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マダガスカルの丸顔のルーツ(南方系と日本人)

マダガスカル丸顔のルーツ

拙ブログでは、マダガスカルには丸顔が多いことを紹介してきました。関連し、今回は、そのマダガスカルの丸顔のルーツについて愚考します(笑)。

マダガスカルの丸顔のルーツについて上図に示しました。丸顔のルーツは、マレー系が主と思われますが、アフリカ系、中国系にも丸顔は認められます。一方、マダガスカルには、以上の3民族のほか、アラビア系、インド系、ヨーロッパ系の人々が居ますが、これらの人々の顔立ちはヨーロッパ系で、丸顔はわずかです。

今回は、マダガスカルで最も多いマレー系について愚考します。

下の写真は、マレー系の丸顔の少女です。

マダガスカルマレー系の丸顔少女2

1マダガスカルマレー系の丸顔少女

下の写真は母親と子供です。笑顔がすてきです。

マダガスカルマレー系の丸顔親子

マダガスカルでは、以上の写真のような可愛い丸顔がいたるところで見ることができます。次回は中国系の丸顔に迫ります(笑)。

なお、下のマンガ絵で笑っていただければ。

丸顔ギョッ(マンガ絵)


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[ 2017/07/15 08:03 ] 南方系と日本人 | TB(-) | CM(0)

ハワイ人のルーツと日本人(南方系と日本人)

ハワイ人のルーツ(地図)

ブログ仲間が、ハワイの言葉は美しく、癒しの効果があることを紹介していました。これに刺激され、今回は、ハワイ人のルーツと日本人について愚考します。

最近のY染色体ハプログループ分類によりますと、ハワイ人のルーツはフイリピン系(O1a)に属し、言葉も現フイリピン語のタガログやイロカノ語に近いようです。そして、そのフイリピン系の人々がハワイに移り住んだのは5世紀頃と言われております。

日本に人類遺跡が10万年前から確認されていることと比較しますと、ハワイに人が5世紀頃住み始めたというのは最近のことになります。それだけ、ハワイは遠いところにあり、アウトリガー船の発明によって移住が可能になったと推察されます。

そして、ハワイ先住民族の宗教ですが、自然の多くのものに神が宿っているという日本人と同じ宗教を持っていると言われます。さらに、ハワイ先住民族の言葉は意味が深く神が宿っているとも言われています。

フイリピン系のDNAは、台湾の先住民族に多く、そして、日本では沖縄方面に多く認められますが、台湾や沖縄の人たちの優しい雰囲気は、ハワイ人に似たものがあるということでしょうか。

関連し、世界自然遺産に登録されている屋久島を訪問したときのことですが、案内の人が、「江戸時代、将軍様に献上する大きな屋久杉を切るときは、屋久杉の神様の許しを得てから切っていた」と言っていました。

大きな屋久杉には神が宿っているという感情なのだと思いますが、このような感情がハワイにもあるということでしょうか。そして、美しいハワイの自然から導き出される言葉は、優しさに満ちていて、日本人にも癒しの言葉となって響いてくるのでしょうか。

関連し、ハワイ人のルーツについて、上の地図に示しました。

また、下の写真はマダガスカルで有名なバオバブの大木ですが、日本人の大木に対する思いをマダガスカル人に聞いたところ、マダガスカル人にはその様な思いは無いということでした。

マダガスカルの大木バオバブ


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[ 2017/07/13 08:44 ] 南方系と日本人 | TB(-) | CM(2)

アフリカのバナナ革命とマレー系民族(南方系と日本人)

マダガスカルのバナナ切手

バナナは、アジア原産で、アフリカのバナナはアジアから導入されたと言われております。今回は、アフリカのバナナのルーツについて、日本人のルーツでもありますマレー系民族とのかかわりで愚考します。

マレー系の人々が、アフリカ東海岸に移住し、その後、マダガスカルに移住したことを以前に紹介しました。そして、彼らは、その移住経過のなかで、アフリカに東南アジア原産のバナナを持ち込んだと思われます。

その理由として、現在の食用バナナのルーツはマレーシアであること、アフリカのバナナは1世紀頃からあると言われておりますが、マレー系のアフリカ移住とバナナ栽培開始時期がほぼ同じ時期であったことが考えられます。

関連し、上の写真は、マダガスカルのバナナ切手です。また下の写真は、マダガスカルのバナナの木と日本では見ない緑の皮のバナナです。

マダガスカルの水田側のバナナの木

マダガスカルの緑のバナナ

一方、アフリカでは、特に、赤道直下の熱帯雨林地帯でバナナは重要作物です。バナナ導入以前、熱帯雨林のコンゴの森には食べ物がなく人類は住んで居なかったと言われますが、これを変えたのがバナナです。

バナナは熱帯の湿地に適した作物ですので、この作物のおかげで熱帯雨林でも生活できるようになりました。アフリカでは、これをバナナ革命と言うようです(笑)。

日本に来たマレー系民族を古代の海洋系民族と紹介したことがありますが、アフリカのバナナ導入とも関係しているとなると、世界的海洋民族と言えます。

最後に、下のマンガ絵で笑っていただければ幸いです。


マダガスカルのバナナ切手とマンガ絵


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[ 2017/06/23 10:16 ] 南方系と日本人 | TB(-) | CM(2)

倭人のルーツと日本人起源2系統論の整理(南方系と日本人)

中国周辺の倭人の分布


「弥生時代には、2系統の民族が日本に移住してきたこと」が、知られております。その2系統とは、小柄な南方系(倭人)と長身の北方系(ツングース系)のことです。

今まで北方系のツングースはモンゴル系と中国系の混血であることを紹介してきましたが、人骨遺跡調査によりますと、彼らは長身の者が多く、小柄な南方系との違いが分かるようです。

関連し、今回は、小柄な南方系(倭人)のルーツについて愚考します。

倭人については、中国の古書に現れる日本人の言い方です。有名な魏志倭人伝にも登場します。倭人とは、小さい人の意味で、日本人の蔑称とも言われております。そして、倭人は、日本(九州)だけでなく、台湾、沖縄などにも住んで居たと中国の古書では記されています。

関連し、私は、マレーシアとフイリピンに居住したことがありますが、その国の人たちには小柄な人たちが多い感じがしました。おそらく、倭人というのは、その人たちを言うのであろうと思います。

関連し拙ブログでは、マレー系(O1b)の人々が、1万年前頃から、その航海術を使い、中国南部から朝鮮半島や日本に移住し、さらには江南地方から稲(陸稲)を日本に導入したと推察しています。

また、台湾の先住民族の多くはフイリピン系(O1a)で、彼らが沖縄まで移住していたことも分かっています。

そこで、まとめますと、倭人の主体は、日本(北九州)と朝鮮半島南部ではマレー系、台湾と沖縄ではフイリピン系であったと判断されます。これらの関係を上の地図(推定)に示しました。

そして、弥生時代に長身の北方系(ツングース系)と小柄な倭人(マレー系)の2系統の民族が日本にきた、という報告は、拙ブログの主張とほぼ一致していると思われます。

なお拙ブログでは、南方系倭人(マレー系)の初期到来は1万年前頃までさかのぼる方が、その後の縄文時代の海洋文化や稲栽培開始時期を説明する上で分りやすいと判断しております。

関連し、最近のウエブ情報では、青松光晴氏が「日本人は、どこからやってきたのか?(21) ~ 「倭人」は東アジアの交易を担っていた!?」 で、「倭人」が周王朝(紀元前1046年頃~紀元前256年)に「暢草」(ちょうそう=ウコン)を朝貢したことと関連し、以下の記事を発表しております。この内容も、拙ブログの主張とほぼ一致していると思われます。

前に、「倭人」について、弥生時代に日本列島にやってきた「渡来系弥生人」と定義しました。「縄文人」と区別するために便宜上、そのように定義したわけですが、もう少し広くとらえて、”「倭人」とは、中国南部から揚子江下流域、台湾、琉球諸島にかけて住んでいた「海洋民族」の総称である。”としてもいいかもしれません。

そしてもしかすると、「倭人」は、当時の日本列島にも九州をはじめとした地域に住んでいたかもしれません。何せ、当時の日本の人々は、海洋民族が多かったわけですから・・・。

となると、”「倭人」の住んでいた領域は、私たちの考えるよりはるかに広大なエリアであった”ということになります。その「倭人」が、中国をはじめとした東アジア圏の海洋交易を担っていた可能性があります。なんとも壮大な話になりますね。(引用終了)



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[ 2017/05/10 20:48 ] 南方系と日本人 | TB(-) | CM(2)

マレー系の人たちは安全な経路でマダガスカルへ(南方系と日本人)

マダガスカルへのマレー系の移住地図

前回、マレー系の人たちが、アウトリガーを使い、東南アジアからマダガスカルに移住したことを紹介しました。今回は、その移住経路について愚考します。

まず、その移動は、命がけの航海でなかったことが最近のマダガスカルやアフリカ大陸東海岸の古代遺跡研究から分かってきました。

その移住経路ですが、その居住跡などの遺跡調査から、マレー半島から、セイロン、アラビア半島南端を経て、アフリカ大陸の東海岸に到着しました。そして、そこに居住していたことが分かりました。

マダガスカルへには、その後、しばらくしてから来たと推察されています。このことは、アフリカが移住目的地であったが、マダガスカルが発見された後はそれが目的地になったと推察されます。

マダガスカルへは、4グループが北側、南側、西側から別々に入ってきたと言われています。しかし、これらのグループは習慣に違いはあるが言葉が同じだったことが分かっていて、その言葉のルーツはボルネオと言われています。

このことは、ボルネオ由来の一つマレー系民族が東アフリカのいくつかの地域に住み着き、そこで地域による生活習慣に違いが出たが、マダガスカルで、また出会うことになった、と予想されます。

いずれにせよ、マレー系民族が船を使い遠くまで移動することに慣れている海洋系の民族であったことを示すものと思われます。
以上、見てきましたように、マレー系の民族は、日本からマダガスカルまで広がりました。これらのことから、古代においては世界最大の海洋系の民族であったと推察されています。

なお、関連し、上の図が、マレー系民族のマダガスカル移住の経過です。初めに第一グループが、雨が多く緑豊かな北東海岸に移住し、その後、熱帯地域にありながらも涼しく住みやすい高地を目指しました。これが主要部族メリナ族の由来と言われております。

一方、その他グループは遅れて移住してきたため、高地に広がることができなかったようです。


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[ 2017/04/28 22:34 ] 南方系と日本人 | TB(-) | CM(0)
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日本人の縄文思想と稲作のルーツ
日本人のDNAと縄文思想と稲作のルーツについて海外経験と最新情報を元にユーモアをまじえて迫ります

レインボー

Author:レインボー

私は稲仕事の関係からいくつかのアフリカとアジアの国々で暮らし、日本人のルーツはアフリカまで辿れること、その思想は自然との共生思想(縄文思想)であること、稲はマレー系の人々が持ち込んだことを実感しました。その経験をベースに、日本人のDNAと稲作のルーツに迫ります。なお、ペンネームは、「虹を見る歴史思考」という拙ブログの手法と関連し「レインボー」とします。どうぞよろしく。
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