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日本人の縄文思想と稲作のルーツ

最近のDNA解析の結果、天皇家のルーツは、先住民族のアイヌ系であることが明らかになりました。これは天皇家は万世一系という通説を覆す大発見で、古代史全般の修正が求められます。関連し、拙ブログでは「天皇家はアイヌ系」についてまとめ、日本書紀の歴史改竄と古代史の真相に迫ります。
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稲はマレー系が持ち込んだ


照葉樹林文化地帯周辺のマレー系(O1b)の割合


稲はマレー系が持ち込んだ

天皇家はアイヌ系 5.日本文化のルーツ 3)稲はマレー系が持ち込んだ

日本文化のルーツと関連し、日本語はアイヌ語、神社宗教はアイヌの自然信仰に由来すること、それらは、天皇家が朝鮮半島由来ツングース系からアイヌ系の継体王(在位:507-531年)に替わったことに由来することを検討してきました。

一方、日本には、アイヌ系とは独立に発展した文化として稲作、納豆などの発酵食文化が知られております。これらの文化は東南アジアの食文化と関係があり、照葉樹林文化とも言われたことがあります。

そして、照葉樹林文化は照葉樹林文化論とも言われ、50年前の1970年代、稲作のルーツとも関連し、たいへん流行った文化論でした。

関連し、今回は、これらの文化が誰によってもたらされたのか検討し、照葉樹林文化論が否定されている現状について検討します。

まず、照葉樹林文化は、Wikipediaによれば、照葉樹林文化論として次のように紹介されております。

照葉樹林文化論(しょうようじゅりんぶんかろん)とは、1970年代以降の日本の文化人類学において一定の影響力を持った学説である。具体的には、日本の生活文化の基盤をなすいくつかの要素が中国雲南省を中心とする東亜半月弧に集中しており、この一帯から長江流域・台湾を経て日本の南西部につづく照葉樹林地域に共通する文化の要素は共通の起源地から伝播したものではないかという仮説である。また日本列島の縄文文化は照葉樹林文化の一種であるとの誤解を一部にまねいた。(引用終了)

引用記事をまとめますと、照葉樹林文化論はほぼ否定されたものと思われます。

第一の理由は、日本の食文化に多大な影響をもたらした稲作のルーツについては雲南でなく、江南地方であることが分かったことです。

最近の研究では、最も古い稲品種はインドネシア(もとスンダランド)にあり、種類は熱帯日本型で、地球温暖化に伴い、それらが北上し、縄文時代頃に揚子江流域の江南地方で栽培されたことが分かっています。

それを裏付ける代表的遺跡は7000年から始まったと言われる巨大な河姆渡(かぼと)遺跡です。この遺跡は北の3000年前の黄河文明より早いとも言われております。

そして、稲作の北上経過ですが、初めに、最古の稲品種がインドネシアで開発され、それが北上し江南地方に広がり、さらに北上し、山東半島を経て、韓国西南部と北九州に3000年前頃に広がったと推察されています。

一方、岡山市の彦崎貝塚で、6000年前の地層からイネのプラント・オパールが多量に出土したことが明らかになっていますが、これが日本最古の稲作遺跡と判断されます。しかし、この縄文時代稲作は陸稲栽培でした。上記の河姆渡遺跡とは別の流れのものと推察されます。

陸稲栽培は、畑作と同じで、連作ができない、休耕期間が必要である問題があり、一般に低収栽培技術です。しかし、水田作は、流れてくる水の中に含まれている養分を肥料として使うことができますので、連作可能な栽培技術です。

この水田稲作の普及は、水路造成、水を貯める畝造成が必要であり、2500年前の鉄器の普及と共に広がったと判断されます。

次に、民族との関係ですが、日本人は、アイヌ系35%、マレー系30%、朝鮮半島由来ツングース系25%、その他10%の混合混血民族です。こういった東南アジア文化を日本に持ち込むことができた民族はマレー系以外に考えることはできません。

因みに、照葉樹林文化地帯と言われる東南アジアと東アジアのマレー系の人々の割合は上トップ図のとおりです。

マレー系の人々はバリ等やジャワ島で割合が高く、ここがルーツと思われます。さらには、ベトナムで33%、ヤオ族(中国南部)で40%、朝鮮半島と日本で32%と高頻度です。マレ-系の人々が稲作を携え、東南アジア、中国を北上し、朝鮮半島と日本へ来たのはほぼ間違いないと思われます。

関連し、近著「稲作渡来民」(池橋宏 2008)には、その経過が詳しく描かれています。(下図参照)

稲作渡来民(書籍)

まとめますと、50年前に流行した照葉樹林文化論は、稲作起源が雲南ではなく江南地方であることが明らかになり、否定されたものと想われます。

稲作はマレー系民族が日本へ持ち込んだことは明らかです。一方、水田稲作には鉄器が必要です。これを携え、水田稲作を普及させた朝鮮半島由来ツングース系民族の評価も水田稲作普及の観点から重要と判断されます。


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[ 2023/02/03 08:03 ] 天皇家はアイヌ系 | TB(-) | CM(0)

神社信仰のルーツはアイヌの自然信仰


日本宗教の成立率経過


神社信仰のルーツはアイヌの自然信仰

天皇家はアイヌ系 5.日本文化のルーツ 2)神社信仰のルーツはアイヌの自然信仰

多くの見解をまとめますと、日本人の宗教は、世界3大宗教(1神教)とは別の宗教、自然崇拝を基本とする多神教(原始宗教)に分類されるています。

私ことですが、外国に入ったとき、入国カードに宗教欄があり、Buddhistと書いてきましたが、それは方便でした。私の田舎の実家は曹洞宗の檀家になっておりますが、敬虔な仏教徒ではありません。習慣としての仏教徒であり、仏教を信じているわけではありません。

私、あるいは日本人の多くが怖れているもの、それは、地震、洪水などの自然災害です。また、美しい四季の景色は神様の贈り物と思っています。このため、自然の至るところに神を感じ、美しい山を見ればお祈りし、美しい川を見ればお祈りし、その美しさが永遠であることを願い、山や川を汚すことを嫌います。

その日本人の畏れ(宗教)を如実に表現しているのが家を建てるときの地鎮祭と思われます。神様のお許しを得るという意味で地鎮祭は欠かせません。もし、地鎮祭をしないで建設を進め、事故が起きたら大変です。

このような日本人の宗教観は縄文時代からあると推察されています。それは、縄文時代から生き続けているアイヌの人々の宗教から分かったことです。アイヌの自然との共生思想は有名ですが、同時に、日本人の多くも持っている思想です。

日本には、10万年前から人類が住み着いていたことが遺跡から分かっています。アイヌが日本に住み着き、そのなかで育まれた宗教が自然との共生思想と思われます。その後、1万年前頃、マレー系民族が来ました。そして、ツングース系民族が来ましたが、日本人になるなかで、同じくこの宗教を持つようになったと思われます。

その意味で、日本の宗教は、美しい自然と厳しい自然の中で民族の違いを越えて育まれた独自のものと思われます。

一方、朝鮮半島由来のツングース系王家が支配した古墳時代が来ると、それらの世界観は一時的に変わったと思われます。しかし、再びアイヌ系が支配する時代が継体王(在位:507-531年)から始まり、縄文時代信仰が主流になったと判断されます。

その後、仏教、儒教、キリスト教が入ってきましたが、日本の宗教は10万年という気がとおくなるような時間を経て形成された思想ですので、それらを受け入れても同化はしなかったのが真相と思われます。すなわち、新しい宗教の神は神様の中の一人として受け入れられただけでした。

関連し、日本と同じ多神教宗教について下図にしめしました。

日本と同じような多神教の世界の宗教

一方、こうした日本人の宗教が世界で役立つのかですが、個人的には次のような感じです。

私ことですが、10年以上前になりますが、アフリカの中央にあるベナン(奴隷海岸)で働いたことがあります。そして日本人の自然崇拝の宗教と同じような宗教をもっていたブードウ教徒に出会いました。ブウドウ教は、西アフリカ現地の宗教で、ベナン国の国教になっていました。

彼らは自然の神々を崇拝するブードウ教徒ですが、同時にキリスト教も敬い、あるいはイスラム教も敬い、まさに多神教でした。このような関係は、日本人の宗教、そしてインド発祥のヒンズー教にも認められます。その長所は、宗教で対立することはないという感じでしょうか。

関連し、下の写真はベナン国で買ったブードウ教関係のマスク(お面)です。

ベナンで買ったブウドウ教関連マスク

次に、神社の様式がどのような経過を経て現在のようになったのかについて検討します。

神社の入り口にある鳥居ですが、調べますと、鳥居のルーツは照葉樹林文化地帯にあるという報告があります。

そこで、小生の経験ですが、下の写真は、小生が仏教国ミャンマーの山中で撮ったもので、現地の人に聞いたところ、仏教でなく在来宗教(原始宗教)の神社の入り口だと言われました。この神社の入り口の様子が日本の神社の鳥居に似ており、日本の神社の祖型かと思いました。

ミャンマーの地方の宗教施設

この写真を門のところだけ拡大すると下図のとおりで、鳥居の形と同じです。

鳥居のルーツか(ミャンマーの宗教施設)

ということは、照葉樹林文化地帯に住んで居たマレー系の人々(倭人)が、日本に来て、そこにあった鳥居様式を導入した可能性があります。初めは粗末なもので遺跡には残りませんでしたが、後に立派なものを作るようになったと思われます。

次に、神社内部の建物ですが、これらは仏教建築物とほぼ同じで、これも時代と共に大きくなり、荘厳な建物になっていったと思われます。そして、天皇家の確立した奈良時代以降、関連する神社も荘厳な建物に発展していったものと想われます。

一方、小生はマレーシアに3年住んだことがあります。そのときの映画の一場面ですが、森の中にリスのような精霊が遊んでいる場面が出てきました。マレー系の人々は微笑みながら見ていましたが、おそらくムスリム教が入る前に原始宗教があり、それが映画で表現されていたと思われます。

まとめますと、神社のルーツは、原則としてアイヌ系の自然との共生思想に由来する神々ですが、その成立過程においては、鳥居等は東南アジア由来、また境内は中国の廟様式をまねてできあがってきたものと思われます。

関連し、日本宗教の成立経過を上トップに示しました。


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[ 2023/01/27 08:44 ] 天皇家はアイヌ系 | TB(-) | CM(2)

日本語のルーツはアイヌ語


日本語のルーツはアイヌ語とマレー系発音


日本語のルーツはアイヌ語

天皇家はアイヌ系 5.日本文化のルーツ 1)日本語のルーツはアイヌ語

今回は、日本語のルーツについて検討します。

まず、多くの学者の見解をまとめますと、日本語のルーツはアイヌ語になります。沖縄には琉球諸語がありますが、これらもアイヌ語がルーツとなっています。文法、基本単語を調べていきますと、アイヌ語につきあたるということだと思います。

日本列島には初めにアイヌ系の人々が住み着きました。10万年前の人類遺跡から、アイヌ系の人々は10万年前から日本に住んで居たと推察されております。

一方、大陸(朝鮮半島)からツングース系の人々も縄文時代中期頃から日本に来ていることが分かっています。当初は、彼らは、少しずつ長期に渡って日本に移住してきたため、日本語に与える影響は小さかったと思われます。

偶然にも、ツングース系言語とアイヌ系言語は、動詞が最後に来るという点で文法スタイルが似ており、移住してきたツングース系の人々にとって日本語は受け入れやすかったと思われます。

ツングース語とアイヌ語の文法が何故似ているかですが、次のことが推察されます。

まず、ツングース系民族はモンゴル系と中国系の混合混血です。そして、ツングース語はモンゴル系言語(ウラルアルタイ語系)と分類されています。このことは、ツングース系民族の故郷(中国東北部=満州)には当初モンゴル人が住んでいたが、そこに農耕民の中国人も住むようになり、混合混血し、言葉はモンゴル系、生業は畑作というツングース系民族が発生したものと想像されます。

最近のDNA研究(Y染色体ハプログループ分類)によれば、モンゴル系はC型、アイヌ系はD型で、両者とも古いタイプに属し、両者とも最初にアフリカを出たグループでベースが近い関係にあります。このため、言語文法も似ていたのではないかと想像されます。

彼らツングース系民族は、弥生時代と古墳時代に日本の覇者となりました。このとき、日本列島の平野部はツングース系民族が多数派であり、王家を築き、巨大古墳建造が流行しました。おそらく、これら古墳建造時代はツングー系言語が王家の言葉として使われていたと想像されます。

しかし、それら古墳建造に従事していたアイヌ系が反乱を起こし、その王家はアイヌ系継体王(在位:507-531年)によって滅ぼされました。この結果、新王家となったアイヌ語が日本の主流言語となっていったと判断されます。

なお、大阪弁がありますが、大阪弁は韓国の釜山言語に雰囲気が似ていると言われます。おそらく、大阪は5世紀に巨大古墳が建造され、ツングース系王家の栄えた土地であり、そのような訛りが残り、現在まで続いてきたのではないかと思われます。

なお、ツングース系王家が平野部で栄えていたとき、先住民族のアイヌ系は中山間に住み従来の習慣を保持し水田稲作を徐々に受け入れていった時期と思われます。

続いて日本語の発音のルーツですが、発音はマレー語にたいへん似ています。例えば、小生がマレーシアに居た時のマレー語レッスンに、人はオラン(人=オラン)、米はナシ、魚はイカン、餅菓子はクエ、というのがありました。カタカナがマレー語ですが、そのカタカナ発音がマレー語になります。

そこで、その日本語発音(マレー語発音)のルーツについて考察しますと、同じ発音をもつ万葉仮名がルーツになったことは確かです。万葉仮名を使うようになってから、実際の発音は文字言葉と一致するようになっていったと思われます。

漢字を万葉仮名風に使うという方法は、外国人名や外国地名を表す方法として中国で使われていました。これを、中国と交易していた百済が導入し、続いて日本もこれを導入したことになります。

継体王(在位:507-531年)が最初に外交をおこなった大王、あるいはは最初に文字を導入した大王と言われていますが、それが万葉仮名の始まりだった判断されます。

そして、マレー系は約30%が日本に居ますが、稲作導入との関係で特に多くいたと思われる北九州です。そこには、マレー語に由来する方言が散見されます。例えば、マレー語(日本方言)で示しますと、ソウヤロ(そうやろ)、バッテン(ばってん)、カタル(語る)等です。

また、日本古語にもマレー語の影響が認められます。例えば、マレー語(日本古語)で示しますと、イトオカス(いとおかし)アナオソロ(あな恐ろし)等です。

また、百済を「くだら」と読むことの理由については謎でしたが、マレー語でKudaraは兄弟という意味ですので、おそらく北九州の同じマレー系の人々が百済を兄弟(Kudara)と呼ぶようになったことに由来すると想われます。

以上の事例は、マレー語と日本語の密接な関係、特に、マレー語読みの万葉仮名と日本語の関係を示すものと思われます。

以上のことから、万葉仮名は、百済と北九州倭国で4世紀頃から使われ、続いて、継体王(在位:507-531年)時代の6世紀頃からヤマト政権でも使われるようになったと推察されます。因みに、継体王の時代には、百済から五経博士が来るようになり、大和政権でも初めて文書が作られるようになりましたが、継体王が初めて文字を導入したとも言われています。

関連し、上トップに日本語の形成過程を示しました。

また、百済語(万葉仮名)を導入した古代日本の様子を下図に示しました。


百済語と日本語の関係6世紀


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[ 2023/01/20 09:24 ] 天皇家はアイヌ系 | TB(-) | CM(3)

日本文化のルーツは縄文・弥生時代にある.


日本文化と三大民族の関係


日本文化のルーツは縄文・弥生時代にある

天皇家はアイヌ系 5.日本文化のルーツは縄文・弥生時代にある(第5章の序文)

これまで、日本人はアイヌ系が35%、マレー系が30%、朝鮮半島由来ツングース系が25%、その他10%の混合混血民族であること、現天皇家は継体王(在位:507-531年)に始まるアイヌ系であることを検討してきました。

そして、これらの民族は、日本語や宗教等の日本文化の形成に大きく関わってきました。関連し、ここ第5章では、日本文化と日本民族の関係について検討します。

おそらく、これらの方面での第一人者は梅原猛と思われます。彼は、日本文化のルーツを調べ、北海道アイヌ古老と話したとき、日本語や日本人の死生観(あの世観)がアイヌと同じことを発見しました。

例えば、アイヌ語では神はカムイ、魂はタマであり、アイヌ語には日本語とまったく同じ単語が使われています。このような精神に関わる単語は外国から導入されたとは考えにくい、すなわち、日本語の自生の基本単語として、もともとあった単語と観ることができます。

また、日本には、死後の世界として「あの世」があると信じられてきました。「あの世」は「この世」とあべこべの世界で、「この世」の夜は「あの世」では昼に当たります。このため、死人を「あの世」に送るための儀式に「通夜(つや)」がありますが、この儀式は「あの世」では明るい昼にあたる夜に行なわねばならない異紹介しました。

小生はいくつかのアジアの国をあるきましたが、このような儀式があるのは日本だけです。おそらく、梅原猛指摘のとおり、これは縄文時代から続いていた葬式で、仏教が入る前の葬式は「つや」だけだったことになります。

これらアイヌと同じ言葉と宗教が現代まで続いていることの理由を検討しますと、日本の支配者(天皇家)が同じアイヌ系だったためと観ると当然のことと思われます。そして、このことは最近の、天皇家はアイヌ系というDNA研究結果により確実になったと思われます。

また、日本の宗教は神社宗教(神道)と言われます。この宗教は多神教であり、アイヌの自然との共生思想と同じであり、神道のルーツもアイヌ系にあることは確実でしょう。

一方、アイヌ系の文化では説明できていない遺跡や文化があります。例えば、稲作、照葉樹林文化、巨石文化、海洋交易ですが、これらの実例は南方に認められます。

南方系の人々として、日本には30%のマレー系の人々がいますが、これらの文化はマレー系の人々がもたらしたものと思われます。

一方、日本は稲作の拡大により発展しました。稲作には陸稲様式と水田様式がありますが、この稲作で生産力が高いのは森から流れてくる養分を含んだ水を利用する水田稲作です。

この水田稲作には、水路や水を貯める畝を作るための鉄器農具が不可欠ですが、この鉄器を導入し稲作を発展させたのは、朝鮮半島由来ツングース系民族です。そして、水田稲作を拡大し、弥生時代と古墳時代の覇者となったのはツングース系民族でした。

本章では、これらの民族との関係から、日本文化のルーツに迫ります。

なお、本章の副題(節)は次のとおりです。

1) 日本語のルーツはアイヌ語
2) 神社信仰のルーツはアイヌの自然信仰
3) 稲と照葉樹林文化はマレー系が持ち込んだ
4) 海洋文化のルーツはマレー系
5) 巨石文化はマレー系が主として作った.
6) 鉄器はツングース系が持ち込んだ


関連し、日本文化と日本三大民族(アイヌ系、マレー系、ツングース系)の関係を上トップ図に示しました。



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[ 2023/01/13 07:55 ] 未分類 | TB(-) | CM(4)

出雲が神話で重視される理由


オオクニヌシの国譲り神話と出雲大社


出雲が神話で重視される理由

天皇家はアイヌ系 4.日本書紀は創作、4)出雲が重視される理由

出雲には出雲王家があり、その王家がヤマトに移動しヤマト王家を創ったことを先に検討しました。

一方、出雲に関する関する多数の神話が古事記や日本書紀に残されています。特に、古事記には、その内容の30%が出雲神話と言われ、日本古代史を検討する上で重要な地.と言われております。

関連し、今回は、日本書紀の出雲神話と古代史の関係について検討します。

まず、古代史関係主要神社として、高千穂、伊勢、出雲が知られております。高千穂は天孫降臨の地、伊勢は天武天皇が壬申の乱で勝利を祈願した地として知られております。そのためか、伊勢神宮には現天皇家の祖神のアマテラスが祭られています。

関連し、ヤマト(奈良)の地には大和(おおやまと)神社があり、この神社も同じくアマテラスを祭っていますが、伊勢神宮に次ぐ神社とされています。おそらく、ヤマトの神社はツングース系王家の都があったところの神社であり、伊勢神宮の方が現天皇家ゆかりの地としては相応しい位置にあるためだと思われます。

しかし、出雲大社については、実際の歴史的事件は無く、歴史的意味は不明です。

そこで、出雲大社について調べますと、祭っている神様は、因幡の白兎で有名な大国様(オオクニヌシ)です。そこで、オオクニヌシについて調べますと、次のような感じです。

オオクニヌシは農業の神であり、日本をコメの実る豊かな国にした。しかし、アマテラス(現天皇家)に、その国を譲れと要求され、譲らざるを得なかった。そして、国譲りをした後は、その見返りに出雲大社を建ててもらい出雲の国に残り、亡くなった。

一方、アマテラスですが、その後を継いだのがニニギ、その三男が山彦、その2代目が天孫降臨をして神話の世界から抜け出した神武天皇です。すなわち、アマテラスの末裔(現天皇家)は、国譲りをしてもらい、かつ、現世で繁栄しているというのが神話の結末になります。

そこで、この神話で暗示している歴史的事件について検討しますと、オオクニヌシは日本で農業を始めたツングース系王家、それを譲ってもらったアマテラスは現天皇家とすると歴史的事実と合致します。

実際に、日本は、朝鮮半島由来のツングース系民族が鉄器を導入し農業(特に稲作)を開始し、人口が増え、国作りをしました。しかし、その国を現王家が滅ぼしました。その現王家の始まりはアイヌ系の継体王(在位:507-531年)であることが、最近のDNA研究(Y染色体ハプログループ分類)から明らかになりました。

しかし、ツングース系王家を滅ぼし、農地を含めすべてを略奪したことはアイヌ系王家にとって恥ずべき行為でした。そこで、せめて、神話の世界になるが、国譲りは大きな争いもなく行われたことにしたかったことが日本書紀の国譲り神話には感じられます。しかし、その恥ずべき行為が許されるわけではなく、ツングース系王家の恨みは残ったままです。

関連し、梅原猛の解説ですが、神社は鎮魂の場所、死んだ者が現世を恨んで生き返って来ないように魂を癒す場所として設立されている場合が多いようです。

その典型的事例が太宰府天満宮です。大宰府に流されて亡くなった菅原道真ですが、菅原道真が亡くなった後、いろいろな転変地変が起こり、菅原道真の祟りと畏れられました。そこで、彼の鎮魂のため大宰府天満宮を建てたと言うのは有名な話です。

この梅原猛の解説を当てはめますと、出雲のオオクニヌシはツングース系王家のことであり、その祟りを畏れ、出雲大社を造り鎮魂することになった。場所は、ツングース系王家誕生の地である出雲にしたというのが真相でないかと思われます。

関連し、出雲大社の由来を上トップ図に示しました。

また、同じような意味で、海彦山彦神話があります。

この神話の背景は宮崎(日向)と思われますが、出雲神話と同じように古代史を示唆する内容が含まれておりますので紹介したいと思います。

まず、神話の内容は、天皇家の祖先のアマテラスには3人のひ孫兄弟がおり、長男の海彦と三男の山彦は争い、弟の山彦が長男の海彦を打ち破り、その勝った弟(山彦)の孫が天孫降臨し、現存の神武天皇になるというストーリイです。

しかし、日本書紀と言う日本の正史に、何故、海彦や山彦と言った名前があるのか、さらには名前の無い次男がいるのか、また、この話は山彦が海彦を打ち負かすという内容で、何故、弟の山彦が勝つのか、日本の古代史と関連し、何かを暗示していることが感じられます。

そこで、その暗示の内容ですが、長男の海彦は巨大な王家を近畿に創ったツングース系王家、次男は北九州のマレー系王家(北九州倭国)、三男の山彦は現アイヌ系王家とすると、この神話は古代史と合致します。

海のかなたから来たツングース系王家(海彦)に山間に居たアイヌ系民族(山彦)はいじめられてきました。

しかし、アイヌ系の継体王が現れ、血みどろの戦いの結果、アイヌ系は勝利し、ツングース系王家を滅ぼしました。一方、次男(北九州倭国)はこれらの戦いとは関係なかった、と観ることができます。

一方、これらツングース系王家(海彦)と北九州倭国(次男)の存在については、実在であったにもかかわらず日本書紀にありません。すなわち、これらの話は、神話世界の話に閉じ込め、現世とは関係ないようにしたかったと観ることができます。

さらには、山彦の孫は、天孫降臨し、神武天皇となりました。ここに、天皇の万世一系が完成しますが、現天皇家はアイヌ系ですので、その祖先の山彦は山間部にすんでいたアイヌ系と判断されます。

まとめますと、日本書紀にあります海彦山彦神話の内容は、出雲神話と同じように、実際にあった古代史を神話の世界で間接的に表現しているとも想像されます。

関連し、これらの関係を下図に示しました。

海彦山彦神話のモチーフは実際の古代史

全体をまとめますと、日本書紀と古事記にある神話は、古代にあった事実を神話の世界で表現していると思われます。古代の事実を完全には否定できなかった作者の心情がうかがえます。


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[ 2023/01/06 08:17 ] 天皇家はアイヌ系 | TB(-) | CM(2)
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日本人の縄文思想と稲作のルーツ
「天皇家はアイヌ系」についてまとめています。詳細(目次)は下のとおりです。どうぞよろしく。

レインボー

Author:レインボー

天皇家はアイヌ系(目次) はじめに 1. 日本民族のルーツ 2. 古墳王家は何故滅びたのか 3 古墳王家はアイヌ・マレー系連合に滅ぼされた 4.日本書紀は創作 5.日本語と日本人宗教のルーツ 終わりに
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