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日本人の縄文思想と稲作のルーツ

日本人は、アイヌ系35%、マレー系30%、半島由来ツングース系25%、その他10%の混合混血民族です。DNA分類の結果、ヤマトにはツングース系王家が創られ、その後、アイヌ系の現天皇家に滅ぼされたと推察されます。万世一系を主題にした日本書紀は創作になります。関連し、今回は邪馬台国の真相に迫っています。
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日本におけるモンゴル系のルーツ(北方系と日本人)5.3

モンゴル人のアフリカからの移動と日本

日本人には、モンゴル系(Y染色体ハプログループC)の人たちの割合が9%程度認められます(Hamer 2005)。関連し、今回はモンゴル系のルーツについて愚考します。

先に、アフリカからのアイヌ系の移動のところで紹介しましたが、モンゴル系のハプログループはCで、アフリカでA型の祖先型から発生し、CグループはD型(アイヌ系)と同じく最初にアフリカを出たグループと言われております。

その移動は謎に包まれていますが、発生地のアフリカのツルカーナ湖を出たあと北上し、ユーラシア大陸の大平原(中央アジア)にたどりついたのではないかと思われます。

しかし、当時は氷河期にあり、食糧となるマンモスは居ましたが、寒かったため、移動は困難を極め、夏の間とか、少しずつ中央アジアに広がっていき、現在の満州(中国東北部)辺りに到着したのが2万年前頃と予想されます。そして、1.2万年前頃、氷河期が終わり温かくなってきますと、モンゴル系は居住地を広げていったと思われます。

そして、このモンゴル系の人たちが、どのようにして日本に来て、日本人の9%になったのか、これから紹介していきます。

なお、モンゴル系も東南アジア方面から移動したという説もありますが、この説では先に来たモンゴル系が何故、北に移動し寒冷な草原に住みつくようになったのか、説明困難です。

関連し、上の地図はモンゴル系民族のアフリカから日本への道です。

モンゴル系のDNAは北海道アイヌに13%程度も認められます(Tajima 2004)。しかし、北海道アイヌの江戸時代の人口は2万人程度で、当時の日本全人口の1%以下ですので、絶対数は少なく、モンゴル系の多くは半島由来と思われます。


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[ 2017/05/02 19:44 ] 未分類 | TB(-) | CM(0)
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「天皇家はアイヌ系」についてまとめています。詳細(目次)は下のとおりです。どうぞよろしく。

レインボー

Author:レインボー
現在は邪馬台国の真相についてまとめています。

天皇家はアイヌ系(目次) はじめに 1. 日本民族のルーツ 2. 古墳王家は何故滅びたのか 3 古墳王家はアイヌ・マレー系連合に滅ぼされた 4.日本書紀は創作 5.日本語と日本人宗教のルーツ 終わりに
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