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Archive2023年07月 1/1

蘇我家の繁栄と滅亡 7.蘇我稲目の巨大な古墳

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蘇我家の繁栄と滅亡 7.蘇我稲目の巨大な古墳蘇我の2代目稲目は、財務大臣かつ筆頭大臣であり、かつ娘を妃にし、天皇家と親類関係になり、絶大な権力を持つようになったことを紹介してきました。 今回は、その絶大な権力事例として、当時に建設された墳長318mの巨大前方後円墳「丸山古墳」について、これは蘇我稲目の墓だったことについて検討します。 前方後円墳は、朝鮮半島由来ツングース系王家の権威の象徴として建造されて...

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蘇我家の繁栄と滅亡 6.蘇我は聖徳太子を育てた

蘇我家の繁栄と滅亡 6.蘇我は聖徳太子を育てた  蘇我家の初代は蘇我高麗ですが、蘇我高麗は百済の文官で日本に帰化し財務大臣となり天皇に次ぐ地位を得ました。そして、2代目の蘇我稲目は、天皇家に妃を出し、その孫が天皇になり、第一の権力者になっていったことを紹介してきました。 蘇我稲目は570年に没し、後を継いだのは3代目の馬子になります。天皇は33代推古天皇の時代となりました。推古天皇は初の女性天皇...

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蘇我家の繁栄と滅亡 5.蘇我は娘を天皇の妃に

蘇我家の繁栄と滅亡 5.蘇我は娘を天皇の妃に 蘇我高麗(そが・こま)は、百済の文官で、継体天皇(在位:507-531年)が始めたアイヌ系新王朝の初代財務大臣を担当、かつ第一の側近となり、勢力を広げてきたことを紹介してきました。  そして、2代目の稲目、3代目の馬子、4代目の入鹿の時代が、蘇我家の絶頂期と思われます。 2代目の稲目の時代になると、稲目は娘二人(小姉君、堅塩姫)を29代欽明天皇の妃に...

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蘇我家の繁栄と滅亡 4.蘇我は仏教を導入

蘇我家の繁栄と滅亡 4.蘇我は仏教を導入前回、蘇我は、日本に帰化し、財務大臣となり、五経博士を百済から派遣し、アイヌ系新王朝の継体天皇(在位:507-531年)を補佐し、日本の近代化に汗を流したことを紹介しました。 今回は仏教導入について検討します。 まず、伝来時期ですが、Wikipedia記事によれば、はっきりした時事は不明ですが、百済と日本の関係の公式な年は538年または552年のようです。 一方、継体天皇(在位:...

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