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モンゴル的非情と日本史(北方系と日本人)

ミャンマー古都パガンとモンゴル軍

9月となり秋めいてまいりました。また、拙ブログは4月に始まりましたので6か月目に入りました。2日に1回のペースで記事をアップしてきましたが、準備しておいたネタも切れる頃となってきました(笑)。

さて、最近のDNA研究(Y染色体ハプログループ分類)で、日本人には約10%のモンゴル系のDNAが混じっていることを以前に紹介しました。そして、そのモンゴルですが、世界史を眺めますと、モンゴル軍ほど非情で怖い軍隊は無かったと言われます。

従わなければ、町の女、子供、生き物、すべて焼き殺す、と非情な戦術をとったと言われます。モンゴル軍が鎌倉時代に日本を侵略したとき、捕虜になった壱岐・対馬の住民は、手の平に穴を空けられ縄でつながれたと言われます。

その、モンゴル人の非情ですが、最近では、相撲の世界にも見ることができます。モンゴル人横綱に朝青龍という力士が居ましたが、相手が負けているのに土俵の外に突き出すという行為、その非情は際立っていたような気がします。

前置きが長くなりましたが、今回は、モンゴル軍の非情と関連し、日本史に影響した非情について愚考します。

非情な事件として日本の歴史では、信長の比叡山焼き討ちは有名ですが、さらには、源頼朝の義経虐殺、大阪城陥落時の家康軍の大阪城内居住民虐殺なども知られております。

いずれも、時の政権や時代の流れに逆らうもの、頼朝時代の義経(奥州藤原)、信長時代の比叡山僧侶、家康時代の大阪城の秀吉軍、これらに対する非情な対応と思われます。この非情を見て、民衆は時代が変わって行くときである雰囲気を察知したように感じられます。そして、そうした状況を背景に、頼朝の武家政権樹立、信長の天下統一、家康の平和な江戸幕府樹立が水の流れのように進んだように思われます。

これらが、モンゴル軍の戦うときの非情と同じかどうかわかりませんが、日本人に非情をもった同様な血が流れており、それが新たな歴史を作るときに発現してきたのではないかと思われます。

日本人は、全体として優しい民族と言われますが、時として信長のような非情な感情が出てリーダーシップを発揮することもあります。そして、その性質は日本人すべての中に密かに流れており、歴史の変わり目に、歴史的必然のように発揮されてきたのではないかと思います。

以上、簡単ですが、日本人に潜む非情と歴史愚考でした(笑)。

なお、関連し、私ことですが、ミャンマーの古都パガンでモンゴル軍の非情を経験しました。その場所は上の地図のとおりですが、歴史書によれば、1287年、モンゴル軍はビルマのパガン朝を攻め、首都パガンとその領土のほとんどを一時的に占領した、とあります。

そして、下の写真は、私がパガンを訪問したときに10ドル(1000円)で買った古都パガン遺跡の水彩画です。

パガンは無数のパゴダ(仏塔)が立ち並ぶ有名な遺跡ですが、モンゴル軍(元軍)の攻撃前に住民すべてが命からがら逃げたようです。このため、作成中の仏像が未完成のまま残されていました。その仏像の前で、そのような仏像作成は今までに無かったことという解説を聞き、そのモンゴル軍の恐ろしさや非情さを知りました。

ミャンマー古都パガン風景(水彩画)


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[ 2017/09/01 07:09 ] 北方系と日本人 | TB(-) | CM(0)
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日本人の縄文思想と稲作のルーツ
日本人のDNAと縄文思想と稲作のルーツについて海外経験と最新情報を元にユーモアをまじえて迫ります

レインボー

Author:レインボー

私は稲仕事の関係からいくつかのアフリカとアジアの国々で暮らし、日本人のルーツはアフリカまで辿れること、その思想は自然との共生思想(縄文思想)であること、稲はマレー系の人々が持ち込んだことを実感しました。その経験をベースに、日本人のDNAと稲作のルーツに迫ります。なお、ペンネームは、「虹を見る歴史思考」という拙ブログの手法と関連し「レインボー」とします。どうぞよろしく。
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