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日本人の縄文思想と稲作のルーツ

日本人は、アイヌ系35%、マレー系30%、半島由来ツングース系25%、その他10%の混合混血民族です。DNA分類の結果、天皇家はアイヌ系と分かりました。このことから、朝鮮半島由来のツングース系王家がヤマトに創られ、その後、アイヌ系の現天皇家に滅ぼされたと推察されます。関連し、古代史の真相に迫ります。

これからの予定について

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菜園の花34月赤チューリップ

これからの予定について(ごあいさつ)

拙ブログですが、「日本人の縄文思想と稲作のルーツ」というタイトルで、これまで合計556記事を配信しました。

そして、それらをまとめ、下記5課題をアップしました。(それぞれの記事はカテゴリのタイトルをクリックすると見ることができます。)

1.天皇家はアイヌ系(28記事)
2.邪馬台国の真相(11記事)
3.蘇我家の繁栄と滅亡(11記事
4.ツングース系王家の繁栄と滅亡(11記事)
5.北九州倭国の繁栄と滅亡(9記事

そして、次のとりまとめ課題ですが、次の3課題について考えております。どうぞよろしく。

関東の古墳時代王家の繁栄と滅亡(次回から)4月25日から
武士は田植え導入から始まった 8月?
アイヌ系継体王は日本を創った英雄 11月?

なお、上と下の写真は我が菜園の4月の花です。「菜園で花を作るとは余裕ですね」、と褒められました(笑)。

菜園の花4月スズラン水仙


日本書記は創作として評価するのが妥当

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著書「古代史の研究」

日本書記は創作として評価するのが妥当

日本書記は日本の正史と言われてきましたが、古代の歴史事実と合わない内容が多いことが指摘されています。

津田左右吉が、日本書記には問題が多いことを戦前から指摘しているのは有名な話です。最近では「古代史の研究」(津田左右吉 2022)も発刊されています(上図参照)。そこでは、日本書記は、百済等の外国の史料と矛盾していること等、多くの部分が創作であることを指摘しています。

一方、最近、「天皇家はアイヌ系」ということが分かりました。そのルーツは継体王(在位:507-531年)まで辿れることが分かっています。

日本書記の記述を中心に古代史が検討されているのが現在の状況ですが、「天皇家はアイヌ系」という事実から日本書記を見ますと、継体王以前の大王(天皇)はアイヌ系とは別の朝鮮半島由来ツングース系の大王となり、実在したのか不明で、矛盾だらけです。

関連し、今回は、以下の3点の歴史事例から、その日本書記の問題点について検討し、日本書記は創作であったことに言及します。

1. 日本人のルーツは複数(DNA情報)
2. 天皇家のDNAはアイヌ系と同じ
3. 弥生時代と古墳建造と北九州倭国について記述がない

まず、日本人のルーツですが、何度も拙ブログで指摘していますように、DNA研究(Y染色体ハプログループ分類)の結果、日本人は、アイヌ系が35%、マレー系が30%、朝鮮半島由来ツングース系が25%、その他10%であることが分かっています。

日本書記では、日本人は単一のように描かれていますが、上記のように、複数の民族が居て、長い間に混血混合した民族になっています。

次に天皇家のルーツですが、上記の指摘のように、アイヌ系であることが分かっています。そして、そのルーツは継体王(在位:507-531年)まで辿れることが分かっています。そこで、それ以前の王家は朝鮮半島由来のツングース系王家と判断するのが妥当です。

現天皇家が偉大なことは、朝鮮半島由来のツングース系王家を滅ぼし、日本という国の基礎を創ったことと判断されます。このアイヌ系の天皇家が出現したために、言葉(日本語)はアイヌ系となり、さらには、自然崇拝の神社という精神文化も形成されたと判断されます。

そして、3点目の日本書記の問題は、弥生時代と古墳建造と北九州倭国について記述が無いことですが、次のとおりです。

まず、日本には、鉄器と水田稲作で豊かになった弥生時代がありましたが、このことが、日本書記には記述されていません。代わりに、出雲の神の「国譲り神話」があります。

弥生時代を創り、出雲王家を創り、その後ヤマトに王家を創った者はツングース系王家ですが、これにアイヌ系王家は関係しておりません。しかし、アイヌ系の現天皇家がツングース系王家から国譲りを受けたと理解すると、国譲り神話の意味が理解できます。


次に古墳建造ですが、古墳を建造したのは明らかにツングース系王家ですが、このことは日本書記にありません。そして、ほとんどの古墳を現天皇家のものに見せるために、それぞれの大古墳を現王家の陵墓に日本書記は改竄しています。すなわち、継体王の前の陵墓名は創作になります。

最後に、北九州倭国の無視です。北九州には、百済と連携したマレー系の倭国がありましたが、日本書紀では、これも無視しています。詳しくは、拙ブログのカテゴリの「北九州倭国の繁栄と滅亡」を参照願います。

このような創作物ができた背景には、奈良時代は、奈良の大仏が完成し、これを見にきた外国人旅行者へ、日本を偉大な国に見せるための読み物という目的があったという指摘がありますが、漢文で書かれており、その通りだと思われます。


そこで、これからの日本書記の扱い方ですが、引用する場合は、事実を確認して引用し、慎重な対応をすることが肝要と思われます。特に、継体王(在位:507-531年)以前の大王(天皇)の扱いは、現天皇家とは関係の無い大王ですので、そのような扱いが必要と思われます。


例えば、倭王武は雄略天皇にあたるという言い方がありますが、雄略天皇は、継体王(在位:507-531年)以前の大王名で実在が確認されていません。実在するとすれば、現天皇家以前のツングース系王家の大王となります。すなわち、現天皇家と関係のない王で、実在したかも分からない王のことで、この王を検討しても意味のないことです。


なお、関連し、最近著「嘘だらけの日本古代史(倉山満 2023)を読みました。タイトルは眼をひきますが、残念ながら、肝心な「天皇家はアイヌ系」についての情報はありませんでした(下図参照)。

著書「嘘だらけの日本古代史」

日本の新聞・テレビは古代の真相を報道していない

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日本の新聞・テレビは古代の真相を報道していない

NHK「古代史ミステリー 第1集 邪馬台国の謎に迫る」が先月(2024.3.17)にありました。この番組については、小生も見ましたが、邪馬台国を記した魏志倭人伝(原文)の内容を無視した内容には驚き、呆れました。

そこで、どのような批判が出ているのか、歴史関連ブログを見渡しますと、ありました。それは、「新・私の本棚 NHKの虚報 「古代史ミステリー 第1集 邪馬台国の謎に迫る」」です。

しかし、この記事以外、批判がまったく見られない異常です。批判はあるのだが、ひどい内容に呆れて批判する気にもなれない感じでしょうか。

そこで、今回は、そのNHKの卑近な事例から、「日本の新聞・テレビは古代の真相を紹介していない」ことについて検討します。

拙ブログで、そのNHKの邪馬台国報道の問題を指摘したいのは次の3点です。

1. 邪馬台国の場所が原文と合っていない
2. 邪馬台国の住民の特徴が原文と合っていない
3. 卑弥呼の墓のサイズが原文と合っていない

まず、場所の問題ですが、NHKでは、邪馬台国の場所はヤマトになっています。

しかし、「魏志倭人伝」(原文)では、女王の都するところは、東側に海があるとなっています。ヤマトの西側は山であり、このことの説明がありません。原文無視と言えましょう。

関連し、原文では、邪馬台国と対立している狗奴国の場所は邪馬台国の南になっていますが、NHKでは西側になっていて、ここでも原文無視です。

次に邪馬台国の住民です。原文によれば、住民は刺青(分身)をしており中国南部の海南島の住民に似ているとありますが、ヤマトの人々に刺青の習性は知られておりません。まして海南島の住民に全く似ていません。

むしろ海南島由来で日本に渡来してきた民族は中国南部出身の稲作民族の越族(マレー系)だけです。彼ら越族と言われていますが、刺青の習慣があり、邪馬台国の住民は越族(マレー系)とするのが妥当になります。しかし、このことの説明はありません。

最後に、卑弥呼の墓のサイズですが、NHKでは全古墳長が278mの前方後円墳の箸墓古墳が卑弥呼の墓と言っています。しかし、原文では「径百余歩の墓に葬られた」ですので、直径30m~50m(100歩)程度の円墳か方墳と推定されます。

これら3点のほか、原文無視の内容がさらにありますが、このNHK事例のように、最近でも、原文や事実を無視した勝手な結論が主流になっているのが、日本の新聞・テレビの特徴です。

関連し、拙ブログでは、右側にあるカテゴリの「邪馬台国の真相」で11記事を発表しております。

そこでは、最近のDNA研究(Y染色体ハプログループ分類)で天皇家はアイヌ系であること、現天皇家のルーツは継体王(在位:507-531年)まで辿れることを明らかしています。すなわち、邪馬台国(卑弥呼)とアイヌ系天皇の接点はありません。

また、ゲノム(DNA)と関連し、最近著「ゲノムでたどる古代の日本列島」(斉藤成也監修 2023)を読みましたが、残念ながら、縄文系の人々と「天皇家はアイヌ系」との関係については書いてありませんでした(下図参照)。

ゲノムでたどる古代の日本列島(書籍)

また、最近著「古代史サイエンス(DNAとAIから縄文人、邪馬台国、日本書記、万世一系の謎に迫る)」(金澤正由樹 2022)を読みました。そして、天皇家のY染色体のタイプは縄文系という図表を発見しました。しかし、残念ながら、その説明に、「天皇家はアイヌ系」という指摘はありませんでした(下図参照)。

古代史サイエンス(書籍)

想像しますと、これら報道や書籍のねらいは、邪馬台国→ヤマト朝廷→現天皇家 の流れに事実を無視してもしたいのでしょうか。

以上のことをまとめますと、新聞、テレビだけでなく、書籍も、日本の古代史の最大ポイントと思われる「天皇家のルーツはアイヌ系」については無視、あるいは逃げているのが現状です。その代表例はNHK報道でしょうか。

なお、このような報道や書籍の異常に関心のある方は拙ブログのカテゴリの「古代史の問題」および「古代史の虚像と書籍」をクリックしますと、さらに情報を得ることができます。


前方後円墳は誰が建造したのか愚考

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最近のDNA情報から分かったこと

前方後円墳は誰が建造したのか愚考

前方後円墳については、その独特の形態も含め、仁徳天皇陵(大仙陵)が世界遺産となるなど、大変有名です。古代の都のヤマトには、墳長200m以上のものが多数ありますが、それらは、日本の正史と言われる日本書記では歴代天皇の陵墓と指定されています。

しかし、最近のDNA研究(Y染色体ハプログループ分類)によれば、現天皇家はアイヌ系であること、かつルーツは継体王(在位:507-531年)まで辿れることがほぼ明らかになっています。

このことは、継体王以前の陵墓は、それ以前の王家が建造したものであることを示唆します。

関連し、今回は、その前方後円墳は実際は誰が建造したのか検討します。

まず、「前方後円墳体制」という有名な用語がありますが、その説明はWikipediaによれば次のとおりです。

前方後円墳体制(ぜんぽうこうえんふんたいせい)とは、古墳時代前期に現れた定型化した前方後円墳の造営にみられる政治秩序。考古学者都出比呂志によって1991年に提唱された概念。なお、広瀬和雄は「前方後円墳国家」、近藤義郎は「前方後円墳秩序」の名称で同様の概念を提唱しているが、論者によって主張の力点が異なり、特に国家形成論の観点からは意見に対立がみられる。概要(略)(引用終了)

以上のことをまとめますと、「前方後円墳体制とは、古墳時代前期に現れた定型化した前方後円墳の造営にみられる政治秩序」と理解され、さらには、このことについて様々な見解も出ております。

関連し、前方後円墳建造に関する経過は次のような感じです。

まず、弥生時代に水田稲作で豊かになり、人口が増え、集落ができ、そこから王家が発生し、その王家が巨大な古墳を建造した。弥生時代遺跡には、朝鮮半島由来のツングース系民族と推察される長身の人骨が多いこと、古墳と近隣の埋蔵物に朝鮮半島由来の陶器や鉄器・青銅器が多いことから、それらの遺跡は朝鮮半島由来のツングース系民族の王家が残したと結論されます。

そして、日本の正史と言われる日本書記には、天皇家は天照大神の子孫で万世一系と書かれているので、以上の古墳も天皇家が残したものと推察されてきました。

しかし、冒頭指摘のとおり、最近、DNA研究(Y染色体ハプログループ分類)で大発見がありました。

すなわち、天皇家は朝鮮半島由来と思われてきましたが、天皇家は縄文時代から居住していましたアイヌ系であることが判明しました。また、現天皇家は継体王(在位:507-531年)がルーツであることがほぼ明らかになりました。

そこで、これらのことから日本書記は、「天皇家は万世一系の偉大な王家」をテーマに書かれた創作物語と判断されます。言い換えますと、日本書記の内容は事実も含まれるが創作部分(虚構)も多いと結論されます。詳しくは、カテゴリ「日本書記は創作」を参照願います。

そこで、継体王が、どのように権力を奪取したかですが、まったく明らかになっていません。ヒントは、継体王の前の朝鮮半島由来ツングース系王家は、民衆を動員し過度の巨大古墳を建造し、民衆を苦しめたことにある感じがします。

前方後円墳の建造にどれだけの人々が動員されたかについては、いくつかの試算がありますが、墳長200m以上となると、約100万人以上が動員されたと推定されています。これらを3世紀後半から5世紀の200年に、都のあったヤマト近辺に 33基も建造しています。


なお、DNA研究(Y染色体ハプログループ分類)の結果、日本人はアイヌ系35%、南方由来マレー系が30%、朝鮮半島由来ツングース系が25%、その他10%であることが分かっています。そのとき、アイヌ系の継体王が登場したことから推察しますと、おそらく、アイヌ系が最も多く動員され使われたと推察されます。

まとめますと、現天皇家はアイヌ系ですが、その前は朝鮮半島由来ツングース系王家だったこと、巨大古墳建造の結果、民衆の反乱があり、そのツングース系王家はアイヌ系に替ったことになります。

これらの方面は何度も検討してきましたが、あまり知られていないこともあり、再度検討しました。関連し「アイヌ系王家の誕生」について、上トップ図に示しました。

また、関連し、最近著「真実の日本古代史と天皇家のルーツ」(吉村雅敬 2021)を読みましたが、残念ながら、天皇家のルーツはアイヌ系であることは書いてありませんでした。(下図書籍参照)


真実の日本古代史と天皇家のルーツ


「天皇家はアイヌ系」が知られていない現状

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天皇家がアイヌ系に替った経過

「天皇家はアイヌ系」が知られていない現状

現天皇家のルーツがアイヌ系であることが、最近のDNA研究(Y染色体ハプログループ分類)で明らかになっています。

そして、このことから、古代に、初めに朝鮮半島由来ツングース系王家がヤマトに創られたが、その王家が滅ぼされ、新たにアイヌ系王家が始まり、現在まで続いていることが分かります。

さらには、その関連として、日本語のルーツも支配者(天皇家)の言葉(アイヌ系)、日本人の思考様式(考え方、宗教)も支配者(アイヌ系)と同じであることも多くの研究者によって指摘されます。

しかしながら、「天皇家はアイヌ系」については、2010年代頃には専門家の間では知られていたことですが、日本古代史となると、そのことが受け入れられていない感じです。

例えば、「天皇家はアイヌ系」についてWeb検索しますと、Yahoo 知恵袋があり、そこに天皇家に関する質問と回答が出ています。

まず、最近(2021/8/8 11:17)の質問と回答ですが、次のようです。


解答(ベストアンサー):現在縄文人も弥生人もいません。もちろんそれはわかっていて、「系統」の話をしたいのだと思います。それならば「系統」と言うべきです。

縄文人とは縄文時代に日本列島に住んでいた人、弥生人は弥生時代に弥生式の生活文化(弥生式土器を使ったり、稲作をしたり)を持っていた人です。つまり、縄文人でも弥生式生活文化を取り入れたら弥生人になるのです。

「大陸(恐らく中国)の方から稲作の技術を持ってきた人」を渡来人といいます。「渡来人=弥生人」ではありません。「縄文人+渡来人=弥生人」がどちらかと言えばただしいです。

なので、縄文人系統かつ弥生人系統、という人がほとんどです。もちろん渡来人が弥生人になった系統もありますが、渡来人は少数だと考えられています。現在まで混血した結果、日本人のほとんどは縄文人由来の弥生人系統がほとんどでしょう。

単純に考えて、渡来人系統の人が2代縄文人系統の人と結婚しただけで、その子は7/8縄文人系統です。

天皇家は婚姻関係が特殊だから渡来人由来の弥生人系統の方が強いと考えることも可能です。しかし天皇家が渡来人由来の弥生人系統だとしても、その婚姻相手である蘇我や藤原、織田などまで渡来人由来と判断するのは難しいです。

天皇家が純粋な渡来人系統と言えばそれは間違いだし、渡来人系統が強いと言うのもかなり不正確です。(引用終了)

残念ながら、この回答は、最近のDNA研究(Y染色体ハプログループ分類)結果を反映しておらず、何を言いたいのか分かりません。

小生なら、「天皇家は朝鮮半島由来なのか」という質問に対し、「古墳時代のヤマトの王家は朝鮮半島由来ツングース系王家であったが、その王家は6世紀初頭に滅び、現在の王家(天皇家)はアイヌ系になっており、その王家は継体王(在位:507-531年)まで辿れる。」と回答します。

一方、その前年(2020/5/16 15:30)の質問と回答は次のとおりです。

解答(ベストアンサー):オックスフォード大学の遺伝学研究チーム・クリス・テイラースミス (Chris Tyler-Smith)教授は、日本人の男性のY染色体の一塩基多型(SNPs)および縦列反復数(STRs)を解析した結果、天皇家のハプログループはD1b1a2b1a1(D-CTS8093)に属する系統(つまり縄文人)であると結論づけた。・・・(引用終了)

この回答は、科学的情報であり、「天皇家のハプログループはD1b1a2b1a1(D-CTS8093)に属する系統(D1=アイヌ系)」としており、問題ありません。

まとめますと、このように、前者(2021年回答)は前年(2020年)の回答(天皇家は縄文系=アイヌ系)をみていない感じがします。また、繰り返しになりますが、日本古代史は21世紀になっても「天皇家はアイヌ系」という視点が欠け、古代史の真相に迫っていない感じがします。

ついては「天皇家はアイヌ系」という観点から、拙ブログでは、さらに古代史の真相に迫っていく予定です。

また、アイヌ関係の書籍ですが、こちらも「天皇家はアイヌ系」が抜けています。例えば最近刊「アイヌ民族の歴史」(関口ら 2015)です。残虐に対する抵抗の歴史が詳しい内容になっていますが、アイヌ系の天皇家がどのようにして古代に権力を奪取したのかがありません(下記写真参照)。

アイヌ民族の歴史(書籍写真)

なお、「天皇家はアイヌ系」については、拙ブログ右側カテゴリの「天皇家はアイヌ系」をクリックしますと28本の記事を見ることができます。

関連し、「天皇家はアイヌ系」と古代史の闇について、上トップ図に示しました。