秋田美人のルーツは縄文時代最盛期の日韓交流時代にある(北方系と日本人)
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秋田美人のルーツは縄文時代最盛期の日韓交流時代にある(北方系と日本人)
拙ブログでは、秋田美人のルーツは北方系のツングース系民族であること、関連し、日本海は美人の山地であることを紹介してきました。今回は、小山(1984)の古代人口資料から、何時頃来たのか愚考します。
北方系民族の大半は、食料を求め、4200年前の寒冷化時代から来たと拙ブログでは推察しております。しかし、少しですが、それ以前も来た感じがします。それは縄文時代最盛期の5000年前頃のことです。
小山(1984)の資料ですが、5000年前の状況を日本海側(北陸)と太平洋側(東海)で比較しますと、北陸は東海と比較し大きく人口が増えています(上図参照)。この差は自然増加以上のこと、すなわち移民があったことを伺わせます。
そこで考えますと、当時は、山内丸山遺跡から分かりますように東北の縄文時代最盛期です。海洋交易も盛んで、富山の翡翠、遼東半島の円筒土器などが山内丸山遺跡で出土しています。すなわち、この時代、遼東半島や朝鮮半島からツングース系民族も、日本海側の各地に移住してきた可能性があります。
そして、秋田について言えば、アイヌ系の人々が山間部に住んでいたことは明らかですが、海岸に近いところでは少ない可能性があり、そこへ比較的多くのツングース系民族が渡来してきたのではないかと推察されます。そして、そうした関係から色白高身長の秋田美人が生まれたのではないかと推察されます。
なお、下の写真は記事と関係ありませんが、自然との共生を目指す我が菜園の菊の花の様子です。放置栽培ですが、晩秋となると毎年、美しい花を見せてくれます。


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