Category古墳と日本人 2/3
巨大古墳建造は民衆を疲弊させた

巨大古墳建造は民衆を疲弊させた(古墳と日本人)前回、古墳時代前期(4世紀)、墳丘長が200mを超える巨大古墳が奈良(大和)地域に多数建造されたこと、その建造のために、農閑期に約3000人(人口の1%)が動員されたことを試算しました。関連し、200mを超える巨大古墳は全国に38古墳ありますが、奈良と大阪を除く地域には、岡山に3(造山古墳、作山古墳、雨宮山古墳)、群馬に1(太田天神山古墳)、京都に1(神明山古墳)ある...
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巨大古墳建造のため奈良に動員された人数

巨大古墳建造のため奈良に動員された人数(古墳と日本人)前回、古墳時代前期、巨大古墳が奈良の地域に多数建造されたことを紹介しました。関連し、今回は、建造に動員された労力について検討します。まず、古墳建造の労力事例ですが、5世紀前期に建造された岡山の巨大古墳「造山古墳」(全長360m)があります。その「大国主の誕生383 ―造山古墳のもう1つの謎―」 によれば次のとおりです。 造山古墳を建造するにあたって、どれ...
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人口の少なかった奈良になぜ巨大古墳が建造されたのか

人口の少なかった奈良になぜ巨大古墳が建造されたのか(古墳と日本人)前方後円墳のルーツについて3回に渡って検討してきました。一方、古墳時代前期(3~4世紀)に巨大古墳が、古代人口が少なかった大和地域(奈良県)に多数建造されています。関連し、今回は、初期巨大古墳が大和地域になぜ多いのか愚考します。まず、墳丘長が200m以上の巨大古墳ですが、Wikipedia(日本大規模古墳一覧)よれば37古墳が紹介されております。拙...
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関東・東北における民族和合の象徴としての前方後円墳

関東・東北における民族和合の象徴としての前方後円墳(古墳と日本人)前回、前方後円墳の形は、アイヌ系、マレー系、ツングース系が混合していた古代に、日本民族和合のシンボルとして現れたと指摘しました。今回は、この関係を東北の事例で検討します。まず、関東、東北に前方後円墳が多数あることは知られておりますが、何故、多いのかについては解明されておりません。しかし、民族和合合の象徴の観点から考えると分かりやすい...
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前方後円墳は人の形愚考

前方後円墳は人の形愚考(古墳と日本人)前回、前方後円墳のルーツは、ツングース系の方墳と、マレー系とアイヌ系の円墳の合体で、民族の和合のシンボルであったことにについて愚考しました。関連し、上は円墳形で下は方墳形という二段になった古墳「上円下方墳」がありますが、これも、円墳と方墳の合体と観ることができます。この意味で、方墳と円墳を合体した形には、「上円下方墳」と「前方後円墳」という二つの古墳様式がある...
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