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毛人の国愚考(アイヌ系と日本人)

毛人の国7世紀(地図)

中国の「旧唐書」に、倭国に代って新しく朝貢を始めた大和政権の記述が有り、「その国の境界は東西南北とも数千里ある。西と南はそれぞれ大きな海が境界となり、東と北には大きな山があり境界となっている。その山の外側は毛人の国である」、と紹介されています。

この毛人の国はアイヌ系(蝦夷)の国であると推察されますが、今回は、その毛人の国の範囲について愚考します。

「旧唐書」は945年に完成したとあります。おそらく、遣隋使や遣唐使の情報も含めて、大和政権(7世紀頃)の日本国の情報が記されたのだと思われます。

そして、日本には3世紀頃朝貢してきた倭人の国があったが、新しく朝貢してきたのは倭国を統合した新しい政権の日本(大和政権)である、と中国側が理解している様子がうかがえます。こうした状況について、「唐の時代の正史では倭国と日本国とは別の国である~~大和朝廷の統一2」http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-8.htmlに詳しい解説があります。

そして、「旧唐書」から当時の日本人について推察しますと、九州にいた倭人は大和政権に統合され日本人と呼ばれるようになり、一方、それと別に大和政権の支配が及ばない毛人の国があった、と理解されます。

そして毛人の国ですが、関東地方に毛の国(群馬県当たり)があったことから推察しますと、「旧唐書」にある東の大きな山は、箱根あたりをさすと思われます。また、大和の北にある大きな山は、北アルプスと推察されます。

ということは、7世紀頃の大和政権は、東は東海地域、北は北陸の福井・石川当たりまでが支配地域であり、その他の地域は毛人の国であった、と推察されます。

最近のDNA研究(Y染色体ハプログループ分類)でNonakaら(2007)は、関東人の50%近い人が今でもアイヌ系であることを示しておりますが、当時はアイヌ系の比率はもっと高かったと推察されます。

関連し、「旧唐書」に基づいた奈良時代(7世紀)の様子を図解しますと、上図の感じになると思われます。

そして、8世紀(奈良時代)に入りますと、大和政権は奥州支配に本格的に乗り出し、毛人の国のほとんどが大和政権に入り、従わない毛人の国(蝦夷)の地域は少なくなり、越国(北陸)や関東(坂東)に関しては中央から国司が任命されるにいたりました。

関連し、9世紀の平安時代(京都政権)の様子を下の地図に示しました。

蝦夷アテルイが朝廷軍を破った巣伏の戦いが8世紀(789年)にありましたが、9世紀(平安時代)に入ると抵抗する蝦夷も少なくなり、大和政権の奥州支配が完了したと思われます。

しかし、関東で独立の動きをした平将門の乱(939年)、京政権から独立していた藤原3代の欧州支配(12世紀)などの動きを見ると、もと毛人の国は京都政権に完ぺきには支配されてはいなかったと思われます。

蝦夷の抵抗9世紀(地図)


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[ 2017/09/07 07:08 ] アイヌ系と日本人 | TB(-) | CM(2)

自然との共生思想を持ちこんだ人々(アイヌ系と日本人)

マダガスカルの森1

日本に森が多く残っていることについて、鎮守の森、水田と森の関係などからみて自然との共生思想がベースにあったことを指摘しました。今回は、自然との共生思想について、誰が持ち込んだのか整理してみました。

Y染色体ハプログループの解析から眺めますと、日本には、アイヌ系、マレー系、中国系、モンゴル系の人達が来たことが分かっています。

そこで、その自然との共生思想の民族ルーツですが、日本に最初に居住したアイヌ系の人達の影響が大きいのではないかと思います。

アイヌ系の人達の自然との共生思想は有名で、これが縄文時代から引き継がれてきたことは周知の事実です。また、この思想はアメリカ先住民族にも引き継がれていることを拙ブログで紹介したことがあります。

一方、マレー系の人達については、マダガスカルの例ですが、至る所に禿山(はげやま)を作ったことから自然との共生思想は弱いことを前回紹介しました。また、中国にも禿山が多いのは有名です。またモンゴルには森はほとんどありません。

これらのことから推察しますと、アイヌ系を除くそれらの民族は、現在では65%近くあり多数派ですが自然との共生思想を持っていない感じがします。しかし、日本へは、小人数で少しずつ来た関係から、先住民のアイヌ系の言葉と習慣になじみながら生活し、森を中心とした自然との共生思想になじんでいったため自然との共生思想を持つに至ったと推察されます。

なお、上と下の写真は、記事と関係ありませんが、マダガスカルの森の様子です。マダガスカルに禿山が多いことを指摘しましたが、森も少し残されています。残された森の多くは国立公園として野生動物保護区に指定されています。

マダガスカルの森2

また、下の写真は、その森で作られた柑橘類などのジュース等加工品の売り場です。とても人気のある自然食品の売り場でした。

マダガスカルの森3売り場


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[ 2017/08/14 06:52 ] アイヌ系と日本人 | TB(-) | CM(0)

アイヌは何故、日本を目指したのか(アイヌ系と日本人)

アイヌ系のスンダランドから日本への道

アイヌ系民族がアフリカを出たあと、南国のスンダランドに着いたことを前回紹介しました。しかし、そのスンダランド留まらず、なぜ日本をめざしたのかについて今回は愚考します。

このスンダランドの末裔と思われる現在のインドネシア等周辺の人達のY染色体ハプログループはマレー系(O1b)が主で、アイヌ系(D)はほとんどいません。

一方、スマトラにD型が少し認められることから判断しますと、アイヌ系は、アフリカを出た後(13万年前頃)、スンダランドというよりも、スマトラなどスンダランド西端に到着し居住したと思われます。

そして、ベトナムにもD型が少し認められることから判断しますと、スマトラからベトナムに居住地を拡大したと推察されます。

そこで、私の愚推ですが、その後、日本という緑豊かで食糧豊富な場所があるという情報を知り、日本に向かったと思われます。

1000年単位で考えますと、ベトナムと日本の間は遠くありません。例えば、ベトナム、中国南部(海南島)、台湾、日本(石垣島)のコースを考えますと、石垣島辺りは、台湾のすぐ傍です(上の図参照)。

まして、当時は氷河時代で海面が低かったことから推察しますと、陸の面積は多く、島と島の間は今より狭く、島から島への移動はより簡単であったと推察されます。

アイヌ系は、アフリカを出るとき、アフリカとアラビア半島の間にある紅海を最初に渡った民族と言われます。このことからも、海の航海のできる民族であったと推察されます。

アイヌ系Dグループ人達が今も沖縄に認められますが、その人達は、最初に日本に来た人達の末裔と思われます。そして、その人達の仲間は、新たな情報をもとにさらに北を目指し、黒潮に乗り太平洋側を移動し日本中に広がったものと思われます。

それらの関係文献と図を下に表示しました。

アイヌ系の割合の表(東アジア)
アイヌ系の割合(東アジア)


関連し、下のマンガ絵でくつろいでいただければ(笑)。


スンダランド、マンガ絵


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[ 2017/04/17 08:20 ] アイヌ系と日本人 | TB(-) | CM(0)

アイヌ系民族のルーツはアフリカ(アイヌ系と日本人)

ハプログループ簡略系譜(日本人関係)

Y染色体ハプログループ解析(Hamer 2005)から、日本人はアイヌ系が35%と最多であることを紹介しました。関連し、今回は、アイヌ系のルーツはアフリカであることについて愚考します。

現在の人類は、20万年前に、アフリカのケニアのツルカーナ湖の大地溝帯と呼ばれるところで原人から進化したと推定されています。

そして、その「Y染色体ハプログループの系譜」ですが、そのウエブ情報によれば、最初に発生したハプログループはA型です。

そして、次いでA型の祖先型(Adamo Y染色体)からB型、C型(モンゴル系)、D型(アイヌ系)がアフリカで生まれたようです。その他の型は、アフリカ以外の地域で、A型の祖先型がさらに変化し生まれたようです。これらの関係を上の図に示しました。

そして、A型とB型はアフリカに残り、C型とD型は、最初にアフリカを出たグループと言われています。この時期は10万年前頃と推察されていますが、日本に12万年前の人類遺跡があることから推察しますと、アフリカを出た時期は、もっと早い15万年前頃になることも考えられます。

そして、C型のモンゴル系は、ツルカーナ湖を出たあと北上し、中央アジアに到着し、その後、東側のモンゴル平原方面に向かいモンゴル民族のルーツになったと予想されます。

一方、D型のアイヌ系は、ツルカーナ湖を出たあと、東に向かい、アラビア半島南端を通り、東南アジアのスンダランドに着いたと推定されています。

スンダランドというのは、海面の低かった氷河時代にスマトラ~ボルネオ辺りに出現した大陸です。当時は氷河期ですが、スンダランドは、温かく、適度な雨があり、植物が茂り、人類が住むには最適の場所の一つだったようです。

なお、関連し、下の地図は、アイヌ系民族が日本にきた経路です。

アイヌ系民族の日本への道


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[ 2017/04/15 07:32 ] アイヌ系と日本人 | TB(-) | CM(0)

日本人のDNAとアイヌ系(アイヌ系と日本人)

ハプロタイプ日本人のY染色体

最初に紹介しましたが、日本語のルーツを調べますと、それはアイヌ語がベースになっていることが明らかです。琉球諸語がありますが、これもアイヌ語が変化し発展したことが分かっています。

一般に、最初に住み着いた民族の言語がその地の言語になりますので、その意味で、最初の日本人はアイヌ系民族で、その民族は沖縄から北海道まで住み着いたと結論されます。

一方、最近のDNA解析はたいへん参考になります。なかでもY染色体ハプログループ解析は、日本人のDNAのルーツがアイヌ系を主とするものであることを明らかにしました。

なお、Y染色体ハプログループ解析というのは、初めての人のために簡単に紹介しますと次のような感じです。

男性か女性を決める染色体にXとYがあります。XYが男性、XXが女性になるわけですが、Y染色体は男性にだけあり、父親から男の子供に引き継がれることになりますので、そのY染色体をたどると父親のルーツが分かることになります。また、このY染色体は、多数のDNAからできておりますのでそのDNAの配列から種類を細かく分類でき、人類のDNAを分類するのに最適と言われております。たとえば、Y染色体ハプログループがD型ですと、それはアイヌに多い型ですので、その人の男親のルーツはアイヌ系となります。

そこで、現在の日本人のY染色体ハプログループを見ますと、Hamer (2005)の報告では、上の図のとおりです。すなわち、アイヌ系(D)が35%、マレー系(O1b)が32%、中国系(O2)が20%、モンゴル系(C)が9%、その他が4%です。

この結果から、日本人のベースはアイヌ系であることがわかります。そして、当然のことですが、サンプルの取り方で内容が変わることになりますので、拙ブログは小数点を入れた細かい数値ではなく整数で表示していきます。

サンプルの取り方で内容が変わる例ですが、たとえば、Nonaka(2007)の報告では、このアイヌ系の割合は、関東で48%、関西で27%と地域によって違いのあることを紹介しております。

  
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[ 2017/04/11 14:23 ] アイヌ系と日本人 | TB(-) | CM(2)
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日本人の縄文思想と稲作のルーツ
日本人のDNAと縄文思想と稲作のルーツについて海外経験と最新情報を元にユーモアをまじえて迫ります

レインボー

Author:レインボー

私は稲仕事の関係からいくつかのアフリカとアジアの国々で暮らし、日本人のルーツはアフリカまで辿れること、その思想は自然との共生思想(縄文思想)であること、稲はマレー系の人々が持ち込んだことを実感しました。その経験をベースに、日本人のDNAと稲作のルーツに迫ります。なお、ペンネームは、「虹を見る歴史思考」という拙ブログの手法と関連し「レインボー」とします。どうぞよろしく。
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