Archive2017年06月 2/2
本格的な水田造成は鉄器の導入から(稲作と日本人)

日本の稲作ルーツ愚考、今回は4回目として、本格的な水田造成は鉄器の導入の後に行われたこと、について愚考します。アフリカの焼畑地帯で思うのが農具の少なさです。彼らが持っているのは、焼畑準備のために雑木を切り取るナタ(Cutlass)と、除草などのために片手で使う小さな鍬(くわ)(African hoe)だけです。ノコギリも鎌もありません。 関連し、上の写真はアフリカの焼畑用のナタです。一方、下の写真はアフリカの鍬です。...
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縄文時代の稲栽培は天水畑で行われた(稲作と日本人)

日本稲作ルーツ愚考、今回は3回目として、縄文時代の稲栽培場所は天水畑だったこと、について愚考します。アフリカやアジアの陸稲栽培を見ますと、伝統的な焼畑で今も作られています。このため、日本でも縄文時代の陸稲は焼畑のような方法で作られたのではないかと想像されています。一方、私はアフリカで、焼畑でなく天水田(畑)のようなところで稲が作られているのを見ました。そこは、雨期に自然と水が流れる場所ですが、雨期...
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日本稲のルーツはスンダランドのようだ(稲作と日本人)

日本の稲作ルーツ愚考、今回は2回目として、日本の稲はどこからきたのかについて愚考します。稲に日本型とインド型がありますが、我が国の稲は日本型と呼ばれております。そして、生物資源研究所の研究チームが、稲のDNAを調べ、最も古いタイプの日本型品種はインドネシアのブル(Bulu)種であると結論しました。ブル種とは南方系の陸稲で熱帯日本型とも呼ばれている品種グループです。古い品種となると、背丈は高く雑草に負けない...
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稲を導入した民族はマレー系の人たち(稲作と日本人)

日本の稲作ルーツ愚考、今回は1回目として、稲を導入した民族はマレー系の人たち、について愚考します。稲作は日本人の生活と文化を創りました。したがいまして、稲作は日本人にとても重要なもので、その由来やルーツについては多くの報告や諸説があります。最近の考古学知見を見ますと、陸稲栽培が6000年以上前からあったことが知られており、この陸稲稲作が水田稲作に変わっていったと推察されています。一方、鹿児島県の1.2万年...
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日本の稲作ルーツ愚考(稲作と日本人)

私は、アフリカ稲開発研究所(ベナン国 2009-2011)とマダガスカル農業開発研究所(2015-2017)に、それぞれ2年間勤務し、アフリカの伝統的稲作は日本の古代稲作の特徴を持っていることに気が付きました。そこで次回から、その経験を参考に、6回に分けて、日本稲作のルーツと発展経過について愚考します。どうぞよろしく。なお、そのタイトルは次のとおりです。1. 稲を導入した民族はマレー系の人たち2. 日本稲のルーツはスン...
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