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ジャズとブードウ教と日本人(アフリカと日本人)

ベナン国コトヌー市海岸風景

ブードウ教の聖地のあるベナン国(もと奴隷海岸)に住んでいたことを以前に紹介しました。そのときのことですが、アパートで寝ていると、ブードウ教の祭りが近いせいでしょうか、トントン、トントンと4拍子の太鼓の音が朝早くから聞こえてきました。

そして、突然、それは、アフリカからアメリカに渡ったアフリカ人の生みだしたジャズの基でないかという思いが走りました(笑)。

そこで、調べますと、大正解でした(笑)。関連し今回は、日本人はなぜジャズが好きなのか、について愚考します。

ベナンは奴隷海岸と呼ばれたところで、そこから、その地域ののアフリカ人がジャズ発祥地と言われるニューオリンズ周囲の綿花栽培地帯に連れていかれました。その主体はベナンの多数民族でありますフォン族、すなわちブードウ教徒です。

彼らは、綿花栽培などで働かされますが、救いを求めてキリスト教徒になっていきます。そして、故郷を思い、その協会で歌った労働歌や霊歌がブルース、そしてジャズになったと言われております。そして、その4拍子のリズムのもとは、アフリカ太鼓トムトムに由来すると言われております。

拙ブログでは、この奴隷海岸(現ベナン国)の住民はアジア系のアフリカ人と分類しております。そして、この地域のブードウ教は、自然との共生をベースにしたもので、日本人の思想に似ているのではないかとも愚推しているところです。

そこで、結論です。日本人は、アメリカ生まれのブルースやジャズが何故好きなのか。そのジャズのルーツはアフリカのベナン国、日本人の思想に近い自然との共生をベースにしたブードウ教のあるところ、何か不思議な背景やDNAの一致があり、日本人はジャズ好きになっているのではないかと思われます。

なお、上と下の写真は、私の住んでいたアパートから見えた風景です。この場所から少し離れた海岸から、その地域のアフリカ人が奴隷としてアメリカに連れていかれたのでした。

ベナン国コトヌー市街風景

また、下の地図は、奴隷海岸とニューオリンズの場所です。

ベナン国とニューオリンズ(地図)


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[ 2017/07/21 07:54 ] アフリカと日本人 | TB(-) | CM(0)

アフリカのブードウ教の呪術と日本人(アフリカと日本人)

アフリカのベナン(地図)

私は、アフリカのベナン国(上の地図参照)に2009-2011の2年間滞在しました。そこは、アフリカの土着宗教と言われる「ブードウ教」の発祥地としても知られております。

ブードウ教は、日本の宗教と同じく自然(特に大蛇)の神様を信じる多神教で、この地ではほとんどの人がブードウ教の信者です。その信者にはキリスト教徒やイスラム教徒も居ますが、ベースはブードウ教です。この意味で、神社宗教をベースに仏教が混合した日本人の宗教に似ています。

今回は、ブードウ教の祈祷師の呪術について愚考します。

ベナン国は、ナイジェリアの西側にある人口800万人程度の小国ですが、治安が良いためか、若い女性のJICA協力隊員の派遣が多い特徴がありました。

地方で活躍している彼女達によると、現地には祈祷師(呪術師)が居て、一般の人達の相談にのってくれるそうです。

例えば、「自分の夫の帰りが遅い、浮気でもしているのではないか、祈祷で改善してくれないか」、とお願いすると、祈祷師は要望が叶えるよう祈祷します。すると、夫がいつもより早く帰ってくるではないですか。

「どうしたの」と夫に尋ねると、「なんか、急に帰りたくなった」、ということだそうです(ホントかい?)。

このような話が延々と続くわけですが、当然のことながら、願いをかなえてくれる祈祷師の人気は高まっていくようです。

日本では、ワラ人形にくぎ打ちして呪いをかけるなんていう残酷なものがありますが、聞いたところ、それはないようでした(笑)。

こうした宗教は、日本の祈祷師(霊媒師)信仰にたいへん似ています。そして日本人は、そうしたものを受け入れることができ、現地での人間関係はいいようです。拙ブログでは、日本人の宗教は自然との共生をベースにした縄文思想であることを指摘しておりますが、この意味で、日本人は、アフリカ人と共通の信仰を持っており、アフリカで活躍できる素質を持っていると思われます。

なお、下の写真は、ブードウ教発祥の地と言われますベナン国の田舎の風景で、火炎樹のある風景、美味しいヤンピレーの餅つき風景、丸顔の子供たちです。

田舎の火炎樹ベナン

ヤンピレー餅つきベナン

田舎の子供たちベナン

また、下の写真は、ベナン国で買ったお面です。ブードウ教との関りは分かりません。

お面ベナン


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[ 2017/07/01 08:14 ] アフリカと日本人 | TB(-) | CM(2)

アフリカにおける日本人の活躍と平和憲法(アフリカと日本人)

アフリカと日本人(地図)

今回は、アフリカと関連し、日本人の活躍について愚考します。

アフリカに最初に上陸した日本人に言及しますと、伊東マンショ等4人の天正の少年使節と言われております。彼らは、1582年に長崎から出航し1584年にローマ法王に謁見し、その帰路、1586年9月1日に東アフリカ南部のモザンピーク(上の地図参照)に到着し、インド(ゴア)行きの季節風が吹くのを待ち、翌年3月まで半年間、当地に滞在した、とあります。

そして、野口英世ですが、黄熱病の研究を行い黄熱病にかかり死亡したことは大変有名です。

その野口英世の黄熱病に関する生涯を紹介しますと次のとおりです。


まず、彼は、アメリカに渡り、中南米の黄熱病の研究で、その病原菌の発見と治療薬の開発で一躍有名になりました。

そして、次の課題として西アフリカのガーナへ行き、アフリカの黄熱病の研究に着手しました。しかし、彼は、その病原菌を同定することもできず自らも黄熱病にかかり病死しました。その献身的な彼の姿は、日本でよく知られているところであります。

しかし、アフリカでの評判となると、ガーナ人でもほとんどの人が知らないと言います。冷静に考察しますと、冷たい言い方かもしれませんが、彼は、アフリカの黄熱病では成果を出しておりません。有名になるには無理があります。私は、彼と同じ福島県の出身であり、アフリカに関係する者として応援したいのですが残念です。

なお、黄熱病については、その後、アフリカのものはウイルス病であることが分かり、ワクチン接種で予防ができるようになりました。アフリカの黄熱病は今でも重要病害であり、その予防接種証明(イエローカード)無しにはアフリカには上陸できないようになっていますので、アフリカへ来るときは忘れないようにお願いします。忘れたら、イエローカードでなくレッドカードです(笑)。

そして、第二次世界大戦では、日本海軍がイギリス海軍を追い、マダガスカルに上陸したことを前回、紹介しました。

そして、現在の日本人の活躍ですが、JICAの活動が主体かと思います。私もその一人でしたが、日本はアフリカを侵略したことがないこと、無償援助が多く親切なこと、アフリカ人と同じ自然との共生の思想を持っていることなどからアフリカ人に受け売れやすい感じです。

特に、今上天皇を初めとして日本が平和憲法のもとに平和主義に徹している姿は大変評価されていると思います。この意味で、日本の平和憲法は国際活動で役立っていると思われます。

なお、今、中国が、援助という形で大きくアフリカに進出しております。その目的は、食料や資源の獲得、さらには中国人の居住地拡大とも言われ、日本のJICA無償援助と比較されるせいか、つらいかもしれません。


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[ 2017/06/21 07:54 ] アフリカと日本人 | TB(-) | CM(0)

マダガスカル人は日本人に似ている(アフリカと日本人)

マダガスカルのスーパーの女性1

私は、2015-2017年の2年間、アフリカのマダガスカルで過ごしました。関連し、今回は、マダガスカル人は日本人に最も近いアフリカ人であることについて愚考します。

上と下の写真はマダガスカル現地のスーパーマーケットの女性です。どこか日本的な顔立ちを感じさせますが、これは、マダガスカル人と日本人のルーツに共通のマレー系のDNAが入っているためと思われます。

すでに、拙ブログでは、日本人におけるマレー系のDNAは32%もあることを紹介しておりますが、マダガスカルにおけるマレーのDNAは60%ぐらいあるのではないかと言われております。

マダガスカルの歴史をみますと、マレー系が来る以前に他の民族が住んでいました。彼らはアマゾンのヤノガミ族のように森の中で最近まで生活していたようです。その意味で、彼らはオーストラリアの先住民族(アボリジニー)と同グループでないかと推察されています。

しかし、それらの人口は少なく、森が小さくなってきた現在、彼らは他の民族と混血してしまって、今では、その姿を見ることができません。

そして、諸説がありますが、マダガスカルの主要民族となるマレー系の人々は1世紀頃に東南アジアから移動して来ました。来たのは5世紀頃と言われていましたが、遺跡研究が進むにつれ、古くなってきています(笑)。おそらくもっと古い時期から来ていたと拙ブログでは予想しております。

最新の研究結果によりますと、関連する居住跡遺跡がアフリカ東海岸のタンザニア海岸部で発見されたことから、マレー系の人々は、初めはアフリカに居住し、そこからマダガスカルに移住してきたと推察されています。

一方、現日本人とマダガスカルの関係ですが、第二次世界大戦で、日本海軍がイギリス軍を追い、マダガスカルに上陸し戦死したという記録が残っています。そして、その戦死した日本人を弔いするために、今でも慰霊祭がマダガスカルで行われています。

そして、マダガスカル語(マラガシ)はマレー系の言語で日本語に近いことも親近感を感じさせます。例えば、「アカマ」は「仲間」という意味です(笑)。さらに、マダガスカル人は米を主食とすることも親近感を感じさせます。

さらに、日本語学習者がアフリカで最も多いこと、囲碁の普及がアフリカで最も進んでいることなどもあります。これらのことからマダガスカル人と日本人は相性がいいと思われます。それは、共通のマレー系のDNAを持っているためでないか、と拙ブログでは愚推しております。こうした関係からか、マダガスカル人と日本人の結婚例は多く認められます。

マダガスカルおスーパーの女性2


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[ 2017/06/19 10:27 ] アフリカと日本人 | TB(-) | CM(0)

アフリカ人と日本人の類似(アフリカと日本人)

人類発生の地とアジア系

私は、西アフリカのベナンという国(上記地図参照)に2009年から2年間滞在し、アフリカ人と付き合いました。そのとき、顔つきが日本人に似ている人たちと出会い、日本人のルーツはこのあたりにあると思ったしだいです。

関連し、下の写真はベナン国の人々の顔です。何となく丸顔で二重まぶた、日本人に似た顔立ちで、マレー系の人々のルーツを想起させます。

ベナンの人々2

ベナンの人々1

そこで、人類のルーツについて情報を調べますと、アフリカが起源というのが、いろいろな情報から確認できます。特にケニヤ北部にあるツルカーナ湖周辺で最も古い人類の骨が多数発見されていることから、そこが人類発生の地と呼ばれています。その時期は10万年前と言われたときもありますが、現在は20万年前以上のようです。

そして、最近、最古の人類化石をモロッコのマラケシュで発見、という情報が出てきました。30万年前のようです。アフリカが人類の発生の地というのは確実と思われます。

一方、私は、アフリカ大陸では、北部のマリ国、東南部のタンザニアなども訪問しましたが、観察では、ツルカーナ湖を境に、北部と南部で顔立ちが変わっている感じがしました。

例えば、ツルカーナ湖北部にはエチオピア人、そしてエジプト人がおり、鼻が高く掘りが深いヨーロッパ系に近い顔立ちが多い特徴があります。

私が訪問したマリ国はアフリカ北部系に属すると思われます。そして、バンバラ美人という言葉があるように、美人が多かった印象があります(笑)。

一方、ツルカーナ湖の南部には、アジア系の丸顔が多くいると感じました。この意味で、私の居たベナン国にはアジア系のアフリカ人がいたことになります。

そして、南部に居た人たちは、海路を使い、アジア南部を移動し、アイヌ系やマレー系の民族と呼ばれるようになり、日本人の祖先になったと思われます。


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[ 2017/06/17 06:56 ] アフリカと日本人 | TB(-) | CM(0)
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日本人の縄文思想と稲作のルーツ
日本人のDNAと縄文思想と稲作のルーツについて海外経験と最新情報を元にユーモアをまじえて迫ります

レインボー

Author:レインボー

私は稲仕事の関係からいくつかのアフリカとアジアの国々で暮らし、日本人のルーツはアフリカまで辿れること、その思想は自然との共生思想(縄文思想)であること、稲はマレー系の人々が持ち込んだことを実感しました。その経験をベースに、日本人のDNAと稲作のルーツに迫ります。なお、ペンネームは、「虹を見る歴史思考」という拙ブログの手法と関連し「レインボー」とします。どうぞよろしく。
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