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日本人の縄文思想と稲作のルーツ

Category北九州倭国の繁栄と滅亡 1/2

北九州倭国の繁栄と滅亡 おわりに

北九州倭国の繁栄と滅亡 おわりに前回、北九州倭国は唐・新羅軍に「白村江の戦い」(663年)で大敗し、倭国王だった「筑紫君薩野馬(つくしのきみさちやま)」も捕虜となり、滅びたことを紹介しました。 しかし、日本の正史と言われる日本書記にはそのことが記述されておりません。今回は、そのことについて検討し、「北九州倭国の繁栄と滅亡」の検討を終わります。 前回の記事をまとめますと、「白村江の戦い」は唐・新羅連合...

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北九州倭国の繁栄と滅亡 7. 倭国は白村江の戦いで滅んだ

北九州倭国の繁栄と滅亡 7. 倭国は白村江の戦いで滅んだ前回まで、北九州倭国は、マレー系稲作民族を中心に4世紀前半に創建され、倭の五王の時代の最後の倭王武時代(5C末)に最盛期を迎え、そして、磐井の乱(528年)のときも新ヤマト王家とも戦い滅びなかったことを検討してきました。 今回は、「北九州倭国の繁栄と滅亡」の最後になりますが 倭国は白村江の戦いで大敗し滅んだことについて検討します。 まず、北九州倭国は...

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北九州倭国の繁栄と滅亡 6. 継体王への協力と対立

北九州倭国の繁栄と滅亡 6. 継体王への協力と対立前回、北九州倭国の王だった倭王武は、継体王(在位:507-531年)を支援し、共同してツングース系王家を滅ぼしたこと、その後、百済に帰り、502年、百済の武寧王となり、かつ、継体王に大王就任祝いの鏡を贈ったことを紹介しました。 今回は、倭王武の後任となった磐井の君(君=王)とヤマトの王となったアイヌ系の継体王との関係について、有名な磐井の乱(527年)を中心に検...

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北九州倭国の繁栄と滅亡 5. 倭王「武」の実在と活躍

北九州倭国の繁栄と滅亡 5. 倭王「武」の実在と活躍「北九州倭国の繁栄と滅亡」についてまとめていますが、「北九州倭国の繁栄」の頂点は倭王「武」の時代だったと思われます。関連し、今回は、倭の五王の最後の王「武」について、偉大な王であったことについて検討します。 まず、前々回、倭王「武」は、北九州倭国と百済の連合のために北九州倭国に派遣された百済の王子であり、後の百済の武寧王(502年即位)で、502年に継体...

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北九州倭国の繁栄と滅亡 4. 倭国の都は太宰府

北九州倭国の繁栄と滅亡 4. 倭国の都は太宰府前回、北九州倭国と百済はマレー系民族の国であり、その出身地は中国南部の越国であり、関連し、仲間の多い南朝に朝貢し、支援を求めていたらことを検討しました。 今回は、倭の五王のいた北九州倭国の都は太宰府であったこと、それは、日本で初めての条里制に基付いた都であったこと、そこへ南朝仏教を導入したこと、さらには、中国南部から装飾古墳を導入したこと、を検討します。...

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