Archive2023年08月 1/1
「天皇家はアイヌ系」というDNA情報は古代史の大発見

「天皇家はアイヌ系」というDNA情報は古代史の大発見(古代史の問題)前前回、蘇我家の繁栄と滅亡について、駆け足でしたが、まとめ終わりました。今回は、その補足記事になりますが、「天皇家はアイヌ系というDNA情報は古代史の大発見」に言及し、その発見から蘇我氏のルーツについて検討します。 繰り返しになりますが、現天皇家の始まりは継体王(在位:507-531年)です。このことは多くの研究者に支持されていて、ほぼ間違い...
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次の課題は「ツングース系王家の繁栄と滅亡」

次の課題は「ツングース系王家の繁栄と滅亡」(ごあいさつ)夕方にもなると少し涼しくなってきました。一息ついているところです。 さて、拙ブログは、日本書紀は創作であり、それらを中心とした古代史は真実でないことを検討してきました。そして、「天皇家はアイヌ系」、「邪馬台国の真相」、「蘇我家の繁栄と滅亡」についてまとめ終わったところです。 しかし、古代史の記事まとめではWikipedia記事を参考にしていますが、未...
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蘇我家の繁栄と滅亡 おわりに 蘇我家の偉大な業績はなぜ評価されないのか

蘇我家の繁栄と滅亡 おわりに 蘇我家の偉大な業績はなぜ評価されないのか早いもので、「蘇我家の繁栄と滅亡」は今回が最後になります。蘇我家は文字導入など日本の近代化に大きく貢献しましたが、日本書紀では評価されていないことについて今回は検討します。 まず、蘇我家の経過と貢献は次のとおりです。 1. 継体天皇(在位:507-531年)が朝鮮半島由来ツングース系王家を滅ぼし、新王家を始めましたが、このとき、新王家を...
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蘇我家の繁栄と滅亡 9.蘇我と中臣(後の藤原)の対立

蘇我家の繁栄と滅亡 9.蘇我と中臣(後の藤原)の対立 継体天皇(在位:507-531年)は、アイヌ系ですが、朝鮮半島由来のツングース系王家を滅ぼして新王家を始めました。そのとき、文字を使える文官はおらず、友好関係にあった百済から文官を採用しました。その文官が蘇我家の始まりになります。蘇我家は天皇家の支援を受け、最初の財務大臣となり、娘を天皇の妃に出し、政敵の物部を滅ぼし、繁栄してきました。 ここに、蘇...
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蘇我家の繁栄と滅亡 8.蘇我とアイヌ系豪族との対立

蘇我家の繁栄と滅亡 8.蘇我とアイヌ系豪族との対立蘇我家は百済出身の文官で、アイヌ系継体天皇(在位:507-531年)が、朝鮮半島由来のツングース系王家を滅ぼして新王朝を開いたときからの側近であり、財務大臣として使え、さらには、文字や仏教を導入し新王家の近代化に励み、かつ娘を天皇の妃にし、繁栄し、天皇を超えるような権力を持つようになったことを紹介してきました。アイヌ系新王家が発足したとき、武力で支えた豪...
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