Archive2022年02月 1/1
ヤマトのツングース系王家滅亡の衝撃と北九州倭国

ヤマトのツングース系王家滅亡の衝撃と北九州倭国(西日本の古代)現天皇家のルーツはアイヌ系であることがDNAから分かったこと、ヤマトのツングース系王家はそのアイヌ系の継体王(在位:507-531年)によって6世紀初頭に滅ぼされたこと、その影響は関東および東九州地域にも及んだこと、すなわち、これらの地域では、ツングース系からアイヌ系や隼人の豪族に支配者が変わっっていったことを検討してきました。一方、北九州地域に...
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宮崎の古墳群とツングース系王家滅亡愚考

宮崎の古墳群とツングース系王家滅亡愚考(西日本の古代)私こと、宮崎には仕事の関係で7年間滞在しました。そのとき見たのが西都原古墳群です。多数の小古墳のなかに100mを超える大古墳もあり、なぜ、古墳時代の中心地のヤマトから離れた宮崎の地に古墳群があるのか謎でした。関連し、今回は、東九州(大分、宮崎、鹿児島)に大古墳を建造したのはヤマトと同じツングース系王家だったこと、関連し、宮崎の王家滅亡について愚考し...
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吉備国はツングース系王家の本家だった

吉備国はツングース系王家の本家だった(西日本の古代)先に、出雲地域には、四隅(よすみ)と呼ばれる古墳が3世紀に多数建造され、かつ、日本最大の青銅器をもった王家が現れたことを検討しました。このことは、出雲に朝鮮半島由来のツングース系王家があったことを示唆します。しかし、その後は100m超える大古墳建造は2基だけ、またそれらの古墳は2世紀離れた5世紀の建造時期で、これらのことから推察しますと、出雲の王家は移住...
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関東とヤマトの埴輪の違い愚考

関東とヤマトの埴輪の違い愚考(関東・東北の古代)関東には100m超える大古墳が多数あることや、古墳建造に関係した関東の弥生系の人びとは新潟方面から来たことから、ヤマト(奈良)とは別に朝鮮半島由来のツングース系王家が関東にあったことを検討してきました。従来は「前方後円墳体制説」があり、ヤマトと同じ前方後方墳が関東にもあるので、関東もヤマト王朝の一部(一地方)だった、と観られてきました。しかし、ヤマト王...
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