば、水田表面は、土がドロドロになり目つまりし、漏水が少なくなり乾きにくくなり、畑雑草の育つ余地は少なかったと思われます。詳しくは「台地になぜ水田稲作が普及しなかったのか」を参照願います。

また、移植のような株跡が古代水田にあったという報告もあります。これは、掘り棒で穴を空け、その穴に播種するという播種方式をとったためと思われます。この方式は原始農法の一種で、今でもアフリカ農民の陸稲栽培で一般に認められる方法です。

また、田植えの時に着けられたような足跡が古代水田にのこされていたという報告もあります。しかし、一般に、田植え時の足跡は土がドロドロのため足穴しか残らないのが普通です。

当時は畑状態の水田に播種し芽が出たところで水を入れるという乾田直播栽培でした。おそらく、この足跡は水を入れた後に土が湿り柔らかくなったときにできたものと推察されます。その意味で、この足跡は、当時は代掻きはなく、田植えも無かったこと示す事例と思われます。

拙ブログでは、田植えは、代掻きにより漏水を防ぎ、水を貯め、水温を高くし、確実に増収する画期的技術であったことを指摘しています。この結果、水田の価値は高くなり、この水田を守るため武士が発生したと見ています。詳しくは「田植えの始まりは平安時代中期と思われる」を参照願います。

以上のことから、我が国の水田稲作は、乾田直播に始まり、平安時代になって移植栽培が始まり、現在の水田と同じようになっていったと判断されます。

なお、日本でも、水田稲作以前に陸稲栽培があったことが分かっています。詳しくは「縄文時代の稲栽培は天水畑で行われた」を参照願います。

まとめますと、日本の水田稲作は、乾田直播に始まり、その後、平安時代に移植技術が入り、その技術は漏水を防ぎ、水を温める技術であり、北東北でも稲作が可能になったと判断されます。

詳しくは「田植え技術は東北を変えた」を参照願います。


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[ 2021/09/17 09:45 ] 古代史の虚像と書籍 | TB(-) | CM(8)

日本稲のルーツは揚子江流域ではない


「大迫力!写真と絵でわかる日本史」日本稲のルーツ


日本稲のルーツは揚子江流域ではない(古代史の虚像と書籍)

大判ビジュアル図解「大迫力!写真と絵でわかる日本史」(2013年 橋場日月)という一般者向け書籍が出ています。前回は日本民族のルーツについて検討しました。

今回は、少し専門的になりますが、その書の指摘する「日本稲のルーツは揚子江流域」(上図参照)の問題点について検討します。

結論から先に言いますと、この指摘は、揚子江流域の最古の稲作遺跡から日本型品種が発見されたことと関連しておりますが、最近の知見を無視しており、誤りと思われます。

一般に、稲品種には日本型とインド型がありますが、日本型品種の方が古くからあると言われております。そして、これら栽培稲品種は野生種から選抜された改良品種になりますので、栽培稲品種のルーツは、基になった野生稲が自生していた地域になります。

そこで、揚子江流域の野生稲の歴史を見ますと、氷河期は寒く野生稲が無かったことが分かっています。その意味で、その書の指摘する「日本稲のルーツは揚子江流域」説は否定されます。

なお、現在見られる揚子江流域の野生稲ですが、それらは南部の海南島の野生稲がルーツと判断されています。

そして、日本稲のルーツとなった野生稲ですが、インドネシアのルヒポゴンが栽培稲に比較的近いと言われております。その特徴は、現栽培品種と比較し、極長身(倒れやすい)、極長芒(芒が長く鳥獣に襲われにくい)、脱粒極易(実るとすぐこぼれる)、休眠性極強(雨水に浸かっても1年間発芽しない)、小粒、と言われております。

すなわち、野生稲の特徴は野性的で栽培しにくい特徴があり、これらを改良したのが栽培用品種となります。そして、世界の栽培種を検討し、栽培種のなかでも、これら野生稲に近い特徴をもった品種として、日本型のインドネシア品種群が選出されました。

すなわち、インドネシアには栽培稲に比較的近い野生稲ルヒポゴンと野生稲に近い日本型品種群があり、結論として、インドネシア(もとスンダランド)が日本型品種(栽培稲)のルーツと判断されるようになりました。詳しくは「栽培稲のルーツはスンダランド」を参照願います。

一方、中国には北部に畑作民族と南部稲作民族が居ることが知られておりますが、南部の稲作民族と言われる人々の多数はマレー系の人々です。彼らは、中国では越族と呼ばれておりますが、そのルーツはインドネシアで、上記日本稲のルーツと一致します。おそらく、彼らが中国南部に稲作を持ち込み、さらには日本にも持ち込んだともの推察されます。

上記のインドネシアルーツ説は2008年に生物資源研究所の研究グループが発表したものです。一方、本書の説(日本稲のルーツは揚子江流域説)は2013年の出版です。すなわち、本書は5年前に報告されたインドネシア説を無視して出版した形になります。

まとめますと、上記の「大迫力!写真と絵でわかる日本史」に掲載された「日本稲のルーツは揚子江流域」(説)は、「日本稲のルーツはインドネシア」に訂正すべきです。

次回は、「稲移植の始まりは弥生時代でないこと」について検討します。



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[ 2021/09/10 07:58 ] 古代史の虚像と書籍 | TB(-) | CM(2)

日本人の起源は中国大陸の古モンゴロイドではない


「大迫力!写真と絵でわかる日本史」大陸から来た日本人の祖先


日本人の起源は中国大陸の古モンゴロイドではない(古代史の虚像と書籍)

大判ビジュアル図解「大迫力!写真と絵でわかる日本史」(2013年 橋場日月)という一般向け書籍が出ていますが、事実と異なるいくつかの問題点のあることを前回紹介しました。

関連し、今回は、その書の指摘する「日本人の起源は中国大陸の古モンゴロイド」(上図参照)について、その問題点について検討します。

まず、日本人のDNAですが、最近のY染色体ハプログループ分類によれば、アイヌ系が35%、マレー系が30%、中国系が20%、モンゴル系が5%、その他10%となっています。このうち中国系とモンゴル系の混血と言われる朝鮮半島由来のツングース系は25%(中国系+モンゴル系)と推察されます。詳しくは「最近のY染色体DNA情報と従来知見の修正」を参照願います。

そして、新モンゴロイドの定義ですが、Wikipediaによれば次のとおりです。

「新モンゴロイド(しんモンゴロイド、英: neo-Mongoloid)とは、W・W・ハウエルズによるモンゴロイドの分類。日本では埴原和郎や尾本恵市らが用いている[1]。モンゴロイドを形質的特徴を中心とする遺伝的特性から、「新」・「旧」という、定かではない単語を用いて分別した表現方法である。進化の程度が「新」・「古」という意味ではなく、寒冷地適応を経ているか否かの違いを表したというのが、世間に出回っている現段階における分類である。」(引用終了)

以上の新モンゴロイドの定義に従いますと、本書にあります「日本人の祖先は大陸の古モンゴロイド」の古モンゴロイドは、アイヌ系とマレー系がこれに当たります。

しかし、アイヌ系は中国大陸で先住民族としてまったく確認されて居ません。すなわち、可能性としては中国大陸を通過しただけであり、本書の分類は根拠がありません。

どちらかと言うと、アイヌ系は、アフリカを出た後、インドを経て、インドネシアにあった言われるスンダランドに着き、そこから沖縄を経て日本に来た可能性があります。詳しくは「アイヌ系民族のルーツはアフリカ」を参照願います。

次に、南方系のマレー系ですが、彼らは稲作を持ち込んだ民族と想定され、日本に30%も居ますが、寒冷地適応を経ていませんので彼らも古モンゴロイドに属します。彼らは中国大陸がルーツではなく、インドネシア当たり(もとスンダランド)がルーツであることが分かっています。

一方、新モンゴロイドですが、朝鮮半島由来のツングース系がこれに当たります。縄文時代に渡ってきたとありますが、拙ブログでもそのことは指摘しています。詳しくは「縄文時代から高身長の人は居た」を参照願います。

しかし、多くのツングース系は2300年前頃、鉄器をもって日本に来て、鉄器をベースに弥生時代を作った主要グループと推察されます。

そしてツングース系は25%になりましたが、全体として中国大陸由来はこのツングース系だけの25%であり、多数派ではありません。

また、本書の図(上トップ図)では、新モンゴロイドは北方の樺太を経て日本に渡ってきたように描かれていますが、北海道にツングース系は先住民族として確認されていませんので、このことは事実と異なります。

拙ブログでは、新モンゴロイドと言われるツングース系のほとんどは朝鮮半島を経て日本に渡り、日本海を北上し、日本各地に広がったと観ています。詳しくは「ツングース系民族はいつ日本へ来たのか」を参照願います。

まとめますと、「日本人の起源は中国大陸の古モンゴロイド」という本書の内容は、最近のDNA情報を基にすれば、古モンゴロイドに属する人々は35%のアイヌ系と30%のマレー系ですが、彼らは中国大陸がルーツではありません。本書の内容は明らかに間違っています。

また、新モンゴロイドや古モンゴロイドという区分は、最近のY染色体ハプログループ分類を基にすれば、ほとんど意味のない古い分類であり、使わない方が誤解を生まないと思われます。



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[ 2021/09/06 07:45 ] 古代史の虚像と書籍 | TB(-) | CM(4)

「大迫力!写真と絵でわかる日本史」の問題点


「大迫力!写真と絵でわかる日本史」


「大迫力!写真と絵でわかる日本史」の問題点(古代史の虚像と書籍)

早いものでもう9月、暑さは和らぎ、秋らしい涼しい風と小雨の今日この頃です。

さて、前回まで、学研まんが「NEW日本の歴史」(2012)の古代史関係記事について、根拠のない記事がいくつもあることを指摘し、日本古代史が現在でも戦前と変わらない内容であることを紹介しました。

一方、大判ビジュアル図解「大迫力!写真と絵でわかる日本史」(2013年 橋場日月)という一般向け書籍も出ております(上記写真参照)。

この書籍は、題名のとおり写真と絵が多く、一般向け歴史解説書として分かりやすくできております。しかも、学研まんが「NEW日本の歴史」と異なり、根拠の無い内容については踏み込まず、評価できます。

しかし、古代情報に限りますが、下記の3点について問題がありますので、指摘しておきたいと思います。

1. 日本人の起源:中国大陸の古モンゴロイドと新モンゴロイドとしていますが、根拠はありません。
2. 日本稲のルーツ:揚子江流域としていますが、これはスンダランド(インドネシア)の間違いです。
3. 稲移植(田植え)の始まり:弥生時代としていますが根拠はありません。


次回から、これらの問題について、それぞれ関連する最近情報と比較し、真相に迫ってみたいと思います。


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[ 2021/09/02 13:04 ] 古代史の虚像と書籍 | TB(-) | CM(0)

学研まんが「NEW日本の歴史」、ヤマト王権支配地域の問題


学研マンガ、ヤマト政権支配地域説明文

学研まんが「NEW日本の歴史」、ヤマト王権支配地域の問題(古代史の虚像と書籍)

小学生向き「学研まんが」「NEW日本の歴史」(2012)が出ております。前回は、「鉄剣碑文はワカタケルと読めない問題」について検討しました。

今回は、「ヤマト王権支配地域」の問題について検討します。

前回の続きになりますが、「NEW日本の歴史」では、「6.ヤマト王権の広がり」で、「ヤマト王権支配地域が、4世紀には北九州を含む西日本全域から、6世紀には東北南部まで広がっていた」とあります(上トップ図と下図参照)。

学研マンガ、ヤマト朝廷の広がり

この証拠として、「ヤマト王権による支配の証拠のひとつは、前方後円墳です」とあります。これは前方後円墳体制と呼ばれる説ですが、このことを証明するためには、前方後円墳建造にはヤマト王権の許可があったという証拠が必要です。しかし、その証拠はありません。

「日本古代史つれづれブログ」の「古墳は語る(18)~「前方後円墳体制は」なかった!?」では、「1.数、分布 2.築造の時代推移 3.祖型、4.規模 からみる限り、「前方後円墳体制」なるものがあったことを立証しうるデータはない」とし、データに基づき解説しています。

さらに、関東・東北南部の事例ですが、確かに前方後円墳が多数みとめられます。しかし、ヤマト朝廷が関東・東北南部を6世紀に支配していた証拠はありません。例えば、本書指摘のように6世紀以前にヤマト朝廷の支配が進んでいたとすると、日本書紀にある関東東北支配のための阿倍比羅夫の北征(658年)は必要なく矛盾します。

詳しくは「ヤマト朝廷による関東・東北支配は短期間に完了した」を参照願います。

また、6世紀の時代は、拙ブログでは、継体王(在位:507-531年)が巨大古墳建造のツングース系王家を滅ぼした時代と見ていますが、継体王(ヤマト朝廷)に関東・東北南部を支配する余裕は無かった時代です。その意味で、関東・東北支配は阿倍比羅夫の北征658年(7世紀)に始まったと観るのが妥当と思われます。

以上のことから、関東・東北南部の前方後円墳はヤマト朝廷とは関係なく建造されたと結論されます。

一方、韓国西南部にも前方後円墳がありますが、ヤマト朝廷との関係はこの地域はさらに不明で、ここもヤマト朝廷の支配下にあった証拠はありません。詳しくは「朝鮮半島の前方後円墳と倭王「武」の関係」を参照願います。

まとめますと、前方後円墳があるから、そこはヤマト政権支配地だとは言えません。このような荒唐無稽な証拠の無い説が小学生向け歴史解説書「NEW日本の歴史」(2012)に載せられていることには、いかんともしがたい焦燥感を感じます。まさに、日本の古代史は戦前と変わっていません。


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[ 2021/08/27 09:15 ] 古代史の虚像と書籍 | TB(-) | CM(2)
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日本人の縄文思想と稲作のルーツ
日本人のDNAと縄文思想と稲作のルーツについて海外経験と最新情報を元にユーモアをまじえて迫ります

レインボー

Author:レインボー

私は稲仕事の関係からいくつかのアフリカとアジアの国々で暮らし、日本人のルーツはアフリカまで辿れること、その思想は自然との共生思想(縄文思想)であること、稲はマレー系の人々が持ち込んだことを実感しました。その経験をベースに、日本人のDNAと稲作のルーツに迫ります。なお、ペンネームは、「虹を見る歴史思考」という拙ブログの手法と関連し「レインボー」とします。どうぞよろしく。
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