坂東武者のルーツ愚考(アイヌ系と日本人)
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レインボー

坂東武者のルーツ愚考(アイヌ系と日本人)
平安時代のことと思いますが、「アズマ男にキョウ女」という言葉があります。今回は、このアズマ男(坂東武者)のルーツについて、日本人のルーツと関連し愚推します(笑)。
まず、この「アズマ男にキョウ女」の意味ですが、時は平安時代中期、東国のアズマ男と京(都)の女がもてた、あるいは相性がいい、という意味かと思います(笑)。そして、この「アズマ男」は、特に関東辺りの男を指すようです。
平安時代中期となりますと、武士が水田を開発し、その水田を国司とかの貴族に横取りされないように武力で守る時代、いわゆる武士の登場の時代となりますが、この時代は、坂東武者、アズマ男の人気が出たときと思われます。
関連し、関東で、939年に京の都に従わない平将門の乱が起きますが、主役は坂東武者でした。上の肖像画は、その「坂東武者の平将門」です。
また、関連し、下の肖像画は、「坂東武者で有名な熊谷次郎直実」です。熊谷次郎直実は源平合戦で名を上げた武将です。

そこで、これら坂東武者のルーツですが、まず、奈良時代、東北の蝦夷と大和政権との戦いがありましたが、このとき大和政権側の兵士として関東の蝦夷すなわちアイヌ系の人達が使われたことが知られております。
また、「坂東武者で有名な熊谷次郎直実」の肖像画等から推察しますと、ヒゲは濃く鼻は高く、男らしい顔立ちです。すなわち、彼らがアイヌ系の武者だったことが伺えます。
さらに、Nonaka, Minagaguchi and Takezaki (2007)のDNA研究(Y染色体ハプログループ分類)によりますと、現在のアイヌ系(ハプログループD)の割合は、関東では47%、一方、関西では27%、とあります。
すなわち、関東では現代でも半数近い人がアイヌ系です。こうしたDNAのデータ、そして当時の容貌から推察しますと、当時、坂東武者、あるいはアズマ男と言われた人たちがアイヌ系であったことが予想されます。
そこで、板東武者のアイヌらしい容貌ですが、「日本の版画家・木彫作家・アイヌ民族運動家・ロックシンガーとして知られている結城 幸司氏」がいいかと思います。ルーツはアイヌということですが、その凜々しい顔立ち、まさに板東武者のルーツでないかと思います。

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