Archive2018年03月 1/1
五経博士受け入れによる文書作成と継体王(日本語のルーツ)

五経博士受け入れによる文書作成と継体王(日本語のルーツ)百済は、武寧王(在位:502年~523年)の時代、大国の高句麗を破り軍事的に強国となり、海外の国とも交流し、海洋大国とも言われるようになったことを紹介してきました。一方、日本との関連では、当時の継体王(天皇在位:507年~531年)を男弟王と呼び義兄弟関係にあったことを紹介してきました。今回は、百済の武寧王が五経博士を継体王のもとに513年から日本に送り、...
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継体王が実質の初代天皇、国造など初めての日本支配制度(邪馬台国と日本人)

継体王が実質の初代天皇、国造など初めての日本支配制度(邪馬台国と日本人)篠川賢(しのかわ・けん)氏が「継体天皇」(2016)という書籍を出しております(上記写真参照)。その書では、継体王が初めて国を管轄する部署(部民制度)や地方支配の制度(国造)を設けたことなどを紹介しておりますが、これは、日本が初めて国らしい組織を持ったことを意味します。今回は本書を参考に継体王の日本統一の実像に迫ります。まず、武民...
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継体王、小さな王宮、初代天皇か(邪馬台国と日本人)

継体王、小さな王宮、初代天皇か(邪馬台国と日本人)継体王については、実在を確認できる最初の大王(天皇)として前回に紹介しました。一方、西川寿勝氏らが「継体天皇 二つの陵墓、四つの王宮」(2008)という書籍を出しております(上記写真参照)。そこでは、陵墓と王宮跡がほぼ確認できたことを紹介しております。その王宮跡は、6世紀当時、豪華絢爛であったと言われる倭国の都の大宰府と比較しますと、質素で、その意味で...
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武寧王と継体王は義兄弟の関係(邪馬台国と日本人)

武寧王と継体王は義兄弟の関係(邪馬台国と日本人)蘇 鎮轍(ソ・チンチョル)氏が「百済部寧王の世界、海洋大国 大百済」(2007)という書籍を出しております。そこでは、和歌山県の隅田八幡神社の人物画像鏡の銘文を解釈すると、百済の武寧王は日本の継体王を男弟王と呼んでいたことが分かる、と指摘しております。関連し今回は、百済の武寧王と継体王の関係について愚考します。百済の武寧王(在位:502年~523年)につては、...
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倭王武は百済の武寧王になった(邪馬台国と日本人)

倭王武は百済の武寧王になった(邪馬台国と日本人)森友文書の改ざんで戦後民主主義の危機が叫ばれております。普段テレビを見ない小生も毎日テレビで状況をみています(笑)。部下に責任を押し付けている方が居られますが、日本的でない感じがします。この問題は、後ほど検討したいと思います。さて、蘇 鎮轍(ソ・チンチョル)氏が「百済部寧王の世界、海洋大国 大百済」(2007)という書籍を出しております。朝鮮半島南部と北...
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エカタシロ大王寺の「寺」の意味と鉄剣作成場所(邪馬台国と日本人)

エカタシロ大王寺の「寺」の意味と鉄剣作成場所(邪馬台国と日本人)拙ブログでは埼玉古墳出土鉄剣碑文について記されている大王の名(獲加多支鹵)は、通説の「ワカタケル」でなく「エカタシロ」であり、慈悲深い大王の意味であることを指摘してきました。また、埼玉県稲荷山古墳出土の鉄剣碑文について、鉄剣碑文関係の「関東の大王の墓」がどこにあるのか前回、検討しました。一方、鉄剣碑文には「エカタシロ大王寺」という言葉...
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関東の大王は太田天神山古墳に眠っている(邪馬台国と日本人)

関東の大王は太田天神山古墳に眠っている(邪馬台国と日本人)埼玉古墳出土鉄剣碑文に記されている大王については、有名な古田武彦氏の「関東に大王あり」が知られております。そこでは、大王は栃木県藤岡町辺りに居たと推定されておりますが、古墳の分布から見ますと、当時の中心地は毛の国(群馬県)であり、決定的な結論にはなっていない感じがします。一方、関東には多くの古墳があることが知られておりますが、それらをまとめ...
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鉄剣銘文の獲加多支鹵大王は倭王武 (邪馬台国と日本人)

鉄剣銘文の獲加多支鹵大王は倭王武(邪馬台国と日本人)蘇 鎮轍(ソ・チンチョル)氏が「百済部寧王の世界、海洋大国 大百済」(2007)という書籍を出しております。そこには、拙ブログでも紹介しました熊本県の江田船山古墳の鉄剣銘文に記された獲加多支鹵(エカタシロ)大王についても言及しております。関連し、今回は、その江田船山古墳出土の鉄剣銘文のエカタシロ大王は倭王武であった可能性について愚考します。まず、拙ブロ...
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