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Archive2018年01月 1/1

百済王の名前はマレー語で読める(日本語のルーツ)

百済王の名前はマレー語で読める(日本語のルーツ)拙ブログでは、万葉仮名=日本語の読み=マレー語読みについて検討してきました。今回は、マレー系民族の国と思われる百済の王の名前は万葉仮名で読めるのか検討します。まず王命リストは「百済の歴代王年表」によります。そして、その王名のリストに万葉仮名読み(推定)とマレー語、その意味(English)を加えた表を作りました。その表は上のとおりです。この表には31代の王命...

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百済王国地名はマレー語由来(日本語のルーツ)

百済王国地名はマレー語由来(日本語のルーツ)百済(くだら)王国は朝鮮半島南西部に3世紀頃から現れた国家です。その頃、日本では北九州に邪馬壱国(邪馬台国)があった時期ですが、百済と邪馬台国は、近接しており、かつ稲作民族国家であったことからたいへん似た要素をもっています。日本人のルーツについては、最近のDNA研究(Y染色体ハプログループ分類)によれば、アイヌ系が35%、マレー系が30%、中国系とモンゴル系混血...

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エカタシロ(ワカタケル)大王の意味(邪馬台国と日本人)

エカタシロ(ワカタケル)大王の意味(邪馬台国と日本人)前回(4日前)、埼玉古墳で見つかった「稲荷山古墳出土鉄剣の碑文」について、そこに記されている王の名前はワカタケルでなくエカタシロであったことを紹介しました。今回は、エカタシロ大王の意味について愚考します。まず、埼玉県稲荷山古墳出土鉄剣の碑文の「獲加多支鹵」大王ですが、これは、万葉仮名では「ワカタケル」と読めない。あえて読めば「エカタシロ」、ある...

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関東地方に大王が居たのか(邪馬台国と日本人)

関東地方に大王が居たのか(邪馬台国と日本人)ブログ仲間が「古墳は語る(13)~前方後円墳の一番多い県はどこ?」で、1位が千葉、4位が奈良と、関東が畿内より前方後円墳が多いこと、関連し、前方後円墳が畿内政権(大和政権)の管理の下に作られたとは言えないことを紹介しておりました。巨大な前方後円墳が作られた4世紀後半が畿内政権の確立した時期とみられますが、それ以前にも前方後円墳が各地で作られていることから推察し...

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弥生時代開始が北九州は畿内より200年早い(邪馬台国と日本人)

弥生時代開始が北九州は畿内より200年早い(邪馬台国と日本人)邪馬壱国(邪馬台国)がどこにあったのか、まだ論争している感じがします。拙ブログでは、倭国の風俗が中国の海南島の風俗に似ているという魏志倭人伝の指摘から、海南島近辺に居たマレー系の稲作民族が、北九州に住み始め、邪馬台国を作ったと指摘しております。今回は、遺跡の数から古代の人口を推定した小山(1984)のデータを用い、邪馬台国候補地の九州と畿内の...

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弥生時代の始まりと人口変化の不適合(稲作と日本人)

弥生時代の始まりと人口変化の不適合(稲作と日本人)弥生時代は、Wikipediaによれば、「採集経済の縄文時代の後、水稲農耕を主とした生産経済の時代である」、とあります。そして、弥生開始年代は、2500年前頃を改め3000年前とする、と学会で2003年に決まったようです。言い換えますと、自然採集生活という縄文時代に代って、水稲農耕が始まった結果、食料革命が起こり、飛躍的に人口が増え始めたときが弥生時代であることになり...

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東北の縄文人は縄文カレンダーで寒冷時代を乗り切った

東北の縄文人は縄文カレンダーで寒冷時代を乗り切った(日本人のルーツ)北海道と東北にあるストーンサークルは縄文時代の遺跡ですが、その用途については、祭のモニュメント説、有力者の墓地説などが挙げられていますが、明確でない感じがします。一方、拙ブログでは、縄文カレンダーであったことを、昨年8月8日に紹介しました。そして、縄文人は、そのカレンダーを使い、厳しい寒冷化の時代を乗り切ろうとしたことを検討しました...

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日本人の縄文思想と稲作(ごあいさつ)

日本人の縄文思想と稲作(ごあいさつ)新年明けましておめでとうございます。昨年は、拙ブログ訪問、およびコメント、ありがとうございました。拙ブログでは、日本人の言葉、そして思想や考え方は縄文時代に出来上がったこと、稲は縄文時代にマレー系民族が伝えたことを、最新のDNA情報を活用し検討してまいりました。また、日本には、邪馬台国論争を初め、多くの論争や謎があります。こうした論争や謎にも、以上の観点から追及し...

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