Category蘇我家の繁栄と滅亡 2/3
蘇我家の繁栄と滅亡 5.蘇我は娘を天皇の妃に

蘇我家の繁栄と滅亡 5.蘇我は娘を天皇の妃に 蘇我高麗(そが・こま)は、百済の文官で、継体天皇(在位:507-531年)が始めたアイヌ系新王朝の初代財務大臣を担当、かつ第一の側近となり、勢力を広げてきたことを紹介してきました。 そして、2代目の稲目、3代目の馬子、4代目の入鹿の時代が、蘇我家の絶頂期と思われます。 2代目の稲目の時代になると、稲目は娘二人(小姉君、堅塩姫)を29代欽明天皇の妃に...
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蘇我家の繁栄と滅亡 4.蘇我は仏教を導入

蘇我家の繁栄と滅亡 4.蘇我は仏教を導入前回、蘇我は、日本に帰化し、財務大臣となり、五経博士を百済から派遣し、アイヌ系新王朝の継体天皇(在位:507-531年)を補佐し、日本の近代化に汗を流したことを紹介しました。 今回は仏教導入について検討します。 まず、伝来時期ですが、Wikipedia記事によれば、はっきりした時事は不明ですが、百済と日本の関係の公式な年は538年または552年のようです。 一方、継体天皇(在位:...
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蘇我家の繁栄と滅亡 3.蘇我は文字を導入

蘇我家の繁栄と滅亡 3.蘇我は文字を導入蘇我の活躍については、日本書紀(720年成立)に詳しくありません。その背景には、日本書紀は万世一系の偉大な天皇家を主題にしており、蘇我は天皇を凌ぐ権力者だったこともあり主題に反していること、すでに百済は滅びており唐との外交関係から百済には関係したくなかったことがあると思われます。 しかし、蘇我は、アイヌ系新王朝に関し、その近代化に汗を流したことは確実...
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蘇我家の繁栄と滅亡 2.蘇我は継体王新政権の財務を担当

蘇我家の繁栄と滅亡 2.蘇我は継体王新政権の財務を担当 前回、蘇我は百済の文官で、日本に帰化したことを紹介しました。今回は、アイヌ系の継体天皇(在位:507-531年)という新政権の財務を担当したことについて、さらに詳しく検討します。 継体天皇時代の国統治の実態ははっきりしていませんが、地方それぞれに豪族が居て、継体天皇に国造という役職を与えられ地方の管理をするという、中央集権体制が行われていた...
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蘇我家の繁栄と滅亡 1.蘇我氏のルーツは百済

蘇我家の繁栄と滅亡 1.蘇我氏のルーツは百済 蘇我氏のルーツについては、百済由来説が出ておりますが、Wikipediaによれば、 この説は否定されています。 しかし、現天皇家のルーツはアイヌ系の継体天皇(在位:507-531年)であることが分かりました。継体天皇は、巨大古墳建造で民衆を苦しめたツングース系王家を滅ぼし、新たにアイヌ系王家を開始しました。そして、蘇我家は、その新政権で財務を担当した新豪族...
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