Archive2018年02月 1/1
百済はマレー系海洋系民族の国であった(邪馬台国と日本人)

百済はマレー系海洋系民族の国であった(邪馬台国と日本人)蘇 鎮轍(ソ・チンチョル)氏が「百済部寧王の世界、海洋大国 大百済」(2007)という書籍(上の写真参照)を出しております。そこでは、武寧王の時代、百済は中国南部の海南島付近まで進出し、そこに領土のような地域をもっていたことを紹介しております。一方、拙ブログでは、百済は倭国と同じくマレー系民族の国であったことを指摘してきました。マレー系は海洋系民...
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万葉仮名のルーツは百済で使われていた漢字(日本語のルーツ)

万葉仮名のルーツは百済で使われていた漢字(日本語のルーツ)拙ブログでは、マレー語の発音は日本語の発音とほぼ一致し、かつ、日本語の発音のルーツは万葉仮名にあることを指摘してきました。そして、日本語は、先住民族のアイヌ系言語をベースに、後に来たマレー系民族の発音様式が万葉仮名を利用する過程で取り入れられた、と推察しております。すなわち、万葉仮名=日本語発音=マレー語発音になりますが、今回は、その万葉仮...
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伽耶はマレー系民族の国(邪馬台国と日本人)

伽耶はマレー系民族の国(邪馬台国と日本人)澤田洋太郎氏が「伽耶は日本のルーツ」(改定新版 2006)を発表しております(上の写真参照)。そして、伽耶は、鉄も産し、古代においては重要な鉄の供給源であったこと、さらには、王冠とか古代遺跡の埋蔵品では日本の古代遺跡と同じものが産出しており、日本と密接な関係があったことを紹介しております。一方、拙ブログでは前回(4日前)、日本および朝鮮半島を含む東アジアの稲作...
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3000年前に稲作民族は来たのか(稲作と日本人)

3000年前に稲作民族は来たのか(稲作と日本人)弥生時代は菜畑水田遺跡を代表に3000年頃に始まったと言われております。そして古代稲関連の報告を概観しますと、稲作民族が来て水田稲作を始め、弥生時代が始まったという記事が圧倒的に多い感じがします。そこで、今回は、3000年前に稲作民族が来た可能性について愚考します。前回、縄文時代の稲と弥生時代の稲が同じ種類であったことについて報告しました。一方、拙ブログでは、50...
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稲を持ち込んだのはマレー系の民族だ(稲作と日本人)

稲を持ち込んだのはマレー系の民族だ(稲作と日本人)これまでの古代稲の報告を概観しますと、稲作民族が来て水田稲作を始め、弥生時代が始まったという記事が圧倒的に多い感じがします。関連し、今回は、その稲作民族はマレー系の民族であったことについて愚考します。拙ブログでも紹介していることですが、最近のDNA研究(Y染色体ハプログループ解析)から、現在の日本民族は、アイヌ系が35%、南方系のマレー系が30%、中国系と...
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古代水田稲作で最も重要な農具(稲作と日本人)

古代水田稲作で最も重要な農具(稲作と日本人)アジアの天水田では、雨期に雨水を貯め、その水で稲作を行いますので、立派な畦を作るのが普通です。一方、私は、ナイジェリア西隣側にありますベナン国(もと奴隷海岸)でアフリカ稲の開発のために2009~2011年の2年間従事しました。そのとき、アフリカ大陸の伝統的天水田を見ましたが、畦がないのには驚きました。アフリカの天水田に何故畦が無いのか考えますと、畦を作るための鋤...
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水田稲作は鉄の農具があって初めて可能(稲作と日本人)

水田稲作は鉄の農具があって初めて可能(稲作と日本人)稲作と関連し、弥生時代開始期を3000年前からとするのは早すぎることについて前回(1月10日)検討しました。今回は、水田稲作は鉄の農具があって初めて可能であることについて愚考します。水田稲作は、畑作と比較し、水が栄養を運ぶため肥料を入れなくとも収量があり、日本の歴史を作った作物と高く評価され、そのためか、古代稲作について調べますと、その水田稲作のルーツ...
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