古代にツングース系民族が来た人数は年平均100人程度か(北方系と日本人)

古代にツングース系民族が来た人数は年平均100人程度か(北方系と日本人)
前回(2日前)、ツングース系民族が、地球寒冷化に伴い4000年前頃から朝鮮半島から日本に来て人口の半分ぐらい占めるようになったことを、Y染色体ハプログループ解析から推定しましたが、この関係を上の地図に示しました。
今回は、いつ頃、どのくらいのツングース系民族が日本にきたのか愚考します。
古代の人口を遺跡から推測した小山氏の資料(小山修三著 中公新書 1984)によりますと、2000年前頃の弥生時代初期の日本の人口は約60万人です。ここから推定しますとツングース系の人数は、その割合は全人口の半分ですので、30万人と推定されます。
そこで、寒冷化が始まった4000年前から寒冷化が終わった2000前に新天地を求めて大半の人が来たとすると、渡来人の年間数を単純計算しますと、30万人/2000年で150人/年になります。この時期、平均すると1年当たり150人ぐらい日本に移動してきたと推定されます。この数字には移住後の自然増は含まれていませんので、それを考慮すると実際に移動してきたのは年間100人前後と予想されます。
関連し、ツングース系民族が朝鮮半島南部から移入してきたことから推察しますと、移入地域は、北陸、近畿、中国、四国、九州が考えられます。そこで、上記の小山氏の資料を詳しく見ますと、4000年前(BC2000年)と3000年前(BC1000)を比較しますと、2回の冷害の影響を受け、いずれの地域も人口が減っておりますが、九州は減り方が少ないことが分かります(下図参照)。すなわち、ツングース系民族はまず九州を中心に移入してきた可能性があります。

一方、その後の3000年前(BC1000年)と2000年前(0年)の比較ですが、冷害が無かったためか、いずれの地域も人口が増えています。なかでも、九州と近畿が増えていますが、これは、ツングース系民族は、まず九州に移入し、その後、近畿に移入したためと推察されます。
さらに、この九州と近畿の著しい人口の増加は、ツングース系民族が鉄器を持ち込み食料増産に貢献したためと推察されます。稲作には、耕起、除草、水路開発などが求められますが、鉄器なしにはこれらの作業は簡単にはできません。鉄器導入は2500年前頃ですので、3000年前頃から移入してきたツングース系民族が、このために重要な役割をしたと推察されます。
まとめますと、ツングース系民族が年間に平均100人程度、継続的に来たという推定から考えますと、日本社会への文化的影響は小さかったことが予想されます。例えば言葉です。日本語に対するツングース系言語の影響は僅かしか認められません。日本の言語はアイヌ系言語が基層となり確立してきたと言われますが、それを変えるほどの影響は無かったことになります。
しかし、2500年前からの移入では、鉄器導入に関与し、農業とくに稲作の発展に寄与したと思われます。なお、稲作導入に関しては、先に朝鮮半島と九州に移入してきたマレー系民族が主として関与したと、拙ブログでは指摘しております。

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