日本人の縄文思想と稲作のルーツ
日本人は、アイヌ系35%、マレー系30%、半島由来ツングース系25%、その他10%の混合混血民族です。DNA分類の結果、ヤマトにはツングース系王家が創られ、その後、アイヌ系の現天皇家に滅ぼされたと推察されます。万世一系を主題にした日本書紀は創作になります。関連し、今回は邪馬台国の真相に迫っています。
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「コロナに人類が打ち勝った証」愚考 [2021/06/25]
聖徳太子は実在したのか愚考 [2021/06/18]
倭国の大乱で人口は変動したのか [2021/06/11]
ユダヤ人は日本に来たのか [2021/06/04]
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「コロナに人類が打ち勝った証」愚考
「コロナに人類が打ち勝った証」愚考
(縄文思想と日本人)
今回のオリンピックは、「コロナに人類が打ち勝った証」にしたいと首相を初め、多くのリーダーが語っています。
この言葉について、「日本人の言葉ではない」と違和感を感じる方も見られます。
関連し、今回は、この言葉「コロナに人類が打ち勝った証」は日本人の思考様式ではないことについて愚考します。
まず、関連記事として、ブログ仲間の「まん丸、メジャーへの道 6」さんの記事「
勝ち負けじゃない
」を紹介しますと次のとおりです。
菅首相はよく東京オリンピック・パラリンピック開催は、コロナに人類が打ち勝った証と、おっしゃいますねぇ。
でもね、私、最近特になんですけど、この言い方・捉え方には違和感しかないんですよねぇ。
コロナはある種の自然現象だと思うんですけど、その自然相手に、勝ち・負けという価値観って存在するんでしょうかねぇ。
勝ち・負けっていうのは、自分とは違う別の存在に対する一つの価値観みたいなもんでしょ。
つまりですね、「自然に対して勝ち負け」には「人類は自然とは別に存在するモノ」っていう意識が無意識にあるわけですよ。
人類って大自然の一部ですよね?まさか、人類は特別な存在だ、その力で大自然をコントロールし、自然にも勝てるなんていうたいそうなこと考えているんじゃないでしょうかねぇ。・・・考えてるな、おそらく。
人類は特別な存在であり、もしそれを自然が妨害するなら勝負を挑んで屈服させてやる! ってね、そりゃあ 人類よ、お前は神か?!ってこと。
ま、ご自分を森羅万象担当だと言う首相はいらっしゃいましたけどねぇ。(苦笑) でもね、そんなの思い上がり、驕り以外のナニモノでもない、身の程知らずもいいところ。
こういう甚だしい勘違いをしているから「五輪中止=コロナに負けた」という考えにしか至らないんですよ。
もっと自然に対して謙虚にならないと。
コロナを含むあらゆる自然現象に対して人類がそれを受け入れながらささやかな抵抗を試みて、それで五輪が開催できるならば「ああ、開催できてよかったね」だろうし、もしどうやっても開催できなければ「残念だったね」でいいんですよ。
自然に対しては勝ち負けじゃない。自然は戦う相手ではなく、人類はその一員なんですから。自然に敬意を払い、謙虚に、感謝しながら、他の一員の方々や環境に迷惑をかけないように注意しながら、その大きな力の恩恵を、必要な時にちょっとだけ頂戴させていただく。
これが人類のあるべき姿なんだと思いますよ。・・・
(引用終了)
この記事をまとめますと、日本人なら「
もっと自然に対して謙虚にならないと
」に尽きると思われます。
拙ブログでは、この記事とほぼ同じ思考様式を日本人は持っていることを指摘してきました。そして、この日本人の思考様式のルーツは、縄文時代から育まれてきた縄文思想、言い換えますと、自然との共生思想であることを指摘してきました。
この日本人の思考様式が最初に現れたのが、聖徳太子の「17条の憲法」と思われます。そこには、儒教、仏教の教えが多く散りばめられていますが、最初の第1条は「和の精神の重視」で、まさに自然との共生と関連した日本的精神があります。詳しくは「
聖徳太子の17条の憲法と縄文思想
」を参照願います。
また、例えば、「なぜ山に登るのか?」と問われ、西洋人登山家は「そこに山があるから」と答え、一方、日本人登山家は「山に親しむため」と答えた、という有名なエピソードがあります。
そこで、オリンピックに対する日本のリーダーの言葉「コロナに人類が打ち勝った証」ですが、明らかに日本の思考様式から離れております。日本の思考様式には長所も短所もあることを指摘してきましたが、オリンピックが日本で開催されるという観点に立てば、開催の意義を日本的な言葉で表現すべきであったと思われます。
関連し、「日本人と欧米人の自然観」について、上トップに示しました。
また、下の写真は、自然との共生を重視した我が無農薬菜園の様子で、実の着き始めたナワシロイチゴ、実り始めた地這いキューリです。無農薬栽培のせいか、地這いキューリは美味しいと評判です(笑)。
なお、このような日本人の自然観や思考様式に関心のある方は、拙ブログ左側にありますカテゴリから「
縄文思想と日本人
」を選びクリックしますと今までの記事を読むことができます。
日本史ランキング
[ 2021/06/25 10:24 ]
縄文思想と日本人
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聖徳太子は実在したのか愚考
聖徳太子は実在したのか愚考
(古代史の問題)
聖徳太子は日本古代史の英雄です。しかし、聖徳太子は実在したのか、数年前から疑問に持たれるようになりました。最大の疑問は、「聖徳太子は普通の天皇以上の業績があったのに何故天皇になれなかったのか」と思われます。
関連し、最近、いくつかの日本史関係ブログでも同様な問題を取り上げています。例えばブログ「邪馬台国探訪」の「
聖徳太子は蘇我善徳である
」です。聖徳太子は天皇家の系譜に無かったため天皇になれなかったことを指摘していますが、かなり説得力があります。
関連し、この記事に刺激され、今回は、拙ブログでもこの問題について愚考します。
まず、ウエブ検索しますと、最近の記事に「
聖徳太子は本当に存在したのか?
」があります。一部を引用しますと次のとおりです。
(前略)
Q10. では、なぜ「聖徳太子」が作り上げられたのですか?
厩戸王が死去して50年後、凄惨な皇位継承権争い(壬申の乱)が起きます。天皇の権威は失墜し、勝者となった天武天皇(631?〜686)は「天皇中心の中央集権律令国家づくり」をすすめていきます。
そのとき天武天皇は「厩戸王」というひとりの人物に着目します。彼と同時代に行われた数々の施策を誇大評価し、これらの偉業すべての部分で関与したとする「聖徳太子」をつくり上げたのです。ライバルである有力豪族に対し、神代から続く自らの血筋の優秀性と日本国の統治者であるという正統性を再認識させようとしたのでは、と考えられています。
こうしたことを背景にして戦前につくり上げられた「聖徳太子」像は、いま大きく揺らいでいるのです。
ここまでの話を整理してみましょう。
★聖徳太子の称号は「憲法十七条」をはじめ、数々の功績によるもの。
★ところが、最近の研究から、推古王朝は彼一人でなく天皇、蘇我氏、厩戸王3者の共同体制による運営とされ、
(1)冠位十二階などは「多くの人物」の手による合作
(2)憲法十七条は彼よりも「後の時代」に完成した
(3)遣隋使は小野妹子より「以前から」派遣されていた
など、彼自身の実績とは直接関係ないとする可能性も指摘され、徐々に疑問が生じています。
★少なくともこの時代に、彼が天皇の摂政として存在したのは確かですが、「聖徳太子」の称号に値する“すべてをひとりで成し遂げた”人物ではなかった、つまりは「“聖徳太子”はいなかった」とする見方が現実味を帯びてきました。
歴史は絶えず進化する
後に「伝説の学習参考書」と呼ばれた『大学への日本史』の初版は1973年。刊行後の40年の間に、さまざまな歴史的事実が明らかになりました。歴史は絶えず「進化」を続けています。
今回のリニューアル出版にあたっては、まだ上記の議論に結論が出ていないことから、従来の内容に従い、これらは彼の成した功績として記述していますが、人物名は「聖徳太子」とせず、本来の名である「厩戸王(聖徳太子)」としました。
・・・・・
(引用終了)
引用が長くなりましたが、以上の引用記事をまとめますと、次のような感じです。
まず、壬申の乱に勝ち巨大な実権を握った天武天皇が現れました。詳しくは「
天武天皇が日本を統一した初めての天皇
」を参照願います。
そして、天武天皇は、「ライバルである有力豪族に対し、神代から続く自らの血筋の優秀性と日本国の統治者であるという正統性を再認識させようとした(引用文)」とありますが、ここが天武天皇が日本書紀を発案したポイントと思われます。
関連し、日本書紀の内容ですが、聖徳太子の例からも、創作の部分が多いとしております。
そして、実績は天皇以上なのに何故天皇になれなかったかへの疑問も、創作だからということになります。そして、初めての女系の推古天皇が現れ、聖徳太子が補佐したという話も創作の可能性大となります。
しかし、何故天皇になれなかったかの疑問には、日本書紀の創作というだけで、説得力に欠けます。
一方、初めに紹介した「聖徳太子は蘇我善徳」ですが、この記事は説得力があります。聖徳太子は実在しなかったことに、この記事ではなります。
しかし、実際は聖徳太子の子孫が居ることが分かっています。例えば、拙ブログでは、聖徳太子には子孫が居て、そのY染色体ハプログループは現天皇家と同じハプログループであることを紹介しております。すなわち、聖徳太子は蘇我善徳(蘇我家)と別系統です。詳しくは、「
天皇家のルーツはアイヌ系の継体王
」を参照願います。
そこで、この問題について慎重に検討しますと、蘇我家も天皇家の系譜と同じことが分かれば解決します。例えば、拙ブログでは、巨大古墳を多数建造したツングース王家を滅ぼしたのは現天皇家祖先の継体天皇(在位:507-531年)としていますが、その時から、蘇我氏は継体天皇とはたいへん近い関係にありました。蘇我氏と天皇家が同じ祖先という可能性はあり得ます。詳しくは「
蘇我家のルーツ愚考
」を参照願います。
結論として、聖徳太子が天皇になれなかったことについては、諸説ありますが、まだ解明されていないと言えましょう。
関連し、聖徳太子の真相について、上トップ図に示しました。
日本史ランキング
[ 2021/06/18 12:42 ]
古代史の問題
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倭国の大乱で人口は変動したのか
倭国の大乱で人口は変動したのか
(古代史の問題)
邪馬台国の女王「卑弥呼」登場の前に倭国の大乱があったことが知られています。その時代の北九州の人骨に負傷者が多数発見されていることから、その大乱は激しい戦いであったことが想像されています。
その激しい争いの原因は、水田土地争いに加え、多数派の稲作民族(マレー系)を少数派の朝鮮半島由来ツングース系が支配していた問題、すなわち民族対立が背景にあったと拙ブログでは推測しています。詳しくは「
倭国の大乱の原因は民族対立だった
」を参照願います。
その大乱の結果、邪馬台国では人口増大に影響があったことが想像されます。関連し、今回は、「倭国の大乱で人口は変動したのか」について、北九州と大和地域を比較してみたいと思います。
方法は、邪馬台国候補地の畿内(奈良、三重、大阪、滋賀、京都)と北九州(福岡県、佐賀県)の古代人口の変動比較です。古代人口は、県別古代遺跡数を基に推定しましたが、具体的な方法は「
古代王国の人口と稲作開始時期
」を参照願います。
まず、県別の古代遺跡数を上表に示しました。
続いて、この表を基に畿内と北九州の古代人口を推定し、下表に示しました。
続いて、この人口を基に、古代の人口変動を下図に示しました。
倭国の大乱の時期を200年前後としますと、それ以降の人口変動に大きな違いが認められます。すなわち、北九州は人口増大が少なく、一方、畿内は人口増大が大きく経過しました。
この違いから、倭国の大乱は北九州で発生し、その大乱の結果、人口増大が抑制されたと推察されます。
そして、その後の倭国ですが、朝鮮半島で、マレー系稲作民族の仲間の「百済」と連合し、北の大国の高句麗と戦い、国は疲弊し、その後も人口はあまり増大しなかったと拙ブログでは見ています。なお、高句麗との戦いついては「
空白の時代があったのか
」を参照願います。
以上のことから、倭国の大乱は北九州で発生したことが古代人口の経過からも裏付けられたと思われます。
なお、関連し、邪馬台国所在地論争ですが、邪馬台国は北九州にあったことが99%以上の確率で証明されています。その意味で、本記事は、ダメ押しになります。詳しくは「
誤りと偽りの考古学・纏向
」を参照願います。
日本史ランキング
[ 2021/06/11 10:52 ]
古代史の問題
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ユダヤ人は日本に来たのか
ユダヤ人は日本に来たのか
(日本人のルーツ)
千葉県芝山古墳群出土埴輪をユダヤ人として紹介している書籍「ユダヤ人埴輪の謎を解く(2019 田中英道)」が最近評判のようです。ブログ仲間からの紹介記事もありました。
しかし、見ると、そのユダヤ人埴輪は、拙ブログがケット人として紹介したことのある「人物埴輪」でした。詳しくは「
ケット人は日本にも来た
」 を参照願います。
再度紹介しますと、その埴輪は上図のとおりです。
関連し、今回は、「ユダヤ人は日本に来たのか」について愚行します。
まず、Wikipedia(日ユ同祖論)の「
日本人とユダヤ人のY染色体
」によれば、その一部ですが、次のとおりです。
上述の通りハプログループDとハプログループEは6万年以上も前に別れているため、日本人やユダヤ人などの概念が誕生する遥か前にD,Eの関係は絶たれており、数千年前という比較的近い過去の歴史において、日本人とユダヤ人が同一の祖先をもつ可能性はここからは考える事ができない。
(引用終了)
すなわち、Wikipedia記事の説明では、日本人のアイヌ系(Y染色体ハプログループD)とユダヤ人(Y染色体ハプログループE)は「共通の特定の塩基配列(YAP+因子)」を持っていることは事実であるが、Y染色体ハプログループとしてはかなり離れており、同一民族とは言えない、となります。
さらに、何よりもユダヤ人固有の「Y染色体ハプログループE」は、日本でまだ検出されておりません。
以上のことをまとめますと、上記千葉県芝山古墳群出土埴輪をユダヤ人とする物質的根拠はありません。
一方、拙ブログでは、同埴輪は、鼻の高い特徴や髭が濃い特徴から、日本で僅かに認められるケット人(Y染色体ハプログループQ)がモデルでないかと指摘してきましたが、そのデータを再度紹介しますと下表のとおりです。
ハプログループQ は、Nonakaら(2007)が関東で1例、Hammerら(2005)が静岡県で1例見つけていることは、ケット人がその埴輪のあった千葉県近辺に居たことを如実に示します。今のところ、上記「人物埴輪」に想定されるDNAはそれら以外にありません。
ケット人については、北米の主要先住民族であることが知られています。関連し、拙ブログでは、彼らは、故郷の中央アジアから北米に渡る途中、一部が南下し、日本に来たと推察しています。関連し、このハプログループQ(ケット人)については、韓国にも僅かに認められています。
以上、まとめますと、ユダヤ人が日本に来たという物的証拠はまったくありません。本著でユダヤ人でないかと言われている千葉県芝山古墳群出土埴輪については、ケット人と見た方が妥当と思われます。
日本史ランキング
[ 2021/06/04 08:30 ]
日本人のルーツ
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日本人の縄文思想と稲作のルーツ
「天皇家はアイヌ系」についてまとめています。詳細(目次)は下のとおりです。どうぞよろしく。
Author:レインボー
現在は邪馬台国の真相についてまとめています。
天皇家はアイヌ系(目次) はじめに 1. 日本民族のルーツ 2. 古墳王家は何故滅びたのか 3 古墳王家はアイヌ・マレー系連合に滅ぼされた 4.日本書紀は創作 5.日本語と日本人宗教のルーツ 終わりに
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