フイリピン系、マレー系、中国系の発生(日本人のルーツ)

Y染色体ハプログループNとOの系譜

アイヌ系がスンダランド西端を出て中国南部を経由し、日本を目指したことを前回紹介しました。

一方、ハプログループO(オウ)型の祖先型から、日本人のルーツと関係するフイリピン系(O1a)、マレー系(O1b)、中国系(O2)が発生したと言われます。これらの関係を上の図に示しました。

O型とN型が同じ祖先から生まれたことから推察しますと、N型はチベット以北に多く認められますので、チベット近くのアッサム(インド東部)からミャンマー辺りがOグループ発生場所かと推察されます。

O型の共通点は、OグループというDNAハプログループに分類されるほかに、言葉(文法)に共通性があります。モンゴル系とアイヌ系の文法は、日本語と同じで、主語+目的語+動詞、です。一方、Oグループは、英語と同じ、主語+動詞+目的語、です。

そして、現在のハプログループの情報から、次のようなことが推察されます。

まず、O1aのフイリピン系ですが、スンダランドを経由し、フイリピンに移住し、フイリピンの主要民族となりました。そして、フイリピンから台湾にも移住し、台湾の先住民族となりました。

さらに、彼らは台湾から沖縄を目指しました。沖縄でフイリピン系が認められるのはこのためです。そして、さらには、フイリピン系は、東側のパプアニューギニアやミクロネシア、そしてハワイまで移住したことが知られています。

次にO1bのマレー系ですが、スンダランド(インドネシア)を中心に増えました。そして、マレー半島を経由し、ベトナム、中国南部へ移住し、その後、大陸東岸部を北上し、朝鮮半島や日本に居住地を拡大したと、現在のO1bの分布から推察されます。

最後にO2の中国系ですが、まず、故郷の東南アジア大陸部に居住し東南アジア大陸部の主要民族となりました。そして北に移動し、中国民族となりました。

これらの関係を下の地図に示しました。なお、マレー系の移住については、次に、さらに検討します。

Y染色体ハプログループOの移動


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関西人のDNAとルーツ(日本人のルーツ)

韓国人、関西人、関東人のハプログループ割合(表)
よく、日本人と韓国人は似ていると言われます。戦前は日韓(日朝)同祖論などもありました。今回は、前回紹介のY染色体ハプログループでみるとどうなるのかについて、関東日本人(関東人)、関西日本人(関西人)、韓国人を比較し、愚考します。

前回、関東人と関西人のアイヌ系の割合が異なることを、Nonaka(2007)の報告で紹介しました。今回は、その報告にKim(2011)の韓国情報を合わせて、関東人、関西人、韓国人のY染色体ハプログループを比較してみました。

まず報告データーを整理しますと上の表のとおりです。また、図に示しますと下記のようになりました。

韓国人、関西人、関東人のハプログループ割合(図)

このデーターから、関西人は、関東人と韓国人の中間になっていることが分かります。例えば、モンゴル系(ハプログループ C)の割合ですが、韓国は13%、関西人は7%、関東人は4%です。一方、アイヌ系(ハプログループ D)の割合ですが、韓国は3%、関西人は25%、関東人は48%です。すなわち、関西人というのは、関東人と韓国人の混合集団であると判断されます。

このことは地理的環境から見れば当然のことです。関西日本には、もともとアイヌ系が住んでいたが、そこに韓国系(ツングース系)の人たちが移住してきたため、アイヌ系の割合が少なくなったことになります。そして、一方、関東日本では、その韓国系の移住が少なかったと推察できます。これらの関係を下図に示しました。

韓国、関西、関東人のルーツ

興味深いことは、いずれの場所にもマレー系の割合が高いことです。このことは、マレー系の人たちが、韓国にも日本にも古くから居たことを意味しますが、マレー系の人たちの移住については後ほど愚考して行く予定です。

  
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日本人の祖先はアフリカまで辿れる(日本人のルーツ)

ベナンの農村の子供たち

私は、稲研究の関係で世界を旅しましたが、上の写真はそのときの1枚です。アフリカのベナン(もと奴隷海岸と言われたところ)の稲作現地を訪問したときのものです。

現地の子供たちの写真ですが、このときのインスピレーションで、ここが日本人(アジア人)のルーツだと思った瞬間でした(笑)。

アフリカ人は、大まかにみますと、北方系の遊牧民族、南方系の畑作民族に分けられると思います。そして、北方系の遊牧民族はヨーロッパ系に近い顔立ち、南方系の畑作民族はアジア系の顔立ちに近いと思われます。

そして、アフリカの畑作は焼畑を主体にしたものですが、それは、サハラ砂漠以南に起源にもつバンツー系民族によって広がったと言われております。そのことから推察しますと、私が出会ったベナンの農民は、バンツー系の農耕民族で、アジア系に属すると思われます。

その関係を下の地図に示しました。アフリカは人類誕生の地と言われますが、拙ブログでは日本人のルーツについてアフリカからも迫ってみたいと思います。

ベナン国とバンツー系民族の焼畑農耕の広がり

また、下の写真はベナン国北側を流れるニジェール川の近辺の水田で働く女性達で、明るい感じでした(笑)。


ベナンの水田で働く女性たち

    
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日本人の基本的思想は縄文思想(日本人のルーツ)

自然との共生菜園2

最初に日本に来たのがアイヌ系の人々であることが、言語、DNAの解析から明らかになっています。

そして、その日本に来た時期は、「12万年前の人類遺跡が島根県出雲市砂原遺跡」にあることから推察しますと、12万年前以前になると予想されます。しかし、多くの人が移住し始めたのは、もっと遅く、5万年前~3万年前と拙ブログでは予想しております。

そして、その人たちが、人類史上初めての土器(縄文式)を2万年前に作り、定住社会を作り上げました。そして、日本人の深層心理は、この縄文以前の採集社会と縄文定住社会の空間のなかで10万年以上かけて形成され、その思想は「自然との共生思想」として、今でも日本人のなかに脈々と生きていると思われます。

日本人は仏教やキリスト教を導入しました。しかし、それらは根付きませんでした。日本には「自然との共生思想」、あるいは「自然崇拝の縄文思想」というものがあり、それらを必要としなかったためと思われます。
例えば、建物を建てるときの地鎮祭というのがあります。私もそうですが、それをしないと落ち着かないというものがあります。これは、目に見えない自然災害を恐れるという日本的宗教だと思います。

この日本的宗教は、アイヌ文化では「自然との共生思想」として一般に知られているものですが、拙ブログでは、その思想の内容やルーツなどについていろいろと愚考していきたいと思っています。

なお、上と下の写真は、私の菜園の様子で、ここでは、自然との共生をめざし、できるだけ自然に手を加えず、かつ、無農薬・無耕起・無堆肥・無畝立て・無ビニールマルチで有機野菜を作っています(笑)。

この有機菜園に興味のある方は「野菜を食べやさい」を見ていただければ幸いです。

自然との共生菜園1




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日本人の縄文思想と稲作のルーツ

日本人のDNAと縄文思想と稲作のルーツについて海外経験と最新情報を元にユーモアをまじえて迫ります

レインボー

Author:レインボー

私は稲仕事の関係からいくつかのアフリカとアジアの国々で暮らし、日本人のルーツはアフリカまで辿れること、その思想は自然との共生思想(縄文思想)であること、稲はマレー系の人々が持ち込んだことを実感しました。その経験をベースに、日本人のDNAと稲作のルーツに迫ります。なお、ペンネームは、「虹を見る歴史思考」という拙ブログの手法と関連し「レインボー」とします。どうぞよろしく。

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