日本人の縄文思想と稲作のルーツ
日本人は、アイヌ系35%、マレー系30%、半島由来ツングース系25%、その他10%の混合混血民族です。DNA分類の結果、ヤマトにはツングース系王家が創られ、その後、アイヌ系の現天皇家に滅ぼされたと推察されます。万世一系を主題にした日本書紀は創作になります。関連し、今回は邪馬台国の真相に迫っています。
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ツングース系民族はいつ日本へ来たのか(北方系と日本人) [2018/07/28]
満州人は日本人のルーツ(北方系と日本人) [2018/07/24]
ウソを平気で言う風潮は日本的か(縄文思想と日本人) [2018/07/20]
まとめ 9.古代の朝鮮半島には2種の民族が居た(北方系と日本人) [2018/07/16]
まとめ 8.マレー系民族の日本文化への大いなる影響(南方系と日本人) [2018/07/12]
まとめ 7.日本人の宗教は自然崇拝の多神教(縄文思想と日本人) [2018/07/08]
まとめ 6.日本語のルーツはアイヌ語とマレー語(日本語のルーツ) [2018/07/04]
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ツングース系民族はいつ日本へ来たのか(北方系と日本人)
ツングース系民族はいつ日本へ来たのか(北方系と日本人)
「
日本人の高身長は朝鮮半島のツングース系民族に由来すること
」を以前に指摘しました。さらに、「
ツングース系は満州で発生した中国系とモンゴル系の混合混血民族
」と前回紹介しました。
今回は、長身のツングース系民族はいつ日本へ来たのか、検討します。
彼らが日本に来る波は3回あったと思われます。
移住1回目は、5000年前頃の縄文時代最盛期の三内丸山時代で、この時期は海洋交易が盛んだったことが知られていますが、北陸を中心に異常な人口増加が認められます。この関係を、古代の遺跡の数から人口を推定した小山修三(1984)のデータを用いて示しますと、上の図のとおりです。
この図は、太平洋側の東海と日本海側の北陸の古代人口の推移比較ですが、5000年前頃北陸で異常に人口が増加しています。このことは、三内丸山縄文時代の海洋交易の結果、日本海側に人が移住して増えた可能性を示します。
移住2回目は、4000年前~3000年前の大きな寒冷化が2回あった時期で、その影響で食料不足となり、日本では縄文文化が停滞した時期であります。アジアでは北方系民族が食料を求めて南下した時代で、この移動の波は中国全土でも確認され、アジア古代の大きな波であったと思われます。日本には来たのは、朝鮮半島に居たツングース系民族と思われますが、寒冷期間は1000年という長期間で、その間、少しずつ移住してきたと思われます。
その少しずつ移住して来た証拠ですが、日本に居たアイヌ系民族の言葉に影響がほとんど見られないことが考えられます。おそらく、彼らは、年当たり100人とか300人ぐらいの単位で日本海側の地域に移住し、縄文人(アイヌ系)のお世話になり、縄文人になっていったことが予想されます。
移住3回目は、3000年前~2000年前で、この時期は、鉄器など大陸文化が導入された時期です。このとき、水田稲作文化も導入され、弥生文化が開花し、弥生人骨調査から長身の人も確認されることから、この時期もツングース系民族が日本に移住してきたと思われます。しかし、弥生時代は稲作民族のマレー系が主として活躍した時代で、ツングース系が来たのは僅かと思われます。
関連し、高身長のツングース系が弥生時代、どのくらい来たのか、人骨データから推定した弥生ミュージアムの「
弥生人の身体的特徴
」の一部を紹介しますと、次のとおりです。
弥生人の身体的特徴を最も雄弁に物語るのが、北部九州地方の甕棺墓等から出土する人骨です。佐賀県の三津永田遺跡や吉野ヶ里遺跡、山口県の土井ケ浜遺跡出土の弥生人骨は面高で身長が高く、中国黄河流域や朝鮮で出土した人骨と同じ特徴を備えています。一方、同時期の西北九州や東日本から出土する人骨は、そうした特長は見られず身長も縄文人同様の低身長です。(引用終了)
この記事から、縄文時代晩期から弥生時代にかけて中国大陸や朝鮮半島から高身長の人々が日本列島に渡来したが、高身長の人々の数はそう多くなく、北部九州周辺に分布する程度であったことが窺えます。
まとめますと、ツングース系民族は、縄文時代の寒冷化時代の食料不足と関連し、その時期に日本に多数移住してきたと思われます。一方、弥生時代に来たツングース系民族はわずかだったと思われます。
拙ブログでは、何度も指摘していることですが、ツングース系は畑作民族であり、稲作とは関係ありません。稲作民族として日本に来たのはマレー系民族です。
次回は、DNA研究(Y染色体ハプログループ分類)のデータを基に、ツングース系民族は日本人の半分になったことを紹介します。
なお、ツングース系民族に関心のある方は、拙ブログ左側にありますカテゴリー欄の「北方系と日本人」をクリックしますと、関連の記事を読むことができます。
下の地図は北方系ツングース系民族が日本に移住してきた3回の時代をまとめたものです。
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[ 2018/07/28 19:30 ]
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満州人は日本人のルーツ(北方系と日本人)
満州人は日本人のルーツ(北方系と日本人)
ブログのまとめを行ってきました。そして、まとめ1で、日本人のルーツについてDNAの観点から検討しました。
一方、拙ブログも参加している「
人気ブログランキング・日本史
」がありますが、第1位の「しばやんの日々」が、戦前の「満州国」に関し、いろいろな記録をもとに、その実態について記事にしております。
日本は、その満州人を味方にし、満州国を建設したという歴史があります。その満州国の主要な民族は、韓国人と同じツングース系民族と分類されていますが、ツングース系民族のルーツについては、南方由来説や北方由来説など諸説があり不明でした。
しかし、最近のDNA研究(Y染色体ハプログループ分類)はそのルーツを明らかにしたと思われます。そこで、今回は、日本人のルーツと関連し、最近のDNA研究データを基に満州民族のルーツについて愚考します。
まず、最近のDNA研究の結果を上の表に示しました。満州民族と近隣の民族のY染色体ハプログループ分類データですが、ハプログループCは、蒙古族に多い型ですのでモンゴル人を代表とするタイプと思われます。一方、ハプログループO2は漢族に多い型ですので中国人を代表するタイプと思われます。
これらハプログループC(モンゴル系)とO2(中国系)を中心に、満州民族に関する2論文のデータを見ますと、サンプルに違いがあり2論文で少し差異がありますが、満州人は、中国系とモンゴル系の混合混血民族と判断してほぼ間違いないと思われます。
拙ブログでは、満州に最初に住み着いたのがモンゴル系民族、これが2万年前頃、そこに中国系民族が移住し、混合混血が長い年月をかけて繰り返され、1万年前頃、満州民族が形成されたと推察しております。その結果、言葉はモンゴル系のツングース語、生業は中国系の北方型畑作になったと推察しております。
そして、そのツングース系民族は朝鮮半島へ南下し、高句麗、新羅、高麗等の国家を朝鮮半島に建設しました。
さらに日本へは、4000年前~3000年前の寒冷期時代に、食糧を求め、多数のツングース系の人々が移住してきました。
以上の経過を経て、満州人は日本人のルーツの一つになったと思われます。どのくらいの人数がきたのかは次回検討します。
関連し、上のDNAデータを基に、ハプログループをモンゴル系(C)と中国系(O2)とその他に分け、各民族の様子を円グラフで示しますと、下図のとおりです。満州人と韓国人はルーツが同じことが分かります。
参考までに、Y染色体ハプログループ解析について、初めての人のために紹介しますと、次のような感じです。
DNA研究、Y染色体ハプログループ解析とは?
男性か女性を決める染色体にXとYがあります。XYが男性、XXが女性になるわけですが、Y染色体は男性にだけあり、父親から男の子供に引き継がれることになりますので、そのY染色体をたどると父親のルーツが分かることになります。
このY染色体は、巨大なDNA配列の塊からできておりますのでそのDNAの配列から種類を細かく分類でき、人類の祖先のDNAを分類するのに最適と言われております。
たとえば、Y染色体ハプログループがD型ですと、それはアイヌに多い型ですので、その人の男親のルーツはアイヌ系となります。そして、このD型という分類は、10万年経過しても、マイナー変化はありますが、D型のままで変わることはありません。
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[ 2018/07/24 19:37 ]
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ウソを平気で言う風潮は日本的か(縄文思想と日本人)
ウソを平気で言う風潮は日本的か(縄文思想と日本人)
ブログのまとめを行ってきました。そして、まとめ5で、日本人の縄文思想について愚考しました。一方、最近、日本人の縄文思想と関連する事件が起きています。
日本の政治リーダーが嘘を平気でつくという問題ですが、日本人は体制に順応な人が多く、ウソをついても怒らない風潮があることに問題があるのではないか、という指摘がブログ仲間の記事にありました。そこで、こうした風潮は、日本人の特徴なのか、今回は愚考します。
まず、似たような状況は戦前にもありました。関係の書籍によれば、当時、石油輸出禁止など日本に過酷な経済制裁をしていたアメリカに対し、開戦すべきか軍内部に激しい論争がありました。あの有名な山本五十六大佐、そしてマレーの虎と怖れられた山下将軍はアメリカとの戦争に反対したとあります。しかし、昭和天皇と陸軍グループに押し切られ、開戦が決まったとあります。
その結果、山下将軍は現地に派遣されましたが、これは戦争に反対したためと言われます。そして、フイリピンで最後の決戦に臨み、アメリカ軍に捕まえられ、すぐ銃殺されました。
また、山本五十六大佐ですが、日本陣地視察のため南方に向かったとき、ブーゲンビル島上空飛行中に撃墜され、ジャングルで死亡しました。記録によれば、墜落しても生きていたようですが、戦争敗戦の責任を取り、自決したのではないかと言われております。
一方、戦争を指導した東条英機首相ですが、すべて天皇の命令でやったことで反対できなかった、と東京裁判で言ったことは有名です。また、共産党を初め戦争に反対した者は厳しく弾圧されたことも明らかです。
以上のことは太平洋戦争の一部ですが、ここに現在と同じ状況を見ることができます。
例えば、国有財産の土地を格安で払い下げた森友学園事件ですが、公文書の改竄は○○が勝手にやったこと、と上司に当たる大臣が言いました。また、当事者の○○は、資料は法律にしたがい廃棄した、と平気でウソをつきました。そして、検察は、特段の犯罪ではないという結論を出しました。
一方、森友事件に正直に対応した者には、異例の長期拘留という弾圧がありました。
以上ことをまとめますと、日本人には、体制に順応し、上には盾つくことはしないという風潮があることは戦前からあり、今も変わっていません。
これを、拙ブログの言う「日本人の自然との共生思想(縄文思想)」との関連で観ますと、日本人には自然や強いものに盾つくことはしない方がいいという考えが昔から流れていて、それが人間関係にも表れるのだと思われます。
このような思考は、先の大戦の経過から観て良くないことは明らかです。結論として、「日本人の自然との共生思想」は両刃の剣であり、長所もあるが弱点もあることになります。しかし、愛媛県知事を初め、正論を吐く人が出てきていることは、希望と思われます。
なお、上の写真は、自然との共生を目標に楽しんでいる我が菜園のアケビの様子です。
下は昨年秋の写真ですが、日本人は、こうしたアケビなど野生の果物を味わいながら自然と共生してきました。アケビですが、これで種が無ければ最高です(笑)。
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[ 2018/07/20 21:30 ]
縄文思想と日本人
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まとめ 9.古代の朝鮮半島には2種の民族が居た(北方系と日本人)
まとめ 9.古代の朝鮮半島には2種の民族が居た(北方系と日本人)
古代日本は朝鮮半島の影響無しには考えられません。しかし、過去の報告に関しては、朝鮮半島には現在の状況と同じくツングース系民族だけが居て、長身の彼らが弥生人のルーツになったと観る考えが支配的でした。すなわち、長身ツングース系が稲作を伝え、日本語もツングース系の文法が主となったという考えがありました。
しかし、拙ブログを系統的に観てきた方には分かっていることですが、弥生時代~古代の朝鮮半島には、南方から来た稲作民族のマレー系民族と北方から来た畑作民族のツングース系の2種の民族が住んでいました。
関連し、今回は、記事まとめの追加として、「まとめ9.朝鮮半島には2種の民族が居た」について愚考します。
最近のDNA研究(Y染色体ハプログループ分類)は朝鮮半島の民族のルーツも明らかにしました。彼らは、モンゴル系と中国系の混合混血民族のツングース系民族と観られていましたが、ツングース系60%(中国系40%、モンゴル系20%)の他、マレー系民族が30%も居ることが分かりました(まとめ1のデータ参照のこと)。
拙ブログでは、このマレー系民族は、朝鮮半島南西部に主として住み着き、水田稲作を導入し、百済国を建設し、かつ、文字や仏教など大陸文化を日本へ導入したことを紹介してきました。
しかし、百済は、中国とツングース系の新羅連合に663年滅ぼされ、新羅に統一されました。この結果、百済で使われていたマレー系言語も消えてしまいました。
しかし、拙ブログでは、百済の地名や王名にマレー語の痕跡があることを明らかにし、マレー系民族が居たことを明らかにしました。実際、私は韓国の学生に会ったことがありますが、彼らの中に低身長のマレー系の容貌をもった人も居たことを経験しております。
これらのことを総合しますと、古代朝鮮半島に、マレー系とツングース系の2種が居たことは確かで、稲作に関係したのは低身長のマレー系の方だったということになります。関連し、上の地図は、弥生時代、韓国最大の弥生稲作遺跡の松菊里遺跡の場所とマレー系とツングース系民族移住の経路の様子です。
また下の地図は、マレー系民族国家「百済」が最強であった武寧王時代(在位502~523年)の様子です。この時代は、強国の高句麗を打ち破り、最新仏教文化を中国から導入し、この仏教文化を新羅と日本に伝えています。
さらに、下の地図は百済と倭国が滅びた663年頃の様子です。これを境に、日本は日本民族の大和朝廷に、朝鮮半島はツングース系民族の新羅に、それぞれ統一されていきました。この結果、日本と朝鮮半島からマレー系民族が消えたことになります。
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[ 2018/07/16 20:57 ]
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まとめ 8.マレー系民族の日本文化への大いなる影響(南方系と日本人)
まとめ 8.マレー系民族の日本文化への大いなる影響(南方系と日本人)
拙ブログ1年2か月の記事(170回)のまとめを7回に渡って行ってきましたが、追加として、「まとめ 8.マレー系民族の日本文化への大いなる影響」について今回は、愚考します。
最近のDNA研究(Y染色体ハプログループ分類)は日本人のルーツをほぼ明らかにしました。その結果、日本人は、アイヌ系が35%、マレー系が30%、中国系が20%、モンゴル系が10%、その他が5%であることが分かりました。そして、アイヌ系は太平洋岸や東日本に多く、マレー系は西日本に多いことが分かっています。
一方、中国系とモンゴル系ですが、朝鮮半島の民族は中国系とモンゴル系をルーツとするツングース系民族と分類されています。朝鮮半島から日本への大量の民族移動が古代にあったことから、日本に居る中国系とモンゴル系は韓国由来のツングース系が大半と思われます。
そして、本題のマレー系民族の日本文化への影響は次のとおりです。
すでに紹介しましたように、彼らはインドネシア辺りにあったスンダランドに住み、稲作を行っていましたが、氷河期が終わりスンダランドの大半が水没すると移住を決意し、中国沿岸を北上し、日本の北九州当たりに辿り着いたと思われます。そして、初めは陸稲栽培を行い、鉄器導入後は、その農具を使い水田稲作を開始しました。
すなわち、マレー系民族は、収量の低い陸稲栽培を改良し、収量の高い水田稲作を開発し、日本人のアイデンテテイとも言われる稲作文化のベースを作りました。
また、マレー系民族は、遠くアフリカ(マダガスカル)まで移住した海洋系民族と評価されています。彼らは小柄な民族と言われますが、これは、当時の小さな船を操る体型に適していたと思われます。
日本でも同じで、5000年前の三内丸山縄文時代から彼らは日本各地の港と繋がっていて海洋交易の担い手だった、と拙ブログでは推察しています。関連し、今も残る海女の習慣もマレー系由来と思われます。魏志倭人伝に倭人が海産物を採って食べている様子がありますが、これもマレー系民族の様子と思われます。
また、マレー系民族の水田稲作と関連し、鉄器導入にもマレー系民族は関わっています。西日本各地の海岸部に「たたら製鉄」の場所が確認されていますが、これも海洋系のマレー系民族が関係したものと思われます。
一方、先に紹介しまたが、日本には大陸由来の畑作民族のツングース系や狩猟採集民族のアイヌ系も居ました。しかし、彼らについては海洋系民族の印象はありません(笑)。
さらに、マレー系民族は、水田稲作で人口が増えると、北九州で倭国を建設し、日本先進文化のさきがけとなりました。日本最初の国家の奴国で硯(すずり)が発見され、文字使用が確認されていますが、日本で最初に文字(万葉仮名)を使ったのも彼らです。そして、その万葉仮名は日本語発音のベースになりました。
一方、先進国家だった倭国が日本統一の事業をしなかった理由ですが、「
なぜ倭国は日本統一の事業をしなかったのか
」で紹介しましたように、彼らはマレー系民族でマレー語を話し、同じ仲間の百済との関係が強く、別民族の多かった日本の統一には関心が無かったことが考えらえます。
このことは朝鮮半島でも同じで、百済は稲作民族マレー系民族の国家ですが、朝鮮半島では畑作民族ツングース系が多数派であり、朝鮮半島の統一にも関心が無かったと思われます。当時、百済と倭国はマレー語で結ばれ、同じ言葉を話す兄弟国家として交易していたと思われます。
因みに百済を「くだら」と読むのは日本だけですが、
「くだら」は「マレー語で兄弟(kudara=brother)」
という意味で、倭国のマレー系の人々が使っていた言葉が日本語になったと思われます。
以上、まとめますと、マレー系民族は日本の30%、稲作、海洋交易、日本語発音への影響(万葉仮名導入)、総じて日本のベースやアイデンテテイを作った民族と思われます。
余談ですが、小柄な丸顔、二重瞼で可愛らしい顔立ち、この容貌もマレー系と思われます(笑)。この代表が北九州「
博多美人のルーツ
」と思われます。
なお関連し、上の地図はマレー系民族の世界への移住の様子です。
また下の地図は、古代のマレー系民族国家の倭国と百済の様子です。
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[ 2018/07/12 21:14 ]
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まとめ 7.日本人の宗教は自然崇拝の多神教(縄文思想と日本人)
まとめ 7.日本人の宗教は自然崇拝の多神教(縄文思想と日本人)
拙ブログでは、日本人のルーツと関連し、日本人の宗教や考え方についても愚考しております。関連し、今回は、日本人の宗教について、これまでの記事をまとめます。
多くの見解をまとめますと、日本人の宗教は、世界3大宗教(1神教)とは別の宗教、すなわち、自然崇拝を基本とする多神教(原始宗教)に分類されるようです。
私ことですが、世界で暮らしたとき、入国カードに宗教欄があり、仏教徒(Buddhist)と書いてきましたが、それは便宜上でした。私の田舎の実家は曹洞宗の檀家になっておりますが、敬虔な仏教徒ではありません。習慣としての仏教徒であり、仏教を信じているわけではありません。
私、あるいは日本人の多くが怖れているもの、それは、地震、雷、洪水などの自然災害です。その災害は自然の神様が怒ったときに現れると感じています。また、美しい四季の景色は神様の贈り物と思っています。このため、自然の至るところに神を感じ、美しい山を見ればお祈りし、美しい川を見ればお祈りし、その美しさが永遠であることを願い、山や川を汚すことを嫌います。
その日本人の畏れ(宗教)を如実に表現しているのが家を建てるときの地鎮祭と思います。神様のお許しを得るという意味で地鎮祭は欠かせません。もし、地鎮祭をしないで事故が起きたら大変です(笑)。
このような日本人の宗教観は縄文時代からあると推察されています。それは、縄文時代から生きているアイヌの人々の宗教から分かったことです。アイヌの自然との共生思想は有名ですが、同時に、日本人の多くも持っている思想です。
日本には、10万年前から人類が住み着いていたことが遺跡から分かっています。その遺跡はアイヌが残したものと思われますが、アイヌが日本に住み着き、そのなかで育まれた宗教が自然との共生思想と思われます。その後、マレー系民族が来ました。そして、ツングース系民族が来ましたが、日本人になるなかで、同じくこの宗教を持つようになったと思われます。
その意味で、日本の宗教は、民族の違いを越えて、美しい自然と厳しい自然の中で育まれた独自のものと思われます。
その後、仏教、儒教、キリスト教が入ってきましたが、日本の宗教は10万年という気がとおくなるような時間を経て形成された思想ですので、それらを受け入れても同化はしなかったのが真相と思われます。すなわち、新しい宗教は神様の中の一人として受け入れられただけでした。
一方、こうした日本人の宗教が世界で役立つのか議論されていますが、意味があると言う意見もあります。因みに「バカの壁」(養老孟子)にありますが、キリスト教とイスラム教の間には1信教の壁があり、お互い理解できない、このため戦争ばかりしてきたということが書かれております。日本人なら、まず受け入れ、理解することができる、という感じでしょうか。
また、私ことですが、アフリカで働いたときは、日本人の自然崇拝の宗教が役立ちました。彼らも同じような宗教をもっていたからです。例えば、西アフリカ現地の宗教です。彼らは、まず自然の神々を崇拝するブードウ教徒でありますが、同時にキリスト教徒、あるいはイスラム教徒でもありました。このような関係は、日本人の宗教、そしてインド発祥のヒンズー教にも認められます。
関連し、日本人と同じスタイルを持っている宗教を上の地図に示しました。これは、私の海外経験からまとめたもので、詳しく調べたものではありません。
一方、下の写真は、自然との共生を目標に楽しんでいる我が菜園の野生種ナワシロイチゴの実りです。日本人は、このような季節の実りを楽しんできました(笑)。
以上、日本人の宗教のまとめ愚考でしたが、拙ブログ左側にありますカテゴリー欄の「縄文思想と日本人」をクリックしますと、今までの関連記事を見ることができます。
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[ 2018/07/08 22:12 ]
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まとめ 6.日本語のルーツはアイヌ語とマレー語(日本語のルーツ)
まとめ 6.日本語のルーツはアイヌ語とマレー語(日本語のルーツ)
今回は、日本語のルーツについて、これまでの記事をまとめます。
まず、多くの学者の見解をまとめますと、日本語のルーツはアイヌ語になります。沖縄には琉球諸語がありますが、これらもアイヌ語がルーツとなっています。文法、基本単語を調べていきますと、アイヌ語につきあたるということだと思います。
すでに紹介しましたように、日本列島には初めにアイヌ系の人々が住み着きました。拙ブログでは、10万年前の人類遺跡が日本にあること、アイヌ系は最初にアフリカを出たグループであること等から、アイヌ系の人々は10万年前から日本に住んで居たと推察しております。その意味で、先住民族の言葉が日本語のベースになったということは、自然の流れと思われます。
続いて発音ですが、発音はマレー語にたいへん似ています。例えば、私がマレーシアに居た時のマレー語レッスンに、人はオラン、米はナシ、魚はイカン、餅菓子はクエ、というのがありました。カタカナがマレー語ですが、そのカタカナ発音がマレー語になります。
そこで、その日本語=マレー語カタカナ発音のルーツについて考察しますと、同じ発音をもつ万葉仮名(ひらがな)がルーツになったことは確かです。ひらがなを使うようになってから、実際の発音は文字言葉と一致するようになっていったと思われます。
そして、その万葉仮名が誰によってもたらされたかですが、それは、最初に万葉仮名を使ったマレー系の人々と思われます。彼らは、稲作民族で、朝鮮半島南西部と北九州に住み着き、稲作を始めました。また地理的関係から中国大陸とも縁が深く、いち早く漢字を取り入れ、万葉仮名風に国名や人名の表記に使ったことが、当時の地名や人名から分かります。
漢字を万葉仮名風に使うという方法は、外国人や外国の地名を表す方法として中国で使われていました。これを、中国と交易していたマレー系が真似たのだと思われます。
そして、万葉仮名は、マレー系国家の百済と倭国で3世紀頃から使われ、続いて、継体王の時代の6世紀頃から大和政権でも使われるようになったと推察されます。因みに、継体王の時代には、百済から五経博士が来るようになり、大和政権でも初めて文書が作られるなったことを拙ブログでは紹介してきました。
一方、大陸(朝鮮半島)からツングース系の人々も日本に多数来ていることが分かっています。しかし、彼らは、少しずつ長期に渡って日本に移住してきたため、日本語に与える影響は小さかったと思われます。偶然にも、ツングース系言語とアイヌ系言語は、動詞が最後に来るという点で文法スタイルが似ており、移住してきたツングース系の人々にとっては日本語は受け入れやすかったと思われます。
ツングース語とアイヌ語の文法が何故似ているかですが、次のことが推察されます。まず、ツングース民族はモンゴル系と中国系の混血で、ツングース語はモンゴル系言語(ウラルアルタイ語系)と分類されています。
最近のDNA研究(Y染色体ハプログループ分類)によれば、モンゴル系はC型、アイヌ系はD型で、両者とも古いタイプに属し、両者とも最初にアフリカを出たグループでベースが近い関係にあります。このため、言語文法も似ていたのではないかと予想されます。
最近の研究では、主語の後に動詞+目的語がくる英語や中国語の文法スタイルは新しく、人類最初の文法スタイルはウラルアルタイ語系言語(アイヌ系やモンゴル系)しかなかったという説も出ています。
以上、日本語のルーツ愚考でしたが、拙ブログ左側にあるカテゴリー欄の「日本語のルーツ」をクリックしますと関連の記事を見ることができます。
関連し、上の図はモンゴル民族とアイヌ系民族のアフリカから日本への道です。
下の図は日本語の形成過程です。
また、下のマンガ絵(さかなくん)で笑っていただけたら(笑)。
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[ 2018/07/04 22:01 ]
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日本人の縄文思想と稲作のルーツ
「天皇家はアイヌ系」についてまとめています。詳細(目次)は下のとおりです。どうぞよろしく。
Author:レインボー
現在は邪馬台国の真相についてまとめています。
天皇家はアイヌ系(目次) はじめに 1. 日本民族のルーツ 2. 古墳王家は何故滅びたのか 3 古墳王家はアイヌ・マレー系連合に滅ぼされた 4.日本書紀は創作 5.日本語と日本人宗教のルーツ 終わりに
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