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マレー系民族の優れた航海術(南方系と日本人)

マレー系のマダガスカル移住経路

マレー系の人々が1万年前頃、中国南部から日本にやってきたことを、Y染色体ハプログループの情報をもとに、前回紹介しました。はるか中国南部から日本へやってきたことは、彼らは優れた航海術をもっていたことが伺われます。今回は、このマレー系の優れた航海術について愚考します。

まず、この例として、マレー系の人たちが、遠く離れたマダガスカルに移住したことがあげられます。この関係を上の地図に示しました。この移住は、その移住の動機がはっきりしませんが本当です。詳しくは次回に紹介します。

一方、日本の場合ですが、例えば、5000年前の山内丸山遺跡で、中国産の円筒土器が見つかったことから、中国遼東半島と交易していたことが分かっています。三内丸山(青森県)から中国遼東半島への移動は、距離があり、簡単ではありません。

そこで、この大航海ができたのは、マレー系民族の航海術の役割が大きかったと拙ブログでは考えています。すなわち、そのマレー系の民族は、1万年前ごろ日本に来てアイヌ系から縄文文化を吸収し縄文人となり、その航海術を使い、中国まで行って交易していたと推察されます。

関連し、下に山内丸山縄文遺跡と海洋交易の関係を示しました。北海道網走とは黒曜石、中国遼東半島とは円筒式土器で関係していたことが出土品から分かっています。また、北陸とは勾玉宝石(翡翠)で結ばれていました。

海洋交易山内丸山遺跡と


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[ 2017/04/25 08:37 ] 南方系と日本人 | TB(-) | CM(0)

マレー系の人達は1万年前から日本へ(南方系と日本人)

マレー系の日本移住1万年前

前回、マレー系の人達が朝鮮半島や北九州に新天地を求めたことを紹介しました。今回は、いつ頃来たのかについて愚考します。

古代遺跡研究によりますと、まず、5900年前の「埼玉県浦和市の縄文遺跡から発掘された人骨のミトコンドリアDNA」は現在のマレー系の人と同じDNAということです。ということは約6000年前にはマレー系の人々が関東地方に住んでいたことになります。

一方、島根県飯石郡飯南町志津見の板屋Ⅲ遺跡の1万年前の地層からイネのプラント・オパールの発見があったことが報告(詳しくは下記資料参照)されています。

拙ブログでは、稲作はマレー系の人達によって導入されたと推察しておりますが、1万年前から稲が作られていたということは、マレー系の人達が、その頃住んで居たことになります。

さらに研究が進みますと、年代がさらに古くなる可能性がありますが、とりあえず、以上の資料からマレー系が日本に来たのは氷河期が終わった1万年前頃からとしておきます。また、マレー系と稲作の関係については後ほど愚考していきます。

なお、関連し、上に、遺跡の場所を示しました。板屋III遺跡が日本海側にあることは、マレー系の人達が、先に、朝鮮半島、そして、その近くの北九州や日本海側に移住してきたことを示唆します。

(資料)
板屋III遺跡に1万年前のイネのプラントオパール

「板屋III遺跡の調査報告書」のpdf第3ファイルに、「第2節 板屋Ⅲ遺跡におけるプラントオパール 分析による栽培植物の検出結果とその考察」(高橋護報告)があり、およそ1万年前の14C年代の地層(第4黒色土層)からイネのプラントオパールが検出されたことが報告されていました。

その部分を引用しますと次のとおりです。

写真図版Ⅵの1~24は イネの機動細胞プラントオパールであ り、25,26は モミガラの表皮細胞で ある。この時代にイネが日本に存在していたとは想定していなかったが、第4黒色土層の下層の黒 色土層の部分から検出された。上層の栗色層からはまだ発見されていない。第3黒色土層の下層か らはイネが検出されていないので、さらに火山灰層を隔てた第4黒色土層下層から検出されるイネ が、上部からの落ち込みと考えることはできない。
これ らのイネが栽培種のO.sativaで あることは、伴出したモミガラの組織が、結節状の高まりの 上に二つの乳頭状突起を持つこと、現代の栽培されたアジアイネの組織と一致することなどから明 らかである。25は 乳頭状突起の基部が大きく発達する形態で、縄文時代以来広く各時代のイネに見 られる形態であり、現在の日本のイネの中でカラスモチなど長い亡を持つイネの幾つかでは基本的 な組織の形態として現れるものである。26の 組織は、現在一般に栽培されている日本のイネには現 れないものであるが、アジアイネの中にはしばしば出現する形態であり、縄文時代から弥生時代、 平安時代などの資料の中には似た形態のモミガラが広く出現する。(引用終了)


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[ 2017/04/23 08:02 ] 南方系と日本人 | TB(-) | CM(2)

マレー系民族の日本への道(南方系と日本人)

マレー系ハプログループの東アジア分布

Y染色体ハプログループ解析(Hamer 2005)では、日本人のマレー系(O1b)の割合は32%、アイヌ系35%に次ぐ第二グループです。今回は、そのマレー系が日本に来た経過について愚考します。

まず、現在のマレー系(O1b)の民族・地域別の割合は上の表のとおりです。これらのデーターから推察しますと、次のことが推察されます。

まず、マレー系の人々は、スンダランド(バリ島などインドネシア)で人口が増えました。一方、1.2万年前頃になると、氷河期が終わり、スンダランドの居住地は小さくなってきました。これらの結果、食料問題が発生し、新たな居住地が必要になってきたと思われます。
この中で、当然ですが、初めは、居住地からマレー半島、ベトナム、ベトナムから中国南部へと隣接する大陸東側周辺部に居住地を拡大したと思われます。

しかし、前回紹介しましたように、その北の台湾にはフイリピン系が居住していました。さらには、東南アジア大陸部や中国本土には中国系がすでに居住しておりました。また、日本の太平洋側にはアイヌ系が居住しておりました。これらのため、これ以上の隣接地域への移動拡大は制約がありました。

しかし、こうした状況のなか、朝鮮半島だけは人口の少ない地域でした。このことは、人類遺跡の少ないことからも裏付けられます。ちなみに、日本では後期旧石器時代と言われる3万年前~1.2万年前の遺跡は4万カ所を越えています。しかし、この時代の遺跡は朝鮮半島では僅かです。

そこで、マレー系が大陸東海岸を北上し、新天地を広げることができる地域として朝鮮半島が第一候補であったと推察されます。さらに、その過程で、彼らは航海術を開発し、移住を成し遂げと、推察されます。この結果と思われますが、朝鮮半島には、マレー系ハプログループ(O1b)が多数存在します。

さらに、日本への影響ですが、そのマレー系の人たちは、日本海側の北九州や山陰地方にも移住したと思われます。これが、日本におけるマレー系の移住の始まりと思われます。

関連し、現在のマレー系の割合を下の地図で示しました。また、日本への移住時期については次回愚考します。

)マレー系の東アジア分布(地図


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[ 2017/04/21 07:55 ] 南方系と日本人 | TB(-) | CM(0)

フイリピン系、マレー系、中国系の発生(日本人のルーツ)

Y染色体ハプログループNとOの系譜

アイヌ系がスンダランド西端を出て中国南部を経由し、日本を目指したことを前回紹介しました。

一方、ハプログループO(オウ)型の祖先型から、日本人のルーツと関係するフイリピン系(O1a)、マレー系(O1b)、中国系(O2)が発生したと言われます。これらの関係を上の図に示しました。

O型とN型が同じ祖先から生まれたことから推察しますと、N型はチベット以北に多く認められますので、チベット近くのアッサム(インド東部)からミャンマー辺りがOグループ発生場所かと推察されます。

O型の共通点は、OグループというDNAハプログループに分類されるほかに、言葉(文法)に共通性があります。モンゴル系とアイヌ系の文法は、日本語と同じで、主語+目的語+動詞、です。一方、Oグループは、英語と同じ、主語+動詞+目的語、です。

そして、現在のハプログループの情報から、次のようなことが推察されます。

まず、O1aのフイリピン系ですが、スンダランドを経由し、フイリピンに移住し、フイリピンの主要民族となりました。そして、フイリピンから台湾にも移住し、台湾の先住民族となりました。

さらに、彼らは台湾から沖縄を目指しました。沖縄でフイリピン系が認められるのはこのためです。そして、さらには、フイリピン系は、東側のパプアニューギニアやミクロネシア、そしてハワイまで移住したことが知られています。

次にO1bのマレー系ですが、スンダランド(インドネシア)を中心に増えました。そして、マレー半島を経由し、ベトナム、中国南部へ移住し、その後、大陸東岸部を北上し、朝鮮半島や日本に居住地を拡大したと、現在のO1bの分布から推察されます。

最後にO2の中国系ですが、まず、故郷の東南アジア大陸部に居住し東南アジア大陸部の主要民族となりました。そして北に移動し、中国民族となりました。

これらの関係を下の地図に示しました。なお、マレー系の移住については、次に、さらに検討します。

Y染色体ハプログループOの移動


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[ 2017/04/19 07:48 ] 日本人のルーツ | TB(-) | CM(0)

アイヌは何故、日本を目指したのか(アイヌ系と日本人)

アイヌ系のスンダランドから日本への道

アイヌ系民族がアフリカを出たあと、南国のスンダランドに着いたことを前回紹介しました。しかし、そのスンダランド留まらず、なぜ日本をめざしたのかについて今回は愚考します。

このスンダランドの末裔と思われる現在のインドネシア等周辺の人達のY染色体ハプログループはマレー系(O1b)が主で、アイヌ系(D)はほとんどいません。

一方、スマトラにD型が少し認められることから判断しますと、アイヌ系は、アフリカを出た後(13万年前頃)、スンダランドというよりも、スマトラなどスンダランド西端に到着し居住したと思われます。

そして、ベトナムにもD型が少し認められることから判断しますと、スマトラからベトナムに居住地を拡大したと推察されます。

そこで、私の愚推ですが、その後、日本という緑豊かで食糧豊富な場所があるという情報を知り、日本に向かったと思われます。

1000年単位で考えますと、ベトナムと日本の間は遠くありません。例えば、ベトナム、中国南部(海南島)、台湾、日本(石垣島)のコースを考えますと、石垣島辺りは、台湾のすぐ傍です(上の図参照)。

まして、当時は氷河時代で海面が低かったことから推察しますと、陸の面積は多く、島と島の間は今より狭く、島から島への移動はより簡単であったと推察されます。

アイヌ系は、アフリカを出るとき、アフリカとアラビア半島の間にある紅海を最初に渡った民族と言われます。このことからも、海の航海のできる民族であったと推察されます。

アイヌ系Dグループ人達が今も沖縄に認められますが、その人達は、最初に日本に来た人達の末裔と思われます。そして、その人達の仲間は、新たな情報をもとにさらに北を目指し、黒潮に乗り太平洋側を移動し日本中に広がったものと思われます。

それらの関係文献と図を下に表示しました。

アイヌ系の割合の表(東アジア)
アイヌ系の割合(東アジア)


関連し、下のマンガ絵でくつろいでいただければ(笑)。


スンダランド、マンガ絵


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[ 2017/04/17 08:20 ] アイヌ系と日本人 | TB(-) | CM(0)
日本人の縄文思想と稲作のルーツ
日本人のDNAと縄文思想と稲作のルーツについて海外経験と最新情報を元にユーモアをまじえて迫ります

レインボー

Author:レインボー

私は稲仕事の関係からいくつかのアフリカとアジアの国々で暮らし、日本人のルーツはアフリカまで辿れること、その思想は自然との共生思想(縄文思想)であること、稲はマレー系の人々が持ち込んだことを実感しました。その経験をベースに、日本人のDNAと稲作のルーツに迫ります。なお、ペンネームは、「虹を見る歴史思考」という拙ブログの手法と関連し「レインボー」とします。どうぞよろしく。
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