日本人の縄文思想と稲作のルーツ
日本人は、アイヌ系35%、マレー系30%、半島由来ツングース系25%、その他10%の混合混血民族です。DNA分類の結果、ヤマトにはツングース系王家が創られ、その後、アイヌ系の現天皇家に滅ぼされたと推察されます。万世一系を主題にした日本書紀は創作になります。関連し、今回は邪馬台国の真相に迫っています。
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日本人の「完成」は古墳時代で正しいか愚考 [2022/04/28]
日本人の宗教と天皇家の関係愚考 [2022/04/21]
日本語のルーツと天皇家の関係 [2022/04/14]
蘇我家ルーツは百済愚考 [2022/04/07]
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日本人の「完成」は古墳時代で正しいか愚考
日本人の「完成」は古墳時代で正しいか愚考
(古代史の虚像と書籍)
拙ブログでは、アイヌ系継体王(在位:507-531年)が朝鮮半島由来ツングース系王朝を6世紀初頭に滅ぼした結果、日本語はアイヌ系言語が原語となり、同じく日本の宗教・哲学もアイヌ系原始宗教(多神教)が中心となり、育まれ発展してきたことを検討してきました。
一方、昨年(2021年9月18日)ですが、Yahooニュースとして朝日新聞DIGITAL「<日本人の「完成」は古墳時代だった?DNAを分析、ルーツに新説」が掲載されていました。(すでに本記事は削除されています。)
今回は、この記事の妥当性と記事を作った朝日新聞の古代史報道姿勢について愚考します。
まず、その内容(一部)を引用しますと、次のとおりです。
金沢市で見つかった約1500年前の古墳時代の人骨のDNA解析から、縄文人や弥生人にはなく、現代日本人に見られる東アジア人特有の遺伝的な特徴が見つかった。日本人のルーツは、土着の縄文人と大陸から渡来した弥生人の混血説が有力だが、さらに大陸からの渡来が進んだ古墳時代になって古墳人が登場したことで、現代につながる祖先集団が初めて誕生したことを示唆している。
【解説図】現代日本人の成り立ち
金沢大や鳥取大などの国際研究チームが18日、米科学誌サイエンス・アドバンシズに発表する。
日本人の起源は、列島に住み着いていた縄文人に、大陸からの渡来集団が混血して弥生人となり、現代の日本人につながったとする「二重構造モデル」が定説とされてきた。1991年に東大名誉教授だった埴原和郎氏が唱えた。
研究チームは、約9千年前の縄文人や約1500年前の古墳人など計12体のDNAを解読。すでに解読済みの弥生人2体のデータなどと比較した。親から子に遺伝情報が受け継がれる際に生じるわずかな違いの痕跡から、どの集団が遺伝的に近いのかを調べた。
その結果、弥生人は、中国東北部の遼河流域など北東アジアで多く見られる遺伝的な特徴を持ち、縄文人と混血していることも確認できた。一方、古墳人は、弥生人が持っていない東アジア人に多く見られる特徴を持っていた。さらに、現代日本人と遺伝的な特徴がほぼ一致することも判明した。
■大陸からの移住、新技術持って次々に?
大陸からの渡来人の大規模な移住は、約3千年前の弥生時代にさかのぼる。研究チームは、それ以降も漢民族などの集団が次々に渡来し、織物や土木などの新技術を伝えて古墳時代を築き、現代の日本人につながっていったとみている。
古墳時代は3世紀後半~7世紀にかけて続き、弥生時代末ごろには邪馬台国が栄えたとされる。
今回分析できた古墳人の骨は、金沢市で発掘された3体にとどまる。新説を裏付けるには、さらに分析数を増やす必要があるという。
研究チームの金沢大古代文明・文化資源学研究センターの覚張(がくはり)隆史助教(考古科学)は「日本人が縄文、弥生、古墳の三つの祖先集団からなることを示す初めての証拠だ。今後、ほかの古墳人や弥生人のゲノムを広く調べることで、日本人の起源の謎に迫っていきたい」と話している。
論文は以下のサイト(https://doi.org/10.1126/sciadv.abh2419)から読むことができる。(石倉徹也)
■古墳時代とは――大和政権が支配し、各地に前方後円墳
縄文、弥生に続く3世紀後半~7世紀までの時代。農耕技術の発展や武器の普及などにより権力や富みが集中して階級社会が生まれ、大和地方を中心とする大和政権が成立。指導者たちを葬った巨大な前方後円墳が各地に造られ、武具や鏡などが副葬された。邪馬台国の女王「卑弥呼」の墓との説もある箸墓(はしはか)古墳(奈良県桜井市)や、世界文化遺産の大山古墳(伝仁徳天皇陵、堺市)も有名だ。 朝日新聞社
(引用終了)
引用が長くなりましたが、この報告の問題点は、論文内容と新聞報道姿勢の2点です。
まず、論文内容ですが、引用記事にもあるとおり「今回分析できた古墳人の骨は、金沢市で発掘された3体にとどまる。新説を裏付けるには、さらに分析数を増やす必要があるという。」です。
これら3体の調査からでは、引用冒頭にある、「金沢市で見つかった約1500年前の古墳時代の人骨のDNA解析から、縄文人や弥生人にはなく、現代日本人に見られる東アジア人特有の遺伝的な特徴が見つかった」という理解(結論)に至るには無理があります。
また、DNA解析とありますが、Y染色体ハプログループは不明です。Y染色体ハプログループが分かれば、そのもとになった民族が分類できますが、それが無いのでは、上記結論からは、さらに遠くなります。
そして、さらに問題なのは、従来知見の無視です。
基になった論文内容を詳しく検討しますと、「日本人のルーツは土着の縄文人と大陸から渡来した弥生人の混血説が有力」とありますが、大陸から渡来した弥生人は朝鮮半島由来の北東アジア系のツングース系だけしか紹介されていません。ツングース系とは満州で発生した中国人とモンゴル人の混血民族で、朝鮮半島の主要民族です。
しかし、3000年前に北九州に水田稲作を導入した南方系の稲作民族(マレー系)も弥生人になりますが、この記事では無視されています。
拙ブログで何度も指摘していることですが、日本人は、三大民族のアイヌ系が35%、アジア南部由来稲作民族マレー系が30%、朝鮮半島由来ツングース系が25%、合計90%とその他10%です。これら三大民族が弥生時代から居たことは知られていることです。しかし、三大民族のマレー系の存在を本論文では無視しています。
日本の古代史研究には、自分の理屈に合わないことについて無視して発表する場合が見受けられます。上記報告も、都合の悪いことは無視するという同様な手法がとられています。一般の学会ではあり得ないことで「日本の古代史は戦前と変わっていない問題」がここにもあります。
次に新聞報道姿勢問題ですが、ここにも「日本の古代史は戦前と変わっていない問題」があります。
記事最後に、「邪馬台国の女王「卑弥呼」の墓との説もある箸墓(はしはか)古墳(奈良県桜井市)」という記述があります。しかし、この記述には大きな問題があります。拙ブログだけでなく、多くの研究者は、箸墓古墳=「卑弥呼」墓説を否定しております。この説は99.9%あり得ません。書く必要のないことです。
例えば、刺青等の風俗や容貌から、倭人は中国南部の海南島の人々に似ていることが魏志倭人伝に書いてあります。このことは、邪馬台国は南方系の人びとの国であり、そこに住んでいる人々は稲作民族と言われるマレー系の人々であったことを示唆しています。
しかし、箸墓古墳=「卑弥呼」墓説を支持している学者は、この南方系の風俗について無視しており、説明しようとしません。すなわち、都合の悪いことは無視するということで、説(学問)と言えるものでありません。
このような99.9%あり得ない記事(箸墓古墳=「卑弥呼」墓説)を載せるということは、記者が無知かウソと分かっていて書いている確信犯以外にあり得ません。良識の朝日新聞が、このようなウソ(説?)を平気で書くこと、おそらく書き続けていることに、焦燥感と無力感を禁じ得ません。
日本の古代史は「戦前と変わっていない」ことを拙ブログも指摘していますが、それには、このようにウソを平気で載せる報道機関の責任もあります。詳しくは「
誤りと偽りの考古学・纏向
」を参照願います。
まとめますと、日本人というのは民族の単位ですが、その基本的内容は日本語を使用する人であり、現日本語の誕生はいつだったのかまで含めて検討が必要と思われます。
一方、本報告のようにDNAだけで見るなら、日本人には、水田稲作を導入したマレー系、鉄器を導入したツングース系、縄文時代からいたアイヌ系等の人々が居ますが、これら日本人のDNAは弥生時代にすべてがそろっていたことが分かっていて、日本人のDNAは弥生時代にほぼ揃っていたと結論されます。
すなわち、上記「朝日新聞記事」には、科学的根拠は無く、独断と偏見で書かれた記事と結論されます。
関連し、日本人のルーツについて、上トップ図にしめしました。本図は拙ブログの過去記事「
各民族はいつ頃日本に来たのか
」からの再掲です。
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[ 2022/04/28 09:17 ]
古代史の虚像と書籍
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日本人の宗教と天皇家の関係愚考
日本人の宗教と天皇家の関係愚考
(天皇家のルーツと日本文化)
日本人の思考様式は先進国の欧米とは異なること、かつ、歴史的に多大な影響を受けた中国とも異なることについて、拙ブログではカテゴリ「縄文思想と日本人」で33回ほど検討してきました。
一方、その日本人の宗教観のルーツについては、縄文時代の「自然との共生思想」や「原始的多神教」にあることは多くの研究者によって報告されてきました。特に、神社は多種多様な神を祭っている場所であり、多くの日本人が、それらを受け入れていることは知られているところです。
しかし、一方、そうした縄文時代の思考様式が弥生時代という荒波を超えて生き残り、現在も主要な宗教になっていることについて、まだ明快な結論が出ておりません。
例えば、弥生時代というのは、大陸から高度な文明をもった弥生人が来て水田稲作を行い、豊かな瑞穂の国を作り、その流れの中で、縄文人も稲作を行うようになりました。その構造は、弥生人が主であり縄文人は従属した関係にあったと観られてきました。その意味で、なぜ日本人は縄文思想を大事にしてきたのか謎でした。
前置きが長くなりましたが、今回は、この謎について改めて愚考します。
最近、DNA研究(Y染色体ハプログループ分類)の結果、現天皇家のルーツはアイヌ系であることが分かりました。このことは、これらの謎を解くカギと思われます。
日本の古代史は、朝鮮半島由来の弥生人が、弥生時代を作り、古墳時代を作り、現王朝を作り、その中心人物は万世一家の天皇であった、という認識に強く支配されてきました。
しかし、その認識は、天皇家がアイヌ系であることが最近明らかになり、完璧に破壊されました。
弥生人王朝があったのは古墳時代まで、古墳時代末期にアイヌ系継体王(在位:507-531年)がその弥生人王朝を滅ぼしたことを拙ブログで検討してきました。
一方、このアイヌ系王朝は、8世紀(奈良時代)に日本書紀という日本の正史を創作しました。そこには、万世一系の偉大な天皇の姿が描かれ、現天皇家は弥生・古墳時代以前から居たように描かれていますが、それは完璧な創作だったことになります。
そこで、本題の日本人の思考様式に戻りますと、現天皇家=アイヌ系=縄文思想という関係ができあがります。日本人の縄文思想は現天皇家によって育(はぐく)まれてきたと結論されます。
弥生時代、弥生人の圧迫をうけながらアイヌ系はどのようにして縄文思想を守ってきたかですが、次のように考えることができます。
まず、縄文人にはアイヌ系とマレー系Aが主として居たことが知られていますが、おそらく、アイヌ系が中山間で栗を主食に、マレー系Aは海岸の貝など魚類を主食としてきたと思われます。
一方、そこへ、朝鮮半島由来ツングース系と中国南部由来マレー系Bという弥生人が入ってきて水田稲作を始めましたが、彼らが主に活動していたのは水田稲作可能な低地平野部でした。縄文人と弥生人は居住地が異なり平和裏に共存していたと思われます。
なお、マレー系A(縄文人=海洋系)、マレー系B(弥生人=稲作系)については「
海洋系と稲作系のマレー系が別々に渡来してきた
」を参照願います。
そして、中山間のアイヌ系は縄文時代と変わらぬ部族社会を作り、しだいに鉄器等を受け入れ農耕を行い、農耕社会になじみながらも、縄文時代と同じ宗教を維持していたと思われます。
縄文人と弥生人の対立が激しくなったのは古墳時代後期(5世紀)と思われます。弥生人が増え、縄文人は居住地が圧迫され、さらには古墳建造の労役が強制され、古墳建造王家(弥生人王朝)への怒りが出てきました。
こんななか、アイヌ系継体王が現れ、巨大古墳王家を滅ぼしたと思われます。そして、アイヌ系部族社会で継続していた縄文思想は引き継がれ、アイヌ系朝廷の保護もあり、全国的になっていったと想像されます。
例えば、関東の鹿島神社は縄文時代に起源があると言われますが、それは、関東に縄文人がもともと多かったこと、かつ、そうした地方宗教が平安時代以降に公式になったものと思われます。
まとめますと、日本人の思考様式や神社信仰というのは、アイヌ系の天皇家が権力を持ったときから、全国的になり、公式に認められ、育まれ、発展してきたと結論されます。
関連し、日本人の思考様式の成立について上トップ図に示しました。
なお、日本人の思考様式や宗教にに関心のある方は、拙ブログ左側にありますカテゴリの中の「縄文思想と日本人」を選択しクリックしますと、これまでの記事を見ることができます。
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[ 2022/04/21 06:11 ]
天皇家のルーツと日本文化
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日本語のルーツと天皇家の関係
日本語のルーツと天皇家の関係
(日本語のルーツ)
日本語のルーツがアイヌ語であることについて、「日本語のルーツ」というカテゴリで15回ほど記事アップしてきました。
一方、最近、DNA研究(Y染色体ハプログループ分類)の結果、天皇家のルーツはアイヌ系であることが明らかになりました。このことは、天皇家の言葉=アイヌ系言語=日本語という観点から観ると、日本語のルーツはさらに明快になります。
関連し、過去記事とダブるところがありますが、今回は、天皇家の言葉=アイヌ系言語=日本語という観点から日本語のルーツに迫ります。
日本語のルーツには、主要な説として朝鮮語ルーツ説とアイヌ語ルーツ説があり、論議されてきました。
朝鮮語説ルーツのポイントは、高度な弥生文明が朝鮮半島からもたらされ、その弥生人の言語が日本語になった、という感じです。また、朝鮮語が日本語の語順(主語+目的語+述語)と同じことも説得力がありました。
一方、アイヌ語説のポイントは、縄文時代から使われてきた言語であること、魂(タマ)など重要な基本単語がアイヌ語由来であること等で、多くの学者が支持している説になっています。
このほか、発音は万葉仮名と同じ読み方であるが、その万葉仮名の読み方はマレー語と同じであることを拙ブログでは指摘してきました。
万葉仮名のルーツは、百済(くだら)ですが、当時、百済には稲作民族のマレー系が多く、そのマレー語の読み方の万葉仮名を、継体王(在位:507-531年)時代に百済から日本は導入したことになります。詳しくは「
万葉仮名とマレー語発音の一致
」を参照願います。
こうした日本語のルーツ論争ですが、天皇家のルーツがアイヌ系であることから検討しますと、次のように考えるのが妥当と思われます。
まず、現天皇家のルーツはアイヌ系の継体王(在位:507-531年)に始まることはDNA研究(Y染色体ハプログループ分類)の結果からほぼ確実です。
彼以前の王家は、朝鮮半島由来のツングース系であったこともほぼ確実と思われます。すなわち、継体王以前は朝鮮半島由来のツングース系言語が朝廷で使われていたが、アイヌ系の継体王時代からはアイヌ語が使われるようになったことになります。
もともと、アイヌ系は日本人の多数派です。DNA研究(Y染色体ハプログループ分類)によれば、現在は、約35%がアイヌ系と推察されています。また、縄文時代から居た人々として、アイヌ系が35%、マレー系Aが20%、ツングース系5%、その他10%があったと思われます。合計して70%が縄文由来で、これらの人びとは共通語としてアイヌ語を使っていた可能性があります。
一方、弥生時代に来た弥生人というのは、ツングース系20%、マレー系B10%です。詳しくは「
最近のY染色体DNA情報と従来知見の修正
」および「
海洋系と稲作系のマレー系が別々に渡来してきた
」を参照願います。
すなわち、継体王の時代、縄文系70%、弥生系30%で、縄文由来のアイヌ語が多数派であったと推察されます。そして、さらには、アイヌ系継体王が大王になり、朝廷で使われる言語はアイヌ系言語となり、アイヌ系言語は共通言語になってきました。
以上の結果、日本語=朝鮮語由来説はほぼ完ぺきに否定されたと思われます。
まとめますと、継体王時代、多数派のアイヌ系言語が朝廷用語として使われるようになり、アイヌ系言語が全国的に使われるようになり、アイヌ語が日本語となったと結論されます。
そして、日本語=日本人となり、日本人のアイデンテイは古墳時代末期(6世紀)の継体王時代から育まれてきたと結論されます。
関連し、日本語確立の経過を上トップ図に示しました。
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[ 2022/04/14 07:42 ]
日本語のルーツ
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蘇我家ルーツは百済愚考
蘇我家ルーツは百済愚考
(西日本の古代)
奈良最大の古墳、かつ、6世紀後半最大の古墳として知られる丸山古墳について、その埋葬者は6世紀後半最大の権力者(蘇我稲目)であることについて検討してきました。
一方、蘇我氏のルーツについては、百済由来説が出ておりますが、Wikipediaによれば、 この説は否定されています。
しかし、最近、現天皇家のルーツはアイヌ系の継体王(在位:507-531年)であることが分かりました。彼は、巨大古墳建造で民衆を苦しめたツングース系王家を滅ぼし、新たにアイヌ系王家を開始しました。そして、蘇我家は、その新たな政権で財務を担当した新豪族であったことから見ると、見方は変わってくるのではないかと思われます。
関連し、今回は、蘇我家のルーツについて、さらに愚考します。
まず、「蘇我氏渡来人説とその否定」について、Wikipedia(蘇我氏)によれば、次のとおりです。
門脇禎二が1971年に蘇我氏渡来人説を提唱した[78][79]。門脇が提唱したのは応神天皇の代に渡来した、百済の高官、木満致(もくまち)と蘇我満智(まち)が同一人物とする説で、鈴木靖民や山尾幸久らの支持[80][81]を得た一方、加藤謙吉や坂本義種らが批判[82][83]したように、史料上の問題点が多い。文化や政治の源流を何でも朝鮮諸国に求めると言った20世紀後半の風潮の中で提唱されており、根拠が不十分であるという指摘がある[84]。現在では蘇我氏渡来人説は否定されている。
(引用終了)
このWikipedia記事をまとめますと、蘇我氏百済由来説は「根拠が不十分」ということで、完全な否定ではないようです。
そこで、継体王が507年にアイヌ系新王朝を開始し、同時に百済と外交したという情報を核に、蘇我家渡来人説を最検討しますと、つぎのようになります。
まず、継体王を支えた豪族として、物部氏や大友氏が知られております。彼らは軍事面を担当し、大連(おおむらじ)という役職をえています。彼らは、ツングース系王家との戦いで軍部の面で戦果をあげたのではないでしょうか。
一方、蘇我家は財務を担当し、唯一の大臣職と言われております。当然のことながら、財務には算術的能力や文書能力が必要です。そのような新王家を支える文官人材は、おそらく、宮使い経験の無かったアイヌ系豪族にはなかったことが推察されます。
こうしたなか、蘇我家は、当時、朝鮮半島で最も文化的であった百済で似たような文官職にあり、財務担当者として継体王に請われて来たのではないでしょうか。関連し、継体王は、最初に文字を導入した王としても知られており、百済から五経博士が来ていたことが知られております。
以上の経過から、蘇我家は、五経博士に先んじて日本に来て、始まったばかりのアイヌ系王朝の財務大臣という職を得て、国の政治に関わったものと理解するのが妥当と思われます。アイヌ系の継体王朝は始まったばかりで、その財務大臣に異を唱えるアイヌ系豪族はなく、その地位を生かして勢力を伸ばしたものと思われます。
さらに、継体王時代、蘇我氏は蘇我高麗(こま)の時代で、その2代目の稲目は二人の娘を妃に出した豪族です。おそらく、蘇我氏は百済系美男美女の家系で、娘も美女だったので、そういうことができたのだと思われます。
拙ブログでは、百済をマレー系稲作民族の国として観てきましたが、マレー系美女についても検討してきました。例えば「
丸顔、博多美人のルーツ
」や「
倭人の素顔が見つかった(傾国の美女西施はマレー系)
」参照願います。(下図参照)
関連し、その時代、百済大王として部寧王が知られております。ブログ仲間の「KOREA駐在おやじの韓国紹介」の記事に「
部寧王像
」が出ていましたが、紹介させていただきますと、次の写真のとおりです。
凛々しいハンサムな武人の顔立ちです。おそらく純系のマレー系ではなく、中国人との混血と推察されます。
蘇我高麗が部寧王のようなハンサムであったか確定できませんが、蘇我高麗が、百済出身で、この像のような顔立ちだとすると、その2代目の稲目もハンサム、その娘は百済美人として天皇家の妃となった可能性があります。
また、蘇我高麗(そが・こま)という名前もマレー系百済出身の感じがします。例えば、「ソガ」に近い言葉に「サガ」(美しいもの、英雄)があります。また名前の「コマ」は後の朝鮮半島の高麗国と同じです。
蘇我家は、高麗→稲目→馬子→蝦夷→入鹿(滅亡)となりますが、蝦夷(えみし)の名前をどう解釈するかがポイントとなります。蘇我家は馬子・蝦夷の時代が絶頂期と言われますが、おそらく、蘇我氏は、もともとは百済出身であるが、多数派のアイヌ系(蝦夷系)の名前を持つことによって、より支配を広げようとしたのではないかと推察されます。
まとめますと、蘇我家は、財務に優れ、文字(万葉仮名)を使い、かつ、王妃を出し、天皇家(大王)を支え、勢力を伸ばしました。これらのことは、当時のアイヌ系新王家を支えたアイヌ系豪族にはなかったもので、蘇我家のルーツは百済という観方は妥当と思われます。
関連し、上トップ図に蘇我家のルーツについて示しました。
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[ 2022/04/07 08:06 ]
西日本の古代
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日本人の縄文思想と稲作のルーツ
「天皇家はアイヌ系」についてまとめています。詳細(目次)は下のとおりです。どうぞよろしく。
Author:レインボー
現在は邪馬台国の真相についてまとめています。
天皇家はアイヌ系(目次) はじめに 1. 日本民族のルーツ 2. 古墳王家は何故滅びたのか 3 古墳王家はアイヌ・マレー系連合に滅ぼされた 4.日本書紀は創作 5.日本語と日本人宗教のルーツ 終わりに
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