fc2ブログ

Archive2019年09月 1/1

日本人の容貌とルーツ

日本人の容貌とルーツ(ブログの概要)今回は「日本人の容貌とルーツ」について、カテゴリ「日本人のルーツ」を基に「記事まとめ」をします。まず、日本人のルーツですが、Y染色体ハプログループ分類によりますと、アイヌ系(Y染色体ハプログループD)が35%、マレー系(O1b)が30%、中国系(O2)が20%、モンゴル系(C)が10%、その他5%と言われます(下表参照)。日本人と関係の深いと言われる韓国人ですが、満州(中国東北部...

  •  4
  •  -

これからの予定と記事まとめについて

これからの予定と記事まとめについて(ごあいさつ)秋らしい天候になってきました。さて、「稲作と日本人」や「西日本の古代」等について記事をアップしてきましたが、これらの課題について書きたかったところは、ほぼ終わった感じがします。次回は、新たな課題として「関東・東北の古代」や関連する畑作の課題を検討していく予定です。現在は記事アップの節目に当たります。一方、拙ブログは、記事アップ数が280回を超え、1記事...

  •  4
  •  -

倭人の素顔が見つかった

倭人の素顔が見つかった(日本人のルーツ)中国の周王朝時代(3000年前)、水田稲作が中国南部(江南地方)からマレー系民族によって日本(北九州)にもたらされたことを検討してきました。その江南地方ですが、2600年前頃、越国が興りました。Wikipediaによれば次のとおりです。越(えつ、紀元前600年頃 - 紀元前306年)は、春秋時代に中国浙江省の辺りにあった国。首都は会稽(現在の浙江省紹興市)。後に漢民族形成の中核となっ...

  •  14
  •  -

福岡県はなぜ弥生時代人口が増えたのか

福岡県はなぜ弥生時代人口が増えたのか(西日本の古代)前回、弥生時代開始時期に稲作民族が大挙して日本に移住してきた事実はないことを紹介しました。一方、福岡県は、日本で稲作が最初に始まり、弥生時代遺跡数が最大であったことも紹介してきました。関連し、今回は、稲作民族が来たのは少数でありながら、福岡県の弥生時代遺跡数が最大であった理由について、九州の県別古代遺跡数から検討します。まず、九州各県の人口変動状...

  •  8
  •  -

稲作民族が江南地方から大挙移住してきたのか

稲作民族が江南地方から大挙移住してきたのか(稲作と日本人)水田稲作がマレー系民族によって3000年前頃から北九州で始まったことを検討してきました。一方、日本で出土した稲籾や稲プラントオパールから、その稲品種は日本型であり、江南地方の古代の稲と同じであることが分かってきました。このため、江南地方は日本稲作のルーツとも言われております。また、弥生時代は、稲作民族が大挙移住してきて始まったとも言われておりま...

  •  4
  •  -

水田稲作普及はなぜ遅れたのか

水田稲作普及はなぜ遅れたのか(西日本の古代)前回、弥生時代開始と関連し、水田稲作は、北九州で2900年前頃に始まったが、北九州に250年間留まり、他の西日本地域にすぐには普及しなかったことを紹介しました。関連し、今回は、「水田稲作普及はなぜ遅れたのか」について愚考します。結論から行きますと、二つの理由が指摘されます。第1は北九州以外では畑作が先行していたため、第2は、水田稲作の水路造成などに必要な鉄製農...

  •  0
  •  -