日本人の縄文思想と稲作のルーツ
日本人は、アイヌ系35%、マレー系30%、半島由来ツングース系25%、その他10%の混合混血民族です。DNA分類の結果、ヤマトにはツングース系王家が創られ、その後、アイヌ系の現天皇家に滅ぼされたと推察されます。万世一系を主題にした日本書紀は創作になります。関連し、今回は邪馬台国の真相に迫っています。
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フイリピンの棚田とイフガオ族のルーツ(南方系と日本人) [2017/11/29]
マダガスカルのお墓と洗骨、千の風になって(南方系と日本人) [2017/11/27]
小池都知事に縄文思想が無かった(縄文思想と日本人) [2017/11/25]
今上天皇の言葉に縄文思想を感じる(縄文思想と日本人) [2017/11/23]
聖徳太子の17条の憲法と縄文思想(縄文思想と日本人) [2017/11/21]
仏教は不殺生、自然との共生思想と違う(縄文思想と日本人) [2017/11/19]
秋田美人のルーツは縄文時代最盛期の日韓交流時代にある(北方系と日本人) [2017/11/17]
ツングース系到来と日本美女伝説愚考(北方系と日本人) [2017/11/15]
神武東征とイモガラ木刀愚考(日本人のルーツ) [2017/11/13]
イモガラ木刀と日向カボチャ、美男子のルーツ(アイヌ系と日本人) [2017/11/11]
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フイリピンの棚田とイフガオ族のルーツ(南方系と日本人)
フイリピンの棚田とイフガオ族のルーツ(日本人のルーツ)
先日(2日前)、マダガスカルの埋葬、洗骨、死後の世界について紹介しましたが、今回は、同じような埋葬の仕方をしているフイリピンのイフガオ族の謎について、素人ながら迫ります(笑)。
フイリピンのイフガオ族はルソン島北部山地のバナウエに住む民族ですが、その民族の切り開いた棚田は、2000年以上の歴史があり、規模は世界最大、そして美しいことから世界遺産に登録されており、たいへん有名です。私は仕事の関係で、この場所を何回か訪問しましたが、上の写真は、その棚田の様子です。
イフガオ族は、ルソン島の主要民族(タガログ族、イロカノ族)と異なる言語と習慣を持ち、山中という孤立した世界に住んでいることから、その由来が謎に包まれています。その謎を解くためいろいろな研究がありますが、下の写真は、そうした本の一つです。
その民族は、マダガスカルと同じく、死者の魂(たましい)は天に行くと信じています。そして、同じく洗骨の儀式を行い、死者を祭る習慣を持っています。さらに、マダガスカル人がキリスト教を受け入れても死者の埋葬や死後の世界のことは受け入れないと同様に、イフガオ族の人達にも同様な傾向が認められます。
山中の棚田、洗骨の儀式、これらのことから推察しますと、イフガオ族とマダガスカル人のルーツは同じ、すなわちマレー系の民族と結論されます。
そこで調べますと、最近の研究によれば、イフガオ族は中国南部の山地民族という説があります。拙ブログでは、中国南部にはマレー系の民族が多数住んで居ること、彼らが日本に稲作を伝えたことを紹介してきましたが、それらのことから推察しますと、イフガオ族が中国南部由来の山地民族という説は有力と思われます。
まとめますと、イフガオ族のルーツは次のような感じかと思います。彼らの祖先はマダガスカルと同じ祖先のマレー系で、その祖先の地と言われるボルネオ南部辺りから、まず中国南部に移住し、その後、フイリピンの山奥に未開の処女地があることが分かり、台湾経由で現在地に移住した。この様子を下の地図に示しました。
また、下の写真は、私が、その棚田の世界遺産のあるバナウエで買った稲の神様(ライスゴッド)です。稲と関係の深いこれらの置物から想像しますと、イフガオ族と日本人は同じルーツを持つ民族と思ってしまいます(笑)。
(美談)第二次大戦中にイフガオ族と結婚した日本兵
イフガオ族の村で1998年ごろ聞いた話です。
太平洋戦争末期、マレーのトラと怖れられていた山下将軍がフイリピンで最後の決戦に臨みました。しかし、敗戦濃厚となり、日本兵10万人近くがフリピンのジャングルに逃げ込みました。イフガオ族の村に逃げ込んだ一人の青年日本兵は、武器を捨て、助けを求めました。何とか許してもらい、イフガオ族の娘と結婚することができ、下の写真のような家に住み、棚田で稲作をして暮らしました。そして、数十年後、彼の子供は、地元の推薦を受け、その地バナウエの市長となり、市政発展に尽くしたとのことです。私ことですが、この話を聞き、胸が熱くなりました。
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[ 2017/11/29 08:00 ]
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マダガスカルのお墓と洗骨、千の風になって(南方系と日本人)
マダガスカルのお墓と洗骨、千の風になって(南方系と日本人)
私は仕事の関係でマダガスカルに2年滞在しました。そのとき、マダガスカル人の大半は死ぬとその魂(たましい)は天に行くと信じていることを知りました。
関連し、「千の風になって」という歌詞がありますが、この詩は、「死ぬと、その魂は肉体から離れ、天に行き、現世の家族を見守っている」という内容ですので、マダガスカル人とほとんど同じ考えと思われます。関連し、今回は、マダガスカル人の死生観と洗骨風習について愚考します。
上と下の写真は、マダガスカルでよくみられるキリスト教のお墓です。それぞれ家の墓があり、死ぬとお墓に入ります。そして死体は、お墓の中にあるベッドに横たえられます。
マダガスカルの習慣では、遺体が腐り骨だけになると、遺族が、骨を洗い、布でくるみ、洗骨の儀式を行ない、天にいる死んだ父や母にそのことを報告します。天から父や母が見ているので、遺体と共に町を行進するような盛大な儀式が良いようです。
洗骨の意味ですが、人は死ぬとすぐ腐ってしまう。しかし骨は原形を留めて残る。すなわち、骨が死者の本体であり、死者を保存するなら骨を保存するのが正しいとする考えのようです。その風習は、マダガスカル人の大半を占めるマレー系の人々のルーツのインドネシアでも見られるようです。また、沖縄の一部でもその風習が最近まで残っていたようです。
人は死ぬとあの世に行き、草葉の陰から家族を見守っているのが日本人の一般的な見方ですが、あの世に行くという点は共通のものを感じさせます。
マダガスカル人の大半はキリスト教と言われますが、同時に祖先崇拝の宗教も持っていることになります。その意味で、私は、キリスト教だけを信じている本当のクリスチャンに会ったことがありません。このような曖昧な宗教観は、仏教徒でありながら仏教を知らない日本人に似ている感じがします。
なお、下の写真は、マダガスカルのほとんどの町にある教会です。宗派はカトリックではなく、イギリスが最初にマダガスカルに来てキリスト教を広めた関係から、イギリス国教会に属します。したがって、マダガスカルでは、共通外国語は植民地統治したフランス語、宗教はイギリス国教会になります。
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[ 2017/11/27 08:03 ]
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小池都知事に縄文思想が無かった(縄文思想と日本人)
小池都知事に縄文思想が無かった(縄文思想と日本人)
拙ブログでは、日本人には自然との共生という縄文思想が底流に流れていることを検討しています。そうした観点から聖徳太子の17条の憲法、今上天皇の言葉について紹介してきましたが、今回は、先の選挙の小池都知事の戦い方の問題点について検討します。
先の選挙で小池都知事の率いる希望の党が、一時は大きな期待を集めましたが、結果は期待を裏切りました。途中、排除の論理が出たことが原因であると言われます。政党は綱領(目標)と規約を持っているわけですから、それに合わない人について排除があるのは当然ですが、なぜ失速するほどまでになったのでしょう。
日本人は自然との共生思想を持っていることを拙ブログでは検討してきました。その思想は、お互いに支え合う、助け合う、というところに美を感じます。そのため、目標に向かって一緒に戦うことに美を感じます。
そうしたなか、希望の党が、他の野党と一緒に戦うということを止め、自分だけの論理で戦おうとしたことが問題だったのではないでしょうか。
希望の党への合流で民進党の一部の人達の排除したことは、筋を通したという意味で問題なかったと思われます。しかし、小選挙区での野党統一を壊したこと、これが最も嫌われたのではないかと思われます。この行動は対立する自民党を利する方向であったことは明らかです。
なぜそうなってしまったのか。それは、都知事選と都議会選挙で大成功を収めたために小池都知事が舞い上がってしまい日本人の心を失ってしまった、あるいは、小池都知事には、もともと日本人としての一般常識が欠けていた。どちらかと思いますが、前者であるならば、復活の可能性はあるでしょう。
前回(2日前)、今上天皇は日本人の深層にある縄文思想を大切にしていることについて触れましたが、政治家は日本人の精神に反することをすれば反発を招くということを、今回の選挙は示したのではないかと思われます。
なお、上と下の写真は、記事と関係ありませんが、自然との共生を目標に遊んでいる我が菜園11月の様子です。今、食べることができる果実、不老長寿の実と言われるクコ、そして、ジューシイなカボスです。寒くなってきたこの頃、これらを食べ、元気に行きたいところです。
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[ 2017/11/25 07:56 ]
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今上天皇の言葉に縄文思想を感じる(縄文思想と日本人)
今上天皇の言葉に縄文思想を感じる(縄文思想と日本人)
今上天皇は再来年(2019年)4月に退位することになったと報道がありました。一方、「
日本会議と戦う!?「度胸の天皇陛下」がついに決意された
」という記事が阿修羅掲示板に紹介されていました。その記事の一部を引用しますと次のとおりです。
畏れ多いことながら"ある事件"以来、「今上天皇は度胸で誰にも負けない!」と思うようになった。
「ある事件」とは2004年の園遊会の席上、東京都教育委員を務める棋士の米長邦雄さんが「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と話した時のことだ。
これを聞いた天皇は(いつもと同じように和やかではあったが)、「やはり、強制になるということではないことが望ましい」と述べられた。米長さんは「もちろん、そう、本当に素晴らしいお言葉をいただき、ありがとうございました」と答えるしかなかった。
(引用終了)
前置きが長くなりましたが、今回は、この「強制になるということではないことが望ましい」という今上天皇の言葉と関連し、その縄文思想について、愚考します。
その言葉の意味は、言い換えますと、強制でなく「自然にそうなるのがいい」、という意味かと思います。そして、この「自然にそうなるのがいい」ということは、「和」や「自然との共生」に繋がる日本に古くからある縄文思想でないかと思われます。
日本人は、1万年以上という「自然との共生」という空間の中で暮らしてきました。このため、自然を壊さないことの重要さ、対立や無理な強制はしないことの重要さを学んだのではないかと思われます。
まとめますと、今上天皇の言葉は、「心の内側から起こってくるものが自然であり本物であること」、関連し、日本古来の「和」の思想や「自然との共生」(縄文思想)に通じるものを大切にしていることを感じさせます。
個人的な思いになりますが、今上天皇は、現在の平和憲法を尊重し、訪問先々で平和の大切さを訴え、日本の心を代表するすばらしい国家元首だと思うこの頃です。特に、私は海外で働いていたとき、心もとないテロ事件等のニュースに接しましたが、今上天皇が先頭にたって平和の重要さを訴えている姿を拝見し、たいへん心強く思いました。これだけ誠心誠意、平和の大切さを訴えている国家元首は他に見当たりません。
なお、上と下の写真は記事と関係ありませんが、有名なマダガスカルのバオバウの木の通りと周辺の様子です。有名な通りなのに道路は土、自然との共生を感じさせる風景でした。
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[ 2017/11/23 08:07 ]
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聖徳太子の17条の憲法と縄文思想(縄文思想と日本人)
聖徳太子の17条の憲法と縄文思想(縄文思想と日本人)
ブログ仲間が「
聖徳太子の生涯
」について、死因も分からない厳しいものであったことを紹介しておりました。我が国最初の偉人と評価されている聖徳太子の生涯は順風漫歩であったと思っていた小生でしたので大変驚きました。この記事に刺激され、今回は、聖徳太子の17条の憲法と縄文思想の関係について愚考します。
まず、聖徳太子の制定した17条の憲法ですが、Wikipediaによれば、「604年4月3日、いわゆる十七条憲法を制定し、豪族たちに臣下としての心構えを示し、天皇に従い、仏法を敬うことを強調している。」とあります。
その17条の憲法の「
現代語訳
」をまとめますと上の表のとおりです。その内容の中心は儒教的なものですが、和を大切にすること(第1条)、仏教信奉すること(第2条)が憲法の条文のように入っています。仏教を信奉することは、当時の状況から理解できますが、第1条の和を大切にすることとは何を意味するのでしょう。
拙ブログの判断ですが、この和を大切にすることとは、縄文時代に育まれた自然との共生思想と思われます。言い換えますと、自然との対立よりも自然との共生、蘇我氏と物部氏の対立よりも共生、仏教と日本の在来宗教との対立よりも共生を意味します。
さらに、その和を大切にすることを補足するため、15条では次のように言っています。「私心をすてて公務にむかうのは、臣たるものの道である。およそ人に私心があるとき、恨みの心がおきる。恨みがあれば、かならず不和が生じる。不和になれば私心で公務をとることとなり、結果としては公務の妨げをなす。恨みの心がおこってくれば、制度や法律をやぶる人も出てくる。第一条で「上の者も下の者も協調・親睦の気持ちをもって論議しなさい」といっているのは、こういう心情からである。」
さらには、17条では次のようにも言っています。「ものごとはひとりで判断してはいけない。かならずみんなで論議して判断しなさい。ささいなことは、かならずしもみんなで論議しなくてもよい。ただ重大な事柄を論議するときは、判断をあやまることもあるかもしれない。そのときみんなで検討すれば、道理にかなう結論がえられよう。」
まとめますと、聖徳太子と権力者の蘇我馬子は仏教を布教しようとしたと言われますが、聖徳太子は、仏教よりも和を大切にする縄文思想を上に置いていたと思われます。この考えは、拙ブログで紹介している現代日本人の思想に似ています。
そして、この考えは対立していた物部氏の考えに近く、権力者であった蘇我馬子の賛同は得られるものではなく、聖徳太子の生涯は厳しいものになったのではないかと推察されます。その厳しい様子は、表記ブログ仲間の記事に紹介されているところです。
なお、下の写真は、記事と関係ありませんが、自然との共生を目指している我が菜園の菊の花の様子です。
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[ 2017/11/21 08:01 ]
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仏教は不殺生、自然との共生思想と違う(縄文思想と日本人)
仏教は不殺生、自然との共生思想と違う(縄文思想と日本人)
「落語的笑いのすすめ」(桂文珍著 平成18年)を読んでいたら、立松和平さんが四万十川のヤマメを食べ、「必要以上にとってはいけません」と言っていたことが紹介されていました。
そして、「これは仏教の考えでしょう、おそらくは無駄な殺生をしないということなんでしょう」と桂文鎮さんが解説していました。
関連し、これは、仏教の考えでなく、日本人の自然との共生思想だと思ったところです。関連し、今回は、この仏教と自然との共生の考えの違いについて愚考します。
まず、仏教の教えは不殺生です。人は死ぬと別の生き物に生まれ変わるという輪廻の考えです。すなわち、生きているものは別の生き者に生まれ変わるのだから、どのような生きもの、虫も殺してはいけない、ということだと思います。
一方、日本人の考えは、自然との共生がベースにあり、人間は自然の一部であり、食べるために生き物を少し殺生するのは問題ない、という感じでしょうか。
日本人の思考様式は、私もそうですが、不殺生の仏教よりも、この自然との共生という考えに近いのではないでしょうか。最初に出てきた立松和平さんも、名前のとおり「和平」(自然との共生)の考えだと思われます(笑)。
また、関連し、日本人は食事前に「いただきます」と言いますが、その言葉には植物や動物の生命をいただくことに感謝の意味が込められていること、それは縄文時代から続いていることを拙ブログで紹介したことがあります。
まとめますと、生き物を殺すことに関し、日本人は深層心理として、自然との共生という縄文時代からの思想を強く残している、と思われます。このため、仏教の不殺傷は受け入れられなかったと思われます。
関連し、上の写真は、サツマイモの葉を食べる夜盗虫が激しく発生した昨年の菜園の様子です。妻は、300匹ぐらいの虫をハサミで切って殺し、収まったと言っていました。これだけの生き物を殺しても平気ですから妻は仏教徒ではありません(笑)。
この妻の努力のためかサツマイモは、下の写真のように大豊作でした(笑)。
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[ 2017/11/19 07:17 ]
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秋田美人のルーツは縄文時代最盛期の日韓交流時代にある(北方系と日本人)
秋田美人のルーツは縄文時代最盛期の日韓交流時代にある(北方系と日本人)
拙ブログでは、秋田美人のルーツは北方系のツングース系民族であること、関連し、日本海は美人の山地であることを紹介してきました。今回は、小山(1984)の古代人口資料から、何時頃来たのか愚考します。
北方系民族の大半は、食料を求め、4200年前の寒冷化時代から来たと拙ブログでは推察しております。しかし、少しですが、それ以前も来た感じがします。それは縄文時代最盛期の5000年前頃のことです。
小山(1984)の資料ですが、5000年前の状況を日本海側(北陸)と太平洋側(東海)で比較しますと、北陸は東海と比較し大きく人口が増えています(上図参照)。この差は自然増加以上のこと、すなわち移民があったことを伺わせます。
そこで考えますと、当時は、山内丸山遺跡から分かりますように東北の縄文時代最盛期です。海洋交易も盛んで、富山の翡翠、遼東半島の円筒土器などが山内丸山遺跡で出土しています。すなわち、この時代、遼東半島や朝鮮半島からツングース系民族も、日本海側の各地に移住してきた可能性があります。
そして、秋田について言えば、アイヌ系の人々が山間部に住んでいたことは明らかですが、海岸に近いところでは少ない可能性があり、そこへ比較的多くのツングース系民族が渡来してきたのではないかと推察されます。そして、そうした関係から色白高身長の秋田美人が生まれたのではないかと推察されます。
なお、下の写真は記事と関係ありませんが、自然との共生を目指す我が菜園の菊の花の様子です。放置栽培ですが、晩秋となると毎年、美しい花を見せてくれます。
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[ 2017/11/17 07:51 ]
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ツングース系到来と日本美女伝説愚考(北方系と日本人)
ツングース系到来と日本美女伝説愚考(北方系と日本人)
前回(11月2日)、ツングース系の人達が日本に来て人口の半分近くになったことを紹介しました。今回は、浮世絵等を例に、その影響について検討します。
北方では冬の寒さが厳しく、それに適応した身体的特徴として、体が大きくなり(高身長)、足は短く(胴長)、眼は細く一重瞼になった、と言われており、これがツングース系民族の特徴ともいわれております。
この観点から浮世絵美人画を見ますと、色白、高身長、胴長、細い目一重瞼で、これらの特徴は北方系すなわちツングース系民族の特徴と一致します。
拙ブログでは、秋田美人にも、これらの特徴が表れていることを以前(2017年8月26日)に紹介しました。
何故、浮世絵は北方系なのか、個人的愚考ですが、日本人とくに色黒の縄文人は、移住してきたツングース美女を初めて見たとき、その肌の美しさに驚き、色白女に対する憧れが増幅したのではないかと思われます。古くからある言葉ですが、「色白女七難隠す」とか、「美人とは皮一枚のいたずらなり」と、言われてきました。
それは、初めに平安絵巻に現れましたが、そのイメージが江戸時代まで続き、浮世絵として登場したのではないかと思われます。さらに、近代においては、谷崎純一郎の小説「春琴抄」には、その様子が如実に表現されていた感じがします。そして、「春琴抄」は何度も映画化されていますが、そこでは、「美人とは皮一枚のいたずらなり」という日本人の美意識が象徴的に表現されていた感じがします。
また、日本各地に雪女伝説がありますが、その描写にも似たようなところがあります。
まとめますと、日本の美女伝説に関し、北方系美女というのは重要な役割をしていると思われます。拙ブログでは、ツングース系民族の影響は多数来た割には日本の歴史や社会には大きな影響は残していないと判断しておりますが、美女伝説には大きな影響を残していると思われます(笑)。
なお、上と下の写真は記事と関係ありませんが、マダガスカルの薬用のクモです。食べることができ、健康に良い、美肌に良いということでしたが、私には食べることはできそうもありませんでした(笑)。
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[ 2017/11/15 08:10 ]
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神武東征とイモガラ木刀愚考(日本人のルーツ)
神武東征とイモガラ木刀愚考(日本人のルーツ)
古事記と日本書紀によりますと、神武天皇は、宮崎県(日向国)高千穂の峰から降り立ったと言われます。そして、その日向国を平定すると、日本国を統合するため九州を北上し、そして、東へ向かい、幾多の困難を乗り越え、奈良の地に 我が国最初の統一王朝(大和朝廷)を作られたと言われます。
その勇猛果敢な神武天皇を祖先にいただく宮崎県民ですが、今はイモガラ木刀と呼ばれていることを2日前に紹介しました。一説によれば、神武東征のときに、勇猛果敢な人たちは皆出て行ってしまい、残ったのはイモガラ木刀ばかりだったということです。(ほんとかい?)
一方、宮崎県の県民性を表す言葉に「よだきんぼ」(よだきい)があります。その意味は、暑い気候なので、疲れるね、だるいね、やる気出ないね、という感じの言葉でしょうか。
また、宮崎県では「お疲れ様です」という挨拶が朝から聞かれます。私は、着任したばかりのとき、朝から疲れて1日もつのか、と心配したことがあります(笑)。
これらのことから想像しますと、イモガラ木刀のルーツは宮崎の暑い気候にあるのではないかと思われます。すなわち、昔は勇猛果敢な性格であったが、暑い気候のなかで暮らすうちに、宮崎の男はイモガラ木刀になってしまった、という感じでしょうか(笑)。
なお、上と下の写真は、イモガラ木刀関連というわけではありませんが、自然との共生を目指す我が菜園のサトイモ栽培の様子です。今年は、前半は低温乾燥で生育が遅れましたが、後半は雨が多く豊作になりました。
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[ 2017/11/13 07:37 ]
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イモガラ木刀と日向カボチャ、美男子のルーツ(アイヌ系と日本人)
イモガラ木刀と日向カボチャ、美男子のルーツ(アイヌ系と日本人)
イモガラ木刀とは、サトイモの茎の部分のことですが、形はいいが軟弱、転じて軟弱な男をさすようです。関連し、上の写真はイモガラ木刀です。私もそれで子供の時遊んだことがありますが、木刀というには柔らかすぎます(笑)。
私は、仕事関係で1990年から宮崎県に7年間住みました。そのとき、「イモガラ木刀と日向カボチャ」という宮崎県の土地柄を表す言葉に出会いました。今回は、このイモガラ木刀について日本人のルーツとの関連で愚考します。
まず、その「イモガラ木刀と日向カボチャ」の意味ですが、宮崎県の男はイモガラ木刀のようで、かっこはいいが柔らかくて使い物にならない、一方、女は日向カボチャのようで、見てくれは悪いが優しくて働き者でいい女、という感じかと思います。
確かに、宮崎県にはかっこいい男の人が多かったと思います(笑)。
一方、前回、アズマ(東)男、そして伊達(だて)男はかっこいいことを紹介しました。これらに宮崎県の男を含めて考えますと、イモガラ木刀(宮崎)、アズマ男(関東)、伊達男(宮城)、という美男子3地点ができあがります。そして、これらの点を線で結びますと、太平洋ベルト地帯ができあがります。
拙ブログでは、アイヌ系の人々が黒潮に乗り沖縄から太平洋側を北上したこと、この結果、太平洋側にアイヌ系の人々が多くなったことを紹介しております。
また、アイヌ系は鼻が高く足が長く欧州系と呼ばれたことがありますが、これが美男子の特徴と思われます。
以上のことから推察しますと、日本の美男子の産地は太平洋側となるのでしょう。
関連し、下の地図は、日本の美女、美男子のルーツです。本図は、日本で初めての美男美女ルーツ解説図で、日本人の美女、美男子のルーツを語るうえで重要な情報でないかと思っています。
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[ 2017/11/11 08:07 ]
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日本人の縄文思想と稲作のルーツ
「天皇家はアイヌ系」についてまとめています。詳細(目次)は下のとおりです。どうぞよろしく。
Author:レインボー
現在は邪馬台国の真相についてまとめています。
天皇家はアイヌ系(目次) はじめに 1. 日本民族のルーツ 2. 古墳王家は何故滅びたのか 3 古墳王家はアイヌ・マレー系連合に滅ぼされた 4.日本書紀は創作 5.日本語と日本人宗教のルーツ 終わりに
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