日本人の縄文思想と稲作のルーツ
日本人は、アイヌ系35%、マレー系30%、半島由来ツングース系25%、その他10%の混合混血民族です。DNA分類の結果、ヤマトにはツングース系王家が創られ、その後、アイヌ系の現天皇家に滅ぼされたと推察されます。万世一系を主題にした日本書紀は創作になります。関連し、今回は邪馬台国の真相に迫っています。
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2023 04
カテゴリー [ 古代史の虚像と書籍 ]
天皇家のルーツと書籍の欺瞞 [2022/05/12]
日本人の「完成」は古墳時代で正しいか愚考 [2022/04/28]
田植えの始まりは弥生時代ではない [2021/09/17]
日本稲のルーツは揚子江流域ではない [2021/09/10]
日本人の起源は中国大陸の古モンゴロイドではない [2021/09/06]
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天皇家のルーツと書籍の欺瞞
天皇家のルーツと書籍の欺瞞
(古代史の虚像と書籍)
前回、天皇家のルーツはアイヌ系であることが2016年頃はほぼ明らかになったこと、これは、日本の古代史を研究する上でとても重要なこと、しかし、そのことについては2016年以降の新刊書にも書いてないことを検討しました。
こうした真実が報道されない問題、これには日本史における根深い問題、すなわち、「日本の古代史は戦前と変わっていない問題」があります。関連し、今回は、さらに検討します。
なお「日本の古代史は戦前と変わっていない問題」については「
日本の古代史は戦前と変っていない
」を参照願います。
まず、小生が調査した令和元年(2018年)以降の現天皇家のルーツについての書籍情報は上表のとおりです。これは市図書館にある古代史関係図書の17点について検討したものです。新刊書のすべてではありませんが、「山本博文」や「佐藤信」という「東大教授」の著作もあり、歴史関係の主な図書は含まれていると思われます。
そこで、現天皇家のルーツの記述ですが、次のとおりです。
まず、2018年~2019年年発刊の5点ですが、天皇家のルーツについて、「天皇の歴史」(2018年)では鉄器と稲作を持ち込んだ弥生人(朝鮮半島由来人)、「日本の誕生」(2019年)と「神武天皇「以前」」(2019年)では「神武天皇」となっています。これらは従来の情報の繰り返しで、DNA情報を知らなかった可能性は否定できません。
また、「日本国紀」(2018年)と「天皇(125代)の歴史」(2018年)では継体天皇(在位:507-531年)になっています。しかし、継体天皇がアイヌ系であることについては言及していません。これらも従来知見の繰り返しになります。
次に2020年~2022年の発刊です。全部で12点ありますが、天皇家のルーツについては、いずれも言及無しです。
特に、これらのなかには「東大教授がおしえる日本史をつかむ図鑑」(山本博文 2020年)、「テーマで学ぶ日本古代史 政治・外交編」(佐藤 信 2020年)がありますが、著者二人とも高名な東大教授だった人たちです。天皇家のDNAについて東大教授が知らない訳はなく、故意に無視している状況と思われます。
これらのことは何を意味するのでしょう。天皇家のルーツについては分かっているが、天皇家のルーツについては、2年前(2020年)からは言及しないということが出版関係の了解になっているのでしょうか。たいへんな欺瞞です。まさに、古代史は戦前と変わっていないことを示唆しています。
まとめますと、天皇家のルーツについて、近刊書では、2018年~2019年は従来の知見の繰り返し、しかし、2020年以降は言及していないという状況になります。
これは、古代史に限りますが、21世紀になっても重要な知見(天皇家はアイヌ系)を伝えようとしない姿勢が感じられます。なんという欺瞞でしょう。いかんともしがたい焦燥感を禁じえません。
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[ 2022/05/12 06:51 ]
古代史の虚像と書籍
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日本人の「完成」は古墳時代で正しいか愚考
日本人の「完成」は古墳時代で正しいか愚考
(古代史の虚像と書籍)
拙ブログでは、アイヌ系継体王(在位:507-531年)が朝鮮半島由来ツングース系王朝を6世紀初頭に滅ぼした結果、日本語はアイヌ系言語が原語となり、同じく日本の宗教・哲学もアイヌ系原始宗教(多神教)が中心となり、育まれ発展してきたことを検討してきました。
一方、昨年(2021年9月18日)ですが、Yahooニュースとして朝日新聞DIGITAL「<日本人の「完成」は古墳時代だった?DNAを分析、ルーツに新説」が掲載されていました。(すでに本記事は削除されています。)
今回は、この記事の妥当性と記事を作った朝日新聞の古代史報道姿勢について愚考します。
まず、その内容(一部)を引用しますと、次のとおりです。
金沢市で見つかった約1500年前の古墳時代の人骨のDNA解析から、縄文人や弥生人にはなく、現代日本人に見られる東アジア人特有の遺伝的な特徴が見つかった。日本人のルーツは、土着の縄文人と大陸から渡来した弥生人の混血説が有力だが、さらに大陸からの渡来が進んだ古墳時代になって古墳人が登場したことで、現代につながる祖先集団が初めて誕生したことを示唆している。
【解説図】現代日本人の成り立ち
金沢大や鳥取大などの国際研究チームが18日、米科学誌サイエンス・アドバンシズに発表する。
日本人の起源は、列島に住み着いていた縄文人に、大陸からの渡来集団が混血して弥生人となり、現代の日本人につながったとする「二重構造モデル」が定説とされてきた。1991年に東大名誉教授だった埴原和郎氏が唱えた。
研究チームは、約9千年前の縄文人や約1500年前の古墳人など計12体のDNAを解読。すでに解読済みの弥生人2体のデータなどと比較した。親から子に遺伝情報が受け継がれる際に生じるわずかな違いの痕跡から、どの集団が遺伝的に近いのかを調べた。
その結果、弥生人は、中国東北部の遼河流域など北東アジアで多く見られる遺伝的な特徴を持ち、縄文人と混血していることも確認できた。一方、古墳人は、弥生人が持っていない東アジア人に多く見られる特徴を持っていた。さらに、現代日本人と遺伝的な特徴がほぼ一致することも判明した。
■大陸からの移住、新技術持って次々に?
大陸からの渡来人の大規模な移住は、約3千年前の弥生時代にさかのぼる。研究チームは、それ以降も漢民族などの集団が次々に渡来し、織物や土木などの新技術を伝えて古墳時代を築き、現代の日本人につながっていったとみている。
古墳時代は3世紀後半~7世紀にかけて続き、弥生時代末ごろには邪馬台国が栄えたとされる。
今回分析できた古墳人の骨は、金沢市で発掘された3体にとどまる。新説を裏付けるには、さらに分析数を増やす必要があるという。
研究チームの金沢大古代文明・文化資源学研究センターの覚張(がくはり)隆史助教(考古科学)は「日本人が縄文、弥生、古墳の三つの祖先集団からなることを示す初めての証拠だ。今後、ほかの古墳人や弥生人のゲノムを広く調べることで、日本人の起源の謎に迫っていきたい」と話している。
論文は以下のサイト(https://doi.org/10.1126/sciadv.abh2419)から読むことができる。(石倉徹也)
■古墳時代とは――大和政権が支配し、各地に前方後円墳
縄文、弥生に続く3世紀後半~7世紀までの時代。農耕技術の発展や武器の普及などにより権力や富みが集中して階級社会が生まれ、大和地方を中心とする大和政権が成立。指導者たちを葬った巨大な前方後円墳が各地に造られ、武具や鏡などが副葬された。邪馬台国の女王「卑弥呼」の墓との説もある箸墓(はしはか)古墳(奈良県桜井市)や、世界文化遺産の大山古墳(伝仁徳天皇陵、堺市)も有名だ。 朝日新聞社
(引用終了)
引用が長くなりましたが、この報告の問題点は、論文内容と新聞報道姿勢の2点です。
まず、論文内容ですが、引用記事にもあるとおり「今回分析できた古墳人の骨は、金沢市で発掘された3体にとどまる。新説を裏付けるには、さらに分析数を増やす必要があるという。」です。
これら3体の調査からでは、引用冒頭にある、「金沢市で見つかった約1500年前の古墳時代の人骨のDNA解析から、縄文人や弥生人にはなく、現代日本人に見られる東アジア人特有の遺伝的な特徴が見つかった」という理解(結論)に至るには無理があります。
また、DNA解析とありますが、Y染色体ハプログループは不明です。Y染色体ハプログループが分かれば、そのもとになった民族が分類できますが、それが無いのでは、上記結論からは、さらに遠くなります。
そして、さらに問題なのは、従来知見の無視です。
基になった論文内容を詳しく検討しますと、「日本人のルーツは土着の縄文人と大陸から渡来した弥生人の混血説が有力」とありますが、大陸から渡来した弥生人は朝鮮半島由来の北東アジア系のツングース系だけしか紹介されていません。ツングース系とは満州で発生した中国人とモンゴル人の混血民族で、朝鮮半島の主要民族です。
しかし、3000年前に北九州に水田稲作を導入した南方系の稲作民族(マレー系)も弥生人になりますが、この記事では無視されています。
拙ブログで何度も指摘していることですが、日本人は、三大民族のアイヌ系が35%、アジア南部由来稲作民族マレー系が30%、朝鮮半島由来ツングース系が25%、合計90%とその他10%です。これら三大民族が弥生時代から居たことは知られていることです。しかし、三大民族のマレー系の存在を本論文では無視しています。
日本の古代史研究には、自分の理屈に合わないことについて無視して発表する場合が見受けられます。上記報告も、都合の悪いことは無視するという同様な手法がとられています。一般の学会ではあり得ないことで「日本の古代史は戦前と変わっていない問題」がここにもあります。
次に新聞報道姿勢問題ですが、ここにも「日本の古代史は戦前と変わっていない問題」があります。
記事最後に、「邪馬台国の女王「卑弥呼」の墓との説もある箸墓(はしはか)古墳(奈良県桜井市)」という記述があります。しかし、この記述には大きな問題があります。拙ブログだけでなく、多くの研究者は、箸墓古墳=「卑弥呼」墓説を否定しております。この説は99.9%あり得ません。書く必要のないことです。
例えば、刺青等の風俗や容貌から、倭人は中国南部の海南島の人々に似ていることが魏志倭人伝に書いてあります。このことは、邪馬台国は南方系の人びとの国であり、そこに住んでいる人々は稲作民族と言われるマレー系の人々であったことを示唆しています。
しかし、箸墓古墳=「卑弥呼」墓説を支持している学者は、この南方系の風俗について無視しており、説明しようとしません。すなわち、都合の悪いことは無視するということで、説(学問)と言えるものでありません。
このような99.9%あり得ない記事(箸墓古墳=「卑弥呼」墓説)を載せるということは、記者が無知かウソと分かっていて書いている確信犯以外にあり得ません。良識の朝日新聞が、このようなウソ(説?)を平気で書くこと、おそらく書き続けていることに、焦燥感と無力感を禁じ得ません。
日本の古代史は「戦前と変わっていない」ことを拙ブログも指摘していますが、それには、このようにウソを平気で載せる報道機関の責任もあります。詳しくは「
誤りと偽りの考古学・纏向
」を参照願います。
まとめますと、日本人というのは民族の単位ですが、その基本的内容は日本語を使用する人であり、現日本語の誕生はいつだったのかまで含めて検討が必要と思われます。
一方、本報告のようにDNAだけで見るなら、日本人には、水田稲作を導入したマレー系、鉄器を導入したツングース系、縄文時代からいたアイヌ系等の人々が居ますが、これら日本人のDNAは弥生時代にすべてがそろっていたことが分かっていて、日本人のDNAは弥生時代にほぼ揃っていたと結論されます。
すなわち、上記「朝日新聞記事」には、科学的根拠は無く、独断と偏見で書かれた記事と結論されます。
関連し、日本人のルーツについて、上トップ図にしめしました。本図は拙ブログの過去記事「
各民族はいつ頃日本に来たのか
」からの再掲です。
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[ 2022/04/28 09:17 ]
古代史の虚像と書籍
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田植えの始まりは弥生時代ではない
田植えの始まりは弥生時代ではない
(古代史の虚像と書籍)
「大迫力!写真と絵でわかる日本史」(2013年 橋場日月)という一般向け書籍が出ています。前回は日本稲品種ルーツの問題点を検討しました。
今回は稲移植(田植え)の始まりについて検討します。
まず、本書では上図のように、弥生時代から移植栽培稲作が始まったとしています。
しかし、拙ブログで何度も検討してきたことですが、このことも事実と異なっています。
まず、移植には、その前に耕起し、水を入れ、水と土をこね合わせる(代掻き)という重労働が必要になります。しかし、そのような作業は弥生時代には無かったことが分かっています。
まず、日本の古代水田の特徴の解明については、那須浩郎(2014)の調査が優れています。彼は、畔あのある水田跡の雑草生態を調べ、その場所には水田雑草が無く畑雑草ばかりであったこと、すなわち、畑地状態であったことを明らかにしています。これは、水を入れて貯めた後、漏水のため水持ちが悪く、水田は畑地のような状況であったことを示します。
このことは、田植えのための代掻きが無かったことを示します。もし、代掻きがあったとすれば、水田表面は、土がドロドロになり目つまりし、漏水が少なくなり乾きにくくなり、畑雑草の育つ余地は少なかったと思われます。詳しくは「
台地になぜ水田稲作が普及しなかったのか
」を参照願います。
また、移植のような株跡が古代水田にあったという報告もあります。これは、掘り棒で穴を空け、その穴に播種するという播種方式をとったためと思われます。この方式は原始農法の一種で、今でもアフリカ農民の陸稲栽培で一般に認められる方法です。
また、田植えの時に着けられたような足跡が古代水田にのこされていたという報告もあります。しかし、一般に、田植え時の足跡は土がドロドロのため足穴しか残らないのが普通です。
当時は畑状態の水田に播種し芽が出たところで水を入れるという乾田直播栽培でした。おそらく、この足跡は水を入れた後に土が湿り柔らかくなったときにできたものと推察されます。その意味で、この足跡は、当時は代掻きはなく、田植えも無かったこと示す事例と思われます。
拙ブログでは、田植えは、代掻きにより漏水を防ぎ、水を貯め、水温を高くし、確実に増収する画期的技術であったことを指摘しています。この結果、水田の価値は高くなり、この水田を守るため武士が発生したと見ています。詳しくは「
田植えの始まりは平安時代中期と思われる
」を参照願います。
以上のことから、我が国の水田稲作は、乾田直播に始まり、平安時代になって移植栽培が始まり、現在の水田と同じようになっていったと判断されます。
なお、日本でも、水田稲作以前に陸稲栽培があったことが分かっています。詳しくは「
縄文時代の稲栽培は天水畑で行われた
」を参照願います。
まとめますと、日本の水田稲作は、乾田直播に始まり、その後、平安時代に移植技術が入り、その技術は漏水を防ぎ、水を温める技術であり、北東北でも稲作が可能になったと判断されます。
詳しくは「
田植え技術は東北を変えた
」を参照願います。
日本史ランキング
[ 2021/09/17 09:45 ]
古代史の虚像と書籍
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日本稲のルーツは揚子江流域ではない
日本稲のルーツは揚子江流域ではない
(古代史の虚像と書籍)
大判ビジュアル図解「大迫力!写真と絵でわかる日本史」(2013年 橋場日月)という一般者向け書籍が出ています。前回は日本民族のルーツについて検討しました。
今回は、少し専門的になりますが、その書の指摘する「日本稲のルーツは揚子江流域」(上図参照)の問題点について検討します。
結論から先に言いますと、この指摘は、揚子江流域の最古の稲作遺跡から日本型品種が発見されたことと関連しておりますが、最近の知見を無視しており、誤りと思われます。
一般に、稲品種には日本型とインド型がありますが、日本型品種の方が古くからあると言われております。そして、これら栽培稲品種は野生種から選抜された改良品種になりますので、栽培稲品種のルーツは、基になった野生稲が自生していた地域になります。
そこで、揚子江流域の野生稲の歴史を見ますと、氷河期は寒く野生稲が無かったことが分かっています。その意味で、その書の指摘する「日本稲のルーツは揚子江流域」説は否定されます。
なお、現在見られる揚子江流域の野生稲ですが、それらは南部の海南島の野生稲がルーツと判断されています。
そして、日本稲のルーツとなった野生稲ですが、インドネシアのルヒポゴンが栽培稲に比較的近いと言われております。その特徴は、現栽培品種と比較し、極長身(倒れやすい)、極長芒(芒が長く鳥獣に襲われにくい)、脱粒極易(実るとすぐこぼれる)、休眠性極強(雨水に浸かっても1年間発芽しない)、小粒、と言われております。
すなわち、野生稲の特徴は野性的で栽培しにくい特徴があり、これらを改良したのが栽培用品種となります。そして、世界の栽培種を検討し、栽培種のなかでも、これら野生稲に近い特徴をもった品種として、日本型のインドネシア品種群が選出されました。
すなわち、インドネシアには栽培稲に比較的近い野生稲ルヒポゴンと野生稲に近い日本型品種群があり、結論として、インドネシア(もとスンダランド)が日本型品種(栽培稲)のルーツと判断されるようになりました。詳しくは「
栽培稲のルーツはスンダランド
」を参照願います。
一方、中国には北部に畑作民族と南部稲作民族が居ることが知られておりますが、南部の稲作民族と言われる人々の多数はマレー系の人々です。彼らは、中国では越族と呼ばれておりますが、そのルーツはインドネシアで、上記日本稲のルーツと一致します。おそらく、彼らが中国南部に稲作を持ち込み、さらには日本にも持ち込んだともの推察されます。
上記のインドネシアルーツ説は2008年に生物資源研究所の研究グループが発表したものです。一方、本書の説(日本稲のルーツは揚子江流域説)は2013年の出版です。すなわち、本書は5年前に報告されたインドネシア説を無視して出版した形になります。
まとめますと、上記の「大迫力!写真と絵でわかる日本史」に掲載された「日本稲のルーツは揚子江流域」(説)は、「日本稲のルーツはインドネシア」に訂正すべきです。
次回は、「稲移植の始まりは弥生時代でないこと」について検討します。
日本史ランキング
[ 2021/09/10 07:58 ]
古代史の虚像と書籍
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日本人の起源は中国大陸の古モンゴロイドではない
日本人の起源は中国大陸の古モンゴロイドではない
(古代史の虚像と書籍)
大判ビジュアル図解「大迫力!写真と絵でわかる日本史」(2013年 橋場日月)という一般向け書籍が出ていますが、事実と異なるいくつかの問題点のあることを前回紹介しました。
関連し、今回は、その書の指摘する「日本人の起源は中国大陸の古モンゴロイド」(上図参照)について、その問題点について検討します。
まず、日本人のDNAですが、最近のY染色体ハプログループ分類によれば、アイヌ系が35%、マレー系が30%、中国系が20%、モンゴル系が5%、その他10%となっています。このうち中国系とモンゴル系の混血と言われる朝鮮半島由来のツングース系は25%(中国系+モンゴル系)と推察されます。詳しくは「
最近のY染色体DNA情報と従来知見の修正
」を参照願います。
そして、新モンゴロイドの定義ですが、Wikipediaによれば次のとおりです。
「新モンゴロイド(しんモンゴロイド、英: neo-Mongoloid)とは、W・W・ハウエルズによるモンゴロイドの分類。日本では埴原和郎や尾本恵市らが用いている[1]。モンゴロイドを形質的特徴を中心とする遺伝的特性から、「新」・「旧」という、定かではない単語を用いて分別した表現方法である。進化の程度が「新」・「古」という意味ではなく、寒冷地適応を経ているか否かの違いを表したというのが、世間に出回っている現段階における分類である。」
(引用終了)
以上の新モンゴロイドの定義に従いますと、本書にあります「日本人の祖先は大陸の古モンゴロイド」の古モンゴロイドは、アイヌ系とマレー系がこれに当たります。
しかし、アイヌ系は中国大陸で先住民族としてまったく確認されて居ません。すなわち、可能性としては中国大陸を通過しただけであり、本書の分類は根拠がありません。
どちらかと言うと、アイヌ系は、アフリカを出た後、インドを経て、インドネシアにあった言われるスンダランドに着き、そこから沖縄を経て日本に来た可能性があります。詳しくは「
アイヌ系民族のルーツはアフリカ
」を参照願います。
次に、南方系のマレー系ですが、彼らは稲作を持ち込んだ民族と想定され、日本に30%も居ますが、寒冷地適応を経ていませんので彼らも古モンゴロイドに属します。彼らは中国大陸がルーツではなく、インドネシア当たり(もとスンダランド)がルーツであることが分かっています。
一方、新モンゴロイドですが、朝鮮半島由来のツングース系がこれに当たります。縄文時代に渡ってきたとありますが、拙ブログでもそのことは指摘しています。詳しくは「
縄文時代から高身長の人は居た
」を参照願います。
しかし、多くのツングース系は2300年前頃、鉄器をもって日本に来て、鉄器をベースに弥生時代を作った主要グループと推察されます。
そしてツングース系は25%になりましたが、全体として中国大陸由来はこのツングース系だけの25%であり、多数派ではありません。
また、本書の図(上トップ図)では、新モンゴロイドは北方の樺太を経て日本に渡ってきたように描かれていますが、北海道にツングース系は先住民族として確認されていませんので、このことは事実と異なります。
拙ブログでは、新モンゴロイドと言われるツングース系のほとんどは朝鮮半島を経て日本に渡り、日本海を北上し、日本各地に広がったと観ています。詳しくは「
ツングース系民族はいつ日本へ来たのか
」を参照願います。
まとめますと、「日本人の起源は中国大陸の古モンゴロイド」という本書の内容は、最近のDNA情報を基にすれば、古モンゴロイドに属する人々は35%のアイヌ系と30%のマレー系ですが、彼らは中国大陸がルーツではありません。本書の内容は明らかに間違っています。
また、新モンゴロイドや古モンゴロイドという区分は、最近のY染色体ハプログループ分類を基にすれば、ほとんど意味のない古い分類であり、使わない方が誤解を生まないと思われます。
日本史ランキング
[ 2021/09/06 07:45 ]
古代史の虚像と書籍
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日本人の縄文思想と稲作のルーツ
「天皇家はアイヌ系」についてまとめています。詳細(目次)は下のとおりです。どうぞよろしく。
Author:レインボー
現在は邪馬台国の真相についてまとめています。
天皇家はアイヌ系(目次) はじめに 1. 日本民族のルーツ 2. 古墳王家は何故滅びたのか 3 古墳王家はアイヌ・マレー系連合に滅ぼされた 4.日本書紀は創作 5.日本語と日本人宗教のルーツ 終わりに
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