fc2ブログ

Archive2020年06月 1/1

朝鮮半島からのツングース系民族は水田作を受け入れ西日本で発展した

朝鮮半島からのツングース系民族は水田作を受け入れ西日本で発展した(稲と鉄)前回まで、巨大古墳建造と関連し、近畿地域にツングース系が弥生時代に多く移住したことを指摘しましたが、ツングース系は畑作民族で、弥生時代の水田稲作との関わりは強くなかったことが予想されます。関連し、今回は、「ツングース系民族は水田稲作を受け入れ発展したこと」について、全国的視点から愚考します。まず、弥生時代の特徴ですが、生産性...

  •  0
  •  -

近畿地域は弥生時代からツングース系が多かった

近畿地域は弥生時代からツングース系が多かった(古代史の問題)前回、奈良・大阪に巨大古墳を残した王権は朝鮮半島由来のツングース系であったことを、大阪人のY染色体ハプログループ分類等から推察しました。このことは、近畿地域は弥生時代からツングース系が多かった可能性があります。今回は、このことを、縄文時代と弥生時代の遺跡数の差異、そして、ツングース系の特徴である高身長性について、東海地域と比較し愚考します...

  •  0
  •  -

巨大古墳王家は朝鮮半島由来のツングース系だった

巨大古墳王家は朝鮮半島由来のツングース系だった(古代史の問題)前回、新勢力の継体王(在位:507-531年)が、巨大古墳を多数建造した奈良と大阪の王家を滅ぼし、その結果、巨大古墳の主が分からなくなってしまったことを指摘しました。また、旧勢力没落の最大理由として、巨大古墳建設によって民衆が疲弊したことを指摘しました。一方、最近のことですが、現天皇家のルーツはアイヌ系の継体王(在位:507-531年)であることが明...

  •  0
  •  -

巨大古墳建造を続けた大王の末路愚考

巨大古墳建造を続けた大王の末路愚考(古墳と日本人)日本の巨大古墳建造について検討してきました。そして、その巨大古墳建造を続けた大王の末路がどうなったのか、今回はクライマックスになります。前回、民衆を疲弊させた巨大古墳建造が、3~4世紀には1地域(奈良)、5世紀には3地域(奈良、大阪、岡山)で行われたことを紹介しました。また、奈良と大阪には居住者が少なかったことから、巨大古墳建造には他地域から多数動員さ...

  •  2
  •  -

世界最大の大仙陵古墳建造の経過愚考

No image

世界最大の大仙陵古墳建造の経過愚考(古墳と日本人)奈良の地域では、4世紀、度重なる巨大古墳建造に民衆が疲弊したことを先に指摘しました。そして、5世紀、世界最大規模の大仙陵古墳(仁徳天皇陵)が、大阪の地に建造されました。民衆を疲弊させる巨大古墳建造を諦めず、さらに巨大な古墳がなぜ建造されたのでしょうか。因みに、大仙陵古墳は「建造に15年間680万人の労力」 という大規模なもので、動員されたのべ人数は年当た...

  •  1
  •  -

5世紀の頃、大阪、奈良、岡山の3地域に大王が居たと思われる

5世紀の頃、大阪、奈良、岡山の3地域に大王が居たと思われる(古墳と日本人)先に、墳丘長が200mを超える巨大古墳が38古墳建造されたことを紹介しました。それらは、3~4世紀は奈良を中心に建造され、続いて、5世紀には、奈良、大阪、岡山等に建造されました。関連し、今回は、5世紀に、北九州倭国とは別に、奈良、大阪、岡山の地域に大王が居たことと、それらの力関係について愚考します。まず、それぞれの地域の巨大古墳ですが...

  •  2
  •  -

巨大古墳王権は5世紀に最盛期を迎えたと思われる

巨大古墳王権は5世紀に最盛期を迎えたと思われる(古墳と日本人)前回、奈良の王権は、4世紀に度重なる巨大古墳を建造し、民衆を疲弊させたことを指摘しました。その結果、奈良の地域では巨大古墳が建造しにくくなった事情を指摘しました。しかし、一方、次の5世紀には場所を変え、さらに大きな古墳が建造されました。関連し、今回は、奈良の巨大古墳王権は、さらに支配地を広げ、巨大化した結果、王宮や王墓陵を大阪に移したこと...

  •  0
  •  -