Archive2019年11月 1/1
東北における水田稲作普及は冷涼気候のため遅れた

東北における水田稲作普及は冷涼気候のため遅れた(関東・東北の古代)すでに紹介してきましたように、水田稲作は生産性が高く、水田稲作が普及すると人口が増大することが知られております。しかし、東北においては、水田稲作が何時始まり、どのように発展にしていったのかは、ほとんど報告がありません。関連し、今回は東北の水田稲作開始時期について愚考します。方法は、「関東の稲作開始時期」と同じで、人口が停滞から増大す...
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大河が古代の関東を分けた

大河が古代の関東を分けた(関東・東北の古代)前回、古墳時代の関東は、群馬グループ、茨城グループ、東京湾グループの3地域に分かれ、それぞれの中心地があったこと、そして、地域を分けたのは大河川であったと推察しました。関連し、今回は、関東の言葉の違いから、3地域のルーツについて愚考します。まず、私ことで恐縮ですが、私は福島県中通り(郡山)出身です。茨城県(つくば市)に住んだ時、言葉が同じと言われたことがあ...
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古墳時代の関東の中心地愚考

古墳時代の関東の中心地愚考(関東・東北の古代)北九州や畿内よりも関東に古墳数が多いことを前回検討しました。しかし、日本の古墳時代については西日本中心の解析が多く、関東の古墳時代については検討が少ない印象を受けます。このためか、関東の古代については、その中心地さえも不明です。おそらく、大王が居たところが中心地と思われますが、今回は、関東の古墳時代の大王墓と中心地について愚考します。まず、文化庁の参考...
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関東でなぜ古墳が多いのか

関東でなぜ古墳が多いのか(関東・東北の古代)日本の歴史は、鉄器と水田稲作導入発展期のBC500年~AD200年を弥生時代、その後の大王時代~畿内政権確立までの200年~700年(3~7世紀)を古墳時代と分類しています。この古墳時代の関東を見ますと、古墳が他地域よりも突出して多い傾向があります。関連し、今回は、「関東でなぜ古墳が多いのか」について愚考します。まず、文化庁の参考資料: 平成24年度 周知の埋蔵文化財包蔵地数...
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日本畑作民族ルーツ愚考

日本畑作民族ルーツ愚考(関東・東北の古代)前回、東京の遺跡の事例から、関東には畑作が根強くあり、弥生時代に入ってもその傾向が変わらなかったことを検討しました。今回は、その畑作民族のルーツについて愚考します。まず、日本人のルーツですが、Y染色体ハプログループ分類によりますと、アイヌ系(Y染色体ハプログループD)が35%、マレー系(O1b)が30%、中国系(O2)が20%、モンゴル系(C)が10%、その他5%となってい...
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弥生時代における畑作のルーツ愚考

弥生時代における畑作のルーツ愚考(関東・東北の古代)前回まで、東京の遺跡の事例から、台地上(山間地)の人々が弥生時代~古墳時代において、水田稲作に適した低地にほとんど移動していないことから、台地では縄文時代からの畑作が続いていたのではないか、と検討しました。弥生時代に入りますと、大陸から鉄の農機具が入ってきました。このため、水田作だけでなく畑作もやり易くなったと思われます。そこで、何を作っていたの...
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