Archive2018年09月 1/1
朝鮮半島における多民族国家「新羅」の優位性(日本人のルーツ)

朝鮮半島における多民族国家「新羅」の優位性(日本人のルーツ)白村江の戦いが663年にあり、これを機会に新羅が朝鮮半島を統一しました。そこで、何故、強国の百済は滅び、小国だった新羅が勝ち残ったのか、このテーマについて今回は、愚考します。まず、朝鮮半島で最強国は高句麗でした。これに対抗したのが百済と倭国の連合でした。両者は戦い、疲弊しましたが、この空白をねらい新羅が領土を拡大します。この状況を上の地図に...
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畿内と北九州は何故3世紀に交易が少なかったのか(邪馬台国と日本人)

畿内と北九州は何故3世紀に交易が少なかったのか(邪馬台国と日本人)拙ブログでは、北九州にあった倭国(邪馬台国)はマレー系稲作民族の国、畿内はほぼ現在と同じ混合混血の日本人の国であったことを指摘してきました。すなわち、古代西日本では言葉の異なる2種の民族がすみ分けていたと思われます。一方、纒向遺跡は新造都市!邪馬台国と神武東征の謎解きが楽しい『邪馬台国からヤマト王権へ』に、これら北九州と畿内地域の古代...
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神武天皇は倭国の大乱を見て日本統一を決意した(邪馬台国と日本人)

神武天皇は倭国の大乱を見て日本統一を決意した(邪馬台国と日本人)拙ブログでは、日本書紀と古事記は創作であり、飛鳥時代以前の内容については事実でない部分が多くあると観ています。しかし、神武天皇関係記事については、日本統一を目指した最初の王であり、その建国神話はリアリテイがあり事実であるという説を支持しております。まず、拙ブログでは「神武天皇の日本統一の夢愚考」を先に紹介しました。今回は、倭国の大乱を...
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倭国は何故戦争をしたのか?(邪馬台国と日本人)

倭国は何故戦争をしたのか?(邪馬台国と日本人)前回、倭国は、国内での戦争、朝鮮半島での高句麗との戦争、畿内政権との戦争、そして唐との戦争が連続して発生し、そのために滅びたことを指摘しました。今回は、何故戦争が連続したのか、愚考します。まず、最初の倭国内での戦い(倭国の大乱)ですが、これは、国が一つになるときの戦いであり、やむを得ないものがあったと思われます。関連する記事を参考にしますと、次のような...
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倭国は戦争で疲弊した(邪馬台国と日本人)

倭国は戦争で疲弊した(邪馬台国と日本人)前回、倭国の大乱が九州で起こった影響で九州の人口の伸びが大きく低下したことを指摘しました。今回は、倭国は、大乱の後、さらに戦争で疲弊し、この結果、人口増加が停滞し、滅亡したことについて愚考します。拙ブログで紹介してきた記事をまとめますと、下記表の様に倭国は戦争に明け暮れました。まず、北九州ではマレー系民族が住み着き水田稲作を始めましたが、稲作で豊かになると人...
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倭国の大乱で多くの人が死んだ証拠が出てきた(邪馬台国と日本人)

倭国の大乱で多くの人が死んだ証拠が出てきた(邪馬台国と日本人)魏志倭人伝に倭国の大乱が出てきます。3世紀頃の話ですが、拙ブログでも参考にしているブログ「日本古代史つれづれブログ」でもその様子が伝えられています。その一部を紹介しますと次のとおりです。大きな戦いが幾度かあり、多くの戦死者が出た。防衛機能があった集落ですから、戦いがあったことを推定させます。また近隣にある「隈・西小田(くま・にしおだ)遺...
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狗奴国はバカ国愚考(邪馬台国と日本人)

狗奴国はバカ国愚考(邪馬台国と日本人)前回、邪馬壱国(邪馬台国)は、マレー系民族の国であり、国名はジャワ国の可能性について紹介しました。一方、魏志倭人伝には邪馬台国連合(女王国連合)に対立している国として狗奴国が紹介されています。その狗奴国は邪馬台国の南にあると記載されています。今回は狗奴国のマレー語の意味を検討します。前回同様、狗奴国を北方型漢音読みしますとコウド国またはコド国になります。マレー...
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邪馬台国はジャワ国だった愚考(邪馬台国と日本人)

邪馬台国はジャワ国だった愚考(邪馬台国と日本人)邪馬台国は紀元250年頃、倭国にあった国の名前ですが、それが初めて記載された魏志倭人伝によりますと、正確には邪馬壱国(やまいちこく)と表記されることが明らかになっています。また、魏志倭人伝には邪馬壱国の他に多数の国名が出てきますが、その一つに、邪馬壱国から壱が抜けた邪馬国があります(下表参照)。 すなわち、倭国には邪馬壱国と邪馬国があり、その区別は壱が...
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