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日本人の縄文思想と稲作のルーツ

日本人は、アイヌ系35%、マレー系30%、半島由来ツングース系25%、その他10%の混合混血民族です。DNA分類の結果、ヤマトにはツングース系王家が創られ、その後、アイヌ系の現天皇家に滅ぼされたと推察されます。万世一系を主題にした日本書紀は創作になります。関連し、今回は邪馬台国の真相に迫っています。
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百済語と日本語の関係愚考


天皇は朝鮮から来た(書籍表紙))


百済語と日本語の関係愚考(日本語のルーツ)

今年(2022年1月)、「天皇は朝鮮から来た!?」(竒埈成 キ ジュンソン)が発刊されました(上記写真参照)。

天皇家のルーツは、DNA研究の結果、アイヌ系であることが分かっておりますが、本書「天皇は朝鮮から来た」では、それが無視されており、情報としては古い感じがします。本書の旧版が同名の「天皇は朝鮮から来た」(2010年)ですので、それを敢えて改定しなかった結果かもしれません。

一方、第3章「ワッソ!がワッショイに 百済語が日本語になった」はたいへん参考になりました。

関連し、本書を参考に、日本語のルーツについて、今回は愚考します。

まず、本書(第3章)の内容ですが、日本語になった百済語について紹介されているのは下表のとおりです。

百済語に由来する日本語

いずれの言葉(19例)も、そのとおりと思われます。そして、このことは、著者指摘のとおり、古代において日本と百済の間に交流があったためて思われます。

なお、百済のルーツですが、稲作民族のマレー系が中国南部から北上し、朝鮮半島南西部に水田稲作で居住地を広げ、朝鮮半島稲作地帯に建設された国家で、マレー語が使われていたと思われます。

そして、百済と日本の歴史交流は、北九州倭国と百済との交流(4~7世紀)、および継体王(在位:507-531年)以後のヤマト朝廷と百済との交流の二つがあったことを拙ブログでは、指摘してきました。

まず、北九州倭国と百済との交流ですが、北九州倭国は百済と同じくマレー系民族の国であり、両国は古くから交流していたと思われます。そして、共同して北の大国「高句麗」と戦ったことが知られております。また、北九州倭国が滅びたのは白村江の戦いで大敗した結果です。詳しくは「白村江の戦いの真実、日本書紀は創作」を参照願います。

これらの結果、北九州倭国ではマレー語が使われてきたこと、そのマレー語は今でも、「よか」「ばってん」など北九州方言に残っていることを拙ブログでは検討しました。詳しくは「古代北九州ではマレー語が使われていたようだ」を参照願います。

さらには「百済」を「くだら」と読むのは、「くだら Kudara」はマレー語で「兄弟、同胞」の意味があり、北九州倭国では、同じマレー系の「百済」を「Kudara」と呼んだためと推察しました。詳しくは「古代国家「くだら」の国名由来」を参照願います。

次に、継体王以後のヤマト朝廷と百済との関係ですが、大和朝廷の歴史で、初めて外交を行ったのが継体王です。継体王は、3世紀に始まった朝鮮半島由来のツングース系王家を滅ぼし、6世紀初頭に新しくアイヌ系王朝を初めて王です。そのときの百済は部寧王時代で、大百済時代とも言われ、仏教導入など朝鮮半島で先進国でした。

このとき、継体王は百済から五経博士などを招き、初めて文書を導入した王とも言われます。この時、中国語の名詞や、万葉仮名の基となる漢字を導入しました。詳しくは「五経博士受け入れによる文書作成と継体王」を参照願います。

まとめますと、上記にある「ワッソ!がワッショイに 百済語が日本語になった」は拙ブログで検討してきた記事と一致するものと思われます。さらには、百済はマレー系国家だったことを示唆しています。

百済は「白村江の戦い」(663年)で唐・新羅連合軍に滅ぼされ、百済語は消えました。しかし、現在の韓国語(ツングース系言語)は新羅語がルーツですが、百済語も残っているという感じでしょうか。

なお、このような日本語のルーツに関心のある方は、拙ブログ左側にあります「日本語のルーツ」をクリックしますと、これまでの関連記事を見ることができます。

関連し、日本語と百済語の関係について、下図に示しました。

百済語と日本語の関係図


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[ 2022/06/02 11:17 ] 日本語のルーツ | TB(-) | CM(4)

日本語のルーツと天皇家の関係

日本語の設立経過


日本語のルーツと天皇家の関係(日本語のルーツ)

日本語のルーツがアイヌ語であることについて、「日本語のルーツ」というカテゴリで15回ほど記事アップしてきました。

一方、最近、DNA研究(Y染色体ハプログループ分類)の結果、天皇家のルーツはアイヌ系であることが明らかになりました。このことは、天皇家の言葉=アイヌ系言語=日本語という観点から観ると、日本語のルーツはさらに明快になります。

関連し、過去記事とダブるところがありますが、今回は、天皇家の言葉=アイヌ系言語=日本語という観点から日本語のルーツに迫ります。

日本語のルーツには、主要な説として朝鮮語ルーツ説とアイヌ語ルーツ説があり、論議されてきました。

朝鮮語説ルーツのポイントは、高度な弥生文明が朝鮮半島からもたらされ、その弥生人の言語が日本語になった、という感じです。また、朝鮮語が日本語の語順(主語+目的語+述語)と同じことも説得力がありました。

一方、アイヌ語説のポイントは、縄文時代から使われてきた言語であること、魂(タマ)など重要な基本単語がアイヌ語由来であること等で、多くの学者が支持している説になっています。

このほか、発音は万葉仮名と同じ読み方であるが、その万葉仮名の読み方はマレー語と同じであることを拙ブログでは指摘してきました。

万葉仮名のルーツは、百済(くだら)ですが、当時、百済には稲作民族のマレー系が多く、そのマレー語の読み方の万葉仮名を、継体王(在位:507-531年)時代に百済から日本は導入したことになります。詳しくは「万葉仮名とマレー語発音の一致」を参照願います。

こうした日本語のルーツ論争ですが、天皇家のルーツがアイヌ系であることから検討しますと、次のように考えるのが妥当と思われます。

まず、現天皇家のルーツはアイヌ系の継体王(在位:507-531年)に始まることはDNA研究(Y染色体ハプログループ分類)の結果からほぼ確実です。

彼以前の王家は、朝鮮半島由来のツングース系であったこともほぼ確実と思われます。すなわち、継体王以前は朝鮮半島由来のツングース系言語が朝廷で使われていたが、アイヌ系の継体王時代からはアイヌ語が使われるようになったことになります。

もともと、アイヌ系は日本人の多数派です。DNA研究(Y染色体ハプログループ分類)によれば、現在は、約35%がアイヌ系と推察されています。また、縄文時代から居た人々として、アイヌ系が35%、マレー系Aが20%、ツングース系5%、その他10%があったと思われます。合計して70%が縄文由来で、これらの人びとは共通語としてアイヌ語を使っていた可能性があります。

一方、弥生時代に来た弥生人というのは、ツングース系20%、マレー系B10%です。詳しくは「最近のY染色体DNA情報と従来知見の修正」および「海洋系と稲作系のマレー系が別々に渡来してきた」を参照願います。

すなわち、継体王の時代、縄文系70%、弥生系30%で、縄文由来のアイヌ語が多数派であったと推察されます。そして、さらには、アイヌ系継体王が大王になり、朝廷で使われる言語はアイヌ系言語となり、アイヌ系言語は共通言語になってきました。

以上の結果、日本語=朝鮮語由来説はほぼ完ぺきに否定されたと思われます。

まとめますと、継体王時代、多数派のアイヌ系言語が朝廷用語として使われるようになり、アイヌ系言語が全国的に使われるようになり、アイヌ語が日本語となったと結論されます。

そして、日本語=日本人となり、日本人のアイデンテイは古墳時代末期(6世紀)の継体王時代から育まれてきたと結論されます。

関連し、日本語確立の経過を上トップ図に示しました。



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[ 2022/04/14 07:42 ] 日本語のルーツ | TB(-) | CM(2)

日本語の成立とアイヌ系王家との関係


日本語のルーツと継体王


日本語の成立とアイヌ系王家との関係(日本語のルーツ)

最近のDNA研究は、現天皇家はアイヌ系の継体王(在位:507-531年)に始まることを明らかにし、これまで曖昧模糊としていた日本古代史の中心人物を明らかにしました。

関連し、今回は、日本語とアイヌ語の関係について、再度、愚考します。

まず、日本語のルーツはアイヌ語にあることは明らかです。詳しくは「日本語のルーツはアイヌ語とマレー語」を参照願います。

しかし、何故、アイヌ語が日本語のルーツになったのかについては曖昧でした。単純に、アイヌが先住民族であったこと、アイヌ系の人々が多数であったこと、そして、新しく日本に渡来してきたマレー系やツングース系の人々がその言葉に従ったためと、漠然と考えられてきました。

しかし、最近のDNA研究(Y染色体ハプログループ分類)によれば、現代人の35%がアイヌ系、30%が南方系のマレー系、25%が朝鮮半島由来のツングース系、10%がその他となっていて、アイヌ系が絶対多数ではなく、すっきりしない点もあります。

また、支配者の言葉が、その国言葉になることも多くあります。因みに、新大陸と言われるアメリカの言語は、移住し支配者となった人々の言語、すなわち北米では英語、南米ではスペイン語等に変わりました。

そこで、日本の中心部の古代近畿地域の支配者ですがで、最初の支配者となったのは朝鮮半島由来のツングース系民族でした。彼らは、弥生人とも言われ、鉄器を導入し、それらを使い稲作や畑作の農耕を始め、人口が増えました。そして、その生産力を背景に王家が誕生し、そのツングース系王家は巨大な古墳をいくつも建造しました。

この巨大古墳建造王家は、最初の巨大古墳の箸墓古墳が建造された3世紀後半に始まり、アイヌ系の継体王によって滅ぼされた5世紀初頭(507年頃?)までの約250年間続いたと思われます。当然のことですが、このとき使われたのは支配者の言語、すなわち、ツングース系言語だったと推察されます。

しかし、この言語は残っていません。強いて探せば、大阪弁に朝鮮半島の釜山方言の雰囲気があることだけでしょうか。詳しくは「朝鮮半島のツングース系言語と関西弁の関係」を参照願います。

ツングース系言語が消えた理由は単純で、支配者がアイヌ系の継体王に代わったことが最大の理由です。このとき、ツングース系弥生人とアイヌ系縄文人の民族対立が絶頂になったときと推察され、その争いの結果、ツングーケイ王家の歴史は抹殺され、古墳を除いて他は何も残らなかったのが真相と思われます。すなわち、このときツングース系言語も抹殺されたと思われます。

想像しますと、当時のツングース系民族とアイヌ系民族の住み分けですが、つぎのようであったと推察されます。当時はツングース系王家時代ですが、地方では部族社会であり、低地水田稲作地域ではツングース系言語が、アイヌ系がもともと住んでいた中山間地域ではアイヌ語が使われていたと思われます。

そして、ツングース系が支配していた低地水田作地帯は豊か、アイヌ系の居た中山間地は稲作適地が少なく畑作中心で貧しかったと思われます。この対立に、古墳建造の労役に対する憎しみが加わり、それらの怒りは頂点に達し、アイヌ系は立ち上がったと予想されます。

そして、アイヌ系の継体王が支配者になると、ツングース系の支配していた低地はアイヌ系に奪われたと想像されます。さらには、ツングース系の言葉を話す人々はツングース系王家関係の者とし嫌われ、弾圧され、その結果、ツングース系言語は使われなくなったのではないかと思われます。

それらの結果、マレー系倭国のあった北九州地域を除き、新しく王家となったアイヌ系王家のアイヌ語だけが日本では残ったと推察されます。

一方、日本語の発音ですが、これはアイヌ系の発音と異なります。そこで、調べますと、最初に使われた表音文字の万葉仮名の読み方と日本語は一致します。そして、その読み方はマレー語と一致しています。おそらく、万葉仮名を導入する過程でマレー語の発音様式が導入されたと思われます。

その歴史的過程には次のようなことが考えられます。

まず、ツングース系王家を滅ぼした後、継体王は、マレー系国家の百済と外交を行い、その後、仏教の経典や万葉仮名を百済から導入しました。

当時、百済は中国南方由来のマレー系の国家であり、その関係から呉国等の南方の国と交流があり、そこから仏教の経典を取り寄せました。その結果、漢字には南方読みと北方読みの2種類がありましたが、百済の導入した経典は南方読み、そして、日本は南方読みを導入したことになります。

また、漢字の使い方には、外国の地名や人名などを示すために音節だけ利用する方法があることは知られていることです。この方法として導入されたのが万葉仮名ですが、日本の万葉仮名の読み方はマレー語に一致します。これは、百済ではマレー系の言語が使われていたためと思われます。詳しくは「万葉仮名とマレー語発音の一致」を参照願います。

関連し、百済の日本読み方は「くだら」ですが、中国語や韓国語ではそのように読めない謎がありました。関連し、拙ブログでは、くだら(Kudara)はマレー語で兄弟という意味で、おそらく、同じマレー系の北九州倭国の人々が使い、日本に広まったものと提案しております。詳しくは「古代国家「くだら」の国名由来」を参照願います。

まとめますと、日本語のルーツはアイヌ語ですが、それは、現天皇家の祖先の継体王がアイヌ系であり、ツングース系王家を滅ぼしたとき(507年?)からアイヌ語が全国的に使われるようになったためと思われます。一方、日本語の発音は、その時代、マレー系発音の万葉仮名(漢字)を導入する過程で、マレー語と一致する発音となったものと思われます。

関連し、以上の経過を上トップ図に示しました。

なお、このような日本語のルーツについて関心のある方は、拙ブログ左側にありますカテゴリ欄から「日本語のルーツ」を選びクリックしますと関連の記事を見ることができます。



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[ 2021/11/12 09:35 ] 日本語のルーツ | TB(-) | CM(2)

朝鮮半島のツングース系言語と関西弁の関係

朝鮮半島からの言語の流れ


朝鮮半島のツングース系言語と関西弁の関係(日本語のルーツ)

南方系のマレー系民族と北方系のツングース系民族の2系統が日本に移住し、マレー系は3~5世紀に北九州に邪馬台国~倭国を建設、一方、ツングース系は3~5世紀に奈良・大阪に巨大古墳建造国家を建設したことを検討してきました

また、拙ブログでは、マレー系が北九州倭国を建設したことと関連し、「そうやろ」、「ばってん」等の北九州方言はマレー系言語に由来することを指摘しました。詳しくは「古代北九州ではマレー語が使われていたようだ」を参照願います。

同様に、大阪・奈良にツングース系国家があったとすれば、言語への影響もあるはずです。

関連し、今回はツングース系言語の関西弁への影響について愚考します。

まず、「関西弁に似たイントネーション?釜山と済州島の韓国語・方言集10選」 という記事があります。引用しますと、次のとおりです。

まるで大阪?男らしい口調が特徴の釜山の方言


釜山は有名なビーチがあることでも知られており夏には世界各地から多くの観光客が訪れます。しかし、釜山で使われている方言は関西弁のようにイントネーションが大きく異なり、語尾も変化します。

1.어디가노?(オディガノ)/ どこ行くの?
標準語は「어디가?(オディガ)」です。釜山の方言の特徴は語尾に「ノ」がつくことです。これと同じような形で「뭐해?(モヘ)」が「므하노?(ムハノ)」になります。日本語では「何してるの」という意味です。

2.밥 먹나?(パッ モンナ)/ ご飯食べた?
標準語は「밥 먹었어?(パッモゴッソ)」です。このように。語尾が「ナ」に変わることもあります。これは、疑問形で「yes」か「no」で答えられる質問の時に限ります。

3.아이가?(アイガ)/ 違う?
標準語は「아니야?(アニヤ)」です。標準語ではこのように語尾を上げ下げするだけで意味が通じるのですが、釜山の方言では語尾が少し変わるのが特徴です。ちなみに「아이다(アイガ アイダ)」は「違うよ」という意味の方言になります。

4.므하노?(ムハノ)/ 何してるの?
標準語は「뭐해?(モヘ)」です。日常会話で頻繁に使われる単語ですが、方言になるとかなり違うので注意が必要です。

5.맞나?(マンナ)/ そうなの?
標準語は「그래?(クレ)」です。釜山では、この言葉が相槌を打つ時によく使われます。上手く発音するコツは最初の音を強く発音することです。

(引用終了)

引用が長くなりましたが、まとめますと、釜山の方言には、関西弁に近いイントネーションがあるとのことです。

そこで釜山と日本の関係です。釜山はツングース系「新羅」の都だった慶州のすぐ南にある大きな港で、いわばツングース系民族が日本へ移住するとき一時居留した港、あるいは、鉄の産地の慶州から、日本へ鉄を送るとき港になった場所と思われます。

ツングース系民族が日本で支配者になれたのは鉄製農具を持っていたためと指摘してきましたが、その意味で、関西(大阪)で日本の支配者になった人々の言語が釜山方言に似ていることは、おかしなことではないと思われます。

また、奈良に古くからある日本語には、大和(やまと)、飛鳥(あすか)など、そのままは読めない漢字があります。もし、これらの言語がツングース系言語に由来するとなると、古代史の謎が解けることになります。

また、初代の神武天皇~25代の武烈天皇は、ツングース系大王と拙ブログでは見ていますが、これらがツングース系の名前となると、ツングース系と日本の古代史の関係が見えてきます。因みに、神武、武烈は新羅王朝の王名に同じ名前を見ることができます。

まとめますと、関西弁が釜山方言に似ているということは、古代に釜山人(ツングース系)が大阪居たことを示唆する重要な情報と思われます。これからさらに検討していきたいと思います。

関連し、釜山と関西の関係を上トップ図に示しました。

なお、日本語のルーツですが、これは、アイヌ系言語がベースになり、これに万葉仮名の発音(マレー語の発音)が加わったものと思われます。詳しくは「日本語のルーツはアイヌ語とマレー語」を参照願います。

また、拙ブログ左側にあります「カテゴリ」の「日本語のルーツ」をクリックしますと、これまでの関連記事を見ることができます。



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[ 2020/07/04 07:20 ] 日本語のルーツ | TB(-) | CM(2)

あすか(飛鳥)には「いい都」の意味がある(日本語のルーツ)

アスカと百済人


あすか(飛鳥)には「いい都」の意味がある(日本語のルーツ)

古代地名で意味不明な読み方(読めない漢字)に百済(くだら)と飛鳥(あすか)があります。いくつかの説がありますが、いずれも納得できる説明はできておりません。

一方、拙ブログでは、百済について、「百済はマレー語のKudara(Brother=兄弟)」と読むと理解ができることを紹介しました。すなわち、マレー系民族の国であった倭国(北九州)の人々は同じマレー系民族の国の百済をKudara(Brother)と呼んでいたことから、百済は日本語読みで「くだら」になった、としました。

今回は、飛鳥(あすか)の読み方のルーツにチャレンジします。

いろいろな情報を総合すると、「飛鳥」は「飛ぶ鳥の都」がもともとの意味のようです。しかし、なぜ、それが「あすかの都」と呼ぶようになったのかが問題になります。

当時、飛鳥の都には百済滅亡と関連し、多数の百済人がやってきたことが分かっています。拙ブログでは、その百済は稲作民族のマレー系民族の国で、マレー語(百済語)が使われていたと観ています。

そこで、飛鳥も百済人の言葉(マレー語)で読むと解答が出るかもしれません。すなわち、日本人が「飛ぶ鳥の都」と呼んでいたのを、百済人が「Asukaの都」と読んでいるうちに、「Asuka(飛鳥)の都」となった可能性があります。

そこで、Asukaをマレー語(百済語)に翻訳しますと次の候補が考えられます。

「あすか」をマレー語で読むと近い言葉に「Ah suka」があります。「suka」は英語で「like」ですので、日本語に訳すと「あーいい(都)」という感じでしょうか。

そこで、百済人が飛鳥の都を「Ah suka」(あーいい都)と呼んだ理由について考察すると次のようなことが考えられます。

当時、百済では戦争が絶えず、ついには、660年、都が異民族ツングースの新羅軍に攻めこまれ滅びました。こんななか、百済を逃れ、飛鳥の都に着いた亡命百済人は、飛鳥の都は戦争がなく、なんて平和なのだろう。まさに「あーいい都」、すなわち「Ah suka」と感じたと思われます。

そして、百済人に対する日本人の思いは次のような感じでしょうか。日本に美しい仏像(仏教)をもたらし、さらには文字ももたらし、百済人は文化人だ。飛鳥を「Ah suka」と呼ぶなら、私たちも「Ah suka」と呼ぼうと日本人のリーダーは思ったのかもしれません。そうしているうちに、「Ah suka」は、現在のアスカ(Asuka)となったと思われます。

なお、小生がマレーシアでマレー語をかじったときの経験ですが、マレー語のsukaは、日本語の「好き」の語源と思いました。因みに、I like you!は、マレー語でAku suka kamu! (アクスカカム)です。sukaは日本人に身近な言葉と思いました。
以上、Asukaの呼称由来愚考でした。

関連し、百済帰化人の流れを上トップの図に示しました。また、下のマンガ絵で笑っていただければ。

アスカはAh sukaの訛り(マンガ絵)


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[ 2018/10/16 14:46 ] 日本語のルーツ | TB(-) | CM(2)
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日本人の縄文思想と稲作のルーツ
「天皇家はアイヌ系」についてまとめています。詳細(目次)は下のとおりです。どうぞよろしく。

レインボー

Author:レインボー
現在は邪馬台国の真相についてまとめています。

天皇家はアイヌ系(目次) はじめに 1. 日本民族のルーツ 2. 古墳王家は何故滅びたのか 3 古墳王家はアイヌ・マレー系連合に滅ぼされた 4.日本書紀は創作 5.日本語と日本人宗教のルーツ 終わりに
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