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Archive2017年06月 1/2

マダガスカルと日本の森(稲作と日本人)

日本は、国土のうち約7割が森林で、この割合は先進国のなかでフィンランドに次いで2番目に高い、すなわち、先進工業国のなかで最も森林が豊かな国である、と言われております。さらに、日本においては、森が貯水槽の役割をもっていて、水資源が豊かであること、この結果、日本の多くのところで森からの水で水田稲作が可能となっており、さらには、この水田も貯水槽の役割も持っていることは知られているところです。関連し、今回は...

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マダガスカルの丸顔美人と癒し(日本人のルーツ)

「全日本丸顔協会」という会がありますが、「日本の長い歴史において、その文化の常に中心であり続けている『丸顔』。 その丸顔について多角的に解析・議論を行っていくのが当協会です」、とあります。一方、拙ブログでは、日本人の丸顔のルーツはマレー系の人々、そのマレー系の人々のルーツはアフリカ中南部にあることを紹介してきました。今回は、マダガスカルの丸顔美人と癒しの効果について愚考します(笑)。上の写真は、マ...

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マダガスカル人の丸顔と日本人の丸顔のルーツは同じ(日本人のルーツ)

私は最近までマダガスカルに滞在し、日本で人気のある丸顔が多いことに気が付きました。関連し、今回は、マダガスカル人と日本人の丸顔のルーツについて迫ります(笑)。上の写真は銀行の若い女性職員ですが、丸顔でした。下の写真はJICAのプロジェクトで雇用している通訳の人達ですが、同じく丸顔でした。また、下のマンガ絵は、佐藤純子氏の作ったマダガスカル語会話初級編の「MISAOTRA(ミサオチャ)マダガスカル」(新風社 2004)...

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アフリカのバナナ革命とマレー系民族(南方系と日本人)

バナナは、アジア原産で、アフリカのバナナはアジアから導入されたと言われております。今回は、アフリカのバナナのルーツについて、日本人のルーツでもありますマレー系民族とのかかわりで愚考します。マレー系の人々が、アフリカ東海岸に移住し、その後、マダガスカルに移住したことを以前に紹介しました。そして、彼らは、その移住経過のなかで、アフリカに東南アジア原産のバナナを持ち込んだと思われます。その理由として、現...

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アフリカにおける日本人の活躍と平和憲法(アフリカと日本人)

今回は、アフリカと関連し、日本人の活躍について愚考します。アフリカに最初に上陸した日本人に言及しますと、伊東マンショ等4人の天正の少年使節と言われております。彼らは、1582年に長崎から出航し1584年にローマ法王に謁見し、その帰路、1586年9月1日に東アフリカ南部のモザンピーク(上の地図参照)に到着し、インド(ゴア)行きの季節風が吹くのを待ち、翌年3月まで半年間、当地に滞在した、とあります。そして、野口英...

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マダガスカル人は日本人に似ている(アフリカと日本人)

私は、2015-2017年の2年間、アフリカのマダガスカルで過ごしました。関連し、今回は、マダガスカル人は日本人に最も近いアフリカ人であることについて愚考します。上と下の写真はマダガスカル現地のスーパーマーケットの女性です。どこか日本的な顔立ちを感じさせますが、これは、マダガスカル人と日本人のルーツに共通のマレー系のDNAが入っているためと思われます。すでに、拙ブログでは、日本人におけるマレー系のDNAは32%もあ...

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アフリカ人と日本人の類似(アフリカと日本人)

私は、西アフリカのベナンという国(上記地図参照)に2009年から2年間滞在し、アフリカ人と付き合いました。そのとき、顔つきが日本人に似ている人たちと出会い、日本人のルーツはこのあたりにあると思ったしだいです。関連し、下の写真はベナン国の人々の顔です。何となく丸顔で二重まぶた、日本人に似た顔立ちで、マレー系の人々のルーツを想起させます。そこで、人類のルーツについて情報を調べますと、アフリカが起源というの...

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虹を見る方法と拙ブログ(ごあいさつ)

前回の記事で、拙ブログで追及したい基本的な内容の紹介は終わりました。次回からは、より具体的な内容の記事をアップしていく予定です。この節目に、今回は、拙ブログの方法でもあります「虹を見る方法」について愚考します。「虹を見る方法」は、イギリスの言語学者、オーエン・バーフィールド氏が提案している物事を観る方法です。虹は近くで見ると霧にしか見えない。しかし遠くから見ると虹が見えるということで、物事もそのよ...

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水田稲作が確立したのは1世紀頃(稲作と日本人)

日本の稲作ルーツ愚考、今回は6回目(最終回)として、水田稲作が確立した時期について愚考します。日本の縄文晩期や弥生初期の住居跡の研究によりますと、住居は、高台から低地に移動したことが分かっています。この移動は、水田が高台の棚田から低地の水田に移動していったためと推察されています。低地水田では、高台で問題となる漏水問題が少なくなります。このため、常に水があるため、干ばつや関連する養分欠乏問題は少なく...

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山間地水田の漏水問題と平野部への展開(稲作と日本人)

日本の稲作ルーツ愚考、今回は5回目として、山間地水田の漏水問題と平野部への展開について愚考します。一般に、縄文時代から弥生時代にかけ、住居が高台から低地に移動したころが知られております。これは、水田が高地から低地に移動したためと言われております。なぜ水田が低地に移動したのでしょうか。それは、高台にあった中山間地の水田には漏水が多く稲作には適していなかったためと思われます。漏水を防ぐためには、畦塗り...

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