Archive2023年03月 1/1
邪馬台国の真相 2.民族対立問題があった

邪馬台国の真相 2.民族対立問題があった(戦乱の要因)魏志倭人伝によれば、「2世紀後半から倭国では大乱があり、卑弥呼を王としてたてると大乱は収まった」、とあります。この大乱の要因は、通説によれば、弥生時代末期の富の奪い合い、王権の争い等と言われております。しかし、近畿、中国、九州の3地域を比較しますと、倭国の大乱があったのは九州地域だけだった感じがします。例えば、上図は地域別人口変動です。この図は、...
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邪馬台国の真相 1.東アジアと日本の3世紀の様相

邪馬台国の真相 1.東アジアと日本の3世紀の様相ここでは、魏志倭人伝の書かれた背景や邪馬台国の状況について検討します。魏志倭人伝は3世紀末に書かれたと言われます。中国は、3世紀、漢王朝が220年に崩壊し、魏・蜀・呉の三国時代となっていました。その後、西の山間部にあった蜀が263年に魏に滅ぼされ、北朝の魏と南朝の呉の対立時代となりました。魏は呉を攻め、中国の統一を図ろうとしていましたが、この時、朝鮮半島の南方...
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邪馬台国の真相、はじめに、大分で良いのか

邪馬台国の真相、はじめに、大分で良いのか私ことですが、「邪馬台国はなかった」(古田武彦 1971)に触発され、古代史に興味を持つようになりました。偶然にも、4年間(1985~1989)、その中心地辺りと言われる福岡県筑後市で暮らすことができ、仕事が忙しくない冬に遺跡巡りをすることができ、興味は一段と膨らみました。そして、最近になり、邪馬台国は大分にあったという説が最も妥当という感じになってきました。関連のWeb情...
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次のまとめ課題

次のまとめ課題(ごあいさつ)拙ブログ訪問、ありがとうございます。さて、昨年からアップしてきました「天皇家はアイヌ系」については、ほぼ書きたいところは終わりました。次に、書籍化して行く予定ですが、本課題の検討は一応終わりとします。そして次週からの記事アップ予定ですが、新年の「ごあいさつ」で紹介しましたように「邪馬台国の真相」について検討したいと想っています。Web検索しますと、邪馬台国は大分(宇佐)に...
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天皇家はアイヌ系 終わりに

天皇家はアイヌ系 終わりに「天皇家はアイヌ系」についてまとめてきましたが、今回が最後になります。冒頭(初めに)では、DNA研究(Y染色体ハプログループ分類)により、日本人はアイヌ系が35%、マレー系が30%、朝鮮半島由来ツングース系が25%、その他10%であること、現天皇家のルーツはアイヌ系であることが分かったことを紹介しました。さらに、現天皇家は継体王(在位:507-531年)からであること、それ以前の支配者は朝...
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