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Archive2018年12月 1/1

虹を見る方法は成功したか(ごあいさつ)

虹を見る方法は成功したか(ごあいさつ)今年最後の記事アップとなりました。そこで、拙ブログ訪問と応援に感謝し、年末の挨拶をさせていただきます。拙ブログは歴史(日本史)ブログに入っていますが、歴史を観る手法として「虹を見る方法」という方法を用いています。本方法は、虹は近くで見ると霧(雨粒)でしかないが、遠くから見ると虹に見えるという現象に因んだものです。すなわち、本方法は、近くでは見えないが遠くから全...

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旧石器時代の日本人は何処から来たのか

旧石器時代の日本人は何処から来たのか(日本人のルーツ)前回、旧石器時代から日本人がいたこと、それらの民族はアイヌ系であったことを指摘しました。今回は、何時頃、何処から来たか愚考します。まず、関連のWikipediaの「前・中期旧石器の発掘」の記事を引用しますと次のとおりです。日本は酸性の土壌が多いため、骨などが残りにくく前中期の遺跡は発見が難しい。しかし、数は少ないものの、近年の考古学研究の発展により、岩...

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旧石器時代人は縄文人になった

旧石器時代人は縄文人になった(縄文時代と日本人)前回は、関東の縄文時代の様子について紹介しました。拙ブログでは、これら関東の縄文人の多くはアイヌ系民族であったことを指摘しています。一方、縄文時代以前は旧石器時代と言われておりますが、この時代、日本にどのような民族が居たのか謎に包まれております。関連し、今回は、旧石器時代人は縄文人になったことについて愚考します。縄文時代は16000年前~2400年前、それ以...

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貝が関東の縄文人を救った

貝が関東の縄文人を救った(縄文時代と日本人)前回、縄文時代晩期(3000年前頃)、関東の人口は、寒冷化と富士山の噴火による火山灰の影響で食料不足となり、最盛期(5000年前)の10%程度まで落ち込んだこと、そして、生き残った人たちの多くは、海岸に住み漁労生活で食料を確保していたことを紹介しました。関連し、関東は貝塚の多いことでも知られております。そこで今回は、貝が関東の縄文人を救ったことについて愚考します。...

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寒冷化時代、関東の縄文人は何処に住んで居たのか

寒冷化時代、関東の縄文人は何処に住んで居たのか(縄文時代と日本人)前回は、縄文晩期、寒冷化による植生の変化、そして火山灰の影響で食料が減少し、関東縄文人が激減したことを紹介しました。関連し、今回は、関東縄文人は何処に住んで居たのか愚考します。まず、関連する「縄文時代後期 の関東地方における漁労活動(著者:内山純蔵)」の報告の一部(考察部分)を紹介しますと次のとおりです。内因的理由。漁労活動の比重を...

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縄文時代の富士山噴火の影響は栃木と埼玉で大きかったようだ

縄文時代の富士山噴火の影響は栃木と埼玉で大きかったようだ(縄文時代と日本人)縄文時代後期、4000年前~3000年前、関東では、地球寒冷化による植生変化、そして富士山爆発による火山灰の影響で人口が激減したことを紹介しました。関連し、今回は、富士山噴火の影響は栃木と埼玉で大きかったことについて愚考します。文科省の参考資料(平成24年度 周知の埋蔵文化財包蔵地数)のデータを使い、火山灰の影響を縄文時代から弥生時...

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関東の縄文時代晩期は寒冷化による栗林の激減に痛められた

関東の縄文時代晩期は寒冷化による栗林の激減に痛められた(縄文時代と日本人)前々回、関東の稲作は2200年前頃から始まったことを紹介しました。稲作の前は縄文時代と言われますが、今回は、関東の縄文時代が、どのように弥生時代に向かっていったのか愚考します。まず、遺跡の数から古代の人口を推定しました小山修三(1984)のデータを用いて縄文時代の関東を、東北および九州と比較しますと上の図のとおりです。5000年前(BC30...

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水田稲作で人口が何故増えるのか

水田稲作で人口が何故増えるのか(稲作と日本人)前回、関東で水田稲作導入の結果、食糧が増え、人口が増大したことを紹介しました。関連し、すでに一般に知られていることですが、今回は、古代の水田稲作で何故、食糧が増えるのか愚考します。まず、古代の水田作と畑作の栽培法の違いですが、一番の違いは、水田作は連作できるのに対し、畑作は連作できないことと思われます。森から流れてくる水には栄養豊富な養分が含まれていま...

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