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女性シャーマンのルーツ(北方系と日本人)

マダガスカルの古代の女性像

日本語はアイヌ系、韓国語はツングース系(モンゴル系)であり、日本と韓国は言語や文化のルーツが異なることを拙ブログでは紹介しておりますが、非常に似た宗教観があることが分かりました。

それは女性シャーマン(女性祈祷師)ですが、今回は、この韓国と日本の女性シャーマンのルーツについて愚考します。

「韓国文化のシャーマニズムパワー」 http://www.toyo-keizai.co.jp/news/essay/2009/post_3697.php  )という韓国人の記事があり、「心配事があると母が女性祈祷師のところに頻繁に相談に行っていたこと」が紹介されていました。

一方、日本人の私の母の場合ですが、同じように「神様」(女性祈祷師)のところに、心配事があると頻繁に相談に行っていたことがあり、まったく同じことが紹介されていました。私の母によると、占い(予測やお祓い)はよく当たり信頼できる神様だったようです。

母が相談に行っていた神様に私も会ったことがあります。50年前のことですが、その神様は、色白で目が細く吊り上っていて、キツネ顔の容貌で、今思うと、ツングース系の神がかった容貌でした。

素人ながらシャーマンについて考えますと、アイヌにもシャーマンは居ますが、ほとんどが男性です。その影響なのか、日本のシャーマン(神主)の大半は男です。

また、世界を眺めますと、女性シャーマンはいろいろと知られておりますが、ヨーロッパの魔女の場合、魔術を使うとか言われ、社会から認められておりません。また、アフリカにもシャーマンがいますが、ほとんどは男性です。それらの人々は、地域の人から信頼されている韓国と日本の女性シャーマンとは違う感じがします。

そこで、日本の女性シャーマンのルーツについて推察しますと、ツングース系の韓国では古くからの土着宗教として女性シャーマンが知られております。拙ブログでは多数のツングース系の人達が日本へ移住してきたことを紹介しておりますが、その移住過程で、そのツングース系の女性シャーマン信仰が日本にもたらされ日本に広がったのではないかと思います。

また、拙ブログでは、ツングース系民族はモンゴル系と中国系の混血であることを指摘していますが、モンゴルにも多数の女性シャーマンが居ることが知られております。ということは、韓国の女性シャーマンのルーツはモンゴルにある可能性があります。

以上、日本と韓国の女性シャーマンの類似性とルーツ愚考でした。

なお、上と下の写真は、記事と関係ありませんが、マダガスカルの昔の人の女性像やお墓の様子です。

マダガスカルの古代の女性像ふんどし着

マダガスカルの古代のお墓


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[ 2017/09/09 06:58 ] 北方系と日本人 | TB(-) | CM(0)

モンゴル的非情と日本史(北方系と日本人)

ミャンマー古都パガンとモンゴル軍

9月となり秋めいてまいりました。また、拙ブログは4月に始まりましたので6か月目に入りました。2日に1回のペースで記事をアップしてきましたが、準備しておいたネタも切れる頃となってきました(笑)。

さて、最近のDNA研究(Y染色体ハプログループ分類)で、日本人には約10%のモンゴル系のDNAが混じっていることを以前に紹介しました。そして、そのモンゴルですが、世界史を眺めますと、モンゴル軍ほど非情で怖い軍隊は無かったと言われます。

従わなければ、町の女、子供、生き物、すべて焼き殺す、と非情な戦術をとったと言われます。モンゴル軍が鎌倉時代に日本を侵略したとき、捕虜になった壱岐・対馬の住民は、手の平に穴を空けられ縄でつながれたと言われます。

その、モンゴル人の非情ですが、最近では、相撲の世界にも見ることができます。モンゴル人横綱に朝青龍という力士が居ましたが、相手が負けているのに土俵の外に突き出すという行為、その非情は際立っていたような気がします。

前置きが長くなりましたが、今回は、モンゴル軍の非情と関連し、日本史に影響した非情について愚考します。

非情な事件として日本の歴史では、信長の比叡山焼き討ちは有名ですが、さらには、源頼朝の義経虐殺、大阪城陥落時の家康軍の大阪城内居住民虐殺なども知られております。

いずれも、時の政権や時代の流れに逆らうもの、頼朝時代の義経(奥州藤原)、信長時代の比叡山僧侶、家康時代の大阪城の秀吉軍、これらに対する非情な対応と思われます。この非情を見て、民衆は時代が変わって行くときである雰囲気を察知したように感じられます。そして、そうした状況を背景に、頼朝の武家政権樹立、信長の天下統一、家康の平和な江戸幕府樹立が水の流れのように進んだように思われます。

これらが、モンゴル軍の戦うときの非情と同じかどうかわかりませんが、日本人に非情をもった同様な血が流れており、それが新たな歴史を作るときに発現してきたのではないかと思われます。

日本人は、全体として優しい民族と言われますが、時として信長のような非情な感情が出てリーダーシップを発揮することもあります。そして、その性質は日本人すべての中に密かに流れており、歴史の変わり目に、歴史的必然のように発揮されてきたのではないかと思います。

以上、簡単ですが、日本人に潜む非情と歴史愚考でした(笑)。

なお、関連し、私ことですが、ミャンマーの古都パガンでモンゴル軍の非情を経験しました。その場所は上の地図のとおりですが、歴史書によれば、1287年、モンゴル軍はビルマのパガン朝を攻め、首都パガンとその領土のほとんどを一時的に占領した、とあります。

そして、下の写真は、私がパガンを訪問したときに10ドル(1000円)で買った古都パガン遺跡の水彩画です。

パガンは無数のパゴダ(仏塔)が立ち並ぶ有名な遺跡ですが、モンゴル軍(元軍)の攻撃前に住民すべてが命からがら逃げたようです。このため、作成中の仏像が未完成のまま残されていました。その仏像の前で、そのような仏像作成は今までに無かったことという解説を聞き、そのモンゴル軍の恐ろしさや非情さを知りました。

ミャンマー古都パガン風景(水彩画)


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[ 2017/09/01 07:09 ] 北方系と日本人 | TB(-) | CM(0)

色白高身長、秋田美人のルーツ愚考(北方系と日本人)

秋田美人のルーツ地図

お盆が過ぎ、秋が近づいてきたこの頃です。そして、秋は女性が美しくなる時期でもあります。その美人と関連し、今回は、素人ながら、秋田美人のルーツについて迫ります(笑)。

おそらく、秋田美人という言葉は古い話のことで、今、秋田に行ってすぐ会えるわけではありません。事実、私は、秋田県中央部の大仙市(もと大曲市)に足掛け6年間住んだことがありますが、取りたてて美人が多いとは感じたことはありませんでした(笑)。

私個人の勝手な興味では、丸顔系で二重瞼の女性が可愛らしく美人に見えますが、秋田では、この傾向は弱かった感じがします。

そこで熟考しますと、昔は、「色白美人七難隠す」、あるいは、「美人は皮1枚のいたずら」と言われたように、色白が美人の重要な要素でした。この観点から秋田の女性を見ますと、色白で肌がきれいな人は多かった感じがします。そして、日本に来た民族は南方系と北方系に分けられますが、この色白美人のルーツは北方系(ツングース系=モンゴル系と中国系の混血)に辿り着きます。

一方、身長を見ますと、秋田では背の高い女性や男性が多い感じがしました。一般に、低身長は南方系、高身長は北方系と言われますが、この高身長というのは北方系の特徴です。

例えば、バレーボールのアジア国際試合を見ましても、北方系の韓国には高身長が揃っており、これだけでも日本側は負けそうです(笑)。また、ゴールドフィンガーという映画では、とんでもない高身長のアジア系の男性が出てきて、主役の007が負けそうになる場面が出てきますが、この男性は韓国人だということです。

まとめますと、縄文時代後半、寒冷化による食料不足と関連し、色白高身長型の北方系ツングース系民族が日本に多数流れ込んできました。北九州には既にマレー系の人たちが居住しており、ツングース系の人達の多くは日本海を北上し日本海側全体に広がりました。

そして、秋田より以北には縄文人が多く住んでおり、ツングース系の人たちの多くは秋田に留まりました。一方、住んでみると、秋田は良いところで、多くのツングース系の人達が住むようになりました。さらには、冬の雪は肌に優しく、美しい肌を作りました。これらが、色白高身長、秋田美人のルーツと思われます。伝説の小野小町もその一人と思われます(笑)。

関連し、日本海地帯では、北から秋田美人、庄内美人、新潟美人、富山美人、金沢美人、福井美人、出雲美人が知られており、これらの点をつなぐと日本海美人地帯になります(笑)。すなわち、これらのルーツも日本海を北上したツングース系にルーツがあり、秋田美人と由来は同じと考えることができます。

なお、上に秋田美人のルーツ(地図)を示しました。

また、このような北方系(ツングース系)民族のルーツに興味のある方は、拙ブログ左側にあります検索欄に「ツングース」と入れクリックしますと、今までの関連記事を見ることができます。

一方、下の写真は記事と関係ありませんが、我が無農薬菜園で咲いているクフエアです。この花は冬になると刈り取られホウキに変わります(笑)。

クフエア8月菜園


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[ 2017/08/26 07:18 ] 北方系と日本人 | TB(-) | CM(2)

中国人と日本人の容貌の見分け方(北方系と日本人)

マダガスカル華僑お父さん

マダガスカルの中国人について2日前に紹介しましたが、マダガスカルに居ると、私たち日本人は、中国人(シノワ)とよく混同されます。日本人(ジャポネ)が中国人に似ているためでしょうか。

しかし、私は、日本人と中国人の容貌の違いを知っています。今回は、この容貌の違いについて愚考します。

マレーシアに居たときのことですが、マレーシア中国人から、「あなたの友だちが後ろに居るよ」と言われ、振り返ると本当に日本人でした(笑)。

どうして区別できるのか聞くと、日本人と中国人との違いは「ひげの濃さ」のようです。

確かに、この観点から見ると、違いははっきりしています。そして、この関係はマダガスカルのなかでも同じようでした。アジア人風でひげの薄い男を見たら中国人です。そして、中国料理を食べているせいか、やや太めが多い感じがします(笑)。

上の写真は、先日紹介のマダガスカル田舎食堂のお父さんですが、明らかに中国系です。このように田舎の町にも中国系の人達がいますが、主として食堂を経営している人達です。

混血が進み、色黒になっていますが、そうした容貌は変わりません。華僑は、現地の人と混血したたくましく生きてきた人達と東南アジアで評価されていますが、マダガスカルでも同じと思ったしだいです。

一方、中国の最近のアフリカ進出の関係から、本国からの中国人も増えていますが、こちらの方は新世代と言われる世代です。上の基準で見れば、彼らもすぐ中国人と分かります。

なお、私たちは中国料理が好きですので、至るところにある中国料理店には助かっております(笑)。関連し、下の写真は田舎の食堂で撮ったものですが、この婦人は明らかに中国系ではないでしょうか。顔が大きく北方系の特徴、マレー系にはない容貌です。

マダガスカル華僑お母さん


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[ 2017/07/19 08:02 ] 北方系と日本人 | TB(-) | CM(4)

マダガスカル華僑と丸顔(北方系と日本人)

マダガスカル華僑の母と嫁

先日(2日前)、マダガスカルの丸顔のルーツにマレー系、アフリカ系、中国系があることを紹介しました。今回は、中国系(華僑)の丸顔について愚考します。

上の写真は、ある田舎の食堂(Hotely)の様子です。丸顔のおばあちゃんと嫁が映っています。

下の写真にはその嫁の娘(孫娘)が映っていますが、たいへん可愛らしい少女でした。3人とも中国系の顔立ちですが、おばあちゃんだけが丸顔という感じです。

マダガスカル華僑の少女

下の写真は同じく田舎の食堂の様子で、母と娘が映っています。中国系の顔立ちですが、こちらの方は二人ともやや丸顔です。

マダガスカル華僑丸顔の親子

これらのように、田舎でも、中国系の顔立ちの食堂経営者が多く見られます。

その歴史を振り返りますと、中国人がマダガスカルへ移住してきたのは100年前の1900年ごろのフランス統治時代です。最初は鉄道建設などの労働者(クーリー)として2000人が雇われ、その建設は難攻を極め100人以上が亡くなるという痛ましい事故も発生しました。そして、そうした困難の後、彼らはマダガスカル人と混血し、その社会に溶け込んでいきました。

中国人にとって1900年頃というのは日清戦争や義和団事件のあった激動の時代で、この時期に新たな活路を見つけようとして出てきたものと思われます。さらに、同様に、文化大革命時に移動してきた人たちもいます。さらには最近の中国のアフリカ進出と関連し入ってきた人たちもいます。

彼らは、その商いとか料理とか得意な分野を生かし、マダガスカル社会全体に溶け込みました。マダガスカルには、それら中国系の人が現在は100万人居ると言われておりますが、日本的な丸顔は少ない感じがします。


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[ 2017/07/17 08:28 ] 北方系と日本人 | TB(-) | CM(0)
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日本人の縄文思想と稲作のルーツ
日本人のDNAと縄文思想と稲作のルーツについて海外経験と最新情報を元にユーモアをまじえて迫ります

レインボー

Author:レインボー

私は稲仕事の関係からいくつかのアフリカとアジアの国々で暮らし、日本人のルーツはアフリカまで辿れること、その思想は自然との共生思想(縄文思想)であること、稲はマレー系の人々が持ち込んだことを実感しました。その経験をベースに、日本人のDNAと稲作のルーツに迫ります。なお、ペンネームは、「虹を見る歴史思考」という拙ブログの手法と関連し「レインボー」とします。どうぞよろしく。
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