仏教は不殺生、自然との共生思想と違う(縄文思想と日本人)
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レインボー

仏教は不殺生、自然との共生思想と違う(縄文思想と日本人)
「落語的笑いのすすめ」(桂文珍著 平成18年)を読んでいたら、立松和平さんが四万十川のヤマメを食べ、「必要以上にとってはいけません」と言っていたことが紹介されていました。
そして、「これは仏教の考えでしょう、おそらくは無駄な殺生をしないということなんでしょう」と桂文鎮さんが解説していました。
関連し、これは、仏教の考えでなく、日本人の自然との共生思想だと思ったところです。関連し、今回は、この仏教と自然との共生の考えの違いについて愚考します。
まず、仏教の教えは不殺生です。人は死ぬと別の生き物に生まれ変わるという輪廻の考えです。すなわち、生きているものは別の生き者に生まれ変わるのだから、どのような生きもの、虫も殺してはいけない、ということだと思います。
一方、日本人の考えは、自然との共生がベースにあり、人間は自然の一部であり、食べるために生き物を少し殺生するのは問題ない、という感じでしょうか。
日本人の思考様式は、私もそうですが、不殺生の仏教よりも、この自然との共生という考えに近いのではないでしょうか。最初に出てきた立松和平さんも、名前のとおり「和平」(自然との共生)の考えだと思われます(笑)。
また、関連し、日本人は食事前に「いただきます」と言いますが、その言葉には植物や動物の生命をいただくことに感謝の意味が込められていること、それは縄文時代から続いていることを拙ブログで紹介したことがあります。
まとめますと、生き物を殺すことに関し、日本人は深層心理として、自然との共生という縄文時代からの思想を強く残している、と思われます。このため、仏教の不殺傷は受け入れられなかったと思われます。
関連し、上の写真は、サツマイモの葉を食べる夜盗虫が激しく発生した昨年の菜園の様子です。妻は、300匹ぐらいの虫をハサミで切って殺し、収まったと言っていました。これだけの生き物を殺しても平気ですから妻は仏教徒ではありません(笑)。
この妻の努力のためかサツマイモは、下の写真のように大豊作でした(笑)。


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