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Archive2020年08月 1/1

邪馬台国の支配者はツングース系だった

邪馬台国の支配者はツングース系だった(古代史の問題)前回、北九州にあった邪馬台国の住民の多くは南方系稲作民族のマレー系であったが、支配していたのは北方系のツングース系であったことを、前方後方墳の存在から推察しました。関連し、今回は、「魏」という国への朝貢という外交姿勢からも、ツングース系であったことが伺えることを愚考します。日本の邪馬台国時代の3世紀、中国は魏・蜀・呉の三国志の時代です。すなわち、...

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倭国の大乱の原因は民族対立だった

倭国の大乱の原因は民族対立だった(古代史の問題)魏志倭人伝によれば、3世紀前半に倭国の大乱があり、そのなかで「卑弥呼」が女王に推挙され、大乱がおさまったとあります。また、北九州地域の傷ついた多数の人骨遺跡から、その大乱では激しい戦争があったことが伺えますが、何故、このような激しい大乱が起きたのか分かっていません。一説には、弥生時代が発展し、食料が増産され、その富の分配の争いが主要因と言われますが、...

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ツングース系王家はなぜ朝貢しなかったのか

ツングース系王家はなぜ朝貢しなかったのか(古代史の問題)多数の巨大古墳を建造したツングース系王家が3~5世紀に奈良・大阪にあったことを検討してきました。このことは、実在する古墳や馬具工房跡などの遺跡からだけ言えることです。残念ながら、魏志倭人伝のような外国記録は、朝貢が無かったためか、奈良・大阪のツングース系王家についてはありません。関連し、「ツングース系王家はなぜ朝貢しなかったのか」について、今回...

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三角縁神獣鏡が近畿に多い理由愚考

三角縁神獣鏡が近畿に多い理由愚考(古代史の問題)初期の近畿の支配者は、朝鮮半島から鉄製農具を持ってきたツングース系民族が建設した王家であったことを検討してきました。一方、その近畿の古墳から三角縁神獣鏡が多量に出土しています。この鏡は中国の鏡に似ていることから、これらは邪馬台国の卑弥呼が魏の皇帝からいただいた鏡と断定し、これを証拠に、邪馬台国は近畿(大和)にあったという説がありました。しかし、この説...

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朝鮮半島と日本列島の古代国家発展の類似

朝鮮半島と日本列島の古代国家発展の類似(記事まとめ)日本の歴史は、縄文時代から弥生時代、そして古墳時代へと発展しました。この発展過程には、南方系の稲作民族のマレー系と北方系畑作民族のツングース系の渡来が重要な役割を果たしました。因みに、最近のDNA研究(Y染色体ハプログループ分類)によれば、日本人は、アイヌ系が35%、マレー系が30%、ツングース系(中国系+モンゴル系)が25%、その他が10%です。詳しくは「最近...

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日本のツングース系王家と新羅との関係

日本のツングース系王家と新羅との関係(古代史の問題)古墳時代の奈良・大阪に巨大古墳を多数建造したのは、弥生時代に渡来してきた朝鮮半島由来のツングース系民族の王家であったことを検討してきました。この歴史は、朝鮮半島由来の鉄と古墳の流れから考えますと、当然のことと思われます。一方、日本に影響を及ぼした朝鮮半島のツングース系国家の代表は、鉄産地の慶州を中心に展開した新羅と判断されます。関連し、今回は、同...

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馬とツングース系王家

馬とツングース系王家(古代史の問題)奈良・大阪に、3~5世紀、多数の人員を動員し巨大古墳を建造したのは、朝鮮半島から弥生時代に移住してきたツングース系民族出身の王家であったことを指摘してきました。彼らが、日本の中心地だった奈良に王家を作ることができたのは、鉄製農具を持っていて、食料生産で有利で、かつ、近畿には先住民族が少なかったため移住し易かったことが指摘されます。今回は、戦闘用に用いる乗用の馬を導...

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