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日本料理と縄文時代と黒曜石(日本人のルーツ)

ウドの新芽

拙ブログでは、日本人のDNAのルーツや言葉のルーツについて愚考しております。関連し、今回は日本料理のルーツについて愚考します。

中国の高名な料理家が雑誌で語っていたことですが、世界で一番の料理は中国料理で、それにはほとんどの国の料理が含まれているようです。例えば、有名なフランス料理ですが、素材や味付けに似たものが中国料理にあり、中国料理の一部と考えることができます。

一方、日本料理は中国料理にないもので、中国料理に対抗できるのは日本料理だけである、とその料理家は日本料理を絶賛しておりました。その基本は、素材を最も大切にし、味付けは質素ですが、中国料理にないものであり、そして大変美味しいと言っておりました。

これを、私流に解釈しますと、日本料理の基本は素材ですが、その素材は旬であることかと思います。日本人は、庭先にある旬の素材を大切にして、それを生かしてきたのだと思います。

家庭菜園では「春は芽もの」と言われますが、現代風に言えば、タラの芽やウドの茎、タケノコ、新タマネギ、アスパラガスの新芽、さらにヨモギ、セリ、クコなど新葉も美味しく料理し、季節を楽しんできたのが日本人かと思います。

そして、これらの春の芽ものや新葉の利用に言及しますと、それは縄文時代からあるのではないかと思われます。

縄文人は、2万年前頃、縄文土器を開発し竪穴住居生活を確立し、世界に先駆けて定住社会に入りました。そして、庭先にあった食べることができる野草を栽培し、栗や雑穀などと一緒に調理して食べて来たのではないかと、推察されます。

そして、日本ではカミソリのように切れる黒曜石があり、それが縄文時代の食と大きく関係していたように思えます。遺跡調査報告によりますと、それで獣や魚を切り裂いたことが知られております。そして、旬の魚も黒曜石で切り開き、刺身も作り食べていたと思われます。

縄文時代、多くの黒曜石の産地があったことが知られております。そして、ほとんどの遺跡から煮炊き用の縄文土器、そして調理用の黒曜石が出土するということは、日本料理のルーツが縄文時代にあることを強く感じさせます。

関連し、上と下の写真は我が菜園で育てているウドです。

ウド新芽の茎

そして、下の写真は、その茎を利用した茎のスライスですが、たいへん美味しいと思います。酒のつまみでは最高品と思われます(笑)。これを食べる時、2万年前からの日本人ならではの楽しみであると思うしだいです(笑)。

ウド料理スライス

さらに下のマンガ絵で笑っていただければ幸いです。

うおマンガ絵


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[ 2017/05/28 19:17 ] 日本人のルーツ | TB(-) | CM(0)

名古屋人のDNAルーツ愚考(日本人のルーツ)

名古屋人のルーツ


先月、「関西人のルーツ」 について愚考しましたところ、ブログ仲間から「名古屋は中間の中間」というコメントをいただきました。関連し、今回は名古屋人のDNAのルーツについて愚考します(笑)。

ブログ「日本古代史つれづれ」の記事を見ていましたところ、「日本人はどこからやってきたのか?(10)」  で名古屋人のDNAのデーター(by I. Nonaka, K. Miyaguchi and N. Takagi)が紹介されていました。

その記事のソースは、「Y-chromosomal Binary Haplogroups in the Japanese Population and their Relationship to 16 Y-STR Polymorphisms」と思われます。

そのデーターでは、名古屋人のアイヌ系(Y染色体ハプログループ D2)の割合は34%で、関西人の27%と関東人の48%の中間であることが示されていました。

拙ブログ記事では、日本に最初に住んでいたのがアイヌ系(縄文人)、そして、そこに南方系のマレー系が入りこみ、新縄文人となり、さらに、そこへ北方系のツングース系(モンゴル系と中国系の混合民族=韓国系)が朝鮮半島から西側から入り込んで日本人ができあがったことを紹介してきました。

これらのことから推察しますと、名古屋人のアイヌ系の割合が、関西人と関東人の中間ということは、地理的状況からすれば当然のことかもしれません。すなわち、ツングース系の民族が西側から移住してきて、その結果、アイヌ系の割合が、西側から薄まっていき、名古屋は関西と関東の中間になったと推察されます。

そして、その結果、関西ではツングース系(モンゴル系+中国系)が多く、関東ではアイヌ系が多くなったことから推察しますと、名古屋は中間の中間というのは、文化面だけでなく、日本人のDNAからも指摘できることになります。この関係を上の地図に示しました。

以上、名古屋人のDNAルーツ愚考でした。


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[ 2017/05/12 20:01 ] 日本人のルーツ | TB(-) | CM(4)

フイリピン系、マレー系、中国系の発生(日本人のルーツ)

Y染色体ハプログループNとOの系譜

アイヌ系がスンダランド西端を出て中国南部を経由し、日本を目指したことを前回紹介しました。

一方、ハプログループO(オウ)型の祖先型から、日本人のルーツと関係するフイリピン系(O1a)、マレー系(O1b)、中国系(O2)が発生したと言われます。これらの関係を上の図に示しました。

O型とN型が同じ祖先から生まれたことから推察しますと、N型はチベット以北に多く認められますので、チベット近くのアッサム(インド東部)からミャンマー辺りがOグループ発生場所かと推察されます。

O型の共通点は、OグループというDNAハプログループに分類されるほかに、言葉(文法)に共通性があります。モンゴル系とアイヌ系の文法は、日本語と同じで、主語+目的語+動詞、です。一方、Oグループは、英語と同じ、主語+動詞+目的語、です。

そして、現在のハプログループの情報から、次のようなことが推察されます。

まず、O1aのフイリピン系ですが、スンダランドを経由し、フイリピンに移住し、フイリピンの主要民族となりました。そして、フイリピンから台湾にも移住し、台湾の先住民族となりました。

さらに、彼らは台湾から沖縄を目指しました。沖縄でフイリピン系が認められるのはこのためです。そして、さらには、フイリピン系は、東側のパプアニューギニアやミクロネシア、そしてハワイまで移住したことが知られています。

次にO1bのマレー系ですが、スンダランド(インドネシア)を中心に増えました。そして、マレー半島を経由し、ベトナム、中国南部へ移住し、その後、大陸東岸部を北上し、朝鮮半島や日本に居住地を拡大したと、現在のO1bの分布から推察されます。

最後にO2の中国系ですが、まず、故郷の東南アジア大陸部に居住し東南アジア大陸部の主要民族となりました。そして北に移動し、中国民族となりました。

これらの関係を下の地図に示しました。なお、マレー系の移住については、次に、さらに検討します。

Y染色体ハプログループOの移動


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[ 2017/04/19 07:48 ] 日本人のルーツ | TB(-) | CM(0)

関西人のDNAとルーツ(日本人のルーツ)

韓国人、関西人、関東人のハプログループ割合(表)
よく、日本人と韓国人は似ていると言われます。戦前は日韓(日朝)同祖論などもありました。今回は、前回紹介のY染色体ハプログループでみるとどうなるのかについて、関東日本人(関東人)、関西日本人(関西人)、韓国人を比較し、愚考します。

前回、関東人と関西人のアイヌ系の割合が異なることを、Nonaka(2007)の報告で紹介しました。今回は、その報告にKim(2011)の韓国情報を合わせて、関東人、関西人、韓国人のY染色体ハプログループを比較してみました。

まず報告データーを整理しますと上の表のとおりです。また、図に示しますと下記のようになりました。

韓国人、関西人、関東人のハプログループ割合(図)

このデーターから、関西人は、関東人と韓国人の中間になっていることが分かります。例えば、モンゴル系(ハプログループ C)の割合ですが、韓国は13%、関西人は7%、関東人は4%です。一方、アイヌ系(ハプログループ D)の割合ですが、韓国は3%、関西人は25%、関東人は48%です。すなわち、関西人というのは、関東人と韓国人の混合集団であると判断されます。

このことは地理的環境から見れば当然のことです。関西日本には、もともとアイヌ系が住んでいたが、そこに韓国系(ツングース系)の人たちが移住してきたため、アイヌ系の割合が少なくなったことになります。そして、一方、関東日本では、その韓国系の移住が少なかったと推察できます。これらの関係を下図に示しました。

韓国、関西、関東人のルーツ

興味深いことは、いずれの場所にもマレー系の割合が高いことです。このことは、マレー系の人たちが、韓国にも日本にも古くから居たことを意味しますが、マレー系の人たちの移住については後ほど愚考して行く予定です。

  
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[ 2017/04/13 12:02 ] 日本人のルーツ | TB(-) | CM(2)

日本人の祖先はアフリカまで辿れる(日本人のルーツ)

ベナンの農村の子供たち

私は、稲研究の関係で世界を旅しましたが、上の写真はそのときの1枚です。アフリカのベナン(もと奴隷海岸と言われたところ)の稲作現地を訪問したときのものです。

現地の子供たちの写真ですが、このときのインスピレーションで、ここが日本人(アジア人)のルーツだと思った瞬間でした(笑)。

アフリカ人は、大まかにみますと、北方系の遊牧民族、南方系の畑作民族に分けられると思います。そして、北方系の遊牧民族はヨーロッパ系に近い顔立ち、南方系の畑作民族はアジア系の顔立ちに近いと思われます。

そして、アフリカの畑作は焼畑を主体にしたものですが、それは、サハラ砂漠以南に起源にもつバンツー系民族によって広がったと言われております。そのことから推察しますと、私が出会ったベナンの農民は、バンツー系の農耕民族で、アジア系に属すると思われます。

その関係を下の地図に示しました。アフリカは人類誕生の地と言われますが、拙ブログでは日本人のルーツについてアフリカからも迫ってみたいと思います。

ベナン国とバンツー系民族の焼畑農耕の広がり

また、下の写真はベナン国北側を流れるニジェール川の近辺の水田で働く女性達で、明るい感じでした(笑)。


ベナンの水田で働く女性たち

    
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[ 2017/04/09 10:52 ] 日本人のルーツ | TB(-) | CM(0)
日本人の縄文思想と稲作のルーツ
日本人のDNAと縄文思想と稲作のルーツについて海外経験と最新情報を元にユーモアをまじえて迫ります

レインボー

Author:レインボー

私は稲仕事の関係からいくつかのアフリカとアジアの国々で暮らし、日本人のルーツはアフリカまで辿れること、その思想は自然との共生思想(縄文思想)であること、稲はマレー系の人々が持ち込んだことを実感しました。その経験をベースに、日本人のDNAと稲作のルーツに迫ります。なお、ペンネームは、「虹を見る歴史思考」という拙ブログの手法と関連し「レインボー」とします。どうぞよろしく。
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