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日本人の縄文思想と稲作のルーツ

日本人は、アイヌ系35%、マレー系30%、半島由来ツングース系25%、その他10%の混合混血民族です。DNA分類の結果、ヤマトにはツングース系王家が創られ、その後、アイヌ系の現天皇家に滅ぼされたと推察されます。万世一系を主題にした日本書紀は創作になります。関連し、今回は邪馬台国の真相に迫っています。
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邪馬台国の真相、はじめに、大分で良いのか


女王国の場所は?


邪馬台国の真相、はじめに、大分で良いのか

私ことですが、「邪馬台国はなかった」(古田武彦 1971)に触発され、古代史に興味を持つようになりました。

偶然にも、4年間(1985~1989)、その中心地辺りと言われる福岡県筑後市で暮らすことができ、仕事が忙しくない冬に遺跡巡りをすることができ、興味は一段と膨らみました。そして、最近になり、邪馬台国は大分にあったという説が最も妥当という感じになってきました。

関連のWeb情報を見ますと「邪馬台国の所在地論争がまだ決着していません」という記事をよくみかけます。しかし、これは明らかに欺瞞です。

特に、邪馬台国がヤマトにあったという説ですが、これは、魏志倭人伝(原文)をどのように読めばそうなるのか、まったく理解不可能です。例えば、南(原文)は東の間違いだとかがありますが、こうなりますと、場所探しは、どのようにも可能です。邪馬台国はヤマトにあったという証明ためのこじつけの感じがします。

また、原文では、住民は分身(入れ墨)をし、容貌や風俗は中国の海南島の民族に似ている、とありますが、都合が悪いのか、ヤマト説ではこのことに触れません。こうなると、ヤマト説は科学でなく妄想です。

しかし、このようなヤマト妄想説が、どうどうと書籍化され、書店に山と並んでいる状況は、異常としか言いようがありません。そして、我が市の図書館も同じような状況で、いかんともしがたい焦燥感を感じます。

邪馬台国がヤマトにあったという妄想の始まりは、邪馬台国の次に現天皇家がヤマトに創られた、ということを言いたいための感じがします。

しかし、日本の正史といわれる日本書紀に邪馬台国については記述がありません。そこで、その理由を検討しますと、拙ブログで何度も指摘していることですが、次のような感じと想われます。

まず、天皇家はアイヌ系であることがDNA研究の結果、分かりました。このことは、現天皇家の前に創られた朝鮮半島由来ツングース系王家が現アイヌ系王家に滅ぼされたことを示唆します。おそらく、巨大古墳をいくつも建造した結果、民衆は疲れ、反抗し、その王家は継体王(在位:507-531年)の時代、滅ぼされたものと思われます。

そして日本書紀は、偉大な万世一系のアイヌ系天皇家を主題に創作したもので、奈良時代に完成しましたが、現天皇家の前にあった王家については、無視しております。その理由は簡単です。万世一系という執筆方針ですので、これより前にあった王家は認められないためです。


このためか、朝鮮半島由来ツングース系王家だけでなく、中国南朝の歴史書に記述されている倭王武(北九州倭国王、安東大将軍、478年)も出てきません。邪馬台国についても同様な扱いだったと思われます。

天皇家はアイヌ系であることが分かった現在、天皇家と邪馬台国の接点はまったく無くなったと判断できます。言い換えますと、弥生時代末期、邪馬台国はアイヌ系王家でヤマトにあったという説になると、妄想を超えて夢物語です。

そこで、邪馬台国はどこにあったのかですが、最近の情報をまとめますと、北九州大分説が有力な感じです。その理由は単純明快で次のとおりです。

まず、魏志倭人伝ですが、魏の使いは、北九州の末羅国(松浦)に着き、そこから邪馬台国(女王国)の官の居る伊都国(糸島辺り)に行き滞在した。そして、そこで見聞きしたものを本国に紹介した内容が書いてある感じです。

女王国は伊都国の南方、水行で10日、または陸行で1ヶ月の地にあるとありますが、この地に当てはまりますのは、筑紫平野(佐賀平野+筑後平野)説、または大分説しか残りません。

次に、女王の都するところですが、東に海があり、その先にまた陸があるとあります。こうなると、当てはまるのが大分しかありません。

以上のことから原文を忠実に読むと、倭人の住む国には北九州地域をまとめた連合国があり、そのまとめ役の女王は大分に居たという説がたいへん有力な感じがします。そして、大分説を確信するためには女王の墓等の具体的証拠が必要ですが、ここでは大分の妥当性について、さらに検討していきます。

主なタイトルは次のとおりです。

主題:邪馬台国の真相
はじめに(今回報告)
1. 東アジアと日本の3世紀の様相
2. 民族の問題(戦乱の要因)
3. 卑弥呼はツングース系
4. 漢字の読み方、北方読みか南方読みか
5. 狗奴国と投馬國の場所
6. 人口(戸数)の問題
7. 邪馬台国は大分に(まとめ)
8. 邪馬台国はどうなったのか(東アジアと日本の4世紀の様相)
おわりに

なお、関連し、上トップ図に、邪馬台国の場所(大分説)を示しました。



日本史ランキング
[ 2023/03/17 07:07 ] 邪馬台国の真相 | TB(-) | CM(2)

次のまとめ課題


ヤナギ 菜園2月


次のまとめ課題(ごあいさつ)

拙ブログ訪問、ありがとうございます。

さて、昨年からアップしてきました「天皇家はアイヌ系」については、ほぼ書きたいところは終わりました。次に、書籍化して行く予定ですが、本課題の検討は一応終わりとします。

そして次週からの記事アップ予定ですが、新年の「ごあいさつ」で紹介しましたように「邪馬台国の真相」について検討したいと想っています。

Web検索しますと、邪馬台国は大分(宇佐)にあったという説がたいへん説得力があります。そこで、拙ブログでも、これまで検討してきた記事を総合し、その真相に迫ってみたいと思います。

邪馬台国の真相」の主な検討課題は次のとおりです。

はじめに
1.東アジアと日本の3世紀の様相
2.漢字の読み方
3.人口(戸数)の問題
4.民族の問題(戦乱の要因)
5.狗奴国の場所
6.卑弥呼はツングース系
7.東アジアと日本の4世紀の様相
8.邪馬台国は大分に
おわりに


このように「邪馬台国の真相」は10回(8個の記事と2回のあいさつ)ぐらいですので、週1の記事アップですと、5月で終わりそうです(笑)。

そこで、その次の課題ですが、「稲作の古代社会への影響(仮題)」について考えております。これらの記事をまとめ続け、正月を迎えることができれば幸せです。どうぞよろしく。

なお、上の写真は、我が菜園に春を告げるヤナギです。



日本史ランキング
[ 2023/03/10 07:12 ] ごあいさつ | TB(-) | CM(6)

天皇家はアイヌ系 終わりに


菜園の梅(白)


天皇家はアイヌ系 終わりに

「天皇家はアイヌ系」についてまとめてきましたが、今回が最後になります。

冒頭(初めに)では、DNA研究(Y染色体ハプログループ分類)により、日本人はアイヌ系が35%、マレー系が30%、朝鮮半島由来ツングース系が25%、その他10%であること、現天皇家のルーツはアイヌ系であることが分かったことを紹介しました。

さらに、現天皇家は継体王(在位:507-531年)からであること、それ以前の支配者は朝鮮半島由来のツングース系王家であることも紹介しました。

ツングース系王家は前方後円墳という墳墓を全国に残したことは明らかです。しかし、この王家は過度な巨大古墳建造の結果、民衆の怒りをかい、滅ぼされたと推察されます。

一方、現天皇家が朝鮮半島由来ツングース系でなくアイヌ系であることは、これまでの日本歴史の基本と言われてきた「天皇は万世一系」という通説は間違っていることを示し、歴史的大発見と思われます。

関連し、「天皇は万世一系」という通説の基になった日本書紀は創作だったことになります。現天皇家の前にツングース系王家があったことは、日本書紀には書いてありません。「天皇は万世一系」であることに反するためと思われます。

関連し、北九州倭国についても書いてありません。北九州倭国については、中国南朝の歴史書も書かれており、倭王武が居て、朝鮮半島南部と北九州地域を支配したことが記されています。おそらく、これも、現天皇家の前に王家は無かったという「万世一系」の執筆方針に反するために無視されたものと思われます。

本著「天皇家はアイヌ系」では、これら古代史を総合し、現在のアイヌ系王家(現天皇家)のできあがる経過をまとめました。そして、アイヌ系の継体王と北九州マレー系倭国(倭王武)が連合してツングース系王家を滅ぼしたと結論しました。

また、天皇家がアイヌ系であること関連し、日本語のルーツも日本の神社信仰もアイヌ文化に由来すること、一方、鳥居や巨石文化、水田稲作や関連する南方文化はマレー系によって南方から持ち込まれたこと、鉄はツングース系が朝鮮半島の慶州から持ち込んだことを検討しました。

DNA研究を基にした、こうした解析の試みはまだ新しいものと思われます。「天皇家は万世一系」という通説を基にした書籍は多数あり、こうした著作物に慣れ親しんできた多くの人々には理解をすぐには得られないかもしれません。しかし、DNA解析は物的証拠であり、認めざるを得ません。そして、ここでは、そのことにより、これまで曖昧であった古代史をより明らかにできたと確信しております。

なお、以上の内容は、拙ブログ「日本人の縄文思想と稲作のルーツ」の内容の一部をまとめたものです。より詳しい情報については、拙ブログ左側にありますカテゴリ、または検索欄を利用しますと見ることができます。例えば、検索欄に「継体」と入れますと、継体王についてのこれまでの記事を見ることができます。

また、本著の基になったDNA研究結果についても、「DNA」と入れ検索しますと、これまでの詳しい情報を見ることができます。

なお、上と下の写真は現在の我が菜園隣の初春の様子、紅白の梅の花です。「天皇家はアイヌ系」の最後の執筆を祝ってくれているようです(笑)。

菜園の梅(紅)



日本史ランキング
[ 2023/03/03 08:05 ] 天皇家はアイヌ系 | TB(-) | CM(2)
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日本人の縄文思想と稲作のルーツ
「天皇家はアイヌ系」についてまとめています。詳細(目次)は下のとおりです。どうぞよろしく。

レインボー

Author:レインボー
現在は邪馬台国の真相についてまとめています。

天皇家はアイヌ系(目次) はじめに 1. 日本民族のルーツ 2. 古墳王家は何故滅びたのか 3 古墳王家はアイヌ・マレー系連合に滅ぼされた 4.日本書紀は創作 5.日本語と日本人宗教のルーツ 終わりに
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