Archive2022年01月 1/1
埼玉の稲荷山古墳鉄剣碑文と関東の5世紀愚考

埼玉の稲荷山古墳鉄剣碑文と関東の5世紀愚考(関東・東北の古代)ヤマトの王家とは別に関東にもツングース系王家あったことを検討してきました。このことは古墳等の遺跡物調査から明らかですが、残念ながら、日本の正史と言われる日本書紀には書いてありません。何度も指摘してきましたが、日本書紀は万世一系の偉大なアイヌ系天皇家を主題に書かれたものであり、その前にツングース系王家があったことや北九州に倭国があったこと...
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埼玉の吉見百穴はツングース系王家終末の墓愚考

埼玉の吉見百穴はツングース系王家終末の墓愚考(関東・東北の古代)前回、関東に、ヤマトとは別のツングース系王家があったこと、その中心地は群馬・埼玉であったことを検討してきました。関連し、私ことですが、埼玉県には8年間(1973~1980)住んだことがあります。そして、近くの古代遺跡、鉄剣碑文の出た有名な「稲荷山古墳」や、謎の洞窟で有名な「吉見百穴」を何度か訪問しました(下写真参照、小生の青年時代の姿が映ってい...
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群馬に別のツングース系王家があった愚考

群馬に別のツングース系王家があった愚考(関東・東北の古代)前回、墳長100mを超える大古墳建造には25万人以上の人員が動員されること、これらの人員を集めるには大きな権力者すなわち王が居たことが推察されることを指摘しました。事実、王冠が群馬や茨城の古墳から出土しております。関連し、今回は、さらに検討し、関東地域には西日本とは別のツングース系王家があったこと、中心は群馬だったことについて愚考します。まず、関...
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巨大古墳王家滅亡の衝撃と関東地方への影響

巨大古墳王家滅亡の衝撃と関東地方への影響(関東・東北の古代)現天皇家はアイヌ系であることが最近のDNA研究から明らかになりました。関連し、拙ブログでは、アイヌ系の継体王(在位:507-531年)によって、ヤマトの朝鮮半島由来ツングース系王家、すなわち巨大古墳建造王家が6世紀初頭(507年?)に滅ぼされたことを検討してきました。一般に200mを超える巨大古墳建造には、「前 方 後 円 墳 の 技 術 史(甘 粕 健 1985)」を...
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「アイヌ系大王の登場と古代」のまとめ等について

「アイヌ系大王の登場と古代」のまとめ等について(ごあいさつ)新年にあたり、今年の目標について紹介させていただきます。拙ブログは、2017年4月に始まりましたので、今年は6年目に入ります。記事アップ数は400回を超え、これまでひらめきや思い付きで書いてきましたが、もう書くことは無くなった感じがします。そこで、今年は、大課題を作り、記事のまとめをしたいと考えています。その最初のタイトルですが、「アイヌ系大王の...
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