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日本人の縄文思想と稲作のルーツ

Categoryツングース系王家の繁栄と滅亡 1/3

終わりに 日本書紀はなぜツングース系王家を無視

終わりに 日本書紀はなぜツングース系王家を無視朝鮮半島由来ツングース系王家の繁栄と滅亡について9回に分けて報告しました。ヤマトに創られたツングース系王家は西日本に創られた最初の巨大な古代国家だったと思われます。 しかし、ツングース系王家については日本古代史では無視されています。最後に、このことについて検討します。 まず、日本古代史は、日本の正史と言われる日本書記を基本にしています。しかし、津田左右...

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ツングース系王家の繁栄と滅亡 9.王家の腐敗と滅亡

ツングース系王家の繁栄と滅亡 9.王家の腐敗と滅亡「権力は腐敗する」と言われますが、これはイギリス歴史家ジョン・アクトンの言葉です。 Wikipediaによればその説明は次のとおりです。 「権力は腐敗する傾向があり、絶対的な権力は絶対的に腐敗する」と言いました。 彼がこの言葉を選んだ理由は、人間が権力を持つと、その権力が彼らの性格を変え、彼らを腐敗させる可能性があるからです。 権力がある人々は、自分たちが支配...

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ツングース系王家の繁栄と滅亡 8.アイヌ系継体王の台頭

ツングース系王家の繁栄と滅亡 8.アイヌ系継体王の台頭弥生時代の後、古墳時代が来ました。このとき西日本の大半を支配したのが朝鮮半島由来のツングース系王家です。その巨大な王家が滅びるという大事件が、5世紀末期に起きました。その背景は、巨大古墳建造の強行というツングース系王家の残酷な政治に民衆の怒りが高まったことは間違いありません。 今回は、その滅亡と関連し、主役の継体王(在位:507-531年)の登場につい...

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ツングース系王家の繁栄と滅亡 7.北九州倭国の台頭

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ツングース系王家の繁栄と滅亡 7.北九州倭国の台頭前回、大阪(河内)のツングース系王家は200m以上を超える巨大古墳をいくつも建造し、5世紀前半に頂点に達し、この結果、民衆が疲弊したことを紹介しました。そして、それら古墳の建造は5世紀後半になると著しく低下しましたが、このことは民衆の怒りも頂点に達したことを意味します。 当然のことですが、それらの怒りは権力者への反抗に発展します。その結果、6世紀前半には...

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ツングース系王家の繁栄と滅亡 6.巨大古墳建造と民衆の疲弊

ツングース系王家の繁栄と滅亡 6.巨大古墳建造と民衆の疲弊 弥生時代の発展のなかで小国家が生まれ、出雲王国ができ、その王家がヤマト(奈良)に移動し、馬と船(構造船)を得て、北陸・中部から東九州の西日本一体に支配地が広がったことを検討してきました。 そして、その支配者は朝鮮半島由来のツングース系民族であり、その王家の象徴は前方後円墳であったことも検討しました。関連し、今回は、「巨大古墳建造と民衆...

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