Archive2018年05月 1/1
「垂柳遺跡」の早生稲はどこから来たか(稲作と日本人)

「垂柳遺跡」の早生稲はどこから来たか(稲作と日本人)前回、東北の水田稲作が青森県津軽平野の「垂柳遺跡」から始まったことを紹介しました。一方、佐々木広堂氏が「朝鮮半島東北部・ロシア沿海から伝わった封印された早生品種と和田家文書の真実」と題し、東北の早生品種は朝鮮半島東北部から伝わったと熱い議論を展開しております。確かに、東北で水田稲作が定着するには早生品種なしには考えられません。また、「垂柳遺跡」の...
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東北で最初に水田稲作を始めた人々は誰か(稲作と日本人)

東北で最初に水田稲作を始めた人々は誰か(稲作と日本人)拙ブログでは、稲作は、縄文時代から居たマレー系民族がもたらしたものとして検討してきました。そして、マレー系民族が移住してきたときから稲は陸稲として作られ、2500年前頃、鉄器の農具が伝わると、水田作りが始まったと指摘しております。一方、青森県では「砂沢遺跡」から炭化籾と水田跡が発見され、2500年前の弥生時代に稲が水田で作られていたことが分かりました。...
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江南地方の稲作技術はセットで持ち込まれたのか(稲作と日本人)

江南地方の稲作技術はセットで持ち込まれたのか(稲作と日本人)古代稲作に関する報告を見ますと、水田稲作は、種子(日本型品種)、鉄製農具、稲作民族がセットで入ってきた、いわゆる、稲作民族が来て水田稲作が始まった、という報告が多い感じがします。しかし、稲作民族のマレー系民族については1万年前、稲種子については6000年前、関連する鉄製農具は2500年前から、ということを拙ブログでは紹介してきました。すなわち、稲...
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江南地方の水稲と照葉樹林文化地帯の陸稲のルーツは同じ(稲作と日本人)

江南地方の水稲と照葉樹林文化地帯の陸稲のルーツは同じ(稲作と日本人)日本文化のルーツに中国南部の照葉樹林文化の影響があると言われます。例えば、納豆などの発酵食品や糯米文化のルーツは照葉樹林文化に由来するという考えですが、稲栽培のルーツもそこにあるという指摘もあり、稲作は江南地方がルーツだという考えと論争が続いている感じがします。関連し、今回は、両者のルーツは同じ、そして、稲作文化と照葉樹林文化がマ...
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江南地方に野生稲は無く栽培種の選抜はできなかった(稲作と日本人)

江南地方に野生稲は無く栽培種の選抜はできなかった(稲作と日本人)最近の報告を見ますと、稲作のルーツは江南地方、栽培種のルーツも江南地方という感じですが、江南地方には野生稲がなかったいう問題があります。言い換えますと、氷河期の江南地方は寒く、野生稲が自生できる環境ではなかった。このため、栽培種も無かったことになります。前回(4日前)、拙ブログでは、栽培種のルーツはスンダランド(インドネシア辺り)とす...
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栽培稲のルーツはスンダランド(稲作と日本人)

栽培稲のルーツはスンダランド(稲作と日本人)スンダランドというのは水位が低かった氷河期にインドネシア当たりにあった大陸です。拙ブログでは、栽培稲のルーツはインドネシア当たり(スンダランド)、という見解を支持しております。その根拠は、栽培稲の始まりは日本型で、その最も古いタイプがインドネシアの在来種のブル種にあった、という報告にあります。関連し、それを分かりやすく紹介した記事<稲作インドネシア・フィ...
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自生アフリカ稲の故郷と江南地方の類似(稲作と日本人)

自生アフリカ稲の故郷と江南地方の類似(稲作と日本人)稲の栽培種には、サテバ種のアジア稲とグラベリマ種のアフリカ稲が知られております。グラベリマ種は上の写真のような穂を持ち、疎粒で低収のため、ほとんど作られておりませんが、アジア稲が入る前はかなり作られていたようです。そして、そのアフリカ稲の故郷は大河ニジェール川上流にあるマリ国の河川敷で、先日(4日前)紹介のような河川敷です。今回は、アジア稲作の故...
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古代中国の稲作は鉄製農具が無くとも可能な所で行われた(稲作と日本人)

古代中国の稲作は鉄製農具が無くとも可能な所で行われた(稲作と日本人)拙ブログでは、陸稲がマレー系民族によってもたされたこと、そして、耕作可能な鉄器導入によって水田稲作が可能になったことについて言及してきました。一方、中国の江南地方は、日本と朝鮮半島の稲作の故郷と言われます。その稲作は、氷河期の終わった直後の1.4万年前の玉蟾岩(ぎょくせんがん)遺跡に始まり、7000年前の河姆渡(かぼと)遺跡では大量の籾...
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