Category古代史の問題 2/8
日本古代史は三元史観で観るべきだ

日本古代史は三元史観で観るべきだ(古代史の問題)これまで、日本古代史の問題について検討してきました。今回は、そのまとめとして「日本古代史は天皇制一元史観でなく三元史観で観るべきだ」について愚考します。まず、日本古代史を歪める最大問題として日本書紀の天皇家は万世一系という一元史観が挙げられます。この一元史観は、天孫降臨の天皇家が、日本誕生以来、鉄器と水田稲作で弥生時代を造り、古墳時代には大規模な前方...
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聖徳太子は実在したのか愚考

聖徳太子は実在したのか愚考(古代史の問題)聖徳太子は日本古代史の英雄です。しかし、聖徳太子は実在したのか、数年前から疑問に持たれるようになりました。最大の疑問は、「聖徳太子は普通の天皇以上の業績があったのに何故天皇になれなかったのか」と思われます。関連し、最近、いくつかの日本史関係ブログでも同様な問題を取り上げています。例えばブログ「邪馬台国探訪」の「聖徳太子は蘇我善徳である」です。聖徳太子は天皇...
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倭国の大乱で人口は変動したのか

倭国の大乱で人口は変動したのか(古代史の問題)邪馬台国の女王「卑弥呼」登場の前に倭国の大乱があったことが知られています。その時代の北九州の人骨に負傷者が多数発見されていることから、その大乱は激しい戦いであったことが想像されています。その激しい争いの原因は、水田土地争いに加え、多数派の稲作民族(マレー系)を少数派の朝鮮半島由来ツングース系が支配していた問題、すなわち民族対立が背景にあったと拙ブログで...
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蝦夷の地域はあったのか愚考

蝦夷の地域はあったのか愚考(古代史の問題)前回、蝦夷(えみし)と呼ばれた北東北の地域が短期間で大和朝廷の支配下に入ったことを紹介しました。この理由として、蝦夷も普通の日本人仲間同士であり、戦う必要のない地域であったことが考えられます。その意味で、蝦夷と呼ばれた人々や、蝦夷という異国のような地域はあったのかが問題となります。一方、東北地域にも前方後円墳があることに関し、古墳時代、大和朝廷の支配は東北...
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紫式部も日本書紀を信頼していなかった

紫式部も日本書紀を信頼していなかった(古代史の問題)拙ブログでは、日本の正史と言われる日本書紀は、真実もあるが虚構もあることを指摘してきました。関連し、今回は、中国の歴史書(旧唐書や新唐書等)を原文で読んでいる壱岐一郎氏の「日本古代史における日中史料の大きな差異(壱岐一郎 2016)」 という記事を紹介します。まず、その記事の後半部の一部を紹介すると、次のとおりです。 最後に、私は10世紀に紫式部が『源...
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