日本人の縄文思想と稲作のルーツ
日本人は、アイヌ系35%、マレー系30%、半島由来ツングース系25%、その他10%の混合混血民族です。DNA分類の結果、ヤマトにはツングース系王家が創られ、その後、アイヌ系の現天皇家に滅ぼされたと推察されます。万世一系を主題にした日本書紀は創作になります。関連し、今回は邪馬台国の真相に迫っています。
2023 02
≪
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
≫
2023 04
カテゴリー [ 日本の古代 ]
ツングース系からアイヌ系への権力移行とDNAの背景 [2022/07/14]
奥尻島になぜ大きな勾玉愚考 [2022/06/23]
天皇中心政治は大宝律令制定後に実働した [2021/03/05]
天武天皇の容貌はツングース系愚考 [2021/01/29]
古代の大王は天武天皇と北九州倭王「武」愚考 [2020/12/25]
次ページ ≫
ツングース系からアイヌ系への権力移行とDNAの背景
ツングース系からアイヌ系への権力移行とDNAの背景
(日本の古代)
日本古代史の最大事件は、古墳時代後期、支配者が朝鮮半島由来のツングース系王家から先住民族アイヌ系の<継体王(在位:507-531年)に変わったことと思われます。
これらは、最近のDNA研究(Y染色体ハプログループ分類)から、分かったことですが、通説を覆す大発見と思われます。
関連し、今回は、その事件の背景について各民族のDNA割合から愚考します。
まず、現代人のDNAですが、それは前々回紹介の記事の通りです。古墳時代以降、民族渡来について大きな変動が無かったことから推察しますと、各民族のDNA比率は古墳時代以降はほぼ同じであったと推察されます。
そこで、前々回紹介の記事の数値を用い、アイヌ系等の縄文系と、当時の支配者だった半島由来ツングース系を比較しますと、下図のとおりです。すなわち、権力者のツングース系は明らかに少数派です。例えば、中心地だった関西(近畿)を見ますと、縄文系は58%、ツングース系は28%で、ほぼ2:1の比率です。
当時、墳長200mを超える巨大古墳が近畿だけでも33基建造されていますが、ほとんどはツングース系王家の遺跡と判断されます。これらの巨大遺跡は、例えば墳長最大の400mを超える巨大古墳の仁徳陵ですが、延べ680万人が動員されたと推察されています。詳しくは「
世界最大の大仙陵古墳建造の経過愚考
」を参照願います。
これら、巨大古墳建造は、ツングース系の人々だけの人員では不可能で、縄文系の人々を使い建造された理解されます。この結果、縄文系の人々の古墳建造への不満は高まっていったと予想されます。詳しくは「
巨大古墳建造の真相と民衆の怒り
」を参照願います。
縄文系の中でも、多数派のアイヌ系の怒りは相当だったと予想されます。そこで、アイヌ系とツングース系の地域別比率を見ますと、下図のとおりです。
舞台の中心の関西(近畿)地域、そして近隣の中国、北陸は、アイヌ系とツングース系の比率が、それぞれほぼ30%と拮抗している感じです。
この拮抗している関係から想像しますと、ツングース系王家に対抗するにはアイヌ系単独では不十分と思われます。そこで、その他の縄文系(特にマレー系A)やツングース系以外の弥生系(特にマレー系B)がアイヌ系に協力し、それらの連合が勝利したと判断するのが妥当と思われます。
マレー系Aは、前回紹介しましたように、縄文時代から居た海洋系の民族です。長い付き合いから言葉も通じていた可能性があります。そして、後に藤原家となる中臣家はマレー系A(縄文系)の出身であることが最近のDNA研究から分かりましたが、アイヌ系初代王家の継体王(在位:507-531年)時代からの豪族だったと思われます。詳しくは「
藤原家のルーツはマレー系A愚考
」を参照願います。
さらには、当時、ツングース系と対立していた弥生系マレー系Bもアイヌ系連合に加わった可能性も否定できません。マレー系Bは弥生時代に水田稲作を大陸から導入し、北九州倭国の基になった民族であると拙ブログでは観ています。
事実、アイヌ系の中心人物は継体王ですが、百済との関係が知られております。百済は、北九州倭国と同じくマレー系Bの稲作民族の国家ですが、同民族の北九州倭国と連合していました。詳しくは「
継体王と百済「部寧王」の関係
」を参照願います。
まとめますと、古墳時代末期、巨大古墳建造を続けてきたツングース系王家がアイヌ系継体王によって滅ぼされました。遺伝的背景から見ますと、近畿においてはツングース系とアイヌ系の割合はそれぞれ30%拮抗しており、アイヌ系単独で権力を奪取することは困難でした。そこで、アイヌ系30%に縄文系マレー系A20%と弥生系マレー系B10%が連合し、アイヌ系連合60%がツングース系30%に勝利したと判断されます。
これらの関係を上トップ図に示しました。
日本史ランキング
[ 2022/07/14 17:31 ]
日本の古代
| TB(-) |
CM(2)
奥尻島になぜ大きな勾玉愚考
奥尻島になぜ大きな勾玉愚考
(日本の古代)
Yahooニュース(2022.5.11配信)に「北海道・奥尻島になぜ勾玉が!? 「オーパーツ」の謎解明へ 考古学者に鑑定依頼」という記事が出ておりました。
今回は、この記事について検討し、その謎に迫ります。
本記事のソースは北海道新聞で、その内容は次のとおりです。
道路拡幅工事の際に出土:北海道奥尻町教委は本年度、青苗遺跡から出土した大きな勾玉(まがたま)の「謎」の解明に乗り出す。この勾玉は、昔の有力者の副葬品とみられ、3~4世紀ごろに新潟県糸魚川産のヒスイで作られたということが分かっているが、古墳時代の勾玉がなぜ奥尻にあるのかが判然としない。そこで、考古学の専門家4人に再調査と鑑定を依頼し、1年がかりで勾玉の由来について町の公式見解をまとめる考えだ。
(引用終了)
まず、勾玉出土の場所(奥尻)は上トップ図のとおりです。
時代は3~4世紀、東北では弥生時代中期の感じでしょうか。「
北海道旧石器時代の海外交易
」によれば、この遺跡のはるか以前に、国内最大の黒曜石産地として有名な白滝遺跡群(網走)では、その黒曜石は、北はサハリン(樺太)、南は三内丸山遺跡(東北)まで運ばれていたことが分かっています。(上図参照)。
また、東北では、5000年前の三内丸山遺跡が知られておりますが、この三内丸山遺跡からの出土品には、上記の「新潟県糸魚川産のヒスイ」が見つかっております。詳しくは「
技術立国日本のルーツは縄文時代に
」を参照願います。
また、青森県では「砂沢遺跡」から炭化籾と水田跡が発見され、2500年前の弥生時代に水田で作られていたことが分かっております。さらには、2200年前には近くの「垂柳遺跡」で広い水田跡が確認されています。詳しくは「
東北で最初に水田稲作を始めた人々は誰か
」を参照願います。
以上の古代の経過をまとめますと、奥尻島近辺の北海道や青森では、縄文時代から富山産の勾玉の交易が行われ、2500年前には水田稲作跡も見つかっています。奥尻の3~4世紀の遺跡で出土した大きな勾玉は、その流れにあったと見ることができます。
次に、その担い手です。日本人は、DNA研究(Y染色体ハプログループ分類)で、アイヌ系が35%、マレー系が30%、朝鮮半島由来ツングース系が25%、その他10%であることが分かっています。
これらの民族のうち、弥生時代、海洋交易ができたのはマレー系だけと思われます。おそらく、三内丸山遺跡時代の海洋交易もマレー系と思われます。詳しくは「
マレー系民族の日本文化への大いなる影響
」を参照願います。
まとめますと、海洋交易が得意なマレー系の人々は海洋交易に便利な奥尻島に住み、海洋交易で豊かになり、その結果、大きな勾玉を持つことができたのではないかと推察されます。さらには、彼らは稲作民族でもあり、主食のコメを求め、青森に水田を造ったことが想像されます。
なお、それらの水田については、残念ながら、その後の冷涼な気象のため普及はしなかったのが真相と思われます。
日本史ランキング
[ 2022/06/23 17:07 ]
日本の古代
| TB(-) |
CM(2)
天皇中心政治は大宝律令制定後に実働した
天皇中心政治は大宝律令制定後に実働した
(日本の古代)
「強大な万世一系の天皇が居て日本を統治してきた」、という古代史観が戦前にありました。この観点は根強く、現在も変わっていません。
しかし、現実を観ると、天皇家は、朝鮮半島由来の弥生民族と思われてきましたが、DNA分類の結果は継体天皇(在位:507-531年)由来のアイヌ系であることが明らかになりました。このことは、天皇家は万世一系ではなかったことになります。
また、現天皇家の王家が天皇と名乗ったのは天武天皇(在位:673-686年)が初めてで、それ以前は大王(おおきみ)でした。そして、政治は豪族を入れた合議制で行われていました。これも初めから強大な天皇がいたわけではないことを示します。
そして、そうした豪族合議制を変え、天皇中心の政治を目指たのが、大豪族の蘇我家を滅ぼした乙和の変(645年)でした。しかし、乙和の変の天皇中心政治という目標は失敗に終わりました。そのことを証明したのが「壬申の乱」(672年)でした。
「壬申の乱」では、正当な天皇側(天智天皇側)を支持する豪族が少なく、東側の豪族連合(後の天武天皇側)に圧倒されました。このことは、天皇側でなく豪族側が勝利したこと、すなわち、天皇中心の政治は否定されたものと思われます。
しかし、歴史のパラドックスなのか、以上の結果、天武天皇が天皇になりましたが、天皇と並ぶ大豪族は無くなり、天皇が強大な権力を初めてもつことができるようになりました。そして、その強大な権力を背景に、中国と同様な条里制に基づく都「藤原京」を日本の中心地の奈良の地に建造したことを前回検討しました。
さらに、天武天皇は、天皇を頂点とする日本国家統治機構の基本となる「大宝律令」(完成701年)の制定を起案したと言われます。
大宝律令は、その後の政治体制の基本となりましたので、まさに、天武天皇時代に天皇を中心とする統治体制が出来上がったと思われます。
前置きが長くなりましたが、関連し、大宝律令が、どのようなものであったのかについて、今回は愚考します。
まず、Wikipediaによれば、大宝律令制定の背景は次のとおりです。
大宝律令は、日本の国情に合致した律令政治の実現を目指して編纂された。刑法にあたる6巻の「律(りつ)」はほぼ唐律をそのまま導入しているが、現代の行政法および民法などにあたる11巻の「令(りょう)」は唐令に倣いつつも日本社会の実情に則して改変されている。
この律令の制定によって、天皇を中心とし、二官八省(神祇官、太政官 - 中務省・式部省・治部省・民部省・大蔵省・刑部省・宮内省・兵部省)の官僚機構を骨格に据えた本格的な中央集権統治体制が成立した。役所で取り扱う文書には元号を使うこと、印鑑を押すこと、定められた形式に従って作成された文書以外は受理しないこと等々の、文書と手続きの形式を重視した文書主義が導入された。
また地方官制については、国・郡・里などの単位が定められ(国郡里制)、中央政府から派遣される国司には多大な権限を与える一方、地方豪族がその職を占めていた郡司にも一定の権限が認められていた。
(引用終了)
引用記事をまとめますと、この律令の制定によって、天皇を中心とし、二官八省の官僚機構を骨格に据えた本格的な中央集権統治体制が成立したことになります。
一方、乙和の変(645年)~大宝律令制定(701年)に行われた「大化の改新」を律令国家の始まりと観る説があります。しかし、その後の壬申の乱(672年)を観ると、中央に対する地方豪族の反乱であります。すなわち、「大化の改新」はほとんど実施されていなかったのが実情と思われます。
因みに、大豪族の蘇我氏を滅ぼし天皇中心の政治にしようとした「大化の改新」ですが、それを行ったのは天智天皇(もと中大兄皇子)でした。しかし、天智天皇崩御後の壬申の乱(672年)で、天智天皇グループ(天皇側)が東海・東山地域の豪族グループ(後の天武天皇側)にあっけなく敗北したのは、「大化の改新」が豪族に支持されていなかったことを示します。
その意味で、「大化の改新」は理想物語だったことになります。そして、壬申の乱(672年)を経て大豪族の力は弱まり、その結果、天武天皇によって日本が統一され、「大化の改新」の仕組みが大宝律令(刑法)の発足とともに実際に始まったのが真相と思われます。
関連し、乙和の変(645年)~大宝律令制定(701年)の歴史経過を、上トップ図に示しました。
日本史ランキング
[ 2021/03/05 11:33 ]
日本の古代
| TB(-) |
CM(2)
天武天皇の容貌はツングース系愚考
天武天皇の容貌はツングース系愚考
(日本の古代)
これまで、日本を最初に統一した大王は天武天皇(在位:673- 686)であったことについて検討してきました。
また、最近のDNA研究(Y染色体ハプログループ分類)の結果、現天皇家のルーツはアイヌ系の継体天皇(在位:507-531年)まで辿れること、関連し、継体天皇の容貌はアイヌ系であったことも紹介してきました。
今回は、天武天皇の事例から、天皇家の容貌がアイヌ系から朝鮮半島由来のツングース系に変わったことについて愚考します。
まず、上の画像は「
歴代天皇 40代天武天皇
」からお借りしました。
この天武天皇の画像を拝見しますと、細い眼、一重瞼、小さい口元、平べったい顔、薄い髭が特徴的です。
これらの特徴は、寒地に適応したモンゴル系および、その子孫で朝鮮半島に多いツングース系の特徴と言われます。
また、Wikipediaの人物像によれば、身長について次のようです。
文暦2年(1235年)の盗掘後の調査『阿不之山陵記』に、天武天皇の骨について記載がある。首は普通より少し大きく、赤黒い色をしていた。脛の骨の長さは1尺6寸(48センチメートル)、肘の長さ1尺4寸(42センチメートル)あった。ここから身長175センチメートルくらい、当時としては背が高いほうであったと推定される[111]。藤原定家の日記『明月記』によれば、白髪も残っていたという[112]。
(引用終了)
すなわち、天武天皇の身長は175cmくらいと高身長です。この高身長もツングース系の特徴です。詳しくは「
色白高身長、秋田美人のルーツ愚考
」 を参照願います。
以上のことから、天武天皇の容貌は明らかにツングース系です。このため、天皇家のルーツは朝鮮半島のツングース系という説もありました。しかし、最近のDNA研究は、天皇家のルーツはアイヌ系であることを明らかにしました。詳しくは、「
天皇家の男子のルーツはアイヌ系
」を参照願います。
そこで、天皇家の容貌がアイヌ系からツングース系に変わった経過を検討しますと次のとおりです。
まず、天武天皇の両親の系譜(下図参照)から検討しますと、天武天皇の母は目が細く吊り上がった感じがあり、母方に似た感じがあります。
母方の皇極天皇には、天皇家と縁戚関係にあった実力者の蘇我家の血が色濃く流れています。このため、天武天皇がツングース系に似た容貌とすると、その容貌は蘇我家由来となります。
当時、蘇我家は当時の実力者であり、現天皇の継体天皇(在位:507-531年)時代から、実の娘を嫁がせ縁戚関係にあったことが知られております。
一方、当時、美人と言えば、上記秋田美人のルーツでも示唆しておりますが、色白高身長のツングース系であったと推察されます。そこで、蘇我家はツングース系美女を妻に持ち、その娘を天皇家に嫁がせ、縁戚関係者となっていったことになります。
まとめますと、蘇我家は、色白高身長のツングース系美女と結婚し、その娘を天皇家に嫁がせ、それを繰り返した結果、それらの子孫の天武天皇はツングース系に似た容貌になったと推察されます。
すなわち、天皇家はもともとはアイヌ系であったが、ツングース系の女と代々結婚を重ねるうちに、天武天皇の代になると、その容貌はツングース系の容貌に変わってしまったことになります。
日本史ランキング
[ 2021/01/29 11:38 ]
日本の古代
| TB(-) |
CM(1)
古代の大王は天武天皇と北九州倭王「武」愚考
古代の大王は天武天皇と北九州倭王「武」愚考
(日本の古代)
日本を最初に統一した大王は天武天皇であったことについて検討してきました。関連し、今回は、日本という国号を最初に使ったのも天武天皇であったこと、一方、彼に匹敵する北九州倭国の大王は倭王「武」であったことについて愚考します。
まず、日本統一と関連し、日本という国号のルーツですが、Wikipedia(天武天皇) から関連の部分を引用しますと、次のとおりです。
「日本」という国号を採用したのも天武天皇とする説が有力である[43]。天武朝に成立し、『日本書紀』編纂に利用された『日本世記』の存在などが理由である。日本という字にこめた意義には、「日」を中心にした国という思想を表したもので、神が天から降した「日嗣ぎ」が代々の君主だとする神話に即したものとする説や[44]、単に東方の美称とみるなど諸説ある[45]。『日本書紀』の書名・編纂と密接に関係し、飛鳥浄御原令に書き込まれたのではないかと推測される。
(引用終了)
また、「
大宝律令と官僚制
」 から関連の部分を引用しますと、次のとおりです。
日本の国号
わが国の国号は、もとはヤマト政権の中心地である「やまと」が用いられた。一方、中国ではわが国を「倭」と称していたため、外交の場ではこれが用いられた(後世にも、「倭」を「やまと」と訓んだり、「日本」を「やまと」と訓んだりしている)。
他には、「大八洲おおやしまくに」「葦原中国あしはらなかつくに」「秋津島あきつしま」などの呼称があった。しかし、基本的で国際的な国号である「倭」には、「小人」や「従順」などの意味があったので、律令制の成立とともに、新たな国号を「日本」と定めた。
中国の歴史書である『旧唐書くとうじょ』東夷伝日本条では、「日本国は、倭国の別種なり。其の国、日辺に在るを以て、故に日本を以て名と為す。或いは曰はく、倭国、自ら其の名の雅ならざるを悪み、改めて日本と為す」と説明されている。新たな国号は、702(大宝2)年に派遣された遣唐使によって、中国に知らされたことであろうが、独自の君主号や律令、元号などと異なり、「日本」という国号は、中国の皇帝に容易に受け入れられ、承認されたものと思われる。
(引用終了)
以上の記事をまとめますと、次のような感じです。
「日本」という国号を採用したのは天武天皇とする説が有力で、その国号は702年の遣唐使で中国側に伝えられ、了承されました。
以上のことから、日本という国号を初めて採用したのが天武天皇となると、天武天皇は日本という国を統一した名実ともに最初の大王であったと思われます。
なお、上記引用にもありますが、旧唐書では、「日本国は、倭国の別種なり」とありますから、日本国は、古来より朝貢してきた北九州の倭国とは別の新しい国であることになります。
そこで、北九州倭国の大王について検討しますと、日本を統一を果たした最初の大王の天武天皇に匹敵する大王は倭王「武」と思われます。
倭王「武」については、拙ブログでは何度も記事にしていますが、彼は、478年に「六国諸軍事安東大将軍」となり、新羅を含む朝鮮半島南部を支配する大王となりました。
しかし、残念ながら、日本の古代史では、日本書紀の歴史改竄があり、北九州倭国は認められていません。
関連し、倭王「武」と天武天皇の勢力範囲について上トップ図に示しました。
日本史ランキング
[ 2020/12/25 07:05 ]
日本の古代
| TB(-) |
CM(4)
|
HOME
|
次ページ ≫
検索フォーム
日本人の縄文思想と稲作のルーツ
「天皇家はアイヌ系」についてまとめています。詳細(目次)は下のとおりです。どうぞよろしく。
Author:レインボー
現在は邪馬台国の真相についてまとめています。
天皇家はアイヌ系(目次) はじめに 1. 日本民族のルーツ 2. 古墳王家は何故滅びたのか 3 古墳王家はアイヌ・マレー系連合に滅ぼされた 4.日本書紀は創作 5.日本語と日本人宗教のルーツ 終わりに
カテゴリ
天皇家はアイヌ系 (27)
ブログの概要(記事まとめ) (24)
天皇家のルーツと日本文化 (6)
古代史の問題 (37)
古代史の虚像と書籍 (18)
日本人のルーツ (30)
日本語のルーツ (17)
日本書紀は創作 (9)
日本の古代 (8)
関東・東北の古代 (26)
西日本の古代 (40)
縄文思想と日本人 (33)
アメリカ先住民族と日本人 (13)
縄文時代と日本人 (20)
古墳と日本人 (11)
ごあいさつ (18)
未分類 (157)
邪馬台国の真相 (1)
最新記事
邪馬台国の真相、はじめに、大分で良いのか (03/17)
次のまとめ課題 (03/10)
天皇家はアイヌ系 終わりに (03/03)
鉄器はツングース系が持ち込んだ (02/24)
巨石文化のルーツもマレー系 (02/17)
最新コメント
レインボー:邪馬台国の真相、はじめに、大分で良いのか (03/18)
motomasaong:邪馬台国の真相、はじめに、大分で良いのか (03/17)
レインボー:次のまとめ課題 (03/13)
motomasaong:次のまとめ課題 (03/13)
レインボー:次のまとめ課題 (03/13)
MOKUZOUSI:次のまとめ課題 (03/12)
レインボー:次のまとめ課題 (03/12)
リンク
日本の与党は変じゃない?
鉛筆語り
現代謡曲集 能
日本古代史つれづれブログ
しばやんの日々
東国の古代史
子ども達の未来のために
鬼と仏の国東半島めぐり
野菜を食べやさい
相模湾 海から見る風景
ビーチサイドの人魚姫
古墳なう
神秘と感動の絶景を探し歩いて
差別と歴史上の人物
滋味コフン
KOREA 駐在おやじの韓国紹介
日本百名城の旅
歴史タイムス ~ 古今東西歴史遺跡化石ニュース
オトーサンの忘備録(R50+)
カメさんと遺跡
ダイエットとケセラセラ日記
中国通史で辿る名言・故事探訪
文学のメロンボール IN 香港
哲学日記 1日はあっという間に過ぎ去る
ぴーちゃんは鳥なんだから★猫ちゃんプラス!
僕の幸せアンテナ♪
ニートが社会について考えるブログ
風まかせ
それでいいの
森散歩
神姫者の巣
MOKUZOUSIのぶらぶらスケッチ
行きたい!素敵なジャパネスク
ペイシューの ダメ詰まり囲碁日記
地球ワーキングトラベラー見聞記
~山の上から地の果て、水の中まで~
空を見る余裕
クラカスはつらいよ弐
東村フォト日記帳(A digiphoto diary by CHIBI in East Village)
= 水行20日、水行10日陸行1月の呪縛 =
健康オタクの目移り
光と影、夜と昼。
振り返りの多いこと
古墳とかアレ 出張所
管理画面
このブログをリンクに追加する
RSSリンクの表示
最近記事のRSS
最新コメントのRSS
ブロとも申請フォーム
この人とブロともになる
QRコード
月別アーカイブ
2023/03 (3)
2023/02 (4)
2023/01 (5)
2022/12 (5)
2022/11 (4)
2022/10 (4)
2022/09 (5)
2022/08 (4)
2022/07 (4)
2022/06 (5)
2022/05 (4)
2022/04 (4)
2022/03 (5)
2022/02 (4)
2022/01 (5)
2021/12 (5)
2021/11 (4)
2021/10 (5)
2021/09 (6)
2021/08 (4)
2021/07 (5)
2021/06 (4)
2021/05 (4)
2021/04 (5)
2021/03 (4)
2021/02 (3)
2021/01 (5)
2020/12 (6)
2020/11 (7)
2020/10 (6)
2020/09 (6)
2020/08 (7)
2020/07 (6)
2020/06 (7)
2020/05 (6)
2020/04 (6)
2020/03 (6)
2020/02 (6)
2020/01 (7)
2019/12 (6)
2019/11 (6)
2019/10 (7)
2019/09 (6)
2019/08 (6)
2019/07 (6)
2019/06 (6)
2019/05 (5)
2019/04 (5)
2019/03 (8)
2019/02 (7)
2019/01 (8)
2018/12 (8)
2018/11 (8)
2018/10 (7)
2018/09 (8)
2018/08 (8)
2018/07 (7)
2018/06 (8)
2018/05 (8)
2018/04 (7)
2018/03 (8)
2018/02 (7)
2018/01 (8)
2017/12 (12)
2017/11 (15)
2017/10 (16)
2017/09 (15)
2017/08 (15)
2017/07 (15)
2017/06 (15)
2017/05 (15)
2017/04 (14)