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日本人の縄文思想と稲作のルーツ

日本人は、アイヌ系35%、マレー系30%、半島由来ツングース系25%、その他10%の混合混血民族です。DNA分類の結果、ヤマトにはツングース系王家が創られ、その後、アイヌ系の現天皇家に滅ぼされたと推察されます。万世一系を主題にした日本書紀は創作になります。関連し、今回は邪馬台国の真相に迫っています。
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縄文思想は何故残ったのか愚考


日本人の縄文思想の確立経過


縄文思想は何故残ったのか愚考(縄文思想と日本人)

前回、日本語のルーツはアイヌ語であること、それは現天皇家初代の継体王(在位:507-531年)がアイヌ系でありアイヌ語を使ったことにあることを検討しました。

一方、日本人には独特の宗教や思考様式があることが知られております。例えば、自然のあらゆる物に神を感じる思想、自然との共生思想などがそれに当たります。神社信仰もこの流れにあると言われます。

そして、これらの精神文化は1万年以上も続いていた縄文時代に育まれたものであることが一般に指摘されています。拙ブログでは、これを縄文思想として検討してきたところです。

しかし、日本の古代史では、採集経済の縄文時代の後に、鉄器と稲作をベースにした弥生時代が到来しました。弥生時代は、高生産性の稲作農業が中心にあり、現日本のベースを作ったと言われます。

その弥生時代集落の人骨分析から、弥生人は朝鮮半島由来の長身のツングース系民族が主体だったと言われ、縄文人は農耕に不適地の北と南の地に追い払われたとも過去には言われました。

現在では、縄文人は弥生人を受け入れ、縄文人はもともとの中山間地に住み、弥生人は農耕に適した平地に住み、平和裏に融合が進んだと言われております。しかし、弥生人が権力者であったことに変わりありません。

その権力者の象徴的遺物は、奈良と大阪に建造された巨大な古墳であり、それら建造物のルーツは朝鮮半島にあることは言うまでもありません。詳しくは「前方後円墳のルーツはツングース系の方墳」を参照願います。

そこで、現在の日本人の思考様式について検討しますと、日本人に弥生人の影響は感じられません。そして、縄文時代の思考様式だけが残っており、何故そうなったのか疑問が出てきます。

前置きが長くなりましたが、今回は、ツングース系民族が支配した激動の弥生時代と古墳時代を経た後でも「日本人の縄文思想はなぜ残ったのか」について愚考します。

結論から先に言いますと、アイヌ系の継体王(在位:507-531年)がツングース系王家を滅ぼし支配者になったため、もともとのアイヌ系の縄文思想や思考様式が主流になったことと思われます。

まず、弥生時代ですが、朝鮮半島からツングース系民族(弥生人)が移入してきました。最初、縄文人の少なかった中国地方や近畿の低地に入り、持参した鉄器で農耕を行い、食料が増え人口が増えました。そして、そうした生産力を背景に王家が生まれ、巨大古墳建造が始められました。巨大古墳建造には多数の人員が必要であり、中山間地に居た縄文系の人々が多数動員されたと推察されます。

古墳時代になると、縄文系の人々も鉄器を入手し農耕をしていたと思われますが、農耕開始が遅かった問題があります。すなわち、水田稲作適地の平野部は弥生時代からのツングース系の人々に占有され、残された場所はもとから住んでいた中山間地であり、生産性は低く、厳しい時代が続いていたと思われます。

なお、中山間地の水田稲作問題については「山間地水田の漏水問題と平野部への展開」を参照願います。

以上のことから、縄文系の人々は弥生系の人々とは住む場所が異なっていましたが、集落をまとめる族長は居て、ツングース系の人々と交易し、古墳建造にも協力もしていたと推察されます。

そこで、アイヌ系の英雄「継体王」の登場経過について愚考しますと、次のようなことが考えられます。

まず、彼は福井のアイヌ系の出身者であり、次第に支持者が増え、縄文系をまとめる強力な族長になりました。そして、他地域のアイヌ系や縄文時代から居たマレー系の仲間と族長連合し、古墳建造等で民衆の怒りが頂点に達したのを見てツングース系王家を滅ぼしました。

その結果、支配の本拠地だったツングース系の王宮は焼き払われ、古墳を除き、ツングース系のものは低地水田を含め、すべて縄文系の人々に奪われたと思われます。ツングース系王家については、その存在すらも否定されるに至ったと思われます。

一方、それらを略奪した者は、継体王を含めアイヌ系の豪族が主体と思われますが、彼らは略奪者であり、その行為は恥ずべきものであった。このため、これらの事件について、後の日本書紀、古事記、風土記等の書物に残せなかったのが真相と思われます。

また、何故古墳だけが残ったのかですが、それらはアイヌ系の人々にとって価値のないもの、労力をかけて壊す価値のないものだったためと思われます。

そこで、本題の縄文思想がなぜ残ったのかですが、古墳時代も縄文思想は縄文人(アイヌ系)集落に残っており、アイヌ系の継体王が大王になると、それが中心思想になったと思われます。

関連し、儒教や、仏教の教えが入っている聖徳太子作成と言われる17条の憲法ですが、「和」の重視が一番目に入っています。「和」は、自然との共生とも関連し、縄文思想の一つと思われます。聖徳太子は継体王のひ孫にあたり、アイヌ系ですが、彼が、このような思想を持っていることは、王家がツングース系王家からアイヌ系王家に変わったことを暗示していると思われます。

なお、聖徳太子の17条の憲法について詳しくは「聖徳太子の17条の憲法と縄文思想」を参照願います。

まとめますと、縄文時代由来の日本人の縄文思想は、弥生時代、古墳時代も縄文人集落で続いており、アイヌ系の継体王がツングース系王家を滅ぼし、新王家を開始した結果、主要な思想になったと結論されます。

関連し、それらの経過を上トップ図に示しました。

なお、このような「縄文思想と日本人」に関心のある方は、拙ブログ左側にありますカテゴリから「縄文思想と日本人」を選びクリックしますと、関連の記事を見ることができます。



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[ 2021/11/18 21:48 ] 縄文思想と日本人 | TB(-) | CM(1)

「コロナに人類が打ち勝った証」愚考


日本人と欧米人の自然観


「コロナに人類が打ち勝った証」愚考(縄文思想と日本人)

今回のオリンピックは、「コロナに人類が打ち勝った証」にしたいと首相を初め、多くのリーダーが語っています。

この言葉について、「日本人の言葉ではない」と違和感を感じる方も見られます。

関連し、今回は、この言葉「コロナに人類が打ち勝った証」は日本人の思考様式ではないことについて愚考します。

まず、関連記事として、ブログ仲間の「まん丸、メジャーへの道 6」さんの記事「勝ち負けじゃない」を紹介しますと次のとおりです。


菅首相はよく東京オリンピック・パラリンピック開催は、コロナに人類が打ち勝った証と、おっしゃいますねぇ。

でもね、私、最近特になんですけど、この言い方・捉え方には違和感しかないんですよねぇ。

コロナはある種の自然現象だと思うんですけど、その自然相手に、勝ち・負けという価値観って存在するんでしょうかねぇ。

勝ち・負けっていうのは、自分とは違う別の存在に対する一つの価値観みたいなもんでしょ。

つまりですね、「自然に対して勝ち負け」には「人類は自然とは別に存在するモノ」っていう意識が無意識にあるわけですよ。

人類って大自然の一部ですよね?まさか、人類は特別な存在だ、その力で大自然をコントロールし、自然にも勝てるなんていうたいそうなこと考えているんじゃないでしょうかねぇ。・・・考えてるな、おそらく。

人類は特別な存在であり、もしそれを自然が妨害するなら勝負を挑んで屈服させてやる! ってね、そりゃあ 人類よ、お前は神か?!ってこと。

ま、ご自分を森羅万象担当だと言う首相はいらっしゃいましたけどねぇ。(苦笑) でもね、そんなの思い上がり、驕り以外のナニモノでもない、身の程知らずもいいところ。

こういう甚だしい勘違いをしているから「五輪中止=コロナに負けた」という考えにしか至らないんですよ。

もっと自然に対して謙虚にならないと。

コロナを含むあらゆる自然現象に対して人類がそれを受け入れながらささやかな抵抗を試みて、それで五輪が開催できるならば「ああ、開催できてよかったね」だろうし、もしどうやっても開催できなければ「残念だったね」でいいんですよ。

自然に対しては勝ち負けじゃない。自然は戦う相手ではなく、人類はその一員なんですから。自然に敬意を払い、謙虚に、感謝しながら、他の一員の方々や環境に迷惑をかけないように注意しながら、その大きな力の恩恵を、必要な時にちょっとだけ頂戴させていただく。

これが人類のあるべき姿なんだと思いますよ。・・・
(引用終了)


この記事をまとめますと、日本人なら「もっと自然に対して謙虚にならないと」に尽きると思われます。

拙ブログでは、この記事とほぼ同じ思考様式を日本人は持っていることを指摘してきました。そして、この日本人の思考様式のルーツは、縄文時代から育まれてきた縄文思想、言い換えますと、自然との共生思想であることを指摘してきました。

この日本人の思考様式が最初に現れたのが、聖徳太子の「17条の憲法」と思われます。そこには、儒教、仏教の教えが多く散りばめられていますが、最初の第1条は「和の精神の重視」で、まさに自然との共生と関連した日本的精神があります。詳しくは「聖徳太子の17条の憲法と縄文思想」を参照願います。

また、例えば、「なぜ山に登るのか?」と問われ、西洋人登山家は「そこに山があるから」と答え、一方、日本人登山家は「山に親しむため」と答えた、という有名なエピソードがあります。

そこで、オリンピックに対する日本のリーダーの言葉「コロナに人類が打ち勝った証」ですが、明らかに日本の思考様式から離れております。日本の思考様式には長所も短所もあることを指摘してきましたが、オリンピックが日本で開催されるという観点に立てば、開催の意義を日本的な言葉で表現すべきであったと思われます。

関連し、「日本人と欧米人の自然観」について、上トップに示しました。

また、下の写真は、自然との共生を重視した我が無農薬菜園の様子で、実の着き始めたナワシロイチゴ、実り始めた地這いキューリです。無農薬栽培のせいか、地這いキューリは美味しいと評判です(笑)。

なお、このような日本人の自然観や思考様式に関心のある方は、拙ブログ左側にありますカテゴリから「縄文思想と日本人」を選びクリックしますと今までの記事を読むことができます。

無農薬菜園の苗代イチゴ6月

無農薬菜園の地這いキューリ


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[ 2021/06/25 10:24 ] 縄文思想と日本人 | TB(-) | CM(2)

梅原猛の哲学と縄文思想

梅原猛死去報道(東京新聞2019年1月)


梅原猛の哲学と縄文思想(縄文思想と日本人)

先日、哲学者の梅原猛氏が亡くなりました(上記写真参照)。彼は、我が思想に最も強く影響を与えた人物ですが、「通夜のルーツは縄文時代にあること」など拙ブログでも紹介したことがあります。

しかし、新聞報道(東京新聞)では、彼が、通夜のルーツなど現在の日本人の習慣が縄文時代までさかのぼれることを初めて明らかにした哲学者であったことについては、あまり紹介されていませんでした。

そこで、梅原猛氏追悼の意味を込めて、今回は、彼の縄文研究について紹介します。

まず、彼は縄文時代に栄えた東北(仙台)の出身で、縄文思想と縁があったと思われます。そして北海道アイヌの研究をし、そこに、日本人のDNAだけでなく、日本人の思想のルーツを発見しました。すなわち、日本人は世界宗教では仏教徒に分類されますが、その前に信じているものがあることを発見したのでした。

例えば、身近な例として、日本人は何故通夜(夜の葬式)をするのかです。そこで、調べると、アイヌの葬式は通夜だけ、すなわち、通夜は縄文時代からあることを発見したのでした。さらに、アイヌ語で神はカムイ、魂はタマなど、精神世界で重要な単語はアイヌ語がベースになっていることを発見したのでした。

そんなことは分かっているというアイヌ研究者が居ます。しかし、それらのことを活字にし、私たちに教えてくれたのが梅原猛氏と思われます。

彼は、さらに、アイヌの「自然との共生思想」に感動し、これを日本人のアイデンテテイとして世界に広げれば世界は平和になることを強調しました。

関連し、彼の晩年は、その縄文思想と仏教の融合、すなわち、「草木国土悉皆丈夫」(人間や動物ばかりでなく植物や鉱物も仏性を持っているという考え方)という哲学の体系化にあった感じがします。

まとめますと、西洋哲学など外国思想を日本に紹介するというのが哲学という風潮が今までありました。しかし、日本人の精神世界のルーツが縄文時代にあることを発見し、日本人の考え方や宗教を哲学にしていったというのは彼が初めてでないかと思います。

関連し、上と下の写真は東京新聞(2019.1.15)の記事です。

梅原猛死去報道2(東京新聞1月)


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[ 2019/01/23 09:48 ] 縄文思想と日本人 | TB(-) | CM(4)

大地は私たちに属しているのではない(縄文思想と日本人)

マダガスカルのジャカランダの花風景1


大地は私たちに属しているのではない(縄文思想と日本人)

前回、「沖縄の辺野古への思い」について、普通の日本人の心情を紹介しました。その思いと関連し、今回は、以前に紹介しました記事ですが、北米先住民スクワミッシュ族古老が1854年にアメリカ政府から土地を売れと迫られた時にした演説「大地は私たちに属しているのではない」の言葉を再度引用したいと思います。

まず、その言葉(演説内容の一部)を引用します。

「すべてこの地上にあるものは、わしらにとって神聖なものだ。松の葉の一本一本、岸辺の砂の一粒一粒、深い森に立ちこめる霧や、草原になびく草の葉。その葉裏に羽音をたてる虫の一匹一匹に至るまで神聖なものだ。わしの体の中を血が流れるように樹木の中を樹液が流れる。わしは大地の一部、大地はわし自身なのだ。

それなのに、白い人たちは、母なる大地を、父なる空を、まるで羊か、光るビーズ玉のように、売り買いしようとする。大地をむさぼりつくし、後には砂漠しか残さない。

大地は、私たちに属しているのではない。わしたちが、大地に属しているのだ。・・・・」
(引用終了)

この演説から、アメリカ先住民族が「自然との共生」という日本人と同じ感情や考え方を持っていることを感じ取ることができます。おそらく、沖縄の人達の心情と同じものがあるのではないでしょうか。

そして、今上天皇の言葉、「沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません」は、その沖縄の人達の心情を察した言葉で、この言葉に多くの人が感動したのではないでしょうか。阿修羅掲示板「天皇誕生日の記者会見に思う」にはその様子が伝えられていました。

日本は西洋文化導入の過程で日本の伝統の多くを捨ててしまったと言われますが、辺野古の埋め立ては、その象徴的出来事、と拙ブログでは感じています。まさに、日本人のアイデンテテイ、そして国家の品格が問われている出来事と思われます。

なお、上と下の写真は、記事と関係ありませんが、2年前に見たマダガスカルのジャカランダの花風景(11月)です。

マダガスカルのジャカランダの花風景2

マダガスカルのジャカランダの花風景3


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[ 2019/01/11 09:54 ] 縄文思想と日本人 | TB(-) | CM(2)

辺野古埋め立てと日本人の思い

マダガスカル西海岸の夕暮れ


辺野古埋め立てと日本人の思い(縄文思想と日本人)

拙ブログでは、日本人の宗教は、「自然との共生という縄文時代からある思想(縄文思想)」が背景にあることを指摘してきました。

それは、日本の美しい自然の中で数万年かけて出来上がった思想です。最近、その日本人の思想に反する事件、すなわち「美しい辺野古海岸の埋め立て」という事件が起きています。

その埋め立ての様子が昨年暮れにテレビで放映されましたが、多くの日本人が悲しくなり、怒りも覚えてきた感じを受けました。これは普通の日本人なら誰もが持った感情と思われます。

関連し、今上天皇が85歳の誕生日に先日発表された思い、すなわち、「沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません」には感動しました。

拙ブログでは、「今上天皇の言葉に縄文思想を感じること」を紹介したことがありますが、今回の言葉も素晴らしいと思いました。

辺野古埋め立てに関連し、「修羅掲示板(政治)」に次のような小沢一郎氏の発言が紹介されていました。

「僕は僕なりに辺野古新基地は必要ない、と主張してきたが、最近米海兵隊のしかるべき人物から話を聞く機会があり、その確信を深めた。彼によると、海兵隊はグアムに行ってしまうので沖縄には事実上いない、だから新基地は海兵隊が望んでいるものではないし、米政府も同様ですと。ただ、日本政府がやると言っているのに、やるなとは言えない、とのことだった」(引用終了)

以上のことをまとめますと、沖縄の民意を大切にし、辺野古埋め立てはすぐ中止するのが日本人の願いと思われます。また、これは、国際的には、日本人のアイデンテテイ、あるいは国家の品格の問題でもあると思われますが、どうなのでしょう。

なお、上と下の写真は、記事と関係ありませんが、2年前に見たマダガスカル夕暮れの海岸と、その近くにあるバオバブの通りです。

マダガスカルのバオバブの木の通り


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[ 2019/01/07 09:53 ] 縄文思想と日本人 | TB(-) | CM(1)
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日本人の縄文思想と稲作のルーツ
「天皇家はアイヌ系」についてまとめています。詳細(目次)は下のとおりです。どうぞよろしく。

レインボー

Author:レインボー
現在は邪馬台国の真相についてまとめています。

天皇家はアイヌ系(目次) はじめに 1. 日本民族のルーツ 2. 古墳王家は何故滅びたのか 3 古墳王家はアイヌ・マレー系連合に滅ぼされた 4.日本書紀は創作 5.日本語と日本人宗教のルーツ 終わりに
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