今回は、アフリカと関連し、日本人の活躍について愚考します。
アフリカに最初に上陸した日本人に言及しますと、伊東マンショ等4人の天正の少年使節と言われております。彼らは、1582年に長崎から出航し1584年にローマ法王に謁見し、その帰路、1586年9月1日に東アフリカ南部のモザンピーク(上の地図参照)に到着し、インド(ゴア)行きの季節風が吹くのを待ち、翌年3月まで半年間、当地に滞在した、とあります。
そして、野口英世ですが、黄熱病の研究を行い黄熱病にかかり死亡したことは大変有名です。
その野口英世の黄熱病に関する生涯を紹介しますと次のとおりです。
まず、彼は、アメリカに渡り、中南米の黄熱病の研究で、その病原菌の発見と治療薬の開発で一躍有名になりました。
そして、次の課題として西アフリカのガーナへ行き、アフリカの黄熱病の研究に着手しました。しかし、彼は、その病原菌を同定することもできず自らも黄熱病にかかり病死しました。その献身的な彼の姿は、日本でよく知られているところであります。
しかし、アフリカでの評判となると、ガーナ人でもほとんどの人が知らないと言います。冷静に考察しますと、冷たい言い方かもしれませんが、彼は、アフリカの黄熱病では成果を出しておりません。有名になるには無理があります。私は、彼と同じ福島県の出身であり、アフリカに関係する者として応援したいのですが残念です。
なお、黄熱病については、その後、アフリカのものはウイルス病であることが分かり、ワクチン接種で予防ができるようになりました。アフリカの黄熱病は今でも重要病害であり、その予防接種証明(イエローカード)無しにはアフリカには上陸できないようになっていますので、アフリカへ来るときは忘れないようにお願いします。忘れたら、イエローカードでなくレッドカードです(笑)。
そして、第二次世界大戦では、日本海軍がイギリス海軍を追い、マダガスカルに上陸したことを前回、紹介しました。
そして、現在の日本人の活躍ですが、JICAの活動が主体かと思います。私もその一人でしたが、日本はアフリカを侵略したことがないこと、無償援助が多く親切なこと、アフリカ人と同じ自然との共生の思想を持っていることなどからアフリカ人に受け売れやすい感じです。
特に、今上天皇を初めとして日本が平和憲法のもとに平和主義に徹している姿は大変評価されていると思います。この意味で、日本の平和憲法は国際活動で役立っていると思われます。
なお、今、中国が、援助という形で大きくアフリカに進出しております。その目的は、食料や資源の獲得、さらには中国人の居住地拡大とも言われ、日本のJICA無償援助と比較されるせいか、つらいかもしれません。
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