Archive2018年08月 1/1
信長の妹「お市」はツングース系浮世絵美女愚考 (北方系と日本人)

信長の妹「お市」はツングース系浮世絵美女愚考 (北方系と日本人)今回も日本美女ルーツ愚考です(笑)。日本人は、DNA分類から、アイヌ系35%、マレー系30%、中国人とモンゴル人の混合混血のツングース系30%、その他5%の混合混血民族であることを検討してきました。関連し、美人のルーツについても検討し、秋田美人はツングース系、博多美人はマレー系と評価してきました。一方、拙ブログでは、戦国武将について、その顔立ち...
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秋田美人と博多美人のルーツの違い、身長差から(日本人のルーツ)

秋田美人と博多美人のルーツの違い、身長差から(日本人のルーツ)日本三大美人と言えば、秋田美人、京美人、博多美人を指すようですが、拙ブログでは、「秋田美人のルーツ」、「博多美人のルーツ」について検討してきました。そして、秋田美人はツングースの影響で色白高身長、博多美人はマレー系の小柄だが可愛らしい丸顔に特徴があることを指摘してきました。今回は、身長データを使い、本当に秋田美人は高身長、博多美人は低身...
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北九州にマレー系民族が居たのか、現在の身長差から検討する(南方系と日本人)

北九州にマレー系民族が居たのか、現在の身長差から検討する(南方系と日本人)拙ブログでは、日本に、10万年前の氷河期時代、黒潮の波に乗って南方からやってきたアイヌ系民族が太平洋側に広がり、次いで、氷河期明けの1万年前頃、稲作民族のマレー系民族が、江南地方、朝鮮半島南部を経て北九州を中心に広がり、次いで、6000年前には、北方系ツングース系民族が、朝鮮半島を経て、山陰、北陸など日本海側に広がったと推察してお...
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新町遺跡の支石墓のルーツとマレー系民族の関係(稲作と日本人)

新町遺跡の支石墓のルーツとマレー系民族の関係(稲作と日本人)拙ブログでは稲作のルーツ、稲作民族のルーツについて検討しておりますが、「渡来人の故郷はどこか」に、次の記事がありました。福岡市の西郊、糸島半島の新町遺跡で支石墓という朝鮮系の墓から、この西北九州タイプのヒトが出土したことから、このタイプのヒトは、南朝鮮の低身タイプの渡来人ではないかとか、あるいは江南地方からの渡来人ではないかとする説が出さ...
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縄文時代から高身長の人は居た(北方系と日本人)

縄文時代から高身長の人は居た(日本人のルーツ)Wikipediaによれば、縄文人の形質的な特徴を一般的に表しますと、次のようになります。まず身長は平均して成人男性で155センチ前後、成人女性で150センチ弱。いわゆる彫りが深い顔立ちであり眉間が突き出しているが、一方で鼻の付け根が引っ込んでいる。眉毛は濃く、目は大きめで、まぶたは二重、唇はやや厚めで顎の骨が発達している。(引用終了)簡略しますと、縄文人は低身長に...
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高身長の稲作民族は来なかった(稲作と日本人)

高身長の稲作民族は来なかった(稲作と日本人)Wikipediaによれば「弥生人は、狭義には弥生時代に中国大陸や朝鮮半島から日本列島に渡来してきた人々を指す。」とあります。言い換えますと、高身長の弥生人が稲作文化をもって朝鮮半島から移住してきたと一般に言われております。前回紹介の土井ケ浜遺跡人骨がその例と言われます。しかし、拙ブログでは、高身長民族はツングース系畑作民族であり、稲作とは関係がなかったことを指...
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山口県の土井ケ浜遺跡出土の弥生人骨は北方系民族(北方系と日本人)

山口県の土井ケ浜遺跡出土の弥生人骨は北方系民族(北方系と日本人)前回、ツングース系民族が寒冷期(4000年前~3000年前)に朝鮮半島から多数移住してきたことを紹介しました。一方、山口県の土井ケ浜遺跡で弥生時代に生きていた人達の人骨が多数出土し、その人骨は縄文人と異なり、北方系の長身であったことから、それら人骨発見の後、弥生人=北方民族と言われるようになったと思われます。関連し、今回は「山口県の土井ケ浜遺...
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朝鮮半島から移住した人々は関西人の半分になった(北方系と日本人)

朝鮮半島から移住した人々は関西人の半分になった(北方系と日本人)前回、ツングース系民族が4000年前~3000年前の寒冷化時代に朝鮮半島から多数移住してきたことを指摘しました。今回は、DNA研究(Y染色体ハプログループ分類)のデータから、どれだけの人達が関西に来たのか推定します。推定のための古代の特徴を上の表に示しました。そして、その特徴をもとに、関西古代のY染色体ハプログループ分類を下表に示しました。すなわ...
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