日本人の縄文思想と稲作のルーツ
日本人は、アイヌ系35%、マレー系30%、半島由来ツングース系25%、その他10%の混合混血民族です。DNA分類の結果、ヤマトにはツングース系王家が創られ、その後、アイヌ系の現天皇家に滅ぼされたと推察されます。万世一系を主題にした日本書紀は創作になります。関連し、今回は邪馬台国の真相に迫っています。
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パプアニューギニア系の人々と日本人 [2019/03/27]
アメリカ先住民族の言葉と日本語の関係愚考 [2019/03/23]
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アメリカ先住民族のDNAと日本人との関係 [2019/03/11]
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これからの記事アップ予定について
(ごあいさつ)
拙ブログ訪問、ありがとうございます。
さて、前回まで、「アメリカ先住民族と日本人」について検討してきました。その結果、記事アップ回数が今回で249回となり、次回は250回目の区切りを迎えます。また、拙ブログは、2017年4月に始まりましたので3年目に入ります。
これまで、「日本人の縄文思想と稲作のルーツ」というタイトルで、日本人のDNAのルーツ、日本人の縄文思想という精神面のルーツ、水田稲作という基幹農業のルーツ、そして関連する古代社会の様子について検討してきましたが、当初予定していた内容は書き終わった感じがします。
その意味で、このブログは1ラウンド終わりました。そこで、これからは、言い残したところを少しずつ、時間をかけ、資料に基づき記事を仕上げていく予定です。このため、これからは、記事アップは随時(1週間に1回程度)にする予定です。
一方、訪問してくださる皆様のブログ訪問ですが、従来どおり、原則として毎日とします。そして興味深い記事には勝手なコメントを残させていただきます。
どうぞ、よろしくお願いします。
なお、これまで拙ブログの主な内容は上トップの表のとおりです。さらに見たい記事については、拙ブログ左側にあります関連のカテゴリをクリックしますと今までの記事を見ることができます。
また、下の写真は、我が菜園のクコの実11月の様子です。クコは不老長寿の実と言われ、中国人の徐福が古代に探しに来た実ではないかという噂もあるようです。我が家でも利用しておりますが、カゼひかずで、その効果はある感じがしています(笑)。
クコは日本に自生している果樹ですが、自然との共生という縄文環境が好きなのか、自然のなかで見つけた自生株を株分けし、菜園で育て楽しんでおります。拙ブログも、このように実っていけば幸いですが(笑)。
なお、クコの実に関心のある方は、拙ブログの姉妹ブログであります
「野菜を食べやさい
」 のカテゴリ欄の「クコと健康」をクリックしますと、今までの記事を見ることができます。
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[ 2019/03/31 09:09 ]
ごあいさつ
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パプアニューギニア系の人々と日本人
パプアニューギニア系の人々と日本人
(アメリカ先住民族と日本人)
アメリカ先住民族と日本人の関係について愚考してきました。拙ブログでは、アメリカ先住民族は旧日本人であったという説を支持しています。
これに当たらない民族は、北米北極海のエスキモー、北米インデアン、南米アマゾンに住むヤノマミ族と思われます。エスキモーについてはカナダに2000年前頃から移住してきた民族、北米インデアンはケット人に由来する民族で、どちらもルーツはシベリアであることを紹介してきました。
一方、南米ヤノマミ族のルーツですが、拙ブログでは「
アメリカ先住民族とパプアニューギニア系の人々
」として紹介したことがあります。
パプアニューギニア系の人々は、日本人の中にも容貌の似た人々が認められること、我が国の古人骨のDNAからパプアニューギニア系の人が見つかっていること、「サンカ」と呼ばれる自然と共生している人々が最近まで西日本に居たこと、等から想像しますと、日本にもパプアニューギニア系の人々が居たと思われます。そして、彼らはアイヌ系の人々に混じって南米に移住したのではないかと思われます。
パプアニューギニア系の人々で興味深いのは、日本人と気性の合う民族であるということかもしれません。
例えば、作家の本田勝一氏が極限の民族紹介で、パプアニューギニア高地人と暮らしたことを50年前頃報告しておりましたが、原始的な生活ながら、仲良く生活できたことを紹介しておりました。
また、最近では、俳優の西田敏行氏が南米のヤノマミ族と暮らしたことを映像で紹介しておりましたが、「ここに来ると本当に安心する」というようなことを話していました。
これらのことは、自然との共生を愛する縄文思想のようなものが日本人のなかに流れていること示唆します。
パプアニューギニア系では、さらに、オーストラリアの先住民族のアボリジニーなど似た仲間は世界中に認められます。小生の知っているなかでも、ボルネオのペナン族、マレーシアのオランアスリ、さらにはマダガスカルにも最近まで居たことが分かっています。
マダガスカルの場合、近代化の流のなかで、森を離れ、他の民族と混血し、今では見なくなってしまったようです。まさに、日本の「サンカ」と同じ運命をたどったと思われます。
以上のことから想像します、パプアニューギニア系の人々は、アフリカのマダガスカル、アジア、オーストラリア、そして南米まで移住したことになります。海を渡っていますので航海の得意な民族だったと思われますが、いつしかジャングルに溶け込み森の人になった感じを受けます。
関連し、パプアニューギニア系の人々の世界移住を下図に示しました。
さらに、小生がマレーシアに居たとき入手したオランアスリの偶像を上トップ図に示しました。いつも子供たちが怖いと言っていました(笑)。
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[ 2019/03/27 07:51 ]
アメリカ先住民族と日本人
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アメリカ先住民族の言葉と日本語の関係愚考
アメリカ先住民族の言葉と日本語の関係愚考(アメリカ先住民族と日本人)
古代の日本人がアメリカに移住し、先住民族となった説を拙ブログは支持しております。関連し、今回は、アメリカ先住民族の言葉と日本語の関係に迫ってみたいと思います。
拙ブログでは、古代のアメリカ先住民族はアイヌ系民族とマレー系民族としていますが、このため彼らの言葉がルーツになっている可能性があります。
なお、マレー系民族ですが、彼らは縄文時代に日本を通過する過程で、一部はアイヌ語に変り、一部はマレー語を維持し、アメリカに移住したと思われます。すなわち、アメリカ先住民族の言葉は、アイヌ語とマレー語がベースになっていると思われますが、ベースはアイヌ語と思われます。
一般に、言語というものは、新単語が簡単に導入されますが、語順(文法)は変わらないと言われます。すなわち、主語(S)+目的語(O)+動詞(V)の語順ですが、アイヌ語(日本語)はSOVに分類されます。一方、マレー語はSVOに分類されます。
そこで、このパターンで古代のアメリカ先住民族の主要な言葉を分類しますと、次のようになります。
まず、ナワトル語(アステカ語)などメキシコの主要言葉とケチュアル語(インカ語)などアメリカ中南部の主要言葉ですが、語順がSOVですので、これらはアイヌ系グループになります。すなわち、カナダなど北米を除くアメリカ大陸の大半がアイヌ系となります。
一方、マレー語関係ですが、中米で使われているマヤ語は、SVO、またはVSOの語順ですので、マレー語グループに入ります。
以上のほか、北米のイヌイット(エスキモー)や北米のインデアンの言葉がありますが、これらの言葉は別種類の言葉のようです。
エスキモーは、シベリアがルーツで、アラスカやカナダに定住するようになったのは1000年前頃とルーツがほぼ分かっています。
一方、北米のインデアンですが、先に報告しましたように、彼らのルーツはシベリアのケット人です。拙ブログではエスキモーと同じように最近移住した民族と観ています。このことについては前回紹介しました。
また、アマゾンのジャングルに住んでいるヤノマミ族が居ます。彼らのルーツはパプアニューギニア人に近いと言われておりますが、移住経路や言語は謎に包まれています。この課題については、後ほど検討します。
以上、まとめますと、南北アメリカの先住民族の言語はアイヌ系が大半、そして、マヤ語などマレー系由来も一部あるという結論になります。すなわち、拙ブログの古代日本人がアメリカに移住したという予想は当たっていることになります。
関連し、アメリカ大陸の主要な先住民族言語を上トップに示しました。
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[ 2019/03/23 09:43 ]
アメリカ先住民族と日本人
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ケット人は日本にも来た
ケット人は日本にも来た
(アメリカ先住民族と日本人)
前回、北米インデアンは、ケット人などアジア北部の民族であり、アメリカに移住した時期は2000年前以降の最近のことと推察しました。
一方、ケット人に多いY染色体ハプログループQは日本人の中にもあることが分かっています。そこで、今回は、ケット人は何時頃、どのように日本に来たのか愚考します。
まず、DNA研究(Y染色体ハプログループ分類)ですが、Hammerら(2005)およびNonakaら(2007)によれば下表のとおりです。この表から、0.0~0.7%という僅かですがケット人系の人(Y染色体ハプログループQ)が認められます。そして、Nonaka(2007)らのデータで見れば、Qは0.7%ですが関東に居る感じです。
一方、ケット人に似た埴輪が、その関東で見つかっています。千葉県教育委員会の「
芝山古墳群(殿塚・姫塚)出土埴輪
」によれば次の通りです。
芝山古墳群(殿塚・姫塚)出土の埴輪は、表情豊かな人物埴輪が多いことで知られる。通常、殿塚・姫塚出土埴輪として一括して扱われるが、このうち一般に広く知られているのは姫塚古墳出土の埴輪群である。
姫塚古墳出土埴輪の中でも有名なのは、あごヒゲを蓄えて帽子(又は天冠)をかぶる一連の男性の全身像埴輪である。あごヒゲを蓄える人物埴輪は主に茨城県と千葉県に分布していることが知られているが、千葉県内での分布は茨城県に比べて少なく、山武地域と千葉市内でわずかに出土例が知られている。この他に、馬子と考えられる人物埴輪、島田髷を結う女子人物埴輪、馬形埴輪、家形埴輪などが主要な埴輪である。また、馬形埴輪に横乗り用の板鐙(いたあぶみ)がつくものがあったり、大刀を斜めに背負う男子人物埴輪があったりと、他の古墳出土の埴輪には見られない特殊な埴輪も出土した。
(引用終了)
この記事では「あごヒゲを蓄えて帽子をかぶる一連の男性の全身像埴輪」という埴輪があり、それらは日本人離れした顔つきをしており、そのルーツは謎にみちているようです。
関連し、その埴輪とケット人の写真を上トップに示しました。このケット人は鼻も高くあごヒゲも蓄え、埴輪にそっくりです。そこで、現在知られている情報を総合しますと、この埴輪のモデルは北方から来たケット人以外に考えられません。
次に、このモデルが来た時期ですが、この埴輪が出土した古墳は6世紀後半ですので、モデルはその時期に日本に居た人物になります。
なぜ、その時期(6世紀後半)に居た人物かと言いますと、一般に、外国人は日本人と結婚すると、その外国人に似るのは子供(第一世代)までで、その後数世代過ぎると外国人の血(DNA)は薄くなり、ルーツが分からなくなってしまうのが普通だからです。
そして、この時期にケット人が日本に来たということは、北米に移住したのも同じ時期と推定され、この埴輪は、ケット人のアメリカ移住時期は2000年前以降という説の物的証拠となります。
なお、実際の人数は、Koyama (1978)の報告を参考にしますと、当時(6世紀)、関東の人口は約943300人、ケット人はその0.7%ですので、約6600人になります。芝山古墳群出土の埴輪から彼らは武人だったことが推定されます。全員が武人ではありませんが、これほどの人数となると、目だった存在だったと思われます。
関連し、ケット人の日本移住を下に示しました。
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[ 2019/03/19 10:28 ]
アメリカ先住民族と日本人
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ケット人のルーツ
ケット人のルーツ
(アメリカ先住民族と日本人)
前回、アメリカ先住民族のDNA(Y染色体ハプログループ)はシベリアのケット人のグループQに属するという報告について紹介し、これは、アメリカインデアンなど北米民族だけにあてはまる結果で、容貌などからインカ人など中南米の民族に当てはまらないことを指摘しました。
関連し、今回は、そのケット人とY染色体ハプログループQのルーツに迫ります。
まず、Wikipediaでケット人を調べますと、次のとおりです。
ケット人・ケート族(Ket)は、シベリア中央部のエニセイ川やケット川(オビ川水系)などの流域に住む少数民族。かつてはオスチャーク(Ostyak)と呼ばれたが、これはウラル諸族のハンティ人(ウゴル系)やセリクプ人(サモエード系)など他の民族も含めた名で正確ではないので、区別するためにエニセイ・オスチャークとも呼ばれ、さらに自称からケットと呼ばれるようになった。
固有の言語ケット語を話す。18-19世紀まではケット人と同じ系統の民族(言語はエニセイ語族と呼ばれる)がシベリア中央部から南部に広くおり、近年になって民族集団として認められたユグ人(英語版)(Yugh、現在は数人以下で事実上消滅)も同系統であった。つまりケット人はこれらエニセイ諸族のうち最後に残った人々である。ケット語(エニセイ語族)は他のシベリアの言語とは大きく異なる[注釈 1]。2008年、エドワード・ヴァイダの研究で北米先住民のナ・デネ語族と同系統の言語であることが明らかにされ、デネ・エニセイ語族という呼称が提案されている。
(引用終了)
以上の記事からケット人の北アメリカ移住について考察しますと、まず、アラスカやカナダなど北アメリカ各地に居住地を広げ、ケット語(エニセイ語)の兄弟言語のデネ語を話すようになったと思われます。
ケット人の言語は、北米インデアンのデネ族とケット人のエニセイ族を合わせてデネ・エネセイ語族と呼ばれておりますが、デネ・エネセイ語は北アメリカの一部で使われているだけで、南アメリカでは使われておりません。
一方、ケット人のDNA(Y染色体ハプログループ)の系譜について上の図に示しました。Y染色体ハプログループは、発生の古い順から、A、B、C、D、・・・、O、P、Q、・・・、というアルファベット順に分類されております。
これらハプログループのなかで、日本人と関係しているのが、モンゴル系(ハプログループC)、アイヌ系(同D)、マレー系(同O1b)、中国系(同O2)です。モンゴル系とアイヌ系はアフリカで発生し、日本に移住してきたと言われております。そしてマレー系と中国系を含むOグループは東南アジア当たりで発生したと言われております。
一方、ハプログループQは、O(中国系、マレー系等)とほぼ同時に発生し、イラン付近で17000-22000年前、または31,400年前頃に発生したと考えられています。彼らが、イラン付近で発生したことから判断しますと、陸路でのアメリカ移住は氷河期の氷に遮られ氷河期の移住は困難です。そこで、カナダエスキモーと同じように最近移住したと判断するのが妥当と思われます。事実、エスキモーもQのグループです。
まとめますと、ケット人などY染色体ハプログループQの人々のアメリカ移住は2000年前以降(最近のこと)と思われます。そして、それ以前は、日本の先住民族がアメリカに移住し、インカ人等の南アメリカの先住民になったと結論されます。関連し、このケット人のアメリカ移住の様子を下図に示しました。
DNA研究、Y染色体ハプログループ解析とは?
参考までに、Y染色体ハプログループ解析について、初めての人のために紹介しますと、次のような感じです。
男性か女性を決める染色体にXとYがあります。XYが男性、XXが女性になるわけですが、Y染色体は男性にだけあり、父親から男の子供に引き継がれることになりますので、そのY染色体をたどると父親のルーツが分かることになります。
このY染色体は、巨大なDNA配列の塊からできておりますのでそのDNAの配列から種類を細かく分類でき、人類の祖先のDNAを分類するのに最適と言われております。
たとえば、Y染色体ハプログループがD型ですと、それはアイヌに多い型ですので、その人の男親のルーツはアイヌ系となります。そして、このD型という分類は、10万年経過しても、マイナー変化はありますが、D型のままで変わることはありません。
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[ 2019/03/15 10:46 ]
アメリカ先住民族と日本人
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アメリカ先住民族のDNAと日本人との関係
アメリカ先住民族のDNAと日本人との関係
(アメリカ先住民族と日本人)
拙ブログでは、古代の日本人がアメリカに移住し、先住民族となった説を支持しております。その民族は、アイヌ系民族とマレー系民族ですが、関連し、今回は、アメリカ先住民族のDNAに迫ってみたいと思います。
最近、DNA研究(Y染色体ハプログループ分類)は、人類のルーツを明らかにしつつあります。
因みに、日本人のルーツは、繰り返し述べていることですが、Hammerら(2005)の報告に従い、アイヌ系が35%、マレー系が32%、中国系とモンゴル系の混合混血民族のツングース系(韓国系)が29%、その他4%と理解しております。
また、Nonakaら(2007)の報告を参考に、アイヌ系は関東で48%と多く、関西で27%と少ないことも理解しております。
そこで、アメリカ先住民族のルーツですが、Wikipediaによれば、次の通りです。
アメリカ先住民の Y 染色体ハプログループのほとんどはQ系統が占める。Q はイラン付近で17000-22000年前[1][2]または31,400年前[3]に発生したと考えられ、その後中央アジア、アルタイ山脈北辺を通り、北シベリアのステップでマンモスなど大型哺乳類を狩りながら移動し、アメリカ大陸に移住していったと思われる。Q のホームランドに近いアフガニスタンのパシュトゥーン人では Q*が16%観察され[4]、中央シベリアのケット人でQ系統が90%以上を占める[5]など、道中に足跡を残してはいるが、ユーラシア大陸では総じて低頻度である。しかしアメリカ大陸(先住民)において大いに繁栄している。アメリカ先住民にはその他 C2,R1 なども見られるが、Q系統が圧倒的である。日本人には1%以下のごく低頻度で観察されている[6]。
(引用終了)
この記事をまとめますと、ほとんどのアメリカ先住民族のY染色体ハプログループはQであり、中央シベリアに現在も居住しているケット人がルーツということです。ケット人は、北アメリカの先住民族と同じタイプの言語(デネ・エニセイ語)をもち、アメリカ大陸との関係はありそうです。特に、北米インデアンのルーツについては、容ぼうも似ており当たっている感じがします。
関連し、上トップにケット人の属するデネ・エニセイ語族の分布を示しました。
また、下の写真はWikipediaにあった北米インデアン・アシニボイン族の男性です。
しかし、アメリカ南部に居るインカ人等もデネ・エニセイ語族というのは無理があります。まず、彼らは容ぼうが似ていません。さらに、デネ・エニセイ語族と言われる北米インデアンは、マヤ文明やインカ文明といったような大遺跡を残しておりません。
これらのため、拙ブログでは、北米インデアンは、2000年前以降、カナダエスキモーと同じくシベリアから最近移住したと観ています。そして、その居住地は、上トップ図のデネ・エニセイ語族の分布とほぼ同じと観ています。
そこで、上記Wikipedia報告のDNA結果については、その研究でどのようなサンプルを用いたのか検討が必要と思われます。現在、民族のDNA研究には、人種差別問題と関連し、国家の許可なくしては研究できなくなっており、すべての民族のサンプルを集めることは困難となってます。
以上のことから、ほとんどのアメリカ先住民族のDNA(Y染色体ハプログループ分類)がQというのは、さらに検討が必要と思われます。
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[ 2019/03/11 09:49 ]
アメリカ先住民族と日本人
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アメリカ移住の波は3回あったようだ
アメリカ移住の波は3回あったようだ
(アメリカ先住民族と日本人)
前々回、海外交易を示す古代遺跡の状況から、北海道の旧石器時代人はアメリカ大陸に移住できる準備ができていたことを紹介しました。
関連し、今回は、アジア人のアメリカ移住の時期は、2万年前頃の旧石器時代、5千年前頃の縄文時代、それから、北米インデアンなどが移動した比較的最近(2000年前以降)の時代の3回あったことについて愚考します。
まず、1回目の旧石器時代ですが、これは主としてアイヌ系民族です。彼らは、黒曜石を使い、日本に来たときよりも大きな船を持ち、周辺状況も検討し、太平洋北回り(アリューシャン列島経由)でアメリカ西海岸に到着し、アメリカ最古のクロービス文化(13500年以前)の担い手になったと思われます。2万年前というのは、間氷期にあたり、人類移動に適した気象条件でもあります。
続いて2回目5000年前の縄文時代ですが、この時期は縄文時代最盛期と言われる時代です。アイヌ系民族にマレー系民族が加わりました。
「
マレー系民族は日本人の32%
」を占めていますが、彼らは遠くアフリカのマダガスカルにも移住した経過から海洋系民族として知られております。5000年前の縄文時代、青森県三内丸山遺跡を中心に広く海洋交易があったことが知られていますが、拙ブログでは、その主な担い手はマレー系民族であったと観ています。
その根拠は、マレー系民族は、中国大陸沿いに北上してきた稲作民族で、1.5万年前頃から朝鮮半島南部や北九州に住み着いたと思われます。5000年前の三内丸山遺跡では、マレー系民族の多い北九州と交易がありましたので、海洋交易が得意なマレー系民族がこの日本海側の海洋交易に関係していたことは間違いないと思われます。
三内丸山遺跡と北海道網走の黒曜石産地との交易が知られておりますが、その北海道の海洋交易は、先輩のアイヌ系と後輩のマレー系の共同経営と思われます。
そして、縄文時代、マレー系民族とアイヌ系民族混合の縄文人はアメリカに渡ったとと思われます。ペルーで発見された5000年前の縄文土器はその証拠品として有名です。関連し、「
楽園を求めた縄文人
」には、古代日本人のアメリカ移住に関し、詳しい証拠が多数紹介されています。
当然のことですが、彼らは、アメリカ大陸西岸に住み着き、次いで南進し、全アメリカに広まり、インカ帝国建設の担い手になったと推定されます。
これらに加え、3回目のアメリカへの民族移動ですが、イヌイット(エスキモー)や北米のインデイアンがシベリアから、そしてアイヌ系も一部、2000年前~1000年前頃に移動したと思われます。アイヌ系については「
ハイダ グワイの先住民族
」が知られております。
関連し、これらの関係を上トップの図に示しました。
また、下の写真は、先に「
マダガスカル先住民族とアメリカの先住民族の類似
」で紹介したものですが、私がマダガスカルで見たマレー系民族です。今ではマダガスカル先住民族ですが、一見、彼らがインカの先住民族に似ているのには驚きました。そして、このことから、マレー系民族が、日本を通過しアメリカに渡ったのは間違いないと思った瞬間でした(笑)。
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[ 2019/03/07 09:58 ]
アメリカ先住民族と日本人
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北海道先住民族はアメリカに渡ったのか
北海道先住民族はアメリカに渡ったのか
(アメリカ先住民族と日本人)
前回、1.4万年前頃、北海道では海外交易が活発に行われており、アメリカ大陸に渡航する準備がほぼできていたことを紹介しました。今回は、1.4万年前頃のアメリカの遺跡について愚考します。
まず、何時からアメリカに人類が住むようになったのかですが、Wikipedia(アメリカ大陸史)の「南北アメリカ大陸への人類移動」によれば、「20世紀の大半で科学者達はアメリカ大陸における最初の文化がクローヴィス文化であると考え、その遺跡は13,500年前のもの」、とあります。すなわち、アメリカ大陸最初の人類遺跡は13,500年前と思われます。
続いて、どのように人類がアメリカに渡ったのかですが、古い説では、ベーリング海が陸となった氷河期にマンモスを追ってアメリカに渡ったのであろうと言われてきましたが、この説は、当時の装備で短い夏の氷河期に歩いて横断するのは人類には不可能ということで多くの学者から否定されています。
例えば、旧石器時代に日本人がアメリカに渡ったという「
新風アジアの楽園
」の記事の一部を紹介しますと、次のとおりです。
その一つは、下図のように海水面が低かった万年の大昔にマンモスなどを追ってシベリアとカナダの間のベーリング地峡を越えて新大陸アラスカに入り込み、従来は米大陸氷床の空き間の回廊ルートから南下してきたと見られてきました。
ところが最近の研究により、1500kmになろうかという回廊ルートは、動ける夏・秋の間でそういう状況になったのは暖かくなった12600年前頃以降であり、回廊にはそれ以前の古い痕跡も全く発見されていないという状況です。
従って、既に北米で発見されている14000年前頃の遺跡状況を説明できず、その後の海水面上昇で痕跡は海中だが太平洋岸ルートだろうとなってきました。
(引用終了)
そして、その記事では、旧石器時代の日本人が船を使ってベーリング海北回りでアメリカに渡った、という説を出しています。関連し、上トップ図(著者一部加筆)は、そのウェブサイトのアメリカへのルートです。
拙ブログでは、似た説ですが、次の理由から、「
アリューシャン列島経由説
」を支持しております。
1.
当時(13500年以前)は厳寒の氷河期、アジアからの北米移住には太平洋北回り(海路)だけが可能でした。
2. アメリカ最古の遺跡(13500年前)以前、日本列島の人類以外、アメリカへ移動できる状況にあった民族は発見されていません。なお、エスキモーとか北米インデアンは、シベリアから2000年前以降に移住した民族であると言われております。
3. 北海道では2万年前から黒曜石が利用され、その石器を用いてくりぬいたであろうと思われる小型の丸木舟を使い、船で海外に移動し、北米に行く準備ができていました。北米には、その船でアリューシャン列島を通って少しずつ島伝いに移動したと思われます。
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[ 2019/03/03 10:24 ]
アメリカ先住民族と日本人
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日本人の縄文思想と稲作のルーツ
「天皇家はアイヌ系」についてまとめています。詳細(目次)は下のとおりです。どうぞよろしく。
Author:レインボー
現在は邪馬台国の真相についてまとめています。
天皇家はアイヌ系(目次) はじめに 1. 日本民族のルーツ 2. 古墳王家は何故滅びたのか 3 古墳王家はアイヌ・マレー系連合に滅ぼされた 4.日本書紀は創作 5.日本語と日本人宗教のルーツ 終わりに
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天皇家のルーツと日本文化 (6)
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日本語のルーツ (17)
日本書紀は創作 (9)
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= 水行20日、水行10日陸行1月の呪縛 =
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光と影、夜と昼。
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