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Category関東・東北の古代 1/6

関東の貝塚はマレー系Aが作った愚考

関東の貝塚はマレー系Aが作った愚考(関東・東北の古代)前回、「弥生系渡来民が来たとき、弥生系の人々は水田稲作のため平地を選んで居住しましたが、縄文系のアイヌ系は従来と同じく中山間に住み、また、縄文系のマレー系Aも従来と同じく海岸に住み海洋交易に関与していたのではないかと思われます」と結論しました。関連し、今回は、縄文系のマレー系Aは、縄文時代、海岸に住み貝塚を作ったことについて、さらに検討します。ま...

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関東とヤマトの埴輪の違い愚考

関東とヤマトの埴輪の違い愚考(関東・東北の古代)関東には100m超える大古墳が多数あることや、古墳建造に関係した関東の弥生系の人びとは新潟方面から来たことから、ヤマト(奈良)とは別に朝鮮半島由来のツングース系王家が関東にあったことを検討してきました。従来は「前方後円墳体制説」があり、ヤマトと同じ前方後方墳が関東にもあるので、関東もヤマト王朝の一部(一地方)だった、と観られてきました。しかし、ヤマト王...

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埼玉の稲荷山古墳鉄剣碑文と関東の5世紀愚考

埼玉の稲荷山古墳鉄剣碑文と関東の5世紀愚考(関東・東北の古代)ヤマトの王家とは別に関東にもツングース系王家あったことを検討してきました。このことは古墳等の遺跡物調査から明らかですが、残念ながら、日本の正史と言われる日本書紀には書いてありません。何度も指摘してきましたが、日本書紀は万世一系の偉大なアイヌ系天皇家を主題に書かれたものであり、その前にツングース系王家があったことや北九州に倭国があったこと...

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埼玉の吉見百穴はツングース系王家終末の墓愚考

埼玉の吉見百穴はツングース系王家終末の墓愚考(関東・東北の古代)前回、関東に、ヤマトとは別のツングース系王家があったこと、その中心地は群馬・埼玉であったことを検討してきました。関連し、私ことですが、埼玉県には8年間(1973~1980)住んだことがあります。そして、近くの古代遺跡、鉄剣碑文の出た有名な「稲荷山古墳」や、謎の洞窟で有名な「吉見百穴」を何度か訪問しました(下写真参照、小生の青年時代の姿が映ってい...

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群馬に別のツングース系王家があった愚考

群馬に別のツングース系王家があった愚考(関東・東北の古代)前回、墳長100mを超える大古墳建造には25万人以上の人員が動員されること、これらの人員を集めるには大きな権力者すなわち王が居たことが推察されることを指摘しました。事実、王冠が群馬や茨城の古墳から出土しております。関連し、今回は、さらに検討し、関東地域には西日本とは別のツングース系王家があったこと、中心は群馬だったことについて愚考します。まず、関...

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