日本人の縄文思想と稲作のルーツ
日本人は、アイヌ系35%、マレー系30%、半島由来ツングース系25%、その他10%の混合混血民族です。DNA分類の結果、ヤマトにはツングース系王家が創られ、その後、アイヌ系の現天皇家に滅ぼされたと推察されます。万世一系を主題にした日本書紀は創作になります。関連し、今回は邪馬台国の真相に迫っています。
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天武天皇の容貌はツングース系愚考 [2021/01/29]
新書「渡来系移住民」にも根拠のない古代史解説がある [2021/01/23]
「日本国紀」は古代史に影響を与えたか [2021/01/16]
誤りと偽りの考古学・纏向 [2021/01/09]
古代史捏造問題と日本国紀の評価 [2021/01/02]
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天武天皇の容貌はツングース系愚考
天武天皇の容貌はツングース系愚考
(日本の古代)
これまで、日本を最初に統一した大王は天武天皇(在位:673- 686)であったことについて検討してきました。
また、最近のDNA研究(Y染色体ハプログループ分類)の結果、現天皇家のルーツはアイヌ系の継体天皇(在位:507-531年)まで辿れること、関連し、継体天皇の容貌はアイヌ系であったことも紹介してきました。
今回は、天武天皇の事例から、天皇家の容貌がアイヌ系から朝鮮半島由来のツングース系に変わったことについて愚考します。
まず、上の画像は「
歴代天皇 40代天武天皇
」からお借りしました。
この天武天皇の画像を拝見しますと、細い眼、一重瞼、小さい口元、平べったい顔、薄い髭が特徴的です。
これらの特徴は、寒地に適応したモンゴル系および、その子孫で朝鮮半島に多いツングース系の特徴と言われます。
また、Wikipediaの人物像によれば、身長について次のようです。
文暦2年(1235年)の盗掘後の調査『阿不之山陵記』に、天武天皇の骨について記載がある。首は普通より少し大きく、赤黒い色をしていた。脛の骨の長さは1尺6寸(48センチメートル)、肘の長さ1尺4寸(42センチメートル)あった。ここから身長175センチメートルくらい、当時としては背が高いほうであったと推定される[111]。藤原定家の日記『明月記』によれば、白髪も残っていたという[112]。
(引用終了)
すなわち、天武天皇の身長は175cmくらいと高身長です。この高身長もツングース系の特徴です。詳しくは「
色白高身長、秋田美人のルーツ愚考
」 を参照願います。
以上のことから、天武天皇の容貌は明らかにツングース系です。このため、天皇家のルーツは朝鮮半島のツングース系という説もありました。しかし、最近のDNA研究は、天皇家のルーツはアイヌ系であることを明らかにしました。詳しくは、「
天皇家の男子のルーツはアイヌ系
」を参照願います。
そこで、天皇家の容貌がアイヌ系からツングース系に変わった経過を検討しますと次のとおりです。
まず、天武天皇の両親の系譜(下図参照)から検討しますと、天武天皇の母は目が細く吊り上がった感じがあり、母方に似た感じがあります。
母方の皇極天皇には、天皇家と縁戚関係にあった実力者の蘇我家の血が色濃く流れています。このため、天武天皇がツングース系に似た容貌とすると、その容貌は蘇我家由来となります。
当時、蘇我家は当時の実力者であり、現天皇の継体天皇(在位:507-531年)時代から、実の娘を嫁がせ縁戚関係にあったことが知られております。
一方、当時、美人と言えば、上記秋田美人のルーツでも示唆しておりますが、色白高身長のツングース系であったと推察されます。そこで、蘇我家はツングース系美女を妻に持ち、その娘を天皇家に嫁がせ、縁戚関係者となっていったことになります。
まとめますと、蘇我家は、色白高身長のツングース系美女と結婚し、その娘を天皇家に嫁がせ、それを繰り返した結果、それらの子孫の天武天皇はツングース系に似た容貌になったと推察されます。
すなわち、天皇家はもともとはアイヌ系であったが、ツングース系の女と代々結婚を重ねるうちに、天武天皇の代になると、その容貌はツングース系の容貌に変わってしまったことになります。
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[ 2021/01/29 11:38 ]
日本の古代
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新書「渡来系移住民」にも根拠のない古代史解説がある
新書「渡来系移住民」にも根拠のない古代史解説がある
(古代史の虚像と書籍)
前回、「日本紀」(2018 百田尚樹)は、不十分な内容もあるが、俗説とは異なり評価できる部分もあることを紹介しました。しかし、その後に発刊された古代史関係新書を見ると、「日本国紀」の内容は完璧に無視されていることが分かりました。
今回は、その事例として、新書「渡来系移住民」(半島・大陸との往来)(2020 吉村武彦、吉川真司、 川尻秋生)(上記写真参照)にも、たいへん立派な書籍にもかかわらず、同じく「日本紀」を無視し、かつ根拠の無い内容のあることについて、検討します。
まず、その「日本紀」を無視した問題の部分ですが、5世紀の中国の「宋書」に記載されている「倭の五王」の扱いです。
「日本紀」では「倭の五王」はヤマトの天皇ではないことを書いていますが、完全に無視されています。すなわち、、本著「渡来系移住民」は「倭の五王」はヤマトの天皇であることを前提に解説しています。
その説明として、最後の倭の五王「武」について、武=ワカタケル(雄略天皇)と読み、物的根拠もなく雄略天皇として決めつけている点です。
この強引な決めつけに、「日本紀」では、倭の五王については日本書紀には書いて無い内容であること、名前の読み方は「こじつけ」になっていること、などを指摘していて、「倭の五王」はヤマトの王でないと思われる、としています。
また、拙ブログでも「
倭の五王と奈良・大阪のツングース系王家は別と判断される
」とし、「倭の五王」は北九州倭国の大王として指摘してきました。
「日本紀」の内容を真面目に検討すると、古代日本には北九州倭国とヤマト朝廷の二つの国があったことになり、万世一系の否定、さらには、多くの歴史解説書(俗説)の否定につながることは言うまでもありません。
このためでしょうか、この新著「渡来系移住民」でも、「日本紀」を無視した内容になっています。
関連し、日本古代史では、本著のように、物的根拠が無くとも平気で解説している例が多くあります。そして、正されることはないという、たいへん憂いある状況が続いています。
拙ブログでは、「
日本の古代史は戦前と変わっていない
」ことを指摘してきましたが、それは21世紀の令和になっても改善されず、いかんともしがたい焦燥感に包まれ、絶望的な状況が続いていることになります。
しかし、虚像は必ずや壊れること確信し、拙ブログは虚像批判を続けます。
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[ 2021/01/23 07:12 ]
古代史の虚像と書籍
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「日本国紀」は古代史に影響を与えたか
「日本国紀」は古代史に影響を与えたか
(古代史の虚像と書籍)
年頭のあいさつで述べましたが、日本国紀(2018 百田尚樹)を読みました(上記写真参照)。内容は通説(俗説)と異なり、かつ、歴史本としては珍しいベストセラーになりました。
今回は、その「日本紀」の内容と影響について愚考します。
なお、著者が読んだのは、第一章(古代~大和政権誕生)と第二章(飛鳥時代~平城京)の古代史関係部分だけです。
まず、拙ブログの感想は次のとおりです。
縄文時代の理解は不十分
日本人のルーツについて、「周辺国の人々を含めた大掛かりなDNA解析が進めば、かなりのことが分かるだろう」とありますが、この方面は具体的な検討がなく残念でした。
すでに、DNA研究(Y染色体ハプログループ)で、現在の日本人は、アイヌ系が35%、マレー系が30%、朝鮮半島由来のツングース系25%、その他10%であることが分かっています。
古代の朝鮮半島の理解も不十分
「4世紀半ばにも日本はかなり積極的に朝鮮半島に兵を送っている。・・・ もしかしたらもとは同じ一族が住んでいた可能性もある。ただしそれらを示す歴史的資料はない。」とあります。
「同じ一族が住んでいた可能性もある」という指摘は当たっています。これも、最近のDNA研究(Y染色体ハプログループ分類)を見れば分かることで、稲作民族のマレー系が朝鮮半島に30%、日本に30%居ることが分かっています。
古墳時代に大和王権は関東まで支配していたか
「(古墳時代)同じような前方後円墳が日本各地に作られていることから、大和王権の権力はほぼ日本全国にわたっていたとも考えられる」とあります。しかし、この説は、その後の古代史経過を考慮しますと、まだ解明されていません。一つは関東の多数の古墳の扱いです。
例えば、日本側の情報を基にした中国の旧唐書によれば「日本の東の境は山に遮られ、その東は毛の国である」とあります。すなわち、古墳時代、毛の国の関東は大和の支配下に入っていません。また、701年に完成した大宝律令にも道があるのは、東海道と東山道までで、その先にある関東について記述はありません。さらには、関東が大和政権下にあったことを示す物的証拠は何もありません。
白村江の戦いの真実に迫っていない
白村江の戦い(663)について「人口300万人前後と考えられる当時の日本で、総人口の1パーセント近くを海外に派兵するというのは、国の総力を挙げた戦いともいえる」とあります。
この白村江の戦いの内容は日本書紀と同じです。日本書紀には、戦いに負けても戦勝国の唐側から賠償請求が無かったことなど不自然なこと多くありますが、それらのことへの検討はありません。
なお、拙ブログでは、白村江の戦いは、北九州倭国と唐の戦いであり、大和政権は参戦しなかったことを紹介しています。詳しくは「
白村江の戦いにおける海戦の真相
」を参照願います。
邪馬台国は北九州にあったと思われる
この内容については、たいへん評価されます。
倭の五王はヤマト朝廷と関係が無い
俗説では、倭の五王は5世紀のヤマト朝廷の天皇に指摘されています。しかし、本著では、それらの王の名前は日本書紀にもないこと、倭の五王の名前と天皇名が一致しないことから、従来の説は「こじつけ」で、ヤマト朝廷の王でないと思われるとしています。これは評価されます。
このことを真面目に検討すると、倭の五王は北九州倭国の王で、大和朝廷とは別に倭国があったことになり、教科書の書き換えにも繋がる内容です。
継体天皇から王朝が代わった
継体天皇(在位:507-531年)の代に王朝が代わった可能性のあることも書かれております。教科書的には、万世一系が普通ですが、この内容も通説と違います。
拙ブログも同内容ですが、最近のDNA研究(Y染色体ハプログループ)で、現天皇家のルーツはアイヌ系の継体天皇で、朝鮮半島由来のツングース系っでもなく、南方由来のマレー系でもないことが分かっております。詳しくは「
天皇家のルーツはアイヌ系の継体王
」を参照願います。
九州王朝東遷説
本著は、邪馬台国九州説や、倭の五王はヤマトの王ではないことと関連し、北九州王朝東遷説を支持している雰囲気があります。しかし、それを追及すると、日本書紀は北九州倭国の存在を否定していることが明らかになり、教科書の書き換えも必要になり、大問題に発展します。
以上、感想をまとめますと、「日本国紀」は、不十分な点も多くありますが、これまで曖昧だった邪馬台国の所在地、倭の五王と大和朝廷の関係、王朝の交代について、俗説とは違う内容を提示しており、論議が期待されます。
最後に、「日本紀」の古代史への影響ですが、残念ながら期待された論議はまったく無い感じです。例えば、「日本国紀」は2018年発刊ですが、その後の日本史関係書籍(2020年発刊については前回紹介)は「日本国紀」を無視した内容になっています。
おそらく、本著の内容を真面目に検討すると、大半の歴史関係書籍の内容が問題になるため、「日本国紀はベストセラーだが無視する」というのが日本史関係出版界の暗黙の合意と思われます。
拙ブログでは「
日本古代史は戦前と変わっていない
」ことを指摘してきましたが、こうした状況は「日本国紀」の後も変わらず、いかんともしがたく絶望的な状況が続いている感じがします。
日本史ランキング
[ 2021/01/16 08:02 ]
古代史の虚像と書籍
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誤りと偽りの考古学・纏向
誤りと偽りの考古学・纏向
(古代史の虚像と書籍)
年末のあいさつで、「誤りと偽りの考古学・纏向(これは、第二の旧石器捏造事件だ!)」(2019 安本美典)についてタイトルだけ紹介しました(上記写真参照)。今回は、その感想を述べてみたいと思います。
まず、邪馬台国ヤマト説ですが、これは副題のとおり第二の旧石器捏造事件と思われます。
例えば、魏志倭人伝に記載されている、鉄剣・鉄刀・鉄矛、棺あって槨(かく)なし、等について、奈良の纏向遺跡には邪馬台国があったという出土物はないと指摘しています。確率論でも、「邪馬台国は99.9%福岡県にあった」(2015 安本美典)と結論していますが、その通りと思われます。
そこで問題となるのが、少し調べればすぐ分かることが、なぜ奈良の「奈良の纏向遺跡=邪馬台国遺跡」が根拠もなく広く認められているのか、になります。
似たようなこととして古代史関係では旧石器捏造事件というものがありましたが、同じように「奈良の纏向=邪馬台国説」も、まったく物的根拠のない話で、同じ「捏造事件」と言ったほうがふさわしいとあります。
最近の捏造事件では、小保方晴子氏の「STAP細胞事件」等の研究不正事件に似ており、その背景に、研究が有名になれば、研究費の入手、研究者の名声・地位向上がしやすくなることがあります。
そして、研究捏造の背景には、売れれば良いというマスコミの変更報道、いわゆるフエイクニュースがあるとあります。
小生の経験ですが、テレビ「世界ふしぎ発見」で「奈良の纏向遺跡=邪馬台国遺跡」として紹介したときの話です。リポーターが、おかしいと思ったのか、「これは邪馬台国遺跡じゃないの」と発掘現場の研究者に尋ねたところ、彼は「そういうことを言う方もおられます」と軽く返答していました。
すなわち、現場の研究結果と関係なく、「纏向遺跡は邪馬台国」と報道すれば視聴者が増えるという発想で、事実と違うことがテレビでは平気で報道されていることを知ったしだいです。これにはがっかりし、その後、「世界ふしぎ発見」を見る意欲がなくなりました(笑)。
まとめますと、「奈良の纏向遺跡=邪馬台国」は、「説」というよりも物的根拠のない「捏造事件」という本著の指摘は当たっています。そして、それは、本著指摘のとおり「第二の旧石器捏造事件」になっている感じがします。
こうした捏造を平気で発表する研究者にも問題ありますが、こうした捏造物語を紹介するマスコミにも大きな問題があります。
なお、邪馬台国ヤマト説を紹介している書籍は、都合の悪い邪馬台国倭人の風俗を故意に無視していることを、年末の記事で紹介しました。そして、昨年(2020年)発刊された本もそうであったことを紹介しましたが、再度紹介しますと下の写真のとおりです。
日本史ランキング
[ 2021/01/09 07:26 ]
古代史の虚像と書籍
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古代史捏造問題と日本国紀の評価
古代史捏造問題と日本国紀の評価
(ごあいさつ)
新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
さて、拙ブログは2017年4月に始まりましたので、今年は5年目に入ります。
拙ブログのタイトルは「日本人の縄文思想と稲作のルーツ」ですが、日本人の思考様式は、縄文時代に育まれた「自然との共生」をベースに、聖徳太子が重要とした「和」の精神思想かと思っています。
当然のことながら、この思考様式には長所も短所もありますが、まだ追及が足りない感じをもっており、拙ブログではさらに追及したいと思っているところです。
一方、稲作のルーツですが、この方面は、ほぼ検討が終わった感じがします。すなわち、水田稲作はマレー系民族によって3000年前頃に北九州に持ち込まれ、2300年前の鉄器普及を契機に水田稲作は全国的に普及していったと思われます。
稲作で残された問題は、移植開始時期が不明ということがあります。移植には、田植え前に水と土を混ぜるという重労働の代掻きがあり、水田稲作と同時に入ったわけではありません。例えば、ヨーロッパの水田稲作ですが、乾田に播種し発芽後に水を入れるという古来の乾田直播を最近までしていました。
拙ブログでは、日本の移植栽培は平安時代中期ごろに始まったと観ています。そして、移植栽培が始まると、コメの生産力が上がり、人口が増え、律令国家から武士国家へ変わっていったのではないかと思っています。この方面はさらに検討する予定です。
最後に、年末に指摘しました「古代史の捏造」問題ですが、今年はさらに検討したいと思っております。関連し、小生の勝手な思いですが、この方面ではひとつの発見がありました。
それは「日本国紀」(2018 百田尚樹)の内容です。百田氏はたいへん有名な作家でありますが、日本会議というグループの主要メンバーと言われ、そのグループの内容かと思い、読むのをためらっていました。しかし、ベストセラーの歴史本ということであり、読んでみました。
その「日本国紀」の内容で邪馬台国の扱いが、次のようになっています。
「ところが、この邪馬台国がどこにあったのかは今でも不明である。遺跡や遺物から畿内説が有力だが、決定的とはいえず、九州説をとる学者もいる。私は、後述するいくつかの理由で九州にあったのではないかと考えている。」
(引用終了)
すなわち、百田氏は、邪馬台国ヤマト説でなく邪馬台国九州説を支持しています。しかも、日本会議で一般的な「歴代天皇万世一系」を否定しています。これらのことに、百田氏は豹変したというような批判もあるようですが、日本会議のメンバーにも良識ある古代史観を持った方もおられることが分かりました。
そこで、今年は、この書のように、虚構を否定する古代史の書籍が増えることを期待しております。
なお、上と下の写真は、記事と関係ありませんが、我が菜園のアケビとクコです。いずれも我が国に自生している果樹ですが、アケビは縄文時代からの甘い秋の味覚、クコは縄文時代からの薬(不老長寿の実)として使われてきたものです。
関連し、私こと、乾燥させたクコの実をお茶にして利用しておりますが、その効果なのか、ここ10年カゼをひいたことがありません(笑)。
日本史ランキング
[ 2021/01/02 15:42 ]
ごあいさつ
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日本人の縄文思想と稲作のルーツ
「天皇家はアイヌ系」についてまとめています。詳細(目次)は下のとおりです。どうぞよろしく。
Author:レインボー
現在は邪馬台国の真相についてまとめています。
天皇家はアイヌ系(目次) はじめに 1. 日本民族のルーツ 2. 古墳王家は何故滅びたのか 3 古墳王家はアイヌ・マレー系連合に滅ぼされた 4.日本書紀は創作 5.日本語と日本人宗教のルーツ 終わりに
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