Archive2019年10月 1/1
弥生時代の関東・中部地域の水田作と畑作の割合

弥生時代の関東・中部地域の水田作と畑作の割合(関東・東北の古代)前々回、東京の弥生時代遺跡数事例から弥生時代は水田作よりも畑作が多かったことについて検討しました。関連し、今回は、関東および中部地域の各県について東京と同じ状況であったのかについて愚考します。まず、文化庁の参考資料: 平成24年度 周知の埋蔵文化財包蔵地数によれば、各県それぞれの遺跡数は下表のとおりです。この図表では、台地と低地の区分があ...
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台地になぜ水田稲作が普及しなかったのか

台地になぜ水田稲作が普及しなかったのか(関東・東北の古代)前回まで、東京の弥生遺跡数を基に、台地から低地への人口移動は弥生時代に認められなかったこと、台地の人達は畑作を行っていた可能性について検討しましたが、台地では水田稲作はできないのか疑問が出てきます。現在の風景から見ると台地には棚田があり、昔から棚田があった印象があります。関連し、今回は、台地は水田稲作に適していなかったことについて検討します...
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弥生時代に東京は畑作の方が多かった

弥生時代に東京は畑作の方が多かった(関東・東北の古代)前回、関東地方には弥生人が僅かしか来なかったことを古代遺跡数から推察しました。関連し今回は、前回紹介の「東京の遺跡」を参考に、東京の弥生時代は畑作の方が多かったことについて愚考します。弥生時代は、生産性の高い水田稲作が急速に全国に普及し、その結果、古墳時代、そして歴史時代へと急速に日本社会は変わっていった、と教えられてきました。しかし、東京の古...
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東京に弥生人は来なかった

東京に弥生人は来なかった(関東・東北の古代)「東京の遺跡」という資料があります。この資料には、東京の古代遺跡について詳しい解説があり、かつ、弥生時代前後の遺跡数が台地、低地、斜面に分けられており、低地への水田稲作導入と関連し、興味深い内容となっています。先に「関東に弥生人が来なかったこと」について検討しましたが、今回は、この「東京の遺跡」を基に、「東京に弥生人は来なかったこと」について愚考します。...
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縄文時代晩期、関東は富士山噴火で壊滅的打撃を受けた

縄文時代晩期、関東は富士山噴火で壊滅的打撃を受けた(関東・東北の古代)前回まで、関西における稲作導入から古代国家成立について検討してきましたが、今回から、関東・東北の古代について検討します。今回は、関東縄文時代晩期の最大問題であります人口激減要因について再度愚考します。縄文時代晩期の最大の事件は寒冷化です。これは4000年前~3000年前のことですが、この結果、繁栄していた関東以北の縄文社会は大被害をうけ...
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邪馬台国の場所と民族

邪馬台国の場所と民族(ブログの概要)前回は、「稲作民族のルーツと水田作の普及」について、記事まとめを行いました。その続きになりますが、今回は、「邪馬台国の場所と民族」について、カテゴリ「邪馬台国と日本人」を基に記事まとめをします。拙ブログでは、邪馬台国の場所は北九州、その民族は稲作民族と言われるマレー系民族であることを指摘してきましたが、その理由は次の6点です。1. 邪馬台国は稲作が発展した弥生時代末...
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稲作民族のルーツと水田作の普及

稲作民族のルーツと水田作の普及(ブログの概要)前回、最近のDNA研究(Y染色体ハプログループ分類)による日本人のルーツについて検討し、アイヌ系が35%、マレー系が30%、ツングース系(韓国系:中国系とモンゴル系混血)が30%、その他5%であることを指摘しました。今回は、カテゴリ「南方系と日本人」および「稲作と日本人」を基に「稲作民族のルーツと水田作の普及」について「記事まとめ」をします。まず、それぞれの民族...
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