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日本人の縄文思想と稲作のルーツ

Categoryブログの概要(記事まとめ) 1/5

奈良と大阪がなぜ古代日本の中心となったのか

奈良と大阪がなぜ古代日本の中心となったのか(記事まとめ)巨大古墳が奈良と大阪に集中していることは知られているところです。まさに、奈良と大阪は古墳時代の中心地だった思われます。しかし、大陸文化導入については北九州の方が近い位置にあります。事実、北九州にある奴国や邪馬台国が大陸と交易し、先に発展していたことは歴史的事実です。関連し、今回は、中国から遠く離れた奈良と大阪が、なぜ古墳時代の中心地になったの...

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巨大古墳建造の真相と民衆の怒り

巨大古墳建造の真相と民衆の怒り(記事まとめ)前回、朝鮮半島由来ツングース系王家が、いくつもの巨大古墳を建造した結果、民衆の怒りをかい、アイヌ系の継体王(在位:507-531年)によって滅ぼされたことを検討してきました。関連し、今回は、それら巨大古墳が建造された地域(府県)と時代について検討し、民衆の怒りがどのようなものであったか愚考します。まず、Wikipedia「日本の大規模古墳一覧」によりますと、墳長120m以上...

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ツングース系王家とアイヌ系王家の陵墓の違い

ツングース系王家とアイヌ系王家の陵墓の違い(記事まとめ)前回、朝鮮半島由来ツングース系王家は、巨大古墳を多数建造した結果、民衆の怒りをかい、アイヌ系の継体王(在位:507-531年)に滅ぼされたこと、そのことは日本書紀には書いてないことを検討しました。関連し、今回は、ツングース系王家とアイヌ系王家の違いについて、ツングース系王家と現天皇家始まりのアイヌ系王家の陵墓を比較し、その違いから王家が代わったこと...

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倭王武はなぜ評価されていないのか

倭王武はなぜ評価されていないのか(記事まとめ)日本の国家の成り立ちについて検討してきました。そして、北九州にあった倭国に倭王武が現れ、朝鮮半島南部も支配するような大きな国家を5世紀に作ったことを何度か紹介してきました。しかし、倭王武については、日本書紀に記載されていないこともあり、扱いが小さい感じがします。関連し、今回は、倭王武について、「倭王武はなぜ評価されていないのか」について記事まとめをしま...

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壬申の乱の背景には滅亡した蘇我家の怨念があった

壬申の乱の背景には滅亡した蘇我家の怨念があった(記事まとめ)壬申の乱(672年)に勝利した天武天皇が、巨大な権力を握り、初めての都建設や大宝律令制定など天皇中心政治のための日本骨格を創ったことを検討してきました。今回は、記事まとめとして、天皇中心政治の契機となった壬申の乱の背景について愚考します。まず、Wikipediaによれば壬申の乱の背景次のとおりです。乱の原因壬申の乱の原因として、いくつかの説が挙げられ...

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