日本人の縄文思想と稲作のルーツ
日本人は、アイヌ系35%、マレー系30%、半島由来ツングース系25%、その他10%の混合混血民族です。DNA分類の結果、ヤマトにはツングース系王家が創られ、その後、アイヌ系の現天皇家に滅ぼされたと推察されます。万世一系を主題にした日本書紀は創作になります。関連し、今回は邪馬台国の真相に迫っています。
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日本古代史の虚構問題 [2019/12/30]
古代人口推定は改訂が必要だ [2019/12/25]
弥生時代の水田作と畑作の割合 [2019/12/20]
関東と東北の古墳建造時期は同じ [2019/12/15]
北東北に弥生時代は無かったのか [2019/12/10]
東北の水田稲作は福島から始まった [2019/12/05]
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日本古代史の虚構問題
日本古代史の虚構問題
(古代史の問題)
拙ブログ訪問、ありがとうございます。2019年の年末に当たり、一言、ご挨拶申し上げます。
今年は、拙ブログ、躍動の年でした。
拙ブログは、ブログ開設当初の2017年から「人気ブログランキング(日本史)」に参加しております。その週間点数は、1年目(2017)は100点、2年目(2018)は300点でしたが、3年目の今年は600点と躍進しました。これも皆様の応援のおかげと感謝しております。
また、記事アップの回数も300回を越えました。拙ブログのモットウは、DNA情報や遺跡情報などのデータ(事実)に基づく歴史解説ですが、それなりにできたのではないかと思っています。
記事アップのために、いろいろと調べていますと、我が国古代史の最大の問題は、歴史の虚構であることが分かりました。言い換えますと、王宮跡も王墓跡も不明な天皇が居たかのように扱われていることです。
調べますと、実際に王宮跡と王墓跡が確認されているのは継体王(在位:507-531)からの天皇です。また、継体王のルーツは歴代天皇にあるような直系ではありません。
そして、継体王以前のすべての王は、証明する物的証拠はなく、居たか居ないのか不明です。
例えば、王墓が世界最大と歴史遺産に認められました仁徳天皇ですが、調べますと、仁徳天皇は、当時では不可能と言われている100年以上生きた人物のようです。また、その王宮が何処にあったのか、どれが実際の陵墓なのか不明で、物的に証明するものが何も無い状況です。
このような物的証拠の無い歴史でいいのか、来年は、こうした歴史の虚構に迫ってみたいと思っています。
なお、上の写真は、我が無農薬菜園の年末のオータムポエムです。これは花軸の柔らかいところを食べる美味しい野菜ですが、花も美しく、菜園に一足早く春が来たような感じです。
よいお年をお迎えください。
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[ 2019/12/30 07:27 ]
古代史の問題
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古代人口推定は改訂が必要だ
古代人口推定は改訂が必要だ
(古代史の問題)
水田稲作は生産性が畑作よりも高く、このため、拙ブログでは、人口が停滞から増加に向かう時期を稲作開始時期と推測してきました。その古代人口推定については、Koyama (1978)が有名で、これらはWikipedia「
近代以前の日本の人口統計
」で見ることができますが、発表された年代は1978年で40年前という古い問題があります。
関連し、今回は、1978年に発表されたKoyama の人口推定は改訂が必要であることについて愚考します。
まず、Koyama (1978)の人口推定ですが、遺跡数を基に、縄文時代人口は遺跡数x24人、弥生時代人口は遺跡数×56人となっております。
一方、現在の遺跡数には、「
文化庁の参考資料(2012): 平成24年度 周知の埋蔵文化財包蔵地数
」が知られています。この2012年の文化庁遺跡数とKoyama (1978)の1遺跡当たり人口を使い、総人口計算しますと下表の新総人口になります。
次に、この新総人口とKoyama(1978)の総人口を比較するため、年代と人口の関係を図に示すと、下図の通りです。この図では、新総人口は、縄文時代晩期(2900年前)から人口が増大しており、実態と合っていません。
このことから、Koyama (1978)の1遺跡当たり人口は、現在の遺跡数から人口を推定する場合には使うことができません。
そこで、Koyama(1978)推定した総人口をそのままにし、「新1遺跡当たり人口=総人口/文化庁の遺跡数」を計算しますと、上の表の計算値になり、新1遺跡当たり人口は、縄文時代は8人、弥生時代は18人となります。
現在の文化庁(2012)の遺跡数がKoyama(1978)の遺跡数の3倍になっている関係から、この新1遺跡当たり人口は、Koyama(1978)の約3分の1となっています。
まとめますと、1978年のデータと比較し遺跡数が最近のデータの3倍以上になっている現状から想像しますと、古代人口の改訂が必要であることは言うまでもありません。
なお、文化庁の遺跡数(2012)ですが、縄文時代は、一般に、早期、前期、中期、後期、晩期の5区分に分かれておりますが、文化庁の遺跡数(2012)データではこれら5区分がまとめられて縄文時代(1データ)しかありません。弥生時代と関連し縄文時代晩期のデータが必要になります。
そこで、拙ブログでは、縄文時代晩期の遺跡数を、Koyama(1978)のデータを基に、それぞれの区分割合を計算し、その割合に応じて文化庁のデータを配分しました。それらのデータは下表のとおりで、表記の文化庁の縄文時代晩期の遺跡数は、この推定値に由来します。
日本史ランキング
[ 2019/12/25 09:14 ]
古代史の問題
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弥生時代の水田作と畑作の割合
弥生時代の水田作と畑作の割合
(稲作と日本人)
東京事例から関東で弥生時代に畑作が相当行われていたことを先に紹介しました。これまで、弥生時代のイメージは、水田稲作の導入によって長い縄文時代の停滞から一気に抜け出すことができたという感じが強調されてきました。
しかし、東京遺跡で弥生時代の遺跡数が台地に低地より多かった状況から想像しますと、そうした感じはありません。詳しくは「
弥生時代に東京は畑作の方が多かった
」 を参照願います。
関連し、今回は、古代の遺跡数の分布から全国の弥生時代の水田作と畑作の割合状況を検討します。
その方法ですが、先に検討しました「
弥生時代の関東・中部地域の水田作と畑作の割合
」と同方法から推定します。すなわち、「古墳時代遺跡数/弥生時代遺跡数」の値が大きいと、生産性の高い水田作が弥生時代に多く古墳時代遺跡が多くなり、逆に小さいと水田作の割合が少なく古墳時代遺跡が少なくなる、と判断します。
まず、「
文化庁の参考資料: 平成24年度 周知の埋蔵文化財包蔵地数
」の資料を用い、基礎となる地域別古代遺跡数を下表に示しました。さらに、「古墳時代遺跡数/弥生時代遺跡数」の値も算出しました。
そして、各地域の「古墳時代遺跡数/弥生時代遺跡数」の値の棒グラフ図を上トップに示しました。
まず、この図では、関東について値が大きくなっています。すでに検討しましたように、「古墳時代遺跡数/弥生時代遺跡数」の値が関東では大きい県と小さい県があります。大きい県は平野部が多く水田が多い県、小さい県は山間部が多く水田が少ない(東京、神奈川)県に分類されます。
次に、東北ですが、先に検討しましたように、水田作は、南部で多く、北部でが少なくなります。詳しくは「
東北の水田稲作は福島から始まった
」を参照願います。
次に、中部と四国ですが、これらは畑作主体、水田は少なく、このため古墳時代遺跡も少ない関係にあると思われます。
次に九州ですが、先に「
福岡県はなぜ弥生時代人口が増えたのか
」で検討しましたように、水田の多い福岡県(北部)と少ない南部に分類されます。
また、沖縄と北海道は古墳時代遺跡数が少ない特徴があります。これは、弥生時代遺跡はあるが、それは水田遺跡でなく畑作遺跡だったためと思われます。
まとめますと、大雑把な分類となりましたが、結論として、東北南部、関東平野部、北陸、東海、近畿、中国、九州北部は水田稲作が多く、一方、その他の地域は畑作が多いか中間と判断されます。
すなわち、弥生時代は水田稲作が温暖地平坦部などの適地に普及しただけで、全国に普及した時代ではなく、水田稲作と畑作が混在した時代だったと結論されます。そして、先に紹介しましたように、水田作が多くなるのは租庸調税が確立した奈良時代以降と判断されます。
関連し、まとめとして弥生時代の地域分類を下表に示しました。北海道と沖縄を除きますと、いずれの地域も、弥生時代に水田と畑作が行われていたが、その水田の多少が古墳時代遺跡数の地域差となって表れたと思われます。
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[ 2019/12/20 09:25 ]
未分類
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CM(2)
関東と東北の古墳建造時期は同じ
関東と東北の古墳建造時期は同じ
(関東・東北の古代)
前々回、東北の福島県で水田稲作導入が関東とほぼ同時期だったことを指摘しました。
一方、東北の古墳建造時期ですが、調べますと、こちらも関東とほぼ同じです。
関連し、今回は、古墳時代、関東と東北はほぼ同時進行で進んだことについて愚考します。
まず、古墳時代の大規模古墳の建造と時期ですが、上トップ図に示しました。
東北の最大古墳は宮城県名取市の雷神山古墳で様式は前方後円墳で全長168m、4~5世紀の建造です。一方、関東の最大古墳は群馬県の太田市の天神山古墳で様式は前方後円墳で全長210m、5世紀前半の建造です。両者はほぼ同時期の建造と思われます。
弥生時代の水田稲作導入は、前前回紹介しましたように、茨城、栃木、福島は隣県であり、ほぼ同じように発展したと推察しましたが、古墳時代も同じように発展したと思われます。
次に、東北と隣の県の古墳時代遺跡数を見ますと、下図のとおりです。福島は東北で飛びぬけて多く、その影響は、隣の宮城、そして山形と岩手にも波及している感じです。
因みに、福島県最大の大安場古墳(前方後方墳)の建造時期は4世紀後半、建造時期は関東最大の群馬県の太田天神山古墳(5世紀前半)や茨城県最大の舩塚山古墳(5世紀後半)よりも早く、どちらが先という印象はありません。
まとめますと、東北は、水田稲作の導入が遅れ、遅れた地域の印象がありましたが、弥生文化、そして古墳文化は関東と同時期に伝わりました。そして、東北各県は冷涼気候のため稲作適地の少ない弱点がありましたが、少しの余剰農産物が生まれ、かつ、畑作地帯の少ない余剰農産物も集め、関東とほぼ同時期に古墳建造が進んだと観るのが妥当と思われます。
そして、その背景ですが、関東と東北の古代の一体感は縄文時代の同時発展と関係していると思われます。縄文時代の中心民族は、その文化を作ったアイヌ系と言われておりますが、縄文時代に作られた交易網は弥生時代、古墳時代も続いていたと思われます。
因みに、関東・東北のアイヌ系の割合ですが、最近のDNA研究(Y染色体ハプログループ分類)によればアイヌ系割合は関東で約50%、古代の関東・東北はもっと高かったと思われます。詳しくは「
日本人のルーツは、アイヌ、マレー、ツングースの混血
」を参照願います。
次回は、「東日本と西日本の弥生時代の水田作と畑作状況」について愚考します。
日本史ランキング
[ 2019/12/15 09:02 ]
関東・東北の古代
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北東北に弥生時代は無かったのか
北東北に弥生時代は無かったのか
(関東・東北の古代)
東北地方の弥生時代、特に水田稲作の普及について検討してきました。そして、東北、特に北東北3県(青森、秋田盛岡)は冷涼気候のため稲作定着が遅れたと推察しました。
このためなのか、北東北では縄文時代が長く続き、弥生時代が無かったとも言われております。
関連し、今回は、「北東北に弥生時代は無かったのか」について愚考します。
まず、関東と東北は縄文時代中期、5000年前頃、人口が増え、発展しました。この時期は三内丸山全盛時代で交易も活発だったことが分かっています。おそらく、関東と東北には縄文時代の交易網があり、海と陸で繋がっていたと観ることができます。
そして、弥生時代に入りますが、弥生時代の特徴として、農耕(特に水田稲作)の導入、鉄器の導入、弥生土器の導入などがあります。
東北の最初の水田跡としては、青森県の「砂沢遺跡」(2500年前)と「垂柳遺跡」(2200年前)が知られております。「砂沢遺跡」には水田を作った後に放棄された様子があり、このため、次の「垂柳遺跡」が東北最初の稲作と言われております。
これら水田稲作遺跡は、水田稲作技術が西日本より僅かに遅れて伝わっていたことを示します。しかし、冷涼気象という問題があり、実際には普及しなかったのが真相と思われます。
さらに、弥生時代の特徴として、鉄器導入があります。2500年前の「砂沢遺跡」は、鉄製農具なしでの建造は考えられませんので、鉄器はそれ以前からあったと推察されます。因みに、北九州には3000年前頃から鉄製農具のあったことが知られております。
また、畑作は縄文時代からあったことが知られておりますが、畑作に慣れていた人々は鉄製農具が導入されると、さらに、畑作がしやすくなったと思われます。弥生時代遺跡から、大麦、黍、粟等の畑作物が出土しておりますので、これらの遺物は鉄製農具を使った農耕の結果として観ることができます。
最後に弥生式土器等ですが、例えば「
盛岡市の歴史
」によれば次のとおりです。
弥生文化の始まり
西日本で稲作農耕が広まり弥生文化が成立すると同時に,その影響は東北北部にまで急速に及びました。青森県では,弥生時代前期・中期の水田跡が発見されるとともに,西日本に特徴的な「遠賀川式(おんががわしき)」と呼ばれる大形の壺形土器が出土しています。
盛岡では弥生時代の遺跡の発見が少なく,水田跡も見つかっていませんが,中津川地区の向田(むかいだ)遺跡からは弥生時代前期(約2300年前)の「砂沢式(すなざわしき)」とよばれる高坏(たかつき)形土器が完形で出土していて,弥生文化が早くから伝えられていたことを知ることができます。同じ時期の土器は,都南地区の手代森(てしろもり)遺跡からも出土しています。
繋(つなぎ)遺跡からは,ひとつの穴にほぼ完形の壺形土器と甕形土器が埋納された状態で発見されていて,弥生時代中期の東北南部以南に特徴的な「再葬墓(さいそうぼ)」と考えられ,人や文化の交流をうかがうことができます。
(引用終了)
この盛岡市の情報をまとめますと、弥生文化は2300年前という弥生時代中期から伝わっており、青森県の「砂沢遺跡」(2500年前)の水田跡から想像しますと、2300年前以上から、弥生文化は東北地方に伝わっていたことになります。
まとめますと、東北、特に北東北では、冷涼気候のため、水田稲作の定着は遅れましたが、縄文時代からの交易網があり、弥生文化の特徴である農耕(畑作)、鉄器、弥生土器は2500年前頃から伝わっていたのが真相と思われます。
そして、北東北の弥生時代は畑作中心であり、これが古墳時代まで続き、余剰農産物が少なく、このため古墳建造は少なかったと推察されます。
関連し、弥生時代の東北の水田稲作普及の様子を上トップ図に示しました。
なお、北東北3県の水田稲作定着時期ですが、まだ不明です。水を温めるための池等の施設は弥生時代にあったことが知られていますが、それでも不十分で、おそらく、そうした溜池技術を入れても、古墳時代の稲作栽培北限は、秋田南部、岩手南部辺りまで、しかも普及面積はわずかというのが実体だったと思われます。
そこで、拙ブログでは、移植技術が導入された時が北東北での稲作定着時期と推察していますが、おそらく、それは平安時代後期と思われます。移植では代掻きという水と土をかき混ぜ床土を柔らかくすることが必要ですが、それは同時に漏水を防ぎます。この技術を使えば、田植え後、水を温め、稲の生育を促進させることができます。
詳しくは、「
田植えの始まりは平安時代後期か
」を参照願います。
日本史ランキング
[ 2019/12/10 08:58 ]
関東・東北の古代
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東北の水田稲作は福島から始まった
東北の水田稲作は福島から始まった
(関東・東北の古代)
前回、東北に水田稲作情報が入ってきたのは2500年前と早かったが、実際の稲作開始時期は600年遅れの1850年前頃であったと推定しました。
一方、関東の中山間部においては弥生時代に畑作が多かったことを先に指摘しましたが、水田稲作の遅れた東北も同じ状況だった可能性があります。
そこで、今回は、先に検討しました「
弥生時代の関東・中部地域の水田作と畑作の割合
」と同方法により、東北各県について、弥生時代の水田稲作と畑作の割合について検討し、東北の水田稲作は福島から始まったことについて愚考します。
その前回の方法ですが、「古墳時代遺跡数/弥生時代遺跡数」を算出し、その値が大きいと、弥生時代の水田稲作が発展し古墳が多くなったと判断し、水田稲作の割合が多かったと判断します。逆に、その値が小さいと水田稲作の割合が少なく畑作が多かったと判断します。
データは、「
文化庁の参考資料: 平成24年度 周知の埋蔵文化財包蔵地数
」を使い、東北各県と隣接する北陸北部(新潟)と関東2県(茨城、栃木)を加えて検討しました。
まず、使ったデータは下表のとおりです。東北では、縄文時代遺跡数は岩手県が最大、弥生時代と古墳時代の遺跡数は福島県が最大です。
そして、各県の弥生時代遺跡数と古墳時代遺跡数の関係は下図のとおりです。この図では、東北では福島だけが飛びぬけて両遺跡が多く、北関東(栃木、茨城)並みの遺跡数となっています。このことは、福島は関東とほぼ同時代に弥生時代、そして古墳時代が始まったことを示唆します。
前々回、福島、栃木、茨城は言葉が似ていて、これら3県は古代から同じような地域だったことを推察しましたが、それは当たっていると思われます。
次に、県別の「古墳時代遺跡数/弥生時代遺跡数」の値の棒グラフを上トップに示しました。
この図から東北は、「古墳時代遺跡数/弥生時代遺跡数」の値が小の北東北3県(青森、岩手、秋田)、中から大の3県(宮城、山形、福島)に分けられます。
また、この結果から、北東北3県は、寒冷地のため稲作が不適地だったことが示唆されます。すなわち、稲作不適のため畑作の方が多かったと判断されます。そして、稲作適地は南東北の福島、中間は山形と宮城と判断されます。
前回、東北は1850年前頃に水田稲作が開始したと推察しましたが、福島の発展が関東とほぼ同じであったことから推察しますと、福島で稲作が始まったのは関東と同時期で2050年前頃、しかし、冷涼気候の関係から、福島を除く東北各県は稲作の定着が遅れたと見るのが妥当と思われます。
まとめますと、東北の水田稲作は、まず福島県で定着し、その流れで古墳も多く作られました。そして、北に行くにつれ、冷涼気候になっていくため水田稲作の適地でなくなり、余剰農産物は少なく、古墳建造も少なくなった、と思われます。なお、水田稲作が少ない県は、代りに畑作が多かったことが予想されます。
次回は、北東北の弥生時代について検討します。
日本史ランキング
[ 2019/12/05 09:09 ]
関東・東北の古代
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日本人の縄文思想と稲作のルーツ
「天皇家はアイヌ系」についてまとめています。詳細(目次)は下のとおりです。どうぞよろしく。
Author:レインボー
現在は邪馬台国の真相についてまとめています。
天皇家はアイヌ系(目次) はじめに 1. 日本民族のルーツ 2. 古墳王家は何故滅びたのか 3 古墳王家はアイヌ・マレー系連合に滅ぼされた 4.日本書紀は創作 5.日本語と日本人宗教のルーツ 終わりに
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